二部 第十五話
「はぁっ、はぁっ……」
全力で走ったため切れる息を整えながら、僕は目の前に存在する黒く輝く扉に目を向ける。
ここだけが他とは一線を画している。男の言っていたことを真実だとするならば、ここにニーナがいる!
「ニーナ! 聞こえる!? 僕だよ、助けに来た!」
扉を何度も叩きながら、ニーナの返事を待つ。この奥が完全防音である可能性も考慮しているため、五秒待って返事がなかったら突破するつもりだ。
…………五秒経った。返事はない。斬るしかないようだ。
「上手く行ってくれよ……!」
僕にはこの扉の厚さを正確に読み取って、そこだけを斬り裂くなんて器用な真似はできない。しかし、それで万が一ニーナごと斬り裂いてしまったら後悔してもし切れない。
「……シッ!!」
そのため、僕が行ったのは扉を斜めに斬り下ろすことだった。それもかなり浅めに斬り下ろし、最悪切れ目だけでも入ればいいと思っての行動だ。
だが、予想外にこの扉は薄く、クリスタルで作られた剣の前には紙のようにサックリ斬れてしまった。
ガラン、と金属と金属がこすれ合う特有の音を立てながら扉が二枚に分かれる。意外に重そうな音だったから、かなりの強度があったのかもしれない。
「ニーナ! そこにいるの!?」
僕は少なくとも人を斬った感触が手にないことを嬉しく思いながら、部屋の中に入る一歩手前で足を止める。……くそっ、罠である可能性がここまで足を鈍らせるとは。
「エクセ……! 来てくれたのね!」
しかし、僕の考えとは裏腹にニーナはそこにいた。僕が部屋に入ってこれない理由もこの瞬間に消滅した。
「ニーナ! 無事だった!? 何かされなかった!?」
すぐさま部屋に駆け込み、ニーナの体を上から下までペタペタ触りながら傷の有無を把握する。毛一筋でも怪我をさせてみろ。少なくともこの中央政府塔は吹っ飛ばす。
「ちょ、くすぐったいわよ! ……大丈夫。あたしは大丈夫だから。安心して」
普段とは違うニーナの優しい声で、僕はようやく彼女が無事であることを実感し、同時に体中から力が抜けてしまう。
「はぁぁぁぁ……」
よかった……。本当によかった……。
「もう……。本当、あんたは上流階級に向いた人間じゃないわね……。頭は切れるのに、誰かのためにここまで必死になれるんだから」
「いいよ、別に。貴族になりたいわけでもなし。それより、サッサと脱出しよう。こんな場所に長居する理由はない」
「それは困るね。君にはなくても、こちらにはあるのだから」
ニーナの手を引いて脱出しようとした瞬間、後ろから声をかけられる。妙にくぐもっていて、何かを通じて聞こえる声みたいだったのが頭に引っかかった。
「……っ!」
振り向きざまにクリスタルの剣を薙ぎ払い、後ろにいるはずの人間を斬り飛ばす。
「怖い怖い……。君はある意味ニーナ君以上に危険だね」
しかし、僕の剣は男を斬り飛ばすことができずに宙を斬り裂くだけにとどまった。これは……。
「魔法、か?」
目の前に浮かんでいる幻影から考えるに、僕の視覚に作用して幻影を見せているのか、はたまた遠くから魔力を使って投射しているかのどちらかだ。
僕は魔力が関わっているものに対する抵抗力はかなり高い。日常的にクリスタルが作れるほどの魔力と触れているからだろう。僕自身に魔法をかけられた可能性はない。
「ニーナ、あれ見える?」
「見えるけど……、どうしたの?」
ニーナにも見えている。他人の視覚に作用する魔法は存外にレベルが高く、対個人用の魔法に分類される。それゆえ、前者の可能性は二つの理由でありえないことになる。
そしてここは機械帝国。魔法を否定する文明の連中が万物のエネルギーである魔力に頼るのはともかく、魔法に頼るのはおかしい。
「…………《投射》と似たような効果を持つ機械、だな」
「ふふふ……ご名答! 君の魔法の知識は大したものだね! 確か君は魔法が習得できないはずなのに!」
うるさいよ。それと僕は習得していないわけじゃない。むしろ魔法の術式だけで言えば全て覚えている。むやみに発動してしまう魔力の収束さえ何とかできれば、既存の魔法はほとんど使えるようになるんだ。
……ウソじゃないぞ。
「黙れ。……僕たちを高みの見物か? 別に構わないが、僕はこれでも頭に来ている。――楽に死ねると思うなよ」
少なくともニーナを捕らえた以上、かなり痛い目を見てもらうのは確定事項だ。時と場合によっては殺害も辞さない。
「それは怖い……。では、話し合いと行こうか。示された道を行きたまえ。その奥に私がいる」
こいつ、正気か? 殺すと宣言した相手を自分の懐に呼ぶなんて……、相当の度胸があるのか、はたまた罠で待ち伏せか、あるいは真性のキチガイか……。
こんな場所にいられる以上、それなり以上の地位は持っているはず。ならば一番最後の考えはありえないか……? いや、でもいるところにはいるしな……。
「エクセ……、どうする?」
「…………」
ニーナの安全を考えればサッサと帰るべきだ。というか今の僕にとってそれより優先すべき事柄は存在しない。
よし、帰ろう。あいつの言葉なんて無視だ無視。
「んじゃ帰ろうか」
「そうね。あたしはあんたの考えに従うわ」
ニーナの手を引いて部屋から出ようとすると、男が再び口を開いた。
「ほぅ……。では、君は我々とともに心中するということでよろしいのかな?」
「……どういうことだ?」
僕は奴らと心中するつもりなんて欠片足りとも持ち合わせていない。何かやろうとしたら即刻逃げ出すつもりだ。
「何ということはない。君が我々の話を聞かなければ、私はここにある爆破装置を起動させる。それだけだ」
「……ちなみにその規模はどのくらいだ?」
「この街が一瞬で焦土になる……と言えば満足かね?」
向こうは不退転の意志で僕に交渉を持ちかけているようだ。それにこの国が全て焦土になるレベルの威力では、さすがに僕でも耐え切れるかどうかわからない。
「…………どうしてそこまでして?」
「それについては君がこちらに来ることを明言してから答えよう」
「エクセ……」
ニーナが僕の手を不安そうに握る。まったく、いつも強気な彼女にしては弱々しい態度だ。
「……わかった。そっちに行くから少し待て。それと……」
ガン! と全力で壁を殴っておく。ちなみにクリスタルで保護してある。
「どんな美談持ち出そうが一発は殴るからな……。覚悟しておけ!」
とりあえずニーナを連れ去ったことに関しては許さないため、絶対に殴る。これは確定。
「それは怖い……が、我々も退けない理由がある。道筋はその部屋から出ればわかるようにしてあるから、歩いてくればいい。……ああ、一つだけ先に頼まれてくれないか?」
「……何だよ」
「……彼を、止めてくれないか?」
男が煤けた表情とともにまたもや映像を写す。そこには――
――一騎当千の活躍を見せる兄さんの姿が写っていた。
「おぉぅ……」
「すっご……」
僕とニーナが思わずうなってしまうほどの活躍だった。残像を残すほどの速度で動き、刀の軌跡はすでに銀色の線が次々と閃いているようにしか見えない。
「途中から目で追えない……」
「あたしなんて最初っから目で追えないわよ……」
「奴だけで我が軍がほぼ壊滅状態なんだが……。大体何だあれは!? 軍の戦略兵器を真っ二つにするなんて人間か!?」
とりあえずさっきまでの余裕が崩れている、とだけ言わせてもらおう。あと、兄さんが人間かどうかに関してはノーコメント。
「……まあ、自業自得?」
そもそも僕たちを狙ったりしなければ兄さんがあそこで暴れることもなかったので、僕が助けに行く義理はこれっぽっちもないのだが……、さすがにあの光景を見ると気の毒になってしまう。主に戦っている軍人たちが。
「……とにかく、今からそっちに向かう。せいぜい首を洗って待ってろ。それと、あんた以外の誰かがいたらその時点で敵対したと見なす」
それだけ告げて、僕はニーナの手を引いて部屋を出る。部屋を出た先には、上下真っ黒の無骨な衣服に身を包んだガタイの良い男が二人ほど立っていた。
「こちらでございます」
男は両手である方向を指し示し、そのまま後ろに下がった。その際、目線が斬り飛ばされた金属の扉に向かっていたのはご愛嬌だろう。
「ねえ、エクセ……。あいつの言葉が本当なんて信じられないのよ? サッサと逃げても問題ないんじゃ……」
「いや、あいつは多分本気だよ。それにここで逃げても問題の先送りにしかならない。僕たちがここに来た目的は、アインス帝国に狙われるのをやめてもらうためなんだから」
だからこそ、多少ヤバい橋でも渡る必要がある。
「……ニーナは帰っても良いと思う。ニーナの隠密なら問題なく帰れるだろうし」
正直なところニーナが捕まったのは、寝起きで脳の覚醒し切っていない状態だったからだとしか思えない。それほど彼女の隠密はすごいものがある。
「冗談でしょ。かなり狭い部屋とはいえ、三人すらごまかし切れなかったのよ? まだまだ未熟も良いところだわ。それに……、あたしの未熟がこんな騒ぎを招いてしまったのなら、絶対にあたしは結末を見届けないといけない」
「それがニーナの責任?」
「そうよ」
僕の言葉にニーナは間髪入れず答えてみせた。
……やっぱ、同じ人間に育てられたんだ。考え方が似通うのも仕方ないよね。
「わかった。僕が同じ立場でもそう言うだろうし、もう止めない。……でも、ヤバいと思ったら僕はニーナを助けるよ。たとえそれがニーナの責任であったとしても」
体が動いてしまうのだ。誰かが傷つきそうな場面を見てしまうと、いつも体が勝手に動いてしまう。
「百も承知よ。あんたが兄さんよりも甘くて優しいことなんてね」
「悪かったね。……行くよ」
ニーナが神妙な顔でうなずくのを横目に見てから、僕は先ほどとは違う異彩を放つ扉の前に立ち、一息に斬り捨てる。
「これは……、親に扉は斬るものとでも教わったのかね?」
その部屋には、ワケの分からない機械がごちゃごちゃと並び、奥の方には僕がさっきまで会話していた男が佇んでいた。
「あいにく、親の記憶はほとんどなくてね。田舎育ちの無作法だとでも思ってくれ」
「そうかそうか……。改めて名乗らせてもらおう。私の名はシルバ・グランウェスト・アインス。言ってしまえば役職としては――」
「この国の大統領、と言わせてもらおうか?」
自分でもこの物語の終わりが見えません。アンサズです。
いえ、一応結末は決まっているのですが、そこに到るまでが長くて……。一部だけでも二ヶ月かかったのに、さらに二部と三部まであって……。
……今年中に終わるかな?
ともあれ、何が何でも完結させるつもりではありますのでこれからもよろしくお願いします。