二部 第十二話
「――セル! ちょっとエクセル! あたしの話聞いてる!?」
「あ……ゴメン。聞いてなかった」
ベスティアの街を発ってから三週間ほど。僕の調子は変わらず、二人には心配をかけっぱなしだった。
「まったく……。ここんとこずっとそんな調子よ。ちょっとはしっかりしてよね!」
最初の頃はニーナも何も言わずに引いてくれたのだが、最近は苛立ったようにそっぽを向いてしまう。僕が悪いことなんてわかり切っているのだが、こればっかりはすぐに割り切れるものじゃない。
「ゴメン……」
悪いのはわかっている。だが、どうしても頭から嫌な想像が離れないのだ。
その想像が僕を蝕み、二人との間にも溝を作り出してしまっている。
「エクセ……」
兄さんは僕が悩んでいることに対して何もできないのを悔しそうにし、ニーナは僕の方をチラチラと心配そうに見ながら、その都度そっぽを向く。
…………チクショウ。二人に心配をかけて、何が二人の力になる、だ。
自分は何だ? 兄さんに育てられたんだぞ? その自分がこの程度で足を止めていいのか? 否、いいわけがない。
そう自分に言い聞かせて何とか心の平衡を戻そうとしているのだが、まるで効果がない。我ながらここまで打たれ弱かったとはビックリだ。
「……そろそろアインス帝国領に入る。オレたちは旅人だから問題なく中に入れるはずだけど、防寒具を着ておけ」
「了解。……エクセは大丈夫なわけ? ベスティアでほとんど何も買わなかったけど」
「いや……、僕はこれがあるから」
ニーナの心配そうな言葉に対し、僕は自分の着ているローブをつまむ。魔法学院のローブなのだが、退学する際にちょろまかし――もとい餞別に頂いてきたのだ。丈夫で動きやすく、なおかつ刻まれた魔法の効果である程度の環境保護もしてくれる。平たく言えば暑い時涼しく、寒い時暖かくなるのだ。
「便利なもの持ってるわね……。でも、ヤバいと思ったら素直に着るのよ。わかった?」
「わかってるよ。大丈夫。そこまで気を抜きはしないって」
「どうだか。今のエクセ見てると、そのセリフも信用し切れないわ」
「…………」
ニーナに痛いところを突かれてしまい、黙り込むことしかできない。
そんな僕を見て、ニーナはため息をついて踵を返した。
「……あたしの知ってるエクセルは、冷静そうに見えて挑発には必ず乗るような単細胞よ。……サッサと元に戻りなさい。これでも心配してるんだからね」
前半、僕をバカにしているような内容が聞こえたが、それでも心配をしてくれていることは十二分に伝わってきた。
「……うん、行こう」
少しだけ元気が出た。空元気かどうかは僕自身にも判断できないが、それでも前を向いて歩く気力ぐらいは湧いてきた。
北に向かっていることを証明させるように、だんだんと冷たくなる風を顔に受けながら僕が考えるのは、先日知った事実から導き出されるであろう真実だ。
アインス帝国は僕の魔力目当てなので、考える必要はない。それに目的地もハッキリしているから、直接乗り込んで聞き出せば済むことだ。
「……兄さん。聞いてなかったけど、兄さんの弟って名前は何? ちょっと僕たちと区別がつかないからややこしいんだ」
「ん? ああ、言ってなかったか。――タケル、っていう名前だよ。それがどうかしたのか?」
「ううん、ちょっとね。これからはタケルって呼んで区別をつけようと思っただけ」
ということで兄さんの弟――タケルの考えもまるで読めない。僕の故郷を焼き払ったことと言い、兄さんの口振りから考えると、どうしてもそのようなことをする人物に思えないのだ。
さらには魔法陣に使われていた新しい人骨……。それの設置もタケルが行ったのか? だとしたら僕は二重の意味で奴を許せなくなる。
(……くそっ、結局わからないことだらけじゃないか)
しかもそのわからないことが僕の知らない場所で繋がっている気がしてならない。それが余計に気持ち悪さを助長させる。
「……エクセ、止まりなさい!」
「え……? 一体どうし――っ!?」
ニーナの鋭い声に一瞬だけ呆けてしまうが、すぐに言葉の意味を悟って感覚を戦闘のそれに切り替える。考え事は後にしろ。今は戦うんだ。
「……兄さん、人間の相手が七人ほど。向こうはこっちに気付いているけど、弓を引く音が聞こえないから遠距離攻撃の手段は持ち合わせていな――」
「危ない!!」
ニーナの説明を途中で遮り、僕はニーナを押し倒した。
「きゃっ!? な、何するのよ!?」
「……来たっ!!」
ニーナの非難混じりの声に耳を貸さず、僕は五感をフルに使って相手の攻撃を見抜く。これは……ボウガンだ!
草むらの中から凄まじい勢いで矢が飛び出るのを、僕は強化魔法で強化した動体視力で確認する。同時に左手でそれを掴み取る。
摩擦で掌がわずかに焼け焦げる痛みに顔をしかめるが、可能な限り顔に出さないようにする。そして僕とニーナの前にクリスタルの壁を作り出す。
「やっぱり魔法もあったか……!」
クリスタルの壁めがけて炎の奔流がぶち当たる。威力自体は大したことないみたいだが、それでも人ひとりを黒焦げにするには十分な熱量だ。
「ウソ……? あたしが読み違えた……?」
僕の腕の中でニーナが呆然としたようにつぶやくが、相手の数を正確に読んでいるだけでも大したものだと思う。ぶっちゃけ、僕にはどの方向に敵がいるかはわかっても、何人いるのかまではまったく読めない。
「いや、ニーナは合ってる。ただ、向こうは遠距離からの攻撃が得意みたいだ。――二発目が来る! 兄さん!」
「わかってる! お前はニーナを守れ!」
兄さんが刀に手を添えて走り出す。そして走り出した瞬間には僕の視界から消えていた。
……相変わらずデタラメな速さだな。
「ねえ、エクセ……。どうして相手が遠距離からの攻撃をしてくるってわかったの?」
兄さんの消えた方向から悲鳴が断続的に聞こえる中、ニーナがそんなことを聞いてきた。そう言われてみれば、どうして僕は感知できたのだろう。
「さあ……。細かいところはよくわからないけど、何となくだよ。うん」
実戦に出続けていると理解できる勝負勘といったやつだ。ニーナはあまり"戦い”をやらないから発達しなくても無理はない。
「……なんか、あんたに偉そうな態度取ってた気がするわ。戦いの時に一番役に立たないのはあたしなのに……」
それは冗談で言っているのだろうか。戦闘に入る前にこっちが奇襲をかけられたらほとんど終わりなんだぞ。それをニーナのおかげでほぼ完璧に防げている。これがどれだけ助けになっているか、僕も兄さんも骨身に沁みて実感している。
「ううん、ニーナが正しいよ。僕は答えの出ない問いにずっと頭を悩ませて……。バカみたいだ」
そしてバカみたいだとわかっていても気にし続けてしまうのだから救えない。
「……それとさ、そろそろ離してくれない? いい加減この体勢でいることに羞恥心が湧いてきてるんだけど」
「それはダメ。まだ兄さんの向かった方向から声が聴こえる。完全に聞こえなくなるまでは動かないで」
戦闘中の時だけは驚くほど頭が回転する上、思考の一つ一つも冴え渡っている。
……おかしいな。どうして戦闘中になると思考が澄み渡るような体になったのだろう。僕、本来はあまり前に出ないタイプのはずなのに。
「ふぅ……。こっちは終わったぞ! もう安全だ!」
そんなことを考えていると、兄さんが刀についた血を払いながらこっちに戻ってきた。どうやら倒し終わったらしい。
「わかった! ニーナ、伏兵は?」
「いないわ。それと早くどいて」
あ、ごめん。気にしないで、あたしの盾になるのはあんたの役目でしょ、といったやり取りをしてから僕は体を起こして辺りを見回す。
「……血の臭いが濃い」
「仕方ないだろ。向かってきた奴全員斬ったんだから。三人斬って四人は逃げたな」
兄さんの判断を甘いと断ずるべきか、はたまた優しいと言うべきか、僕にはわからなかった。一つ言えることとしては、もう一度盗賊に襲われる可能性があるということくらいか。
「そっか……。んじゃ、出発しようか」
「ん? エクセ、もう大丈夫なのか?」
「大丈夫! ……って胸張って言えるわけじゃないけど、何だか頭の中はスッキリした」
結論が出たわけじゃない。だが、それでも守るべき筋と守るべき人は見定めることができた。それが戦闘時特有の意識のおかげであると思うと皮肉なものだが。
(兄さんとニーナだけは絶対に守る……。でなければ、僕がいる意味がない……!)
何が起こってもこれだけは変えちゃいけない。今はそれだけ抱えていればいい。
「……そっか。じゃあ、出発するぞ! 今日中に帝国領には入っておきたい」
いつもの感じに戻ってきた僕を嬉しそうに見た兄さんが元気な声を出す。僕はニーナと顔を見合わせ、一瞬だけ笑ってから歩き出した。
「さーむーいー……」
「確かに寒いな……。しかも吹雪いてきた」
「そうだね。早いところ野宿できる場所を見つけた方がいいかもしれない。下手したら凍死するよ」
「あんたらねえ……! どうして二人ともそんな平然としてられんのよ! 尋常じゃない寒さよこれ!」
僕と兄さんが吹雪の前でも平然としていることにニーナがキレた。まあ、厚着をしていない僕と兄さんだけが変わらないのだからニーナの怒りもわかる。
……というか、僕の場合はローブの保護魔法のおかげで寒さを耐えることができているのだが、兄さんはそんなもの使っていない。もっとも、さすがに寒いらしく厚手のマントだけは羽織っているが、それでも異常な耐久力だ。
「ん? オレは剣士だからな。ある程度寒さには耐性がある」
剣士だから大丈夫、とは凄まじい理由だ。でも兄さんなら……、と納得しそうになっている自分がいるのも確かだった。
「そんなんで納得できるかってのよ! それならあたしは暗殺者よ!」
「あ、でも暗殺者って冷たいイメージがあるよね」
温かい心を持った暗殺者なんてこの世のどこにも存在しないだろう。してたまるか。
「言えてるな。だから寒がりなんじゃないのか?」
「職業の違いで寒がりか暑がりか決めるな! 大体、心が冷たい人は手が暖かいんじゃないの!? 理不尽だわ!」
そんなこと言われても困る。大体、どうして僕まで怒られなければならないのだろうか。僕は道具に頼っているだけなのに。
「ははは! 修行不足ってことさ! それはさておき、そろそろアインス帝国が見えてもおかしくないんだが……」
兄さんは地図を広げながらうなる。このままむやみに動いても遭難して三人仲良く死ぬのが目に見えているため、慎重に動きたいのだ。ただでさえ吹雪がひどいし。
「納得がいかない……、どうしてあたしばっかり……」
「えっと……、僕のローブでも羽織る? 一応、誰が着ても効果あるよ。これ」
涙目になってきたニーナをさすがに不憫だと思い、僕の着ているローブを脱いで渡す。途端、全身を刺し貫くような寒さが襲いかかってくるが男の意地で耐える。
「ありがとう! 持つべきものは魔導士の幼馴染ね! ほんと助かったわ!」
「それはよかった……」
ヤバい。早くも意識が薄れかけてきた。ニーナと交換した防寒具に身を包みながら、先ほどまでニーナが受けていた寒さを僕が受ける。
……男って辛いなあ。
「ん? ああ、服を交換したのか。それより見えてきたぞ。あの黒い城壁が見えるか?」
僕とニーナが服を換えているのを見ていた兄さんが微笑ましそうな視線を投げかけてから、ある方向を指差す。そこには、雪の白の中で映えるようにそびえ立つ黒い城壁があった。
「あれがアインス帝国……」
「ああ。オレも行ったことがない国だ。人伝に聞いたところ、機械とやらが盛んな国だと聞いている。……油断するなよ。エクセにとっては敵陣ど真ん中だ」
「言われるまでもないね」
僕たちはお互いにうなずき合って意志の確認をしてから、暗黒の城壁に向かって歩き始めた。
どうも、アンサズです。
うっかり上書き保存をしないまま、タイピングミスでデータが消えた時の絶望感は異常です。ネットで小説を書き始めて約八ヶ月……このミスを行った回数はそろそろ二桁に届くはずです。
小説を執筆する皆様。この事故には本当に気をつけてください。下手したら書く気力が一気に失せます。