一部 第五十話
「遅いですわよエクセ。どこ行ってたのです?」
下水道に到着した時、そこで待っていたのはロゼだけだった。足元にはちゃんと二人分の食料と荷物がある。
……どうやって運んだんだろう。
「うん、ちょっとギル爺のところに寄って新しい武器をもらってきたんだ」
「あら、そうでしたの。……それがですか?」
ロゼは僕の背負っている武器を見て、わけがわからないと言った表情を作る。気持ちはわからないでもない。僕も初見では同じ反応をした。
「クリスタルで覆うことで剣になるんだって。試してはいないけど、ギル爺のことだから信頼できるはずだよ」
なんて言ったってこの街一番の鍛冶師だ。技量に関して彼の右に出る者はいない。
「それもそうですわね。では行きますわよ。……ところで、あなたは聞きませんのね。ディアナたちのこと」
うん? 僕がディアナたちも呼んでおこう、とか言わないのが不思議だったのだろうか。だとしたら訂正せざるを得ない。
「一応、書置きに残しておいたよ。僕たちが二日経っても戻らなかったら、死んだものとみなして件の魔法陣の存在を衛兵に言うように書いておいた」
血の気の多いガウスあたりは無視して来てしまいそうだが、ディアナは大丈夫だろう。見た目通り、冷静な判断のできる人だ。
「なるほど……わたくしはその辺りを考えてませんでしたわね。迂闊でしたわ」
「僕が伝えておいたから大丈夫だよ」
そう言って、お互いに少し静かになる。視線の先は二人とも下水道の奥に向けられていた。
この先に何かあるかもしれないから確認に向かう。僕たちが下水道に入る表面上の理由はそうなっているが、実際のところ僕たちは確信していた。
――あの魔法陣こそが、今回の事件の原因であるということを。
もちろん根拠はない。気の迷いと言われればその通りだとうなずいてしまうだろう。衛兵をすぐに呼ばなかったのもこれが理由である。この状況で向こうはてんてこ舞いなのだ。確証のない情報で踊らせてしまうわけにはいかない。
しかしあるのだ。この奥に、絶対。
そして今まで見たことのないような危険も必ずある。
僕とロゼはそれが無意識のうちにわかっていたからこそ、静かになったのかもしれない。
「…………」
「…………」
黙りこくり、視線をびくとも動かさず下水道を見据える。
「……この先には、」
先に口火を切ったのはロゼだった。
「……わたくしたちでは手も足も出ない危険が存在するかもしれません」
「そうかもしれないね」
とはいえ、今まで戦ってきた相手自体、見習い魔導士じゃ太刀打ちできないような奴らばかりだった。それらを退けて今に至るのだから、自信を持っても良いと思うけど。
「わたくし、これでも自分のことは天才だと思っておりました」
「いや、その認識は正しいと思うんだけど」
でなければ魔法を僕と同時期に習い始めて、たった二年で一通りの魔法が使えるようになるとかあり得ない。
「ですが、あなたを見てそんな思い上がりは粉々になりましたわ」
「はぁ……」
なんていうか、話ずれてない?
「…………」
「…………」
話す内容が尽きたのか、ロゼが急に黙ってしまう。おまけに徐々に顔が赤くなっている。自分の言ったセリフで悶えているのだろうか。
「……行きますわよ! エクセ! いざという時はわたくしの盾になりなさい! 今言ったことを広められないためにも!」
やがて耐えられなくなったように前を向き、ロゼは僕に対してめちゃくちゃなことを言ってきた。
「自分勝手過ぎない!? ……でも、まあ、言いたいことはわかるつもりだよ。僕もさっきから嫌な予感が収まらない」
冒険者というのは自分の感覚や知識を第一に頼る人種だ。そのため、何とも言えない嫌な予感を感じるだけでも引き返す場合がある。
冒険者をやっていて長生きできるのは勇敢な人間ではなく、臆病な人間だ。
……まあ、その割に兄さんもニーナも――僕だってその言葉をあまり実行はしていないが。していたらここまで事件に巻き込まれなどしない。
「エクセの言うことでしたら信用できますわね。ディアナが言ってましたわよ。エクセの第六感の冴えには目を見張るものがあるって」
「兄さんにも言われたな、それ」
思わず苦笑してしまう。まさかこんなところでその言葉が聞けるとは。
……本当、魔法を学びに来ただけのはずなのに、どうして第六感を多用しなければならないような事件に巻き込まれてるんだろう、僕。
「何を落ち込んでいるのです。それで、どうしますの? ここで引いてもわたくしは何も言いませんわよ」
その代わり裏切られたような目でこっちを見るのだろう。そんなことをされたらこっちの心が罪悪感で押し潰されてしまう。しかもロゼは傷付いた心を抱えたまま一人で向かおうとするだろう。それは非常にマズイ。
「行くよ。たぶん、人数増やしても変わらないだろうからこのまま行こう。……ロゼ、いざって時は――」
僕が囮になるから逃げてほしい、と言おうとしたのだが、ロゼの強い視線の前にそれが意味をなさないことを思い知らされる。
ダメだ。この人は絶対に逃げようとしない。たとえ僕が目の前で死んでしまったとしても。
「いざって時は、何ですの?」
「……絶対に僕の命令に従って。どんな内容のものでも」
そのため、言葉を直前で適当なものに切り替える。これならロゼもうなずいてはくれるだろう。
「……そんなこと当然に決まってますわ。さあ、行きますわよ」
僕たちは今までとは一線を画す緊張感の中、下水道に足を踏み入れた。
足を踏み入れて二時間ほど。さっそくモンスターの洗礼を受けることとなった。
「おかしいよね!? この前来た時、こんなモンスターいなかったよね!?」
狭い道にも関わらずうじゃうじゃ湧いてくるインプたち。何で下っ端とはいえ、魔族がこんなところに!?
「おかしいにもほどがありますわよ! どうして街の下水道に魔族が出るのですか! 魔境なんて言葉じゃ表せませんわ!」
下水という水が豊富にあるからこそ発動可能な水属性の中では中の上に位置する魔法、《水の槍》を発動させてインプたちを何体かまとめて突き刺したロゼが文句を言う。
しかし僕に言わないでほしい。この事態を作ったのは僕じゃないから。
「この……邪魔だっ!!」
杖にクリスタルを纏わせた剣と、ギル爺からもらった剣にクリスタルを纏わせて作った剣の二刀流で僕も自分の周りに集まっていたインプを薙ぎ払う。
「はっ、はっ、はぁっ……」
全て倒し終え、周囲に気配がないことを確認してから大きく息を吐いて、二刀を背中で交差させるように戻す。
「エクセ、無事ですの? わたくしは少しポーションを飲みますから、休憩してもよろしくて?」
「うん……。わかった。ここらで休憩しよう」
僕たちはその場に腰を下ろして各々が体を休める体勢を取る。
「……ほぼ確実、ですわね」
消耗してしまった魔力の回復をポーションで行いながら、ロゼがぽつりとつぶやく。
「……うん」
僕もそれに同意しながら、ギル爺からもらった剣の様子を見る。こんな場所で壊したら死んでも死に切れない。
「よし、武器に異常はなし、と。これならクリスタルを補充しつつ使えば半永久的に使えそうだ……」
「ちょっとエクセ、わたくしの話を聞いてます?」
「聞いてるって。でも、そうだね……十中八九誰かの召喚だろうね」
召喚魔法で召喚された生物は殺されると元いた世界に戻される。たまに自分の力量以上の奴を召喚してしまい、逆に殺されてしまう場合もあるが……今回は違うらしい。
「少なくとも、これよりもっと多いであろうインプを同時に使役できるだけの力量を持つ人物……。そう考えた方がいいね」
インプは下級魔族であるグレムリンよりもさらに下位に位置する魔族のことだ。つまり最下級魔族ということになる。
しかし侮ることなかれ。魔族は根本的に人間と出来が違うので、最下級魔族であっても油断は禁物だ。少なくともゴブリンやコボルトなどよりは強い。旅人にとっては中級者への登竜門と言ったところか。
「……ゾッとしませんわね。そもそも召喚魔法自体、扱いの難しい魔法ですのに、それを易々と使いこなしあまつさえこのレベル……、間違いなく賢者レベルですわね」
それは僕も同意せざるを得ない。だが、賢者は六属性に一人ずつしかおらず、召喚魔法などの属性魔法のカテゴリーから外れる魔法体系には賢者を名乗れないこととなっている。
「まあ、言いたいことはわかるけどね……。潤沢な魔力に卓越した技術。そして召喚した奴相手に勝てる技量……。ハッキリ言って異常だよ。たまにいるんだよね、そういう人……」
生身の体で真空波放ったり、瞬間移動じみた速さで動いたり、指で飛ばした石だけで一個中隊壊滅させたりする人が。僕が言うのもどうかと思うが、絶対に人間やめてると思う。
「たまにはいるんですのね、こういった人が……」
ロゼは僕のため息混じりの言葉に冷や汗をかいていた。割と実感のこもった言葉だったから、笑い飛ばすこともできなかったのだろう。
「……そろそろ行こう。どの道こんな道は大勢じゃ進めない。戻って衛兵を呼ぶだけ手間になる。僕たちだけで行けるところまで行ってみよう」
そして可能なら解決もしてしまおう。こんなインプだらけの場所、衛兵だけでは必ず被害が出る。二人である僕たちだからこそ身軽にここまで来れたのだ。
「そうですわね。……今回ばかりは、ヤバいかもしれませんが」
安心してほしい。ロゼが僕を巻き込んだことで、ヤバいと思わなかったことは一度もないから。ぶっちゃけ、これもその延長線上のようなものに思えてしまう。
……慣れって怖いなあ。
僕はこの学院に来てから、旅していた頃よりも体力、技術ともに上がったなあ、などとしみじみ思い返しながらロゼの後ろを歩いて行った。
「ぜっ、ぜっ、ぜぇっ……!」
「はっ、はっ、はぁっ……!」
僕とロゼは息を荒げながら目的地一歩手前まで来ていた。
あれから半日以上、休憩もそこそこに戦闘を何度も潜り抜け、ようやくここまでたどり着いた。
「ロゼ……ポーションは残ってる……?」
「…………残念ながら」
しかし、ここに来るまでの代償はひどく大きかった。
僕もロゼも体力を使い果たし、ロゼに至っては魔力もほとんど底を尽きかけている。道中、戦闘ばかりだったため魔法を使う回数が多かったのだ。
「……まだ戦える? ダメなようならここに残って――」
「行きますわ。ここでやめるようならわざわざ苦労した意味がありませんもの。最後まで付き合いますわよ。たとえあなたの足手まといになったとしても、ですわ」
僕の言葉を途中で遮ってロゼはきっぱりとそう言った。
……足手まといになったとしても、自分の意地だけは通す、か。ロゼらしいや。
そしてここまでの道のりで、どう考えても少数精鋭でなければここまでは来られないこともわかった。せいぜい前線に出るには二人ほどが限界の道幅で、なおかつ押し寄せてくるのはインプの大群。自惚れではないが、これを突破できる組み合わせってそうそういないと思う。
ごちゃごちゃ言ったが、要するにここまで来てしまったのだから行き着くところまで行ってしまえという意味だ。
「わかった。でも邪魔にはならないようにね。さあ……行こうか!」
お互いに空元気を振り絞って、残りわずかである目的の場所へと足を動かした。