二部 第九話
「エクセル君……。あなた、意外と強かったんですね……」
「意外とってなんですか。兄さんの荷物持ちだとでも思ったんですか?」
衝撃波の爆発によって視界が塞がれてしまっているが、僕とシエラさんは至って普通に会話していた。幸い、シエラさんも元に戻ってくれたし、万々歳だ。
「ところで、さっきすごい爆発を起こしましたが遺跡は大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だと思いますよ。少なくとも鋼巨人が思いっ切り地面を叩いても傷一つ残らないくらいの強度はあるようです」
それならさっきの爆発でも大丈夫……なのか……?
「それよりそろそろ視界が戻ります。……あと、申し訳ありません。私の悪癖であなたを危険にさらしてしまって……」
「あはは、大丈夫ですよ。僕たちの請け負った仕事はあなたの護衛ですから、たとえあなたが戦場のど真ん中に行くとしても、あなたは無傷で生還させます」
傭兵に近い立場である僕たちは基本的に自分の身が一番大切なロクデナシだ。むしろそれが旅人としての常識であり、これが守れない人間はすぐに死んでしまう。
だが、僕たちに限ってそれはなかった。リーダーである兄さんが底抜けにお人好しで、さらに並の軍人程度なら千人集まっても勝てないほどのずば抜けた力量を持っていたのだ。
普通の人では見捨てるような状況でもためらわずに助けに向かい、そして誰一人欠けさせることなく全てを拾ってしまう、そんな兄さんと一緒に旅をしていたのだ。影響を受けないわけがない。
「……あなた方は不思議ですね。私の依頼を今までうけた人はそこそこいましたが……、どれも途中で逃げ出しました」
その人達の気持ちもわからないでもない。僕たちだって何度か心が折れそうになった。正直、僕一人だったら途中で諦めていただろう。
「買いかぶりすぎですよ。こういう仕事は信用第一ですからね。……っ!?」
シエラさんに褒めちぎられるのが居心地悪くて、苦笑しながら頭をかいた時、背筋に直接冷たい針を差し込まれたような怖気を感じる。
その怖気を寒い、と錯覚した瞬間には僕の体がすでにシエラさんを突き飛ばしていた。
直後、僕に向かって振るわれる鋼の剛腕。今の僕にそれを避ける術は――ない。
「チィッ!!」
咄嗟にクリスタルの剣身を太くして大剣のようにし、それを盾にして致命傷だけは防ぐように体を隠す。
しかし、鋼の腕はそんなこと些事だと言わんばかりに腕を振り抜いた。
「ごはっ!!」
横から受けたおかげで鋼の腕の直撃は受けず、勢いを殺し切れなかったために背中を壁にぶつけたくらいの痛みで済んだ。もし縦に振り下ろされていたら、僕は死んでいたはずだ。
とはいえ、肺から空気が抜ける感覚はあまり味わいたくないものだし、何より背中にうけた衝撃のおかげですぐには動けない。
「そんな……! あの攻撃を受けて生きているのですか!?」
シエラさんはなぜだか知らないが、戦闘モードに入らずにひたすら慄いていた。それほどにヤバい状況なのか?
「シエラさん! 倒せないようなら逃げてくださ――ゲホッ、ゲホッ!!」
「エクセル君!? 無茶です! あなたを置いて逃げられるわけありません!」
逃げるように言おうと思ったのだが、酸素の抜けた肺からさらに酸素が抜け、思わず咳き込んでしまう。
しかもそれがシエラさんの心配を煽ってしまったようで、シエラさんは逃げる素振りを見せずに拳を固めていた。もう強化魔法もかけていないというのに。
「っぐ……!」
さっきから背中に走る痺れのようなもののおかげで体が動かせない。頭をぶつけることだけは死守したから脳を揺らしたりはしていないはずなのだが……。
「くそっ……!」
《身体強化》だけはかけておいて一分一秒でも時間を稼ぎ、その間に回復を待つしかない。
どんな過程であれ、依頼人に助けてもらう自分に自己嫌悪しながら立ち上がろうとしていると、後ろから足音が聞こえた。この音は……、
「あはははははははは!! よくもあの子を殴ったな! あの子を食べるのは私なんだぞ!! あははははははははははははは!!」
いや、あなたに食べられる予定を入れるつもりは金輪際ない。それよりも――
「――兄さん、ゴメン! でもお願い!」
「――任せとけ。キッチリ片付けてやる」
今は兄さんに任せるべきだろう。それにしてもどうやって僕たちがここにいることに気付いたのだろう。
「大丈夫、エクセ? ……うん、ちょっと休めば大丈夫みたいね」
壁に寄りかかって立ち上がろうとしている僕の体をニーナが横から支えてくれる。もう少しの間休んでいれば問題なく動けるようになるな、と自己分析をしながらニーナに疑問を聞いてみることにした。
「ねえ、ニーナ……。どうして僕たちが奥にいるってわかったの?」
「あんたねえ……。シエラさんの笑い声がこっちまで聞こえて、なおかつ十分以上戻って来なければあたしたちだって何かあったってわかるわよ。それにこっちにはあたしと兄さんがいるからね。なぜだか知らないけど、トラップも大半が使われてたし」
うん、多分それ僕が発動させたやつだ。マジックトラップに関してはクリスタルの力押しで防いで、敵が出てくる代物はほとんど破壊した覚えがある。
「にしても……、まさかこんな大物相手に戦ってるなんて思わなかったわ。しかもかなり深手を負わせてるし」
「でも倒せなかった。コアがない部分だったのか、はたまた届かなかったのか……」
ニーナと会話している間に体が動くようになった。だが、もう僕の出番は終わっている。あとは兄さんに任せておけばいい。
「この傷は……、エクセ、よくやったな。弐刀、覚えられたじゃないか」
鋼巨人の首を起点に十字に刻まれた傷を見て、兄さんは嬉しそうに僕を見た。
……何であの傷で僕が弐刀を使ったってわかるんだろう。
おまけに僕個人の力のみでやったわけじゃない。むしろ魔法に頼りまくってようやく成功させたに過ぎない。兄さんはあれを生身でやってのける。
「まだダメだよ。コツは掴めたけど、必要な身体能力が足りない。それよりも……、兄さんの刀であいつは斬れるの?」
「ん? 心外だな。オレがこんな人形相手に負けるとでも?」
そんなこと思わないけど。でも波切はただの鋼で作られた刀だった……はず。ならば鋼巨人相手では分が悪いのではないかと思っただけだ。
「刀を舐めちゃいけないな。これ、結構な業物なんだぜ? それに――オレの技ならあいつを問答無用でぶった斬れる」
また天技でも使うつもりなのだろうか。あの『とりあえず理論は考えるな。伝わってないから誰も知らん』と兄さんが言っている意味不明な技を。
「次元断層でも簡単なんだが……、あれは刀の斬線しかたどらないからな。デカブツ相手には向かない。さて……」
兄さんはまるで慌てた様子を見せずに体を低くし、左手を鞘に、右手を柄に添えて抜刀術の構えを取る。
だがどんな技を出すつもりだ? 兄さんが好んで使う技が抜刀術にあるのは知っているけど、手負いとはいえ鋼巨人を倒せるほどの威力のものがあるのか?
「お前と同じさ。――弐刀!!」
――乱気斬。
抜刀して一発。そのまま回転して二発目。さらに刀を振り回して断空を連続して放つ。その数は僕の数えられる限り二十発は超えていた。
それらが全て絡み合い、真空の刃で作られた球体のようになりながら動きの鈍くなっている手負いの巨人に向かっていく。
僕みたいに属性を重ね合わせて威力の相乗を狙ったわけではないのだが、僕よりも遥かに高い練度でしかもあれだけ連続して撃てば当然、威力の高さは兄さんの方が上回る。
僕の攻撃で弱っていた鋼巨人がその攻撃に耐え切れるはずもなく、兄さんの攻撃で全身をバラバラにしながら崩れ落ちた。万が一コアが壊れてなくても、あそこまでバラバラなら動くことはないだろう。
「やっぱりすごい……」
兄さんは僕の遥か上にいる。白兵戦では逆立ちしても魔法剣を使いまくっても勝ち目がない。
「でも、あたしと一緒にいる時は見せなかった技よ。あんたならできると思ってやってるんでしょうね」
「ヤマトさん……。素敵です……!」
あ、兄さんが好かれてはいけない人に好かれた気がする。僕からすれば狙われなくなって万々歳だから助けるつもりはないけど。
「ふううぅぅ……」
兄さんは集中したあとの息をつきながら刀を収め、こっちに向き直る。
「シエラさん、大丈夫ですか? オレたちの不手際で危険にさらしてしまいました。申し訳ありません」
「いえ、それはこちらの悪癖でもありますから……。エクセル君はあまり怒らないでやってください。相当頑張ってましたし、何よりまだ頭から血を流しているんです」
「エクセ、傷は大丈夫か?」
シエラさんの発言の後半部分は聞き流した兄さんがこっちにやってくる。その表情は誰が見ても明らかなほど怒っていた。
……うん、理解してるけどね。原因が自分だってことくらい。
「大丈夫。さっきの間に自己治癒力を高めて治した。ただ、血がちょっと足りないけど……」
「そこは帰ってからのメシでどうとでもなるか……。――覚悟はいいな?」
「……うん」
僕が神妙にうなずくと同時に、頭に兄さんのゲンコツが落ちた。意識の平衡感覚が失われ、強烈な目眩が僕を襲う。
「このバカ! あれほど冷静であれって教えただろ! シエラさんが駆け出した時点でお前は戻るべきだったんだ! わかるな!?」
「……うん。わかる」
僕は正座をしながら兄さんの言葉を何も言い返さずに聞く。兄さんが怒るのも無理はないからだ。正直、あの場での行動は僕でも間違いだったと思うし。後悔はしてないけど。
「……後でオレと組み手だな。最後に一つ」
兄さんは反省している僕を見て人差し指を立てる。
「自分の行動、後悔はしたか?」
「まさか」
あそこで動いたのが最善だったとは言わない。むしろ最悪に近い形だったと思う。でも、動かなければシエラさんが傷ついていたかもしれない。動いて守れたのだから、後悔する要素がない。
「なら、もう何も言わない。……お疲れ様。よくやったな」
即答してみせた僕に、兄さんは嬉しそうな笑顔を見せて肩を叩いてくれた。かなり嬉しい。
「さて! この話は終わりだ。シエラさん、ここまでの安全は確保しましたからもう少し奥まで行きますか? こんな大物がいた以上、もうすぐ最深部だと思いますけど」
「そうですね……。ヤマトさんの言う通り、これほどのモンスターが守護していた以上、この奥には価値のある何かがあるはずです。進みましょう」
シエラさんも兄さんの言葉にうなずき、鋼巨人の残骸を乗り越えて先に進み始める。
「あ、あたしが先に進みますから! エクセ、一人で大丈夫? 念のためもう少し休んだら追いかけてきなさいよ!」
「オレからも同じセリフだ。さっきは殴ったが、体に異常がないかよく調べてから来い。何か見つかったらシエラさんかオレを呼ぶんだぞ」
二人からここに残っていろ、と言われてしまいちょっと落ち込むが、今までのダメージが回復し切ったわけではないので助かった、と考えることにした。
「ふぅ……」
全身に気だるい疲労感が纏わり付くのがわかる。ぶっつけ本番で技を放ったことと、精密な収束を行った魔法の使用が僕の体に大きな負担をかけていたらしい。
「少し、休む……か……」
先ほどから頭の中にかかっている霧に逆らわず、僕は意識を落とした。
「……っ!」
目が覚めた瞬間、行ったのはうかつな自分への嫌悪だった。ぶっちゃけ、こんな何が起こるかわからない場所で寝るとか正気の沙汰じゃない。
意識を落としていたのはせいぜい五分程度だと思いたい。一時間以上寝ていたら、さすがに兄さんたちが戻ってきているはずだ。
「急いで合流するか……」
少し休んだだけだが、体の調子はだいぶ良くなっていた。人間、寝た方が治りが早いというのは本当だな。
何度か体の調子を確かめてから、僕はみんなの進んでいった方向へ歩き出した。
その先に待っているものが僕に長い長い苦悩を与えるものであることも知らずに。