一部 第四十一話
『おおおおぉぉぉっ!!』
鞘に収めた刀と炎を纏った拳がぶつかり合う。
お互いの勢いに弾かれ、僕たちは同時に体勢を崩してたたらを踏む。一歩後ろに下がるが、その足で思いっ切り地面を蹴り、再び激突する。
「おらぁっ!」
ガウスの拳が僕の左肩を正確に狙い、僕はそれを半身になることで避ける。
だが、向こうはそれを予期しており右足を蹴り上げて僕の背中にめり込ませた。
「ごはっ……」
肺から空気が抜ける息苦しさを味わいながら、それでも手放さなかった刀をガウスの胸に叩き込む。
「がっ!」
ガウスは僕から見て右に。僕は背中を蹴られた衝撃で左に飛び、お互いの距離が稼がれる結果となった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「ぜっ、ぜっ、ぜっ……」
僕もガウスも全力を出し続けているため、息がひどく荒い。全身が酸素を求めている中、僕たちはわずかな時間も許さず三度突進を繰り返す。
『おおおおおあああぁぁぁっ!!』
ガウスの拳が僕の腹に入る。内臓がぐしゃぐしゃにかき回されるような吐き気と痛みを感じるが、無視して僕もガウスの喉元に鞘の先端を突き入れた。
「……っ、あああああああああぁぁぁぁ!!」
「がっ! ……らああああああぁぁぁぁぁっっ!!」
呼吸すら必要ない、と言わんばかりの速度でガウスは拳に力を入れる。僕もこんなところで倒れている場合ではないと刀を握る右手にありったけの力を込める。
殴る、打つ、殴る、打つ。もはや防御も考えずにこれがひたすら続く。
僕自身、すでに肋骨が四、五本砕けており、さらに殴られた他の個所はひどく焼け爛れている。
もちろん、ガウスも同じくらいのダメージは負っており、僕たち二人ともとっくに肉体ダメージは立つことすらままならない状態となっている。
だが、倒れない。当たり前のことだ。
――目の前のこいつが倒れない限り、僕が倒れることなどあり得ない!
ちっぽけな意地だ。もっと賢く勝つ方法なんてごまんとある。
それでも、僕は正面からガウスを倒したかった。
「あ――ああああああああああぁぁぁぁっ!!」
痛みで意識も視界も朦朧としている中で、それでも迫ってきているのが鮮明にわかるガウスの拳を左足の蹴り上げで軌道を逸らす。
「くっ!」
ガウスは本命の一撃が受け流されたことに舌打ちをしながらも、踏み込みに使った左足を軸とした回し蹴りを僕に決めようとする。
だが、それより先に僕の刀がガウスの頭に炸裂した。
「あ……」
殺しても構わない覚悟で放った一撃だ。それも見事に後頭部に命中。もうガウスは動けないだろう。
「……俺の、負けか」
鞘による防護があるとはいえ、まともに受けたガウスは後頭部から血を流しながら、僕の方を焦点の定まらない瞳で見据えた。
「……この勝負、僕の勝ちだ」
ガウスを倒したことが確定し、もう立っていなくても大丈夫な時点で僕の意識も急速に薄れ始めていた。
(やばっ……。でも、まだ立っていないと……)
同時に倒れてしまっては引き分けになってしまう。それでは勝ったことにならない。
『勝負あり! 男と男の殴り合いを制したのはエクセル選手だああぁぁぁっ!!』
司会の人が高らかに勝者の名を叫ぶ。それを聞いてようやく自分の勝負が終わったことに安堵し、僕は安らかな気持ちで意識を落とした。
徐々に暗くなる視界の中、慌てた様子で指示を飛ばす司会と、普段の冷静さはどこに行ったのか聞きたくなるくらい心配そうな顔をしたディアナとロゼが駆け寄ってくるのがかろうじて目に入った。
目が覚めたのはそれから五分も経たない頃だった。
「う、うぅ……。あれ?」
寝起きで今一つ焦点の定まらない瞳を頑張って動かしながら、僕は自分の置かれている状況を把握しようとした。
「エクセ! 目が覚めましたのね!」
「……よかった」
そんな僕の目の前に来るのはロゼとディアナの顔だった。その心配し切った顔を見て、ようやく自分が何をして、どうしてここに運ばれたのかを思い出す。
「あ、そういえば……僕、気絶したんだっけ。試合は?」
そう言って体を起こそうとするが、胸のあたりが死ぬほど痛んでむせてしまう。肋骨がほとんど砕けていたのを忘れてた。
「まだ大丈夫ですわ。あなた方の試合の余波が会場に影響を与えたため、整備の時間となっておりますわ」
ごほごほと咳き込む僕にポーションを渡しながら、ロゼは僕の疑問に答えてくれる。ちゃんと僕のことがよくわかっている行動だが、少しくらい心配する素振りを見せてくれたって罰は当たらないはずだ。
「……ガウスも隣で眠っている。ただ、こっちの方は脳震盪も同時に起こってるから目覚めるまでもっと時間がかかると思う」
「……そっか、生きてるんだ」
完全に殺すつもりで殴ったのだが、ガウスの頑丈さは僕の予想を越えていたようだ。まあ、素直に喜んでおこう。
「お二人とも、無茶が過ぎますわよ。わたくしたちがどれほど心配したと思っているのです! 反省なさい!」
「えっと……」
正直、試合の最中は二人のことを完全に忘れてました、なんて言えない雰囲気だ。ガウスの発する空気に呑まれていたのは否定できないが、後悔はしていない。うむ、反省は不要だな。
「あなた、今ひどい開き直りをしませんでした?」
「まさか。滅相もございません」
以後自重しよう。やっぱり女の子を心配させるのは男としてどうかと思うしね。うん、ロゼたちを女の子と呼べるのかどうかには一抹の疑問があるけど。
「今度はわたくしたちを侮辱するようなことを思いませんでした?」
さっきからロゼの勘が恐ろし過ぎる。僕の考えを的確に全て読み切ってくる。もう彼女の前で迂闊なことを思うのはやめよう。
「気のせいでしょ。それより、ロゼの試合はまだなの?」
「少し待って……ああ、もう会場整備は終わったようですので、わたくしはこれから控え室に向かいますわ。ディアナはエクセが薬を飲むよう、見張っていてくださる?」
「……委細承知」
承知しないでほしい。僕は薬を飲むのを嫌がるほど子供ではない。
「子供扱いしないでよ……。それとロゼ、頑張ってね」
「ええ、必ず優勝して見せますわ」
それは決勝で戦う僕に向けて言うセリフなのだろうか。いや、ある意味挑発か?
「ご冗談を。勝つのは僕だよ」
何とか動く右手でディアナからポーションを受け取って飲み干しながら、僕は挑発を返す。
「あらあら、そのような満身創痍の体のあなたに負けるわたくしだと思いまして? 舐められたものですわね」
ホホホとロゼが笑う。だが、その目は欠片たりとも笑ってない。
「ハハハ!」
「フフフ!」
表面上はにこやかに、しかし内面では壮絶なガンのくれ合いが行われた。
ロゼは目の笑っていない笑いをたたえたまま、第二回戦に向かって行った。相手の人にはご愁傷さまと言わせてもらおう。
「……エクセ、薬を飲みなさい」
「いや、飲んでるって。だからその母親みたいなセリフやめて」
ごくごくと先ほどから飲み続けているのだが、一向に傷の痛みが減らない。負った傷がひど過ぎるのか、はたまた用意されたポーションが安物なのか判断に困るところだ。
「う、ううん……」
僕がディアナの視線に妙なものを感じながら薬を飲んでいると、隣のベッドで寝ていたガウスからうめき声が聞こえた。
「ん? ディアナ、ガウスが」
「……わかってる。そろそろ目が覚めそう。……すごい回復力」
確かに。まだ試合が終わってから三十分ほどしか経過していない。脳震盪まで起こしてその回復力は驚異的の一言しか浮かばない。
「あ、あれ……。俺は……」
「おはよう。体の調子はどう?」
「エクセか。別に何ともな――いってえええぇぇっ!?」
ガウスは笑って体を起こそうとしたのだが、全身を襲う苦痛に断念した模様。ディアナはそんなガウスの様子をやれやれと苦笑しながら見ていた。
「……あなたもエクセと負けず劣らずの重傷。ほら、ポーション」
「あ、ああ。ありがとう……ってエクセ! お前、試合は!?」
ガウス、目が覚めてから僕のことばかりだなあ、と嬉しさ八割の苦笑をこぼす。彼を友人に持ってよかった。
「大丈夫だよ。今はロゼが戦ってる最中。僕もまだ棄権はしていないから、戦えるよ」
「そ、そうか……。ディアナ、悪いけど飲ませてくれないか? 両腕の自由が利かねえ」
僕の状態がまだ戦える域にあることにガウスはほっと安堵のため息を漏らし、そして右手に持っていたポーションを飲もうとする。だが、右手が震えて上手く飲めないようだ。
「……しょうがない」
そんなガウスの様子を見たディアナはやれやれと言わんばかりの顔をしながら、ガウスの口元にポーションを当て始めた。意外に手慣れている。
「……ん、よし」
一方、僕の方はようやく体の調子が元に戻り始めた頃だった。痛みもだいぶ引いたし、肋骨も応急的にではあるがくっついている。あとは治癒魔導士の人が治癒してくれれば万全になるだろう。
「げぷっ……。もうポーションは見たくない……」
しかし、そのために信じられない量のポーションを飲む羽目になってしまった。先ほどの魔力回復ポーションも大量に飲んだことといい、今日はやたらと大量のポーションと縁がある。
「……エクセ、治癒魔導士を呼んでくる。ガウス、もう大丈夫?」
「オッケー。右腕を動かせるくらいには回復した。ありがとうな」
ガウスが快諾し、ディアナはパタパタと治癒魔導士を呼びに走って行った。実にありがたいことだ。
「……エクセ」
「ん? なに?」
「次の試合、多分ロゼと戦うと思う」
いきなり試合の話に飛んだが、僕は驚かずに首肯する。おそらくそれは事実だろう。
「……負けんなよ! お前はディアナや俺の分も背負ってんだからな! 絶対、勝ってこい!」
そう言ってガウスは動かない体を精いっぱい動かし、僕の肩を怪我しているとは思えない力強さで叩いた。
「……うん! 絶対に勝ってくるよ!」
ガウスの激励に僕は力強くうなずき、そう答えた。
「……呼んできた。でも、試合がもう終わってるみたいであまり時間がない」
治癒魔導士を呼びに行っていたディアナが戻ってきたが、その後ろにはロゼの姿もあった。辛勝、とまではいかなくても余裕の感じられる姿で僕を見下ろす。
「あなたとの勝負はお互い万全で、全ての力を出し切ってこそ、ですわ。完治するまで待ちますから、ゆっくり治療してもらいなさい」
ロゼからの願ってもない申し出。これを受ければ、十中八九彼女に勝てるだろう。僕だって万全の状態なら一対一で負けることはそうそうない。
「……ロゼの気持ちはありがたいけど、受けられない」
「何ですって!? ……いえ、エクセのことです。何かわたくしを納得させる理由があるのでしょうね?」
「この勝負、僕たちは二人の人を下してここまで来たんだよね。だったら連戦していて疲れているのは当然。僕のこの傷は後にも戦いが待っているのにめちゃくちゃな行動を取ってしまった僕の責任。だから、それを抱えて戦いたい」
自分から不利になるような発言にロゼは目を見開くが、こればかりは譲れない。ガウスとディアナ、二人分の思いを背負っているのだから、彼らから負わされた傷も一緒に持っておきたいのだ。もちろん、ある程度は治癒した上で。
「……わかりましたわ。あなたのことです。何を言っても意見は変えないでしょう。ですが! わたくしの回復も含め、五分は時間を取ります! その間に可能な限り回復を施しなさい! わたくしも回復するのですから、そのくらいはよろしいでしょう!」
「あはは……。うん、それはお言葉に甘えさせてもらうよ」
ロゼは自分に配給されたポーションに口をつけ、一気に飲み始める。その様子を見た僕も治癒魔導士を呼んで、治癒を始めさせた。
このようなやり取りの結果、僕は先ほどの試合でこしらえた傷を完治させないまま決勝戦に臨んだ。