二部 第十三話
「旅人だと……? ……よし、身分に偽りはないようだな。通れ」
どこか横柄な感じのする衛兵に身分証明をさせられ、それから僕たちはドーム状の街の中に入った。
「うわっ……」
途端、僕たちをムワッとした熱気が襲う。すごい湿気と熱さだ。
「これは……蒸気だな。ちょっと歩いたら消えるはずだからサッサと通り抜けよう」
兄さんがすぐさま湿気と熱気の正体を看破し、僕たちを促して先に進む。
「寒い土地独特の景観だね。街がドーム状になっている……。ただ、ちょっと日の光が恋しいかな」
「こんな場所だ。そもそも日照時間が少ないんだろうさ」
「なんていうか……、どの国の人でもそれなりに苦労はあるのね……」
ニーナは相変わらず僕のローブを着たまましみじみとうなずく。……返す気はないんだね。
「まあ、そんなこと言っても仕方ない。どうせ個人の力でどうこうできるレベルを超えているだろうしな。それより宿を探すぞ」
「そうだね。にしても……暑いなあ」
すでに防寒具は脱いだ。にも関わらず背中や額に汗が浮かぶ。こんな場所にいたら外の寒さが恋しくなるくらいだ。
僕は早くもこの湿気にうんざりしながら、兄さんの後をついて歩き始めた。
「ふぅ……。宿の中はちょうどいい温度が保たれているな……」
安宿の二人部屋と一人部屋に荷物を置いた兄さんが額に浮かぶ汗を拭う。どうやら兄さんでもここの暑さは堪えたらしい。
「さすがにここまで街の中と同じだったら寝れないよ……」
ずっと蒸気風呂の中にいる気分だった。あそこに裸でいれば、何もしなくても垢が落ちるだろう。そう思えるほどの湿気があった。
「そうね……。それより、これからどうするの? とりあえず帝国内部には入ったけど、そこからの動きを全然考えてないよね?」
「…………」
「…………」
ニーナの指摘に僕も兄さんも黙り込んでしまう。マズイ、確かに何も考えてなかった……!
「……兄さんは何か当てでもある?」
「あるわけないだろ。もともとお前の問題だろうが。とはいえ、あまりにぶっ飛んだ答えを出されても困るからな。国一つ相手に勝負するとかやめろよ」
わかってるよ。いくら僕でも自分の都合を通すために国に住む人たち全てを殺そうとするつもりはない。そんなことをやるくらいだったらアインス帝国の目が届かない遠くまで逃げている。
「どうしたものか……。ちょっと落ち着いて纏めてみよう」
行き詰まった時は僕と連中の持っている要求を確認し直した方がいい。そうすれば思いもよらない方向から解決策が見えてくるものだ。
まず、アインス帝国の連中は僕がほしい。正確には僕の持つ莫大な魔力が、だ。
もっと詳しく言えば僕のクリスタル生成能力もほしいのだろうが……、とにかく連中は僕の身柄を拘束したがっている。もし捕まったら、永遠に僕の意志など剥奪されてしまうだろう。それは遠慮したい。
そして僕の要求としては彼らに諦めてほしい、の一つだけだ。僕は自由でありたいし、この国の人々のために犠牲になる、なんて言えるほど自己犠牲精神に富んではいない。
うーん……、こうして並べると難しいな……。平行線を辿っているようなものじゃないか。
「で、何か上手い解決策は見つかったか? なければここまで来て逃げるしかなくなるが」
「……ま、一応ね」
解決策というか、ただの時間稼ぎというか、とりあえずその場しのぎの策は思いついた。あとは向こうがそれを了承してくれるかどうか、だ。
「よし、方針も決まったなら、あとは行動あるのみだ。……とはいえ、今日は遅い。明日にするか」
「異議なし」
「あたしもー。今日は疲れたわ……。何であんな吹雪の中警戒をしなくちゃ……」
ニーナ、苦労は察するけどそれはやめちゃいけない。ニーナの索敵能力が僕たちの生命線なんだから。
「ニーナにはいつも助けられてるよ。……それはそうと、そろそろ僕のローブを返してくれても……」
「やーだー。これ着てると快適なんだもん」
だから返してほしいんだよ。それとベッドの上で足をパタパタさせるな。ホコリが舞う。
しかし、ニーナの本当に緩み切った顔を見ているとあまり強くも出られない。ここまでダラけた表情を見せるということは、本当に疲れている証拠だからだ。
「はぁ……、一日だけだよ。明日になったら返してもらうからね」
「はーい」
ニーナは僕の言葉におざなりな返事をして、すぐに寝息を立て始める。……あのローブ、着てると魔法学院の人間だと思われるんだけどな。
まあいいだろう。一日くらい。それも今夜だけだ。
「んじゃ、僕たちも寝ようか」
「そうだな。どんな時でも体力を万全にしておくべきだ」
ニーナが眠りについたのをちゃんと確認してから、僕たちは部屋を出た。さすがにニーナと同じ部屋で寝るつもりはない。
そして、僕は自分の浅慮を死ぬほど嘆くことになる。
その日の夜中だった。
僕は妙な気配を感じ取って、体を起こす。
……なんだか日常生活には必要のない癖が身についてるな。
つくづく戦闘慣れしてしまった自分にため息をつきながらも、手元に置いてあった守り刀は手放さない。
「……兄さん。起きてる?」
「当たり前だろ。侵入者が三人ほど。動きを探ってみたが、こっちには向かってないみたいだ」
「じゃあ僕が目当てじゃないみたいだね」
それなら安心できる。そう判断してもう一度休もうとした時だった。
「……っ!? マズイぞ! 奴ら、ニーナの部屋に向かった!」
「なっ!?」
何で彼女を狙う!? 人質か!? いや、人質を取るのなら僕がエクセルであると確信している必要がある。そもそもどうして彼女だけをピンポイントに狙った!?
…………まさか、僕と勘違いされた?
今は夜中。それゆえ非常に辺りは暗い。そんな中で僕がいつも着ているローブを着た人間が眠っていたら……。
「急ごう!」
そこまでをすぐに考え、僕はクリスタルの剣を手に取った。兄さんはすでにドアのところまで向かっている。
「わかってる! オレは先に行く!」
その言葉を最後に、兄さんの姿は僕でも視認できない速度で走り始めた。走っているのがわかるのは、床が軋む音が聞こえるから。
「ニーナ……!」
僕は異様な焦燥感に駆られながら、ニーナの部屋を目指して全力で走り出す。
肉体に強化を施し、木の床を踏み壊しながらニーナの無事を一心に祈る。今回は完全に僕のミスだ。もっと注意して物事を考えていれば奴らの矛先は僕に向かったはずだ。
「この……っ!」
ニーナの部屋にはすでに兄さんが来ており、悔しそうに下を向いていた。
「兄さん! ニーナは!?」
「……すまない。姿が見当たらない」
それはつまり、彼女はさらわれたということをそのまま意味している。
「…………くそっ!」
僕は自分の無力さを本当に恨みながら、地面を蹴飛ばす。
その時、足に何か適度に弾力のある物体を蹴った感触が伝わる。この馴染みのある固くて柔らかい独特の感触は……。
「え……?」
当然、人の死体だった。しかも頚動脈の部分をバッサリ一撃でやられている。この切り口は……。
「ニー、ナ?」
「そうだろうな……。おそらく、あいつも気付いて反撃はしたんだ。だが、あいつはもともと戦いに向いてない。途中で捕まったんだろう」
確かに。適度に狭く、適度に暗い部屋はニーナの独壇場だが、さすがにこれは狭過ぎるし隠れる場所が少な過ぎる。一気に大人数で来られたらアウトだろう。
「……はぁっ」
色々な思考と嫌な可能性が頭の中を渦巻き、それらを全てため息で吹き飛ばす。
今はそんな確認のできないことを考えている場合じゃない。ニーナがここにはおらず、敵の手に落ちたことだけが現状ハッキリとわかっていることなのだ。ならばそれを奪還すべく頭を働かせよう。
「……それで、どうする?」
「ニーナを取り戻す。これは絶対」
ほぼ確実に彼女は殺されてなどいない。十中八九敵は僕を狙っている以上、彼女を捕まえたのが人違いであったと気付いても、人質に使うだろう。頭の少しでも切れる人物がいればそうするはずだ。
……まあ、万が一殺していた場合はこの国もろとも消し飛ばすだけだが。この国の人たちを巻き込むのはマズイ? ハハハ、キレた僕にそんな正論通じるとでも? というか現段階でもかなり頭に来ているんだぞ。
「相手がわかっている以上、僕たちが行くべき場所も必然的に一つになる。……確かこの国は中央に政府。そしてそれを取り巻くように軍の重要組織が点在していたよね?」
この街に来てから買ったガイドブックに簡略化されたものが載っていた。あの時はそんなものもあるのか、程度にしか認識していなかったが、これならもっとちゃんとしたものを買えばよかったと後悔している。
「ああ。……正面突破か?」
兄さんは口元にちょっとだけ楽しそうな笑みを浮かばせながら、刀に手を添える。戦闘狂って御しづらいから怖いんだけどなあ……。まあ、兄さんに限って本当に大切なことを見失うことはないから安心だろう。
「うん。兄さんは正面から堂々と向かって。僕は別のルートから堂々と向かうから」
「堂々とって……。オレならともかく、お前は危険だぞ!? わかってるのか!?」
兄さんは別に大丈夫で僕が危ない辺り、実力差を感じる。というか数の暴力に真っ向から立ち向かえる剣士なんてそうそういないって。
「自分の実力もわからないほどバカじゃないよ。でも、早いうちに向こうへ僕の存在を知らせないとニーナに危険が行く可能性が上がる。だったら多少の危険は呑み込むさ」
なに、クリスタルの塊でも落としてやれば向こうも気付くだろう。あとはニーナのところを目指して走り抜けるだけだ。
「それに時間だってずらす。兄さんは自分の心配をして。……ニーナは必ず助けだす。もしニーナに手を出してみろ……! あいつら皆殺しだ……!」
「落ち着け。ったく、基本的に動じないくせにキレると本当に怖いな……。ともかく、目的だけは見失うなよ?」
僕を一体なんだと思っているんだろうか。ニーナに何かされていたらそれ相応の行動に出るけど、何もされていなければサッサと逃げるだけだ。
「わかってるよ。……行こうか。兄さんは先に行って」
僕はクリスタルの大剣を握り締め、窓の向こうに目を向けた。目指すは視界の先にそびえ立つ巨塔――中央政府塔だ。
「……気をつけろよ。いざって時に誰かが助けてくれる、なんてただの幻想だからな」
そう言って兄さんは窓から飛び出した。そして屋根から屋根へ音もなく走っている。一つの線のようにすら見える速度だ。
……幻想、ね。
「だったら、これからニーナを助けに行く僕は幻想を現実にさせるのか……ねっ!」
絶対にニーナを助ける。それだけを心に決めて、僕も兄さんの後を追って窓枠から飛び立った。