一部 第四十九話
春の芽吹きと温かさに口元を綻ばせ、夏の暑さと日光でモノクロになる景色に目を細め、秋の涼しい風とゆっくりと来年に備えようとする動植物の姿に空を見上げ、冬の寒さと枯れ落ちた葉を踏みしめる音に耳を楽しませる。
前置きが非常に長くなってしまったが、ともあれ僕の一年はこのようにして巡る。
そして雪の巨人に襲われる事件から二ヶ月ほど。僕も――ティアマトに来て二年目の春が訪れようとしていた。
ただし――
「異常事態、ね……」
この街の中に限って言えば世界の終わりのような事態に巻き込まれていたが。
「あぁ。ひどいもんだぜ? 女、子供、老人……。とにかく体の弱い人たちからバタバタ倒れてる」
ガウスと雪の降る外を眺めながら、現在この街が置かれている状況を話し合う。
「食料の備蓄自体は問題ないけど、この異常気象が一年続けばそれも危うい……。それに男衆だって倒れてる人がいないわけじゃない」
ここティアマトでは原因不明の病が流行っていた。いや、原因も何もかも不明なのだから、それが病気であるかどうかも不明なのだが。
とにかくそれのせいでガウスの言っている通り体の弱い人からどんどん倒れていっている。まだ死者こそ出ていないものの、この調子でいけば春を迎える頃には必ず出ているだろう。
「学院も休校になるし……。外では雪が降り続けるし……。まるで街が緩やかに死んでいくみたいだ」
「エクセ、縁起でもないからそういうことは言うな」
「――ごめん」
僕のうかつな一言はガウスの強い語調によって遮られる。それで自分が悪いことをしていた自覚が湧き、素直に謝る。
「……別に。俺も心のどこかじゃそう思っているかもしれないからな。確かに、今の状況は何かとおかしい。俺も色々と調べてみたんだけど、こんなことは初めてらしい」
「最初で最後にならないといいけど……」
「なあ、お前ってそこまで悲観的な奴だったっけ? 俺、二年間一緒にいてお前のそんな姿見るの初めてだぞ」
それはそうだろう。僕自身、自分がこんなに悲観的になるなんて、と驚いているところなのだ。現実主義者ではあっても悲観主義者ではないと自己評価していたのだが。
「うん……。ちょっと僕も疲れてるかもしれない。悪いけど、今日はもう寝るね」
「ん……、温かくして寝ろよ?」
ガウスの言葉に少しだけ笑ってから、僕はいそいそと毛布に潜り込んだ。
「起きなさいエクセ!」
しかし三時間ほどで僕の睡眠は終了を告げることとなった。
「んん……」
僕は寝起きでしょぼしょぼする目をこすりながら、まぶたとまぶたがくっつきそうになるのを我慢しながら、僕に声をかけた奴を確認しようとする。
「……ロゼ?」
そこで目に入ってきたのは、見慣れた豪奢な金髪を背中まで伸ばした僕とは一年半余りの付き合いになる彼女だった。
「そう。ロゼですわ! あなたの心の癒し、ロゼリッタ――」
「それはないと断言させてもらうよ」
ウソ臭い自己紹介で一気に目が覚めた。僕はロゼの言葉を否定しながら上体を起こす。
「ひどい言い分ですわね……わたくし、これでも結構見られる容姿をしていますのよ」
それは事実だと僕も認める。だが、それが癒しに直結するかと言われれば当然違う。
「ロゼの性格知ってる僕としてはちっとも癒されないよ……。それで? 何か用?」
「もちろんですわ。わたくしが用もないのに殿方の部屋に訪れると思いまして?」
思わないから何か用があるのかって聞いてるんだよ。
「思わないね。だから早く要件を言って……。一秒で断わって二度寝するから」
「断ること前提でしたら話しませんわ」
ん? ということは帰ってくれるのか? 素直に?
「その代わり、今この場で服を脱ぎ、絹を引き裂くような悲鳴を上げますわ」
「ガウスに罪被せるからいいよ」
だから寝かせてください。今さらだけど、まだ真夜中じゃないか。
僕の隣のベッドではガウスが高いびきをかきながら寝ている姿があった。この騒ぎの中でも起きないあたり、こいつも図太い。
「あなたの服も脱がせますが、よろしいですか?」
どうしてロゼはそこまでして僕の社会的地位を失墜させようとするのだろうか。
「わかったよ。ちゃんと聞くから。やるかどうかはそのあとで考えさせてもらうけど、話はちゃんと聞くよ」
「エクセのことですから、話を聞いたら断りませんわよ? わたくしが話しているのはティアマトが置かれているこの状況にも関わることですから」
だったら衛兵に告げてくれ、という言葉が喉元まで出かかったがグッと堪える。ロゼがここに来たのだってそれ相応の理由があるはずだ。
「……何なの? ひょっとして僕にしか解決できない問題?」
「ある意味、そうでしょうね。わたくしが言いたいのは、以前地下道で見つけた魔法陣のことですわ」
ロゼの口から出てきた言葉は想定内のものだった。僕も遅まきながらあれが怪しいのではないかと思い始めた頃なのだ。
念のために三日ほど様子を見て、問題の解決する兆しが見られなかったら一人で入るつもりだった。決して今の今まで忘れていたとかそういうわけではない。
……本当だよ?
「魔法陣ねえ……。でもあれがそうだっていう証拠がないじゃん」
「ですからそれを確かめに行くのでしょう。それがこの異変の証拠であるとハッキリわかったら衛兵に話せばよいのです」
理路整然とした言葉にぐうの音も出ない。ロゼの言葉にここまで説得力があるとは思わなかった。
「うーん……でもなあ。時間かかるよ? 最短ルートがわかってるとはいえ、丸一日はかかるだろうね」
一日だけでも油断はできない。特に現在の街の状況下では準備にも時間がかかってしまう。わざわざ部屋まで来てくれたロゼには申し訳ないが、向かうのは最速で明日だろう。
「そんなことは承知の上ですわ。わたくしも転移の魔法札を用意してありますし、食料も水もエクセの分まで用意してありますのよ! さあ、わたくしを褒め称えなさい! おーっほほほほほ!」
高笑いするな。無駄に決まってて腹立つから。
「というか久しぶりに聞いた気がするよ。ロゼの高笑い」
「確かにわたくしも久しぶりにやった気がしますわ。あなたには最近、面倒やら迷惑やらかけっぱなしでわたくしが上になることがありませんでしたもの」
できれば未来永劫僕の上に立たないでほしいと思う。ロゼみたいなタイプは自分が上位になると何かと暴君になって僕を事件に巻き込むこと請け合いだ。
……あれ? 今でも大して変化ない?
「と、とにかく! ロゼは僕と一緒に下水道の魔法陣を確かめに行きたい。そうだね?」
「纏めるとそうなりますわね。途中、話が脱線しまくりましたが」
誰のせいであるのかは黙っておく。僕のせいでもありそうだし。
「ふむ……」
さてどうしたものか。行くのは別に構わないんだが、妙な胸騒ぎがする。何となく、雪の巨人と出くわした時のことが連想させられる感覚だ。
「エクセ?」
顎に手を当てて逡巡する僕をロゼは何の疑いもない瞳で見つめていた。上流階級育ちのくせに、どうして僕に疑いを向けないのか気になるところだ。
まったく、そんな目を向けられたら断れないではないか。卑怯だ。
「……わかった。今から行くの?」
僕が腹をくくってロゼと行動する決意を見せると、
「はふぅ……」
なぜか知らないが、安心したようなため息をついてその場にへたり込んだ。
「ど、どうかした? 持病の発作とか?」
「持病なんてありませんわ! ただ……あなたが引き受けてくれて安心しただけですわ! こんな無理難題、断ってくれてもいいのに……」
「え、いいの? じゃあ――」
「言質は取ってありますわよ」
やっぱ逃げられないじゃん。だったらもう自分の意思で流れを選んだ方がまだマシだ。特にロゼに巻き込まれると大概命がけになるから、そういった選択くらいは自分でやりたい。
「まあ、ロゼにも殊勝な部分はあるってことだね。んじゃ、行くよ! サッサと荷物持ってきて!」
「わ、わかりましたわ! ……どうして能動的になると積極性が出るんでしょう。不思議でなりませんわ……」
何やらブツブツつぶやきながらロゼが部屋を出ていく。
最低でも僕とロゼ、二人分の荷物はあるから時間がかかるだろう。だったら今のうちにこちらでできる準備をしてしまおう。
「まず、武器……と」
この間ようやく借金を返し終えた新品の杖を取り出す。
あの後、結局オパールは見つからずにまた借金をして三代目の杖を購入する羽目になった。僕の杖には短命の呪いでもかけられているのではなかろうか。
……まあ、僕の使い方が荒いのが原因なんだけど。
「もっと良い武器ないかなあ……」
いつもならこれにクリスタルコーティングを施すことで槍なり剣なり作って戦っているのだが、今日に限ってはそれが頼りなく思えてしまう。
「うーん……こんな時間に悪いけど、ギル爺のところに寄るか……」
自分でも今の自分がやや神経質になっているのがわかるが、それでも足が動き、ギル爺の方へ向って歩き出してしまった。
部屋に下水道入口へ集合と書置きをロゼ宛に残し、僕はまだ薄明るい街並みを歩く。
普段ならこんな時でも農家の人や交易に出かける商人の人たちの流れがあるものの、今は人っ子一人歩く姿が見られない。何だか死の街を歩いている気分だ。
「ギル爺大丈夫かな……」
この街並みを見ていて急に不安になってしまった。口ではいくらああ言ってても、もう年だ。何かの拍子でぽっくり逝ったとしてもおかしくはない。
不安に苛まれながら僕はギル爺の鍛冶場前に到着し、恐る恐る扉を開く。
「ギル爺、生きてるー? もしくは寝てるー?」
「ん、エクセか。どうしたこんな時間に」
一応寝ている可能性も配慮して小声で呼んだのだが、ギル爺はコーヒー片手にケロリとしていた。
「あ、まだ無事だったんだ。それと朝早いね」
「鍛冶屋の朝なんてこんなものよ。それとワシとこの辺の人間を一緒にするんじゃねえ。鍛え方が違う!」
いや、あんた老人だろ、という突っ込みはいれない。何というかこの人相手に普通の理論は役に立たない気がするから。
「おめえさんこそ大丈夫かよ? そんなヒョロッとした体でよう」
「大丈夫だよ。……それより、今すぐに用意できる武器ってある? ちょっと見たいんだけど」
こんな時期に僕からの頼みごとなんて珍しいにもほどがある。ギル爺は表情を真剣なものに切り替え、僕の方を見据えた。
「……この街のことか?」
「おそらくは。無駄足になる可能性も高いけど、僕たちは向かうことにしてる」
「ならこれを持ってけ。本当ならお前がこの街を出てく記念に贈ろうとしたんだが、まあちょっと早めの祝いだ」
ギル爺は僕に対し、何やら棒状の物を放り投げてきた。
慌てて受け取ったが、刃があるようには到底見えない。というか武器であるかどうかすら定かではない。
それは親指一本分くらいの隙間を空けて二枚の鉄板が付けられただけの代物だった。よく見れば微妙に傾斜がかかっていたりするが、それにしたってこれをどう使うのかがまったくわからない。
「えっと……これは?」
「お前さん専用の剣だ。クリスタルコーティング、だったか? それを行うことによって刃が形成されるように形を整えてある。ちなみに金属はただの鋼だ。ミスリル銀とかじゃなくて残念だったな」
ちなみにミスリル銀は魔法に対してよく反応するが、銀だけあって武器に使った場合の強度は弱い代物だ。この場合に使う金属としては不適切だろう。
「……おお! すごい!」
確かにこの形に沿ってクリスタルを生成すれば剣にはなりそうだ。しかも二枚の鉄板が中央で支えの役割も果たすから、ただクリスタルの剣を作るより強度も高い。
「さすがギル爺! いよっ、天才鍛冶師!」
「当たり前のこと言うなや。ほら、それ持ってサッサと行って解決して来い。お前の兄貴、もうすぐ帰ってくるんだろう?」
「うんっ! 本当にありがとうギル爺!」
すっかり気分の良くなった僕は新しい武器を手に、ロゼが待つ下水道へと向かった。