二部 第一話
時刻はもう日も暮れ、夜の闇が辺りを優しく包み込もうとする頃のことだった。
ティアマトから少し離れた草むらで、僕は剣を構えていた。
「……どうした? 来ないのか?」
目の前には刀の柄に右手を添え、腰をわずかに落としている兄さんがいる。
そう、これは僕の成長度合いを試す兄さんとの力試しだ。
(どうやって攻める? 殺すつもりならおそらく距離を徹底的に取って究極魔法の連発で何とかなるが……。今回はそれに意味がない)
「……行くぞ!」
ごちゃごちゃと考えても無駄だと思い直し、僕はクリスタルの大剣を大上段に構えて突進を開始した。
「……っ!? 速い!」
僕と兄さんの試合の審判を務めているニーナが僕の速度に驚いていたが、今はそちらを気にかけている余裕などない。ちなみに種はおなじみの《身体強化》。
そして僕は兄さんに大上段からの斬撃を全力で放つ。
「大振り過ぎるな。そんな一撃は当たらないぜ?」
だが、僕の斬撃は瞬間移動じみた速度で後ろに回り込んだ兄さんに難なく回避される。
――ここからが僕の攻撃だというのに。
「っしゃあ!!」
魔法を使って全身を帯電させ、神経伝達速度を著しく早める。そしてそのままの状態で剣を横に振り抜く。
「っ!」
兄さんはそれを両足を開き、体を地面にペタリと付けることによってそれを回避し、すぐさま次の攻撃に移れるようにした。
そして兄さんの腕が閃き、二年振りに見る兄さんの抜刀術が僕を襲う。
(下段からの抜刀……牙か!)
兄さんの抜刀術は実に多彩で、放つ位置、踏み込みの形などを変えるだけで恐ろしい変化を生み出してくる。
その中でも今回のは避けやすい。僕だって習得しているレベルだし、この程度は小手調べなのだろう。
僕は兄さんをまたぐようにして上に飛んでそれを回避する。さらに剣を兄さんの方に構え、左手に紫の重力球を作り出す。
「《加重》!」
僕は下に構えた剣の柄部分に重力球をぶち当て、空中からの加速という離れ業を魔法に物を言わせて成し遂げる。
――重剣・断頭台。
「危なっ!?」
重力の加護を受けた剣を兄さんは慌てて後ろに下がることでなんとか避ける。しかし、剣が砕いた土煙ですぐに追撃には移れない。
「まだまだぁっ!!」
しかし、魔法を使える僕にはそれを吹き散らしながら攻撃に移る手段を持ち合わせていた。
《風撃》を左手に作り出し、クリスタルの剣身に触れないよう気をつけながら纏わせる。
――轟剣・竜。
剣の勢いに煽られ、纏わせた《風撃》が小型だが強力なつむじ風となって兄さんを襲う。
「これは……難しいな」
さすがの兄さんも避け切れないと判断したのだろう。その場で腰だめになって刀に手を添え――
全てを切り裂いた。
「な……っ!?」
僕の攻撃が全部無効化された! なぜ!? 一瞬で!? 見えなかったぞ!?
「やれやれ……、心底驚いた。まさかオレにここまで使わせるとは……。ちなみに今のは次元断層と言って次元を斬って攻撃を無効化する代物だ。ウチの流派じゃ剣技の分類に入れず、天技って呼んでたがな……」
「なにその人外な技!?」
人の身で次元を斬り裂くとかおかしいなんてレベルじゃないぞ!? 前々から思っていたけど兄さんって本当に人間?
「あたしも見たことないわ……、失礼だけど兄さんって魔法使えない?」
魔法にだって次元を斬り裂くような魔法はない。そんな魔法があれば使っている。
「いやいやいやいや! 魔法が使えるだけで次元断層ができれば苦労はないから! 僕の最強魔法だってそんな効果ないから!」
あれならもうちょっと出力を上げれば不可能ではないのかもしれないけど、兄さんみたいに狙った箇所に作れるほど器用なコントロールがきかない。
「二年前までは剣技だけで十分対応できたんだが……強くなったな。エクセ」
「……そりゃ、嬉しい限りだね」
落ち着きを取り戻し、僕は再び剣を構える。
さっきの次元断層は驚異的だ。攻撃の無効化だけがあれの価値ではないだろう。まだ何かあるはずだ。しかし、僕にはそれが予測できない。
……あんな人外の技が出てくるなんて思いもしなかったんだ。わからなくても責められないだろう。
(さて、あの技に対する作戦は正直なところない……。だが、あれは一応抜刀術の部類に入るようだし抜刀させなければ良い、と言いたいところだが……)
すでに兄さんの刀は鞘に収まっている。さすがの速さだ。
兄さんは抜刀術メインの戦い方をする。僕みたいに時と場合に合わせて戦い方を変えるのではなく、とにかく自分の得意分野で叩き潰す戦いをするのだ。
(……ならば!)
一回広範囲の攻撃を放ち、次元断層を誘う。そして兄さんが鞘に剣を収める前に追撃を仕掛ける。これしかない。
「はぁっ!!」
炎の魔力を高め、左手に収束させる。
「《爆発》!」
炎の戦術級魔法を発動させ、兄さんを飲み込もうと炎の津波が殺到させる。
「ちっ! 本当に強くなったな!」
炎の津波に隠れて見えない兄さんだが、鍔鳴りの音が聞こえた瞬間爆発がかき消えてしまったあたり、もう一度次元断層を使ったのだろう。
「っらああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
その瞬間を狙って、僕は全身を帯電させて剣を突き出す。
――瞬剣・突。
「くっ!」
兄さんは雷電を纏った剣の攻撃を左手に持った鞘で受け流し、右手に持った刀で僕を逆袈裟に切り上げようとする。
しかし、それを防ぐべく僕は左足で兄さんの右手首を押さえながら刀の射程から離れる。
そして刀を戻す隙を与えず再度突撃をしかけ、全体重を乗せて上段斬りを放とうとする。
「はぁっ……!」
だが、兄さんが強く短い息を吐いた瞬間、周囲の時間が一気に停滞し始めた。
(何事!? いや、僕の体も遅くなっている! これはいったい!?)
思考だけがいつも通りに動くのだが、体はひどく緩慢に兄さんへと向かっていた。しかも自分の意志では止まらない。
「ここまで強くなってるとは思わなかったよ。正直、オレの予想を遥かに超えていた。いや、喜ばしいことだ」
兄さんだけがこの空間でいつも通りに話し、いつも通りに刀を鞘に収めていた。
「だからオレも結構本気で行かせてもらう……! ちなみにこれもオレの流派の技だ。殺気と気迫で相手を呑ませ、相手の体感時間を遅くさせ、同時に自分の集中を極限まで高めて速度を上げる。名前は天技・告死だ。まあ、死を告げたら殺してしまうから殺しはしないが――」
兄さんが動きの緩やかな僕に対して普通に近寄ってきて、刀に手を添えた。
「安心しろ。峰打ちだ」
その言葉とともに、僕の意識は強制的に切断された。
「……あ、起きたみたい」
目が覚めると、ニーナの顔が僕を覗き込んでいるところだった。ちなみに膝枕なんて甘いモノはない。枕は木の根っこでした。
「起きれる? 傍目から見てたけど、ぶっちゃけ決め手の抜刀は閃光が走ったようにしか見えなかったから、あたしとしては結構不安なんだけど」
「ん……、大丈夫。頭が割れるように痛いだけ」
どんな速度で僕の頭は叩かれたのだろうか。そして特に後遺症もなく無事な自分がすごい気がしてならない。
「手加減したからだっての。当てる瞬間、速度はかなり落としたしな」
僕が自分の打たれ強さを自画自賛していると、三人分の水筒に水をなみなみと入れた兄さんがやってきた。
「ほれ、水だ。視界がグルグルしてなければ飲んだほうがいいぞ」
グルグルしてるならやめとけ。吐くから、と言って兄さんは僕に水筒を渡してくれる。特に吐き気もしないため、僕は水を少し飲んでおく。
「ありがと。兄さん」
「ん、気にすんな。あそこまで本気を出させるのを予測し切れなかったオレも悪い」
兄さんも地面に腰を下ろし、僕の頭に手を置いてポンポンと叩いた。
「にしても……末恐ろしいよ。たった二年、魔法を学んだだけでここまで腕を上げるとはな。しかも妙に戦い方も上手くなってたし」
「あはははは……」
ティアマトで散々戦闘に巻き込まれたからです、とは言えない。何のために旅から離れたのかわからなくなる気がするから。
「ただ、剣技に関しては大して腕を上げていないな……。まあ、これに関しては何とも言えないが、一応次の位階を教えてやろうか? たぶん、お前なら魔法と組み合わせれば十二分に使いこなせるはずだ」
「是非に」
兄さんの流派では剣技が位階ごとに分けられているらしい。僕も詳しくは知らないが、確か名前は月断流だったか。古流剣術の部類に入り、戦闘を想定した戦い方もある程度揃っているのが特徴だ。
「お前に教えているのが……まだ初刀だったか。次からは弐刀に行くぞ」
「わかったけど……、それってどこまで位階があるの?」
「拾だ。ちなみにオレはまだ仇までしか習得してない」
ここまでバケモノじみた強さを持つ兄さんでさえ最高位階には到達していないらしい。頂はどこまで高いのだろう。
「うへぇ……、僕はそのうちの一つしか学んでなかったのか……」
確かにずいぶんと難易度が低かった気もする。それでも習得するのに時間はかかったが。
「まあ、それも明日からだな。今は休んでおけ。どうせ今日はここで野宿するつもりだったし」
そう言って兄さんは集めてきた枯れ枝に火打石で火をつけた。
「食料は昨日のうちにティアマトで買い込んでおいたし……。それに夜のうちに話しておきたいこともある」
「……兄さん、エクセにも話すの?」
兄さんの言葉に反応したのはニーナだった。よほど重要なことなのか、ニーナは真剣な表情だ。
「ああ。お前に話してこいつに話さないというのも不公平な話だし……、何よりこいつは頭の回転が早い。隠しておいてもオレたち二人が怪しい行動を取れば気付く」
「……そうね。エクセはずっとあたしたちの参謀をやってきたし……。でも、エクセのことだから絶対に首を突っ込んでくるはずよ」
さっきから二人は僕の頭をまたいで何の話をしているのだろうか。まあ、端々から推理するに笑い話の類ではないようだが。
「わかってる。戦力になれない間は黙っておくつもりだったが、白兵戦でこれだけの実力を備えたなら黙っておくつもりもない。……エクセ」
そこまで言ってから兄さんはこちらに真剣な顔を向けてくる。しかし、真剣な顔のどこかに自嘲的な色が見えるのは気のせいだろうか。
「オレは今夜、お前にオレが旅している事情を話そうと思う。だが、選択権はお前にある。オレの予想ではこれを聞いたお前はまず間違いなく協力を申し出るだろうが、それはイバラの道だ。聞かないでどこか別の街でお別れする方が安全――」
「聞くよ。聞かない理由がない。僕は兄さんに命を救われた。その兄さんにようやく頼られるなんて最高だよ。それに……ニーナはもう知ってるんでしょ? だったら、僕だけが知らないのは納得がいかない」
兄さんの言葉を途中で遮って僕は自分の答えを言った。
そう、例えどんなにそれが難しい道であったとしても、僕は迷わず兄さんと同じ道を選ぶ。ずっと兄さんたちと一緒に旅をしていたいから。
「ぷくくくく……」
僕の答えを聞いた兄さんは呆然としたような顔をして、ニーナは逆に笑いをこらえて肩を震わせていた。
「……はぁ。ニーナ、お前は確信してたな?」
「うん。だってエクセだもん。絶対そう言うことくらいわかってるわよ。これでも生まれた頃から一緒の幼馴染なんだから」
恨めしそうにニーナを見る兄さんと、どこ吹く風のニーナ。特にニーナは僕の返事をわかっていただけあって、妙に落ち着いていた。
「わかったよ。オレはお前に理由を話す。だからまずは……飯にしようや」
ニーナが地面に座り、僕にスープの入った器を渡してくる。話は後に回そうということらしい。
僕はスープをすすりながら、これから話すであろう兄さんの事情について思いを巡らせていた。