一部 第三十九話
『それでは番号の書かれたカードは行き渡りましたか?』
司会の人が控え室で僕たちをゆっくり見回しながら、落ち着き払った声で言う。やはり素の声はこちらか。
『今回もちょうど八人が揃っていますので、一番と二番、三番と四番、五番と六番、七番と八番と言った風にぶつかってもらいます。形式はトーナメント方式です』
司会の言葉に合わせて僕も自分のカードを見る。そこには“2”と大きく描かれたカードがあった。
……どうやら僕は最初から戦うらしい。
『それではカードを回収します。対戦表を作らなければなりませんので、カードを渡す際に名前を申告してください』
僕たちが各々の名前を告げながらカードを司会に返す。そのカードを見た司会が隣で控えていた女性に手早く指示をして、対戦表が作られていく。
その結果、第一試合は僕とディアナが。第二試合はガウスと見覚えのない人が。第三試合はロゼとこれまた同じく見覚えのない人。第四試合は見覚えのない人同士の対決となった。
『それでは、第一試合の人以外は控え室から出て行って待合室でお待ちください。最後に――両者の健闘を祈ります。頑張ってください』
それだけ言い残して司会は去っていった。なんというか、仕事人といった感じで格好良い人だ。
「……エクセル」
司会の人がいなくなるのを見送っていると、ディアナから声をかけられる。エクセルって誰だ?
「……エクセ、自分の名前くらい覚えておいた方がいい」
本気で首をかしげている僕をディアナは哀れむような呆れ切ったような微妙な視線で見つめる。非常に居た堪れない。
「う、うるさいな! みんながいつもそう言うから慣れちゃったんだよ!」
言い訳がましいことを言ってみるが、ディアナのジト目は変わらず、むしろその冷たさを増したようにすら思えた。
「……まあいい。今日は私が勝つ」
僕の醜態をため息一つで流したディアナは静かな迫力をみなぎらせて僕の方を見据えた。その気迫は素晴らしいと思うが、今日“も”の間違いではないだろうか。僕はディアナとの組み手で勝ったことがあまりないぞ。
「僕も、今日ばかりは負けられないね」
とはいえ、彼女の気迫に応えないわけではない。僕だって勝利への意気込みは十二分にある。
鞘に収めたままの刀と同じく鞘に収めたままの剣をぶつけ合わせ、お互いの健闘を祈った。
『さあさあお集まりの紳士淑女の皆様! ティアマト唯一にして最大の宴、魔法大会決勝の開催だああああぁぁ!!』
司会の人の気合に満ちた声が控え室の中にいる僕らに届く。距離があるからか、はたまた室内だからか、その声は妙に中身がなかった。
「……来た」
今まで柔軟運動などをして体をほぐしていた僕たちだが、その声が聞こえたと同時にやめる。
「そうだね。……本気でやらせてもらうよ」
つい先日の騒動で使った重剣・断頭台。あれが切っ掛けで僕も色々な方法を思いついた。実用性が高いとは言いがたいが、それでも僕の弱点である近接戦闘の弱さを補えるのは大きい。
『さあ! それでは第一試合の選手、ディアナ選手とエクセル選手の登場だ!!』
司会が僕たちを呼ぶ。慣例として、対戦相手とは並んで舞台に上がることとなっている。別に正式なルールではないのだが、その方が見栄えがいいのだ。
僕とディアナはお互いに顔を見合わせ、軽くうなずいてから同時に歩き出す。
暗い通路を無言で歩く。靴底に鉄板を仕込んだ長靴が歩くたびにコツコツと小気味良い音を鳴らし、そして四角く切り取られた光が強くなってくるにつれて心臓の鼓動も強くなっていく。
……大観衆の前で戦うなんて初めてだから緊張するな。
まあ、この緊張も試合が始まるまでのものだ。試合が始まりさえしてしまえば目の前の相手に集中できる。
ついに暗い道が終わり、光の降り注ぐ舞台に出る。
あまりの眩しさに目を細めながら、ディアナに背を向けて距離を取る。向こうも同じようにして距離を取り、ディアナは抜剣をする。彼女の剣は主催者側から支給されている刃の潰れた代物なのだ。ちなみに僕のは自前の刀を使っているため、鞘から抜いてはいけないルールがある。
『さあ、この勝負、どちらに軍配が上がるかまったく予想ができません! それでは――試合、開始!!』
開始の合図とともに、僕とディアナは激突した。
「……ふっ!」
短くも鋭い呼気と同時、大上段からの鋭い打ち込みが僕を襲う。
「せっ!」
しっかり見切ってそれに反応し、刀の微妙な反りを利用した受け流しでディアナの攻撃を左に流す。大きく振りかぶられた一撃を受け流したため、ディアナの体は揺らいで体勢を崩した。
「はぁっ!」
その隙を見逃さず右足の蹴りをディアナの鳩尾目掛けて放つ。この体勢なら避けられないはずだった。
しかし、ディアナは崩れた体勢を無理に戻さず、流れに身を任せて地面を転がりながらそれを避けてみせる。
「なっ!?」
「……《氷の矢》」
予想外の避け方に驚き、一瞬だけ動きが固まってしまったところをディアナは見逃さないで氷属性の魔法を放ってきた。人間の頭くらいの大きさで、鋭く尖った氷が次々と僕に向かってくる。
「うわわわわ!?」
次々と飛来してくる氷の塊を何度もバックステップして避けることには成功するが、狙いがどれも正確に頭だったことに戦慄が隠せない。
「……《水刃》」
何とか避け切った僕に追撃をかけるべく、ディアナは何も持っていない左手に水で作った刃を作り出す。そして二刀流の倍になった手数で一気に攻めてきた。
「う、うわっ!? 危なっ!?」
何度か服をかすめるなどの際どい場面があったが、何とか避けながらも反撃の蹴りで距離を離すことに成功する。
……今まで突っ込まなかったけど、もうこれって完璧に殺し合いの状態だよね。でなければあんなに正確に急所は狙わない。
「……さすがエクセ。魔法も併用したのに決定打が入らない。今までのエクセならとっくに沈んでる」
「だろうね」
僕自身、未だに立っていることに実感が持てない。やはり今までの激しい戦闘が僕を鍛えたのだろう。
それはさておき、ディアナの戦い方は非常に面白い。僕みたいに魔法がほとんど使えず、純粋な体術のみで戦う人間からしてみれば、攻撃する以上必ず生まれてしまう隙を魔法でなくしている彼女の戦い方は勉強になる。
(まあ、僕には到底真似できなさそうだけど……)
普通に魔法を発動するのよりも数百倍近い魔力を消費して、ようやく攻撃範囲が並程度になるのだ。僕の魔力があっても連発はできない。
「でも……こっちだって負けられない!」
「それはこっちのセリフ……!」
《身体強化》を己に施し、再び突進する。優勝まで残るには魔力は温存しなければならないため、無茶はできない。
「……《強化》」
ディアナは僕の《身体強化》に対抗したのか、一つ下の強化魔法を自分に施して防御の姿勢を取った。
「ぜりゃああああぁぁぁっ!!」
強化された体だからこそできるむちゃくちゃな軌道での連撃をディアナは一つ一つ見切ってさばく。ウソだろ? 確かにあまり魔力は入れていないが、それでもちょっとした強化を施しただけの人間に見切れるほど弱くしたつもりもないぞ。
底の見えない彼女に背筋が凍り、動きに一瞬だけ迷いが生まれてしまう。
「……《電撃》」
その隙を見逃さなかったディアナが僕に電気を纏った腕を押し付けてくる。
「がぁっ!?」
ディアナの手が触れている部分から電流が流れ、感電するとまではいかなくても僕の体が硬直するには十分過ぎるほどの痺れが全身を襲う。
思わず刀を落としてしまい、その瞬間に勝負を決めようとしたディアナが大きく剣を振りかぶる。鎖骨でも砕いて戦闘不能にするつもりだろう。
「させっ、るか……!」
無詠唱で《加重》を発動させ、ディアナが踏み込もうとしている足元に重力の半球体を作り出す。
「っ!」
ディアナは慌ててその場から飛び退き、僕から距離を取る。それもそのはず。僕の発動した魔法は発動箇所である地面を圧縮させているほどなのだから。生身の人間が飛び込んだらあっという間に肉塊の仲間入りだ。
「今のはヤバかった……」
ディアナが僕を警戒している間に《身体強化》の恩恵による回復力で痺れが取れた僕は地面に落ちている刀を手に取る。
「……本当に、エクセは油断がならない。さっきので完全に決めたと思ったのに」
「魔法が使えるようになってできることが増えたのはディアナだけじゃないってことさ」
とりあえず減らず口を叩いてみるが、実のところ内心ではディアナの言葉に同意していた。いや、あれは奇跡だと僕でも思う。
「それより、さっきの攻撃がどうして……」
見切られたのか。それがわからない。どこかに強化を集中させたとしか思えないのだが、その部位が特定できない。
「……動体視力と反射神経のみに強化を行えば、あなたの攻撃は受け流せる。言いたくはないが、あなたの攻撃にはキレがない」
「い、痛いところを……」
言葉のナイフってすごく胸に突き刺さる。
だが、ディアナの言葉は事実だ。僕には絶対的に接近戦の才能が足りていない。さっきの攻撃でもフェイントは入れたのだが、全て見切られていた。色々と小細工をしていたのだが……、やはり才能のある人にはバレてしまうのだろう。
「……じゃあ、もうこっちも手加減はしないよ」
そして、今の発言は僕も認めていることとはいえ、腹の立つ一言であったことに間違いはない。
「……望むところ」
「ぜぁりゃあ!!」
ディアナが言葉を発したのを合図に僕は刀を左手に持ち、右手に炎を収束させる。
「喰らええええぇぇっ!!」
収束させた炎を思いっ切り投げ、ディアナに向かって飛ばす。
「……っ!?」
それに込められた魔力の大きさにマズイと感じたのか、ディアナは横に跳んで僕の投げた炎弾を避けようとする。その避けるために跳んだ――つまり足が地面から離れた瞬間、僕は魔法を発動した。
「《爆発》!!」
込める魔力の大きさによって爆発の規模が変わる戦術級魔法だ。そして今回は込める魔力を最低に、そして収束をかなり意識して行う。そうでもしなければ闘技場が崩壊してしまう。
「……ぁっ!?」
中規模程度、例えるなら家一軒が吹っ飛ぶ程度の爆発が起こり、地面に足のついていないディアナはそれによって生まれる風圧をまともに受けてしまう。
「《飛翔》!」
しかし、ディアナは体をもみくちゃにされながらもすぐさま飛翔魔法を発動して体が壁に打ち付けられるのだけは止める。
「待っていたよ、この瞬間!」
そして、僕はディアナが《飛翔》を使って急制動をかけるところまで予測していた。
「もう一つ《爆発》!!」
両手で刀を持ち、炎弾を自分の背中に出現させる。
「これで決める……!」
絶対に勝つという意志とともに炎弾を爆発させ、その勢いに乗って刀を振り下ろす。
――爆剣・破砕。
「か……は……っ」
《身体強化》の行われた体による跳躍。さらに《爆発》による爆風の勢いの上乗せ。それらが重なった一撃はいかにディアナといえど、受け流せるものでなかった。
鎖骨を砕いた感触が手に伝わり、ディアナは血を吐きながら地面に倒れ込もうとする。
「おっと」
倒れ込む直前でディアナの体を抱え、その意識が完全に失われていることを確認してから僕は刀を持っている左腕を高らかに掲げた。
その瞬間、周囲から響き渡る割れんばかりの大歓声。こんな大勢の人に見られていたなんて、なんだか少し気恥ずかしい。
そんなことを思いながら、僕はディアナを抱えて控え室へと戻った。
このように、第一戦は僕の辛勝で幕を下ろした。