二部 第五話
ベスティアに入ってから、まずしたことは二人を衛兵に突き出すことだった。
「はぁ、外でこの男性が女性を襲おうとして、女性に返り討ちにあっているのをあなた方が助けたと……。ずいぶんと複雑な話ですね」
呆れたような衛兵の言葉に反論できない。僕自身、一度は理解することを諦めようとした身だ。
「あはははは……。あ、僕たちは旅人で、ここには寒冷地用の服を揃えに来ました。滞在期間は二日の予定です」
衛兵に愛想笑いを振り撒きながら、僕は三人を代表して滞在予定を大ざっぱに話す。
「はい、わかりました。この街は治安もよろしいので、犯罪行為などはしないでください。それ相応の罪を負いますので。それではよい旅を」
「了解しました。あなたもお勤め頑張ってください」
衛兵に会釈をしてから三人でベスティアへ入る。
「へぇ……」
中央に大きな噴水があり、それを取り巻くように緑が点々とある。景観としては綺麗な部類に入るだろう。
「お前、本当に憶えてないんだな……。ニーナは覚えてるよな?」
「えっ!? あ、うん。もちろん覚えてるわよ。あの時は雪の降る夏の日だったわよね?」
そんな日はこの世のどこにも存在しない。
「完っ璧に忘れてやがるなお前。はぁ……。二人とも、どうやって今まで訪れた街を覚えているんだ?」
兄さんが呆れた声で聞いてくる質問に僕とニーナは声をハモらせて答える。
『兄さんが巻き込まれた事件で』
「ひどいなお前ら! まったく……。ほら、ギルド行くぞ。旅人の鉄則だ」
疲れたような兄さんのため息に僕たちは肩をすくめながら、兄さんの後をついて行った。
ギルドというのは旅人にとって生命線とも言える存在だ。情報は全てそこに集約するし、何より稼げる仕事もある。
ちなみに僕たちが主に受ける仕事は用心棒系が多い。ごくたまにニーナの技術が活かせる潜入系の仕事も引き受けるが、僕たちが援護に回れないためあまりやらない。
ギルドマークである剣と翼を交差させた看板をくぐり、僕たちはギルドの中に入る。
途端、鼻をつくのは濃厚な酒の臭い。基本、ギルドに集まる旅人なんてこんなものだ。それにここは酒場も兼ねているし。
「マスター、この二人にはミルクを。オレには冷えた体があったまるような酒をくれ」
「えー、あたしもお酒飲みたいー」
ニーナは自分たちだけがミルクであることに文句を言うが、兄さんはまったく取り合わない。
「文句言うな。こういうのは大人の飲み物だ」
ちなみに僕も酒は飲める。限界量はニーナがダントツで多く、次に兄さん。最後に僕となる。そのため、僕が飲める量はかなり少ない。
……そもそも、何で未成年のニーナが兄さんより飲めるのかが疑問なのだが。
「はい、お待たせしました」
年配の方といった気品が滲み出るマスターの手で僕たちの前にそれぞれの飲み物が渡される。僕は蜂蜜の入った甘めのミルクを飲みながら、兄さんの方を見る。
「……それで何の仕事を受けるの? 僕たち三人で別々の仕事でもする?」
「その方が効率としてはいいんだろうが……、できれば三人一緒に何かやった方がいいな。何かあった時も補え合えるし」
相変わらず過保護な兄さんの言葉に思わず苦笑が漏れてしまう。そしてその過保護が苦しくなく、心地良いことにも苦笑が出る。
「オレやお前はともかく、ニーナは単独じゃ動きにくいしな。できる仕事も限られているし、何よりニーナは単独戦闘に向かない」
そのくせ、技能は単独での隠密に向いているという、ある意味僕以上にアンバランスな能力をしている。
「まあ、あまり認めたくはないけどその通りなのよ。あたしは潜入したりすることなら誰にも負けない自信があるけど、姿を一度見られてしまったら勝ち目が薄い。だから保険がほしいの」
ニーナの言うこともうなずける。暗い場所で姿を見せずに戦うことならニーナは僕どころか兄さんですら敵わないほどの技量を持つのに、ガチンコでの正面対決なら僕でも勝ててしまうほど弱いのだ。
「……よし、ニーナとエクセは二人で受けても大丈夫そうな依頼を探して受けてくれ。オレはちょっと用事があるから」
そう言ってそそくさと席を立つ兄さん。その姿を僕とニーナは苦笑い混じりで見送る。
「二年振りに見たなあ。兄さんのお人好し」
「ええ、兄さんがそうそう変わるわけないでしょ?」
ニーナは仕方ないな、とでも言うように笑いをこらえ、僕は実に久しぶりに見た兄さんのアレをひどく懐かしい気持ちで見ていた。
前にも言ったが、兄さんはお人好しだ。でなければ当時十歳の子供で何の力もなかった僕たちを拾って育てようとはしないし、今までだって厄介事や事件に巻き込まれたりはしなかったはずだ。
……まあ、兄さんには天性の巻き込まれ体質もあるみたいだからわからないけど。
とにかく、兄さんはかなりのお人好しで一度関わった人はどうしても無視できないのだ。今回も先程助けた(?)女の人が気になってしまったのだろう。
「……嬉しいなあ。兄さんが変わってないって」
「……そうね」
二年間離れていたから不安だった。でも、その不安は杞憂に終わったようだ。
僕がしみじみ喜びを噛み締めながらミルクを飲むのを、ニーナは優しい笑顔で見ていた。
「さて、飲むものも飲んだし、まずは仕事を探そうか」
「ええ。理想は楽して稼げる仕事よ」
そんな仕事があれば誰だって飛びつくって。
「というわけでマスター。できそうな仕事教えて」
「承りました。こちらでございます」
マスターは紙にしたリストを僕たちに渡してくれる。僕は目礼をしてから紙に目を通す。
簡単なものはゴブリン退治。周辺の遺跡探索などもある。難易度の高そうな仕事がないあたり、この辺は治安が良いのだろう。
「どうする? どれやっても普通にこなせそうだけど……」
盗賊退治も比較的楽だろうし……。報酬はこれが一番高い。
「んー……、あ、盗賊の方は昔の砦に陣取っているみたいだね。これにしたら? ここの治安維持にも貢献できるし、稼ぎもいいわよ」
「ん……でも……」
あまり進んでやるべき仕事ではないと思う。モンスター相手なら古来から続く人との生存競争であるがゆえに良心の呵責なく倒せるのだが、さすがに人間相手、しかもこちらの一方的な都合で殺してしまうのはどうにも気が咎める。
もちろん、僕だって襲いかかってきた連中を返り討ちにして殺さないほど甘い性格をしていない。それは兄さんだってそうだ。
兄さんもお人好しではあるが、決して甘い人間ではない。旅の最中に襲いかかってきた盗賊たちは戦意を喪失して逃げ出した者以外は全てキッチリ殺している。
「……まあ、あんたは嫌いかもね。こういうの」
「正直、気は進まない。自衛のためならためらうつもりもないけど、これって何だかお金のために人殺ししてるような気分で……」
僕もニーナも兄さんも、お金のために人を殺したことはない。ただでさえ旅人をしている以上、人を殺すことはどうしても避けられないのは事実。
だが、それだって生きるためにやっているのであって、お金などのために人を殺すようになってしまっては人として大切なものを失ってしまいそうな気がするのだ。
「……マスター、仕事決まりました。これお願いします」
僕が悩んでいるのを見たニーナはサッサと受ける依頼を決めてしまう。それは――
「近くにある古代遺跡調査の護衛。引き受けさせてください。受ける人間はここにいるニーナと隣のエクセル。そして先ほど話していたヤマトです」
「ニーナ……」
僕は驚いて思わずニーナの方をマジマジと見てしまう。
「か、勘違いしないでよ。盗賊退治なんてあたしもやりたくなかっただけだからね。人殺しなんて望んでするものじゃないっての」
そう言うニーナの頬はどこか赤みが増しているように見える。まったく、実は彼女も変わってなかったらしい。
「……うん、そうだね。ありがとう。あ、これは僕の独り言だから」
「うっ……」
なので、こういった時の扱いも僕は心得ている。あらかじめ先手を打った言葉にニーナはグッと言葉に詰まり、そっぽを向く。
「ほらほら……、そろそろ兄さんと合流しよう? 向こうだって色々としてくれてるはずだからさ」
宿の手配とか、寒冷地に向かうための装備を買うとか。あとはさっき戦った女の人のところへ行くとか。
「……なんかそう言うと、女の人のところを渡り歩いているヒモみたいに聞こえない?」
「……確かに」
ニーナの言葉に思わずうなずいてしまった。兄さん、何も知らない第三者から見たら社会的に危ない人かもしれないよ。
「ほう……オレがいない間にそんな話をしていたのか……」
合流した兄さんに一部始終を話したら怒られた。さすがに後半のヒモ発言は隠すべきだったかもしれない。
「……まあいい。それで、仕事は護衛か……。無難だな。もっと稼げるやつもあったんじゃないのか?」
「それが盗賊退治とかばかり。エクセが怖がっちゃって」
「……ニーナだって嫌がってたくせに」
お金以外に利益がない依頼を受けてくれなかったことは感謝しているが、僕だけが一方的にヘタレ扱いされるのは心外だ。
「何ですって?」
ニーナが怖い目で僕を見ているのがわかるため、視線をあらぬ方向に向ける。すると、こちらを伺っている女の人の姿があった。
「……ん?」
あの人をどこかで見た覚えがある。距離があるからハッキリとした輪郭こそわからないが、どうにも既視感があった。
「兄さん、あの人って兄さんの知り合い?」
どうにもチラチラと見ている方向は兄さんだったため、僕は話題をそらす意味も兼ねて兄さんに聞いてみる。
「ん? ああ、あの人はさっきオレに襲いかかった人だ。シエラさん! 紹介しますからこっちに来てください」
………………え? 前半、この人はなんて言った?
ニーナと顔を見合わせ、見たくないものを見るような気持ちで駆け寄ってくる女性を見る。
長い黒髪は確かに先ほど戦った女性と一致する。そして大きいハシバミ色の瞳も一致する。だが、ついさっきまで見受けられた狂気が今は微塵も感じられない。
「は、初めまして! 遺跡調査を生業としています、シエラと申します!」
そして地方特有なのか、病的なまでに白い肌を羞恥にやや赤く染めながら僕たちにお辞儀をした。
……いや、本当にこの人誰さ?
「兄さん、僕はこの人と一応面識があるはずなんだけど」
「あー……」
僕の言葉に兄さんは気まずそうに頭をかく。そして説明を始めた。
「この人な、一度戦闘モードに入ると記憶が飛ぶらしいんだ。オレも聞いて驚いた。ちなみにマジだぞ?」
「そ、その……先ほどは私がご迷惑をおかけしたようで……、本当に申し訳ありません……」
いや、謝るならあなたを襲った人に謝るべきだろう。あの人、相当なトラウマになっていたぞ。
「えっと、僕たちは構いませんけど……。それより、どうして僕たちのところに?」
兄さんに謝るならともかく、僕とニーナは彼女と剣を交えた覚えがない。兄さんに丸投げしてたし。
「ん、そっちの説明がまだだったな。オレもお前らから仕事の詳細を聞いたときは驚いたよ。いいか、今回の仕事は――」
「――シエラさんを戦わせず、遺跡を調査させることだ」
この時、僕は確信した。
ああ、何事もないなんてことはあり得ないな、と。