二部 第十話
「兄さんたち、ちょっと遅くなった……ってあれ?」
僕が兄さんたちに追いついた時、三人は微動だにせずにとある方向を見ていた。
「三人とも一体何を見て――!!」
僕の言葉が途中で絶句に変わる。同時に三人が息を呑むのも納得ができた。
それは人骨で作られた魔法陣だったのだ。
「これは……」
人骨がぴったりくっつき合いながら幾何学模様を描き、魔法陣の体を成していた。しかもその規模はティアマトの地下で見たものと遜色ないほどの大規模。
……確かに人体にはどの部分でも微弱な魔力を持っている。僕みたいに魔力量が高ければ血だけでも簡単な魔法陣を描くことは可能だ。血で大規模な魔法陣を描こうとしたら失血死するためそれは不可能。
人体の中で最も高い魔力を保有している部分は脳なのだが、さすがに脳で魔法陣を描くには色々と無理がある。ぶっちゃけると長持ちしない。
魔法陣は魔法を使えない人間や時間のかかる魔法を咄嗟に使うため、札などに時間をかけて発動に必要な術式と魔力を込めるタイプと、恒久的に使うために石に刻みつけるタイプだ。
今回はどう考えても後者。ならば長持ちする石に刻みつけるのが普通なのだが……、どうして人骨を使った? 確かにそれなりには持つだろうが、長持ちする方だとはとても思えない。
「シエラさんいわく、人骨に特殊な細工を施すことによって風化を防ぎ、そこに魔力を刻んであるそうだ。ちなみに効果は威力増幅一つ」
僕が頭の中で分析を行っていると、ようやくこちらを振り向いた兄さんが説明をしてくれた。
だが、その説明のおかげで余計に頭がこんがらがってしまう。
そもそも何で威力増幅のみなんだ? それはこうして石に刻むような複雑な術式ではないぞ? 高める威力を上げたければそれ相応に大規模にはなるが、ここまで大規模にしたらただの上級魔法でさえ究極魔法クラスの威力を備えてしまう。
なぜ、どうして、なにゆえ。様々な疑問の単語が頭をよぎり、同時にある種の悪魔的な答えが頭の中に閃いた。
(でも、これは……)
根拠がない、その答えに行き着くまでの道筋もない。ないない尽くしの暴論極まりない答えだ。しかし、不思議とその答えが正解だと思った。
――そう、これはティアマトで見た魔法陣の一部だ。
より正確に言えば、この世界中に点在しているらしい魔力を吸収して解き放つ魔法陣を強化する魔法陣だ。
……だが、これがあると余計にわからなくなる。
この世界全生物を無理やり魔力に変換して解き放つんだぞ? その威力たるや、僕も含めて人間の身一つでは到底御しきれないだろう。
そこに威力増幅。ここまで威力を高めるとか、正気の沙汰どころか狂気の沙汰でもやらないぞ。
「……ヤマトさんたちは下がっていてください。これは私の分野です。もっと詳しく調べてみたいので、少し待っていただけますか?」
シエラさんは今までに見たことのない真剣な表情で魔法陣を見つめていた。
それを邪魔できそうにない、と判断した僕たちは素直に部屋の隅に移動する。少しでも手伝えれば、とは思うが素人が下手に動いても良い成果は出ない。
「ところでエクセ、怪我は大丈夫なわけ?」
部屋の隅で腰を下ろし、休んでいるとニーナがそんなことを聞いてきた。あれ? 怪我なんてしたっけ?
「え? 怪我? したの?」
ニーナは最初、僕がウソをついていると言わんばかりのジト目で僕を見つめてきたが、本気で僕がわかっていないことを見抜くと呆れ切った視線に変わった。
「あんたねえ……、あんな巨体に一回殴られてるじゃない。あたしたち、その時にはあんたの姿が見えていたんだからね。防いだみたいだけど、無傷なんておかしいわよ」
言われてみれば確かに。どうして僕は無事だったんだろう。
それを考えると、右腕に感覚がないことに今さらながら気付いた。鈍い痺れのようなものが右腕に広がっており、力がまるで入らない。
「……右腕がちょっと危ないかな?」
表面上、骨が折れたり砕けたりした形跡はないが、ヒビぐらいは入っている可能性がある。
「見せてみなさい! ったく、あんたは本当にもう……! 自分のことに無頓着なのは変わらないみたいね!」
僕の体を心配したのか知らないが、ニーナが僕の右腕を強引に掴んで骨の調子を確かめようとする。
「あ、いた、痛い!?」
手首のあたりを握られた瞬間、今までの鈍い痺れが一気に消えて激痛に置き換わった。というかよくこんな痛みの中、普通に動けたもんだ。人間ってすごい。
「……安心しなさい。ヒビが入った程度よ。これなら固定してあんたの治療札でも貼ればすぐに治るわ。兄さん! 話聞いてたなら包帯持ってきて! 手首を固定するから!」
「もう持ってきてるって。エクセが怪我してるのは何となくわかってたしな」
ニーナの呼びかけにすぐさま答えた兄さんが手際よく僕の右手首に包帯を巻いていく。ついでに手首の固定も先ほど倒した鋼巨人の破片を使って行なってくれた。
「これでよし、と。あとはお前が治療札貼れば一日ぐらいで治るだろうさ。まあ、あの一撃を受けてヒビだけだったんだ。儲け物と思っておけ」
「それはもう」
あの時は僕のクリスタル生成能力に心底感謝した。あれがなければ僕はもろに奴の攻撃を受けて体をバラバラにされていただろう。
「シエラさん! エクセルなら古代語がある程度読めますよ! いくらでも使ってください!」
右手首以外は特に問題が見当たらないため、兄さんがシエラさんに僕を貸し出そうとする。僕自身、手伝えることがあれば手伝いたいのでありがたい。
「そうなんですか? うーん……、でしたら、魔法陣の細かい術式の解読をお願いしてもいいですか? 私も学んではいるのですが、専門の魔導士の方ほどはありませんから……」
それを言ったら僕だってきちんと学んでいるわけではない。役に立てればいいな、程度の気持ちで少々かじっただけだ。おまけに日常的に使わない言葉の方に詳しい。
「……言っておきますけど、僕だってちょっとしか読めませんよ。ただ、魔法陣のことだけは可能な限り解読してみます」
遺跡に刻まれているであろう内容も気にはなるが、やはりそれよりも魔法陣を見た方が手っ取り早いはずだ。
「ふむ……」
魔法陣を作っている人骨の一部に手を触れ、感触を確かめる。うん、ツルツルしてる。
……いやおかしいよ。最低でもこの遺跡ができてから数百年は経っているはずなのに、どうしてこんなに保存状態がいいわけ?
「エクセル君、何かわかりましたか?」
「強いて言うなら、この骨の状態が異常なまでに良いってことくらいです。これも古代魔法なのかどうか……」
何でもかんでも古代魔法だって決めつけていたのでは思考停止に等しい。可能性として高いのは否定できないが、もっと調べてみよう。
「そうですねえ……。無菌状態、というわけでもありませんし……。この魔法陣自体に媒体を保持する効果でもあるのかもしれません」
その可能性も確かに存在する。だけど、今重要なのはここに魔法陣が存在するということであった。いや、別のことに思考が向かうなんて失敗失敗。
「とにかく、これの魔法媒体としての性能は大したものです。倫理的な問題を除けば、おそらく現代でも屈指のレベルですね」
あまりに非人道的なものは法律で禁じられている。小規模なものだったら血を使っても構わないのだが、中規模以上の大きさになったら魔力の通りが良い植物やモンスターの肉などを使わなければいけなくなる。
ただし、死霊術師は平気で人骨を使う。まあ、研究自体が法律に触れているから一つ二つ余計に法律を破っても問題ないさ、的な考えだろう。
「……まあ、これだけの大規模なんです。相当数の人間が犠牲になった……!?」
犠牲になった人の数を想像し、どう見積もっても三桁を超える数に思わず背中を震わせてしまう。
「エクセル君? 何かわかったんですか?」
「い、いえ……。ちょっと傷が痛んだだけです」
「まあ……。痛むようでしたら休んでも構いませんよ?」
大丈夫ですお構いなく、と僕の体を気遣うシエラさんに愛想笑いを返してから、僕はちょっと真剣に思索を巡らせる。
どう考えてもこれは秘密裏に行えるレベルじゃない。いや、秘密裏に行うとしたら村をいくつも滅ぼす必要がある。それも怪しまれぬよう、長い期間をかけて。
…………ん? 村を滅ぼす?
自分が何気なく考えた言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。何だろう、この何か重要なことを忘れているような嫌なモヤモヤは……。
そもそも何でこの骨は保存状態が良好なんだ? それは古代魔法で保存されたからか?
その可能性もあるだろうが、否。もっとわかりやすい答えがあるじゃないか。
――これはつい最近作られた魔法陣なのではないか?
(冗談じゃないぞ……! こんな大規模な魔法陣がつい最近作られたなんて……!)
地図に乗らないような小さな村を、さらに衛兵に告げられないよう一人残らず皆殺しにすれば不可能ではない。まあ、前提条件が不可能に近いが……。
「…………っ!!」
まさか僕たちの村もそのために、と思った時点で頭を振って無理やりその答えを追い出す。ダメだ。このことは考えるな。考えちゃいけないことだ。
「エクセル君? 先ほどから少し変ですよ? やはり休んでいた方がよろしいのでは……」
シエラさんにだけは変と言われたくない、と返そうとしたのだが、口はパクパク動くだけでまるで音を出さない。どうやら本格的に参っているようだ。
「すみません……。ちょっと休みます」
自分でもこの結論がぶっ飛んだものであることは重々理解しているのだが、どうしても心が納得しない。
ズキズキとあの日の光景を思い出すことを拒否するように痛む頭に辟易しながら、兄さんたちのところまで戻る。
「お帰り。……話は途中から聞いた。お前がどんな結論に至ったのかはわからないが、とりあえず――」
兄さんは変わらない口調で僕に話しかけ、僕の頭に手を置いた。
「――それが思い出したくないものなら、忘れとけ。思い出さなきゃいけないものでもないんだろ? 自分で向き合いたくないんだろ? だったら、忘れていたって構わないさ」
優しい声でそう言って兄さんが頭を撫でてくれる。その掌の温かさにわずかに目を細め、その感覚を堪能する。
「エクセも相変わらずだよね。なかなか動じないくせに、ちょっとショックなことがあると際限なくツボにハマる……。ほら、少し眠りなさい」
ニーナも僕の状態を察してくれたのか、僕の足を払って体勢を崩した僕の頭を自分の膝に乗せる。
「ちょっと待って! 今過程がすっごくおかしくなかった!? というか攻撃したよね!?」
「男が細かいこと気にすんじゃないわよ。それより女の子の膝枕よ? 男のロマンなんじゃないの?」
「……誰に教わったの? ……まあいいか」
気にしても仕方ない。どうせ兄さんだろうし、何より柔らかくて気持ちいい。これはニーナに感謝してもよさそうだ。
「ん……、落ち着いてきた……」
それにしても自分の精神の弱さには呆れてものも言えない。殺人程度では動揺しないのに、ちょっと考えが嫌な方向に傾いてしまうとすぐにトラウマに触れてしまう。
……自分の弱みだからあまりさらけ出したくはないのだが、村が焼け落ちたことが今でもトラウマになっているのは、他でもない僕だ。ニーナはすでに克服しているらしい。本人談だからどこまで信用していいのかわからないが。
「……まあ、あんたはそれでいいのよ。その不安定な部分も含めてエクセルなんだから。……今は休みなさい。ね?」
何だろう。ニーナがいつになく優しい。何か裏があるんじゃないかと勘繰るほどに。
「ん……、そうする……」
ただ、さっきの思考で疲れが出ていたのも事実。おまけに何だか柔らかくていい匂いのする枕まであるんだ。眠気を催さない方がおかしい。つまり僕はおかしくない。
などと自己完結をしてから、僕は意識をまどろみの中に落とした。
二部もあっという間に二桁まで進みました。そして相変わらずの進行の遅さで申し訳ありません。このペースでやって年内に終わるだろうか……。
それはさておき、後書きに現れたのはちょっとしたお知らせがあるからです。
本作品は三部構成であると最初に書きましたが、プロットを見直し、さらに不自然な流れのないように書き直すと四部構成になる可能性が出てきました。
……どうやって収拾つけよう。