二部 第四話
方針も決まったところで出発することとなったのが二週間前。現在の僕たちは兄さんの言う通りに歩いている途中だ。
「兄さん……、本当にどこ行くの?」
しかし、さすがに二週間の間で一度も補給なしでは食料が持たない。最悪の場合、僕の知識とニーナの勘に頼って野草を食べる生活になってしまう。
……まあ、毒でもない限り火を通せばだいたいのものは食べられるようになるし。
「そうね。兄さんが言うなら地獄でも付き合うつもりだけど、いい加減補給をしないと餓死するわよ?」
ニーナが僕の気持ちも代返し、同時に忠告もする。
「ああ、それぐらいわかってる。旅の経験はお前たち以上だぞ? ちゃんと街には今日中に着く予定だ」
「街に向かってたの? どんな?」
「ベスティアって呼ばれる街だ。これから北に向かうからな。補給はバッチリしておきたい」
北に行く? ……ああ、僕のことか。
「アインス帝国のことだよね。もしかしなくても」
「その通りだ。お前が狙われてるとあっては無視もできない。いつまでも後ろを狙われている状況下で安心して眠れるほど図太い神経はしてない」
それはごもっとも。僕だっていきなり睡眠薬かがされて気付いたらさらわれてました、とかは遠慮願いたい。
「兄さんの言う通りね。エクセの体質は放っておいていいものじゃないわ。早急に手を打たないと」
「でもどうやって? 向こうは結構な大国だって聞くけど」
僕の魔法で消し飛ばす手段もないわけではないのだが、それを使うと何の罪もない国民も大勢死んでしまう。
僕は正当防衛のための殺人にためらう神経を持ってはいないが、何もやってない人を殺すつもりもない。後味が悪過ぎるし、罪悪感に押し潰される自分が容易に想像できる。
「妥当な方法としてはあたしが侵入して暗殺することだけど……、それにしたって情報が必須ね。さすがのあたしも情報のない場所に侵入して本懐を遂げるのは難しいわ」
難しいだけであって不可能とは言わないのか。すごい自信だ。
「まっ、その辺はたどり着いてから考えればいいだろ。ほら、もうそろそろ街が見えてくるぞ」
兄さんの言う通り、街を囲う壁がぼんやりと見えてくる。防壁の規模から見るに結構大きい街のようだ。
「あそこがベスティア……」
「ん? エクセ、お前憶えてないのか? 旅を始めた頃に何度か寄ったぞ。あそこは大きいから情報が集まりやすくてな」
「いやぁ、行く先々で次々と事件に巻き込まれてれば、些細な出来事くらい忘れるって」
街だろうと村だろうと、入った瞬間僕たちの大冒険が始まる。さて、今回はどんなことになるのやら……。
そんなことを考えていたら、突如近くの森から悲鳴が聞こえてきた。
「何だこの声は!? エクセ、行くぞ!」
このパターンは初めてだ! と内心で戦慄しながら、僕は杖を構えて走り出す。どうせ兄さんには追いつけないだろうから自分のペースで走らせてもらう。
「ニーナはどこにいるのか探して! 見つかったら僕の後ろからいつものように援護よろしく!」
「わかってるわよ! ……でも、なんだか久しぶり。こんな風に三人で戦うのは」
それは僕も同感だ。ロゼやディアナたちと一緒に戦うことも多かったが、僕は一番前で戦うことが多かった。
ダメとは言わないし、ディアナと同じで僕も魔闘士に近い戦闘スタイルを取るから問題もないのだが、あくまで僕は魔導士。やはりこう言った戦いの方が性に合っている。
……これ、魔導士の戦い方だよね? 自分の周りに普通の魔導士がいないから不安なんだけど。
「さあ? あたしも本職の魔導士と一緒に戦ったことなんてないし。ただ……、少なくともあたしよりは後ろにいそうよね」
「ぐっ……、いいじゃん! 前でも戦えるんだからいいじゃん! 守りやらせたら僕の方が固いんだからいいじゃん!」
相変わらず痛いところを突いてくる。というか僕の心をいつ読んだ。
そんなことを言い合っている間に僕たちも兄さんに追いつく。そこには兄さんの後ろに隠れた――
ボコボコにされた男がいた。しかも雰囲気がよろしくない。
「…………」
「…………」
思わずニーナと顔を見合わせてしまう。え? この光景は何?
「あははははははは!! 私を襲おうとした奴なんて滅んでしまえばいいんです! あははははははははははは!!」
そして光のない目で笑っている髪の長い女の人。
……あれ? 声から判断すると、悲鳴上げたのこの人だよね? 自信なくなってきたんだけど。
「……どうしよう。僕、どっちに味方すればいいの?」
「あたしに聞かないでよ。あたしだって混乱してるのよ」
僕とニーナは頭痛を感じたため、同時にこめかみを揉む。マズイ、ちょっと頭で処理できる許容量を越え始めている。
「あ、お前ら! 悪いけどちょっと手伝ってくれ! この人、無傷で倒すのがオレ一人じゃキツイんだ!」
「ウソでしょ!?」
兄さんで手こずるとか尋常じゃない使い手だぞ!? そんな人が相手では僕も手加減ができない。普通に殺すつもりで戦う必要がある。
「天技は本当に殺傷用なんだよ! 生殺与奪とか言ってられない技なんだ! かと言って剣技だけじゃ勝ち目が薄い!」
いや、兄さんの剣技だけでも僕はいっぱいいっぱいなんだけど。というか僕にどうしろと。
「ほらほら、剣が鈍いですよ? もっと強くないと――壊れてしまいますよ?」
女の人は兄さんの後ろに隠れている人から奪ったと思われる剣で兄さんに猛攻を仕掛けている。ちなみに僕でもギリギリ目で追える速度。
「お願い! 早く助けて!」
『いやぁ、ムリムリ』
僕とニーナは同時に手を顔の前で振る。あんな人の前に立ちはだかるだけで死にそうだ。
「だってさ、僕の使える魔法はほとんど対個人には大き過ぎる威力なんだよ? それをあの人に使ったら消し炭も残らないって」
「あたしの隠密もすでに姿が見つかっている人には効果薄いし、第一あの人は後ろに回り込んでも気付かれそう。得体の知れない何かで」
『だから、一人で頑張って!!』
二人で同時にサムズアップした。
「丸投げかよコンチクショウ!!」
兄さんは涙を流しながら女の人の攻撃をひたすら受け流し続ける。その涙がどういった理由で流れているのか、僕は意図的に理解しなかった。
「ニーナ、今日はいい天気だね」
「ええ。こんな日は思いっ切り昼寝なんてすると最高じゃない?」
「異議なし。そういえばここはちょうどよさそうな場所だよね」
「そうね。よし! 兄さんが頑張っているし、あたしたちは休もうか!」
脳内会議が満場一致で賛成を出し、僕たちは草むらに横たわろうとして――
――ガタガタ震え、涙目でこちらに助けを乞う男と目が合った。
「……おやすみ」
「ええ、おやすみ」
気持ち悪いものを見てしまった。さっさと寝て忘れよう。
「いや、助けろよお前ら!? 困ってる人は見捨てられないんじゃないのか!?」
『兄さんが助けてるじゃん』
僕とニーナはまたもハモり、再び横になった。だって男だよ男。しかもなんか自業自得っぽい雰囲気だったし。
「でもさ、あの人の攻撃を受け流しながらこっちに突っ込みを入れるっていうことは、結構余裕があるんじゃないの? 兄さん」
「僕もそう思う。それに実際、女の人の方は動きが鈍くなってる。攻撃にばかり回り過ぎたからね。スタミナが切れかかってるんだよ」
まあ、さすがに兄さんが本当にヤバい状態なら僕たちもためらわずに手を出している。しかし今回は大丈夫だと判断したのだ。
……兄さんの精神面は無視して。いや、あんな人の前に出るのが怖いというのもあったから。
「あの人も大した使い手だよ。でも女性である以上、体力の面で男よりも制約を受けるのはどうしようもない。……ほら、その証拠に」
とうとう攻勢に回った兄さんの鞘による一撃が女性の剣を高々と弾き飛ばす。やっぱり抜刀する必要もなかったんじゃないか。
「はぁ、はぁ、はぁ……。まったく、死ぬかと思ったぞ。精神的に」
うん、僕たちでも兄さんの精神までは守れないよ。
「お疲れ様。あ、兄さんは一応その人気絶させといて。怖いから」
「了解」
兄さんも対峙したままなのは怖かったのだろう。あっという間に延髄を叩いて気絶させる。
「それじゃそこの人はどうする? 返り討ちにあったとはいえ、一応婦女暴行じゃない?」
一方的にやられている姿しか見ていないからかなり怪しいが。
「取っ捕まえて衛兵に突き出すのが無難だろうな。あと、ニーナは女の人を抱えてくれ」
「えー……」
兄さんの指示にニーナが嫌そうな声を上げる。チラリと僕に視線を寄越してきたが、華麗に無視を決め込む。僕だってあの人を抱えたくはない。
「んじゃ、僕はこの人を縛り上げるよ。なんだか虚脱状態だけど」
ニーナに睨まれている現状がキツイので、その視線から逃れるように僕は兄さんが助けた男の後ろに回りこんで手を縛り始める。
「……はっ!? お、俺は……助かったのか!?」
「そうですよー。でもこれから牢屋行きですからねー」
男の発言を九割方聞き流しながら、手際よく動けないよう縛っておく。
「それでも構わない! あの女から逃れられるなら……!」
……何がこの人をそこまで恐怖に駆り立てるのだろう。あの女の人、間近で見たら相当怖いのかな。
「兄さん、縛り終えたよ。早く街に入ろう」
「そうだな。あと、二人は衛兵に渡してしまおうか」
「そうね。全力で賛成。なんだか背負ってると、何かに侵食される気持ちになるのよ」
何かって何だよ。しかし気持ちがわかってしまう自分が嫌だ。
「はぁ……」
どうして街に入ろうとしただけなのに、いきなり事件っぽい出来事に遭遇してしまうのだろう。やはり兄さんのせいか?
「あんたにも一因はあると思うけど……。あんたがいない時だってここまで素早く何かに巻き込まれたことはないわよ」
「それじゃ僕のせいみたいじゃないか!」
「原因の一端を担ってるって言ってんのよ!」
思いっ切り蹴られた。脛はやめてほしい。死ぬほど痛いから。
「二人とも早くしろ。こんなところでぐだぐだしてても街には入れないぞ」
兄さんに怒られてしまう。僕たちは顔を見合わせた後、ため息をついてからそれぞれの荷物を抱えて歩き始めた。僕は襲われていた男を、ニーナは女の人を背負って。
「……あ、ちなみに聞きますけど、婦女暴行しようとしましたよね?」
「したよ! したから早く俺を牢屋に入れてくれ! 自分という存在が外界にさらされていることが怖くて仕方ねえんだ!」
……何がここまでこの人を追い詰めたんだろう。もうこの人、普通の社会生活を送れないのでは?
犯罪者であるはずの男に妙な同情心を覚えながら、僕たちはベスティアの門をくぐった。