一部 第三十話
オデッセイでのお見合い騒動から三週間が経過した。
あの後、アリアは僕の捨て身の攻撃を称えてただ一言だけ告げて去っていった。去り際に『今度は私の魅力であなたを振り向かせます』というセリフだけを残して。
あれを聞いたロゼが、自分の体を抱きしめてガタガタ震えていたのは見ていて面白かった。面白がっているのがバレて殴られたけど。
ちなみにその時のセリフがこれ。
『どうしてわたくしはここまで女性に好かれるんですの……?』
後にも先にもあそこまで絶望し切ったロゼの声を聞いたのは初めてだろう。
なお、忘れている人もいるだろうが(僕もその一人)、アリアとの勝負は一応ロゼとの結婚権を賭けていたため、その勝負に勝った僕がロゼの婚約者という話になってしまっていた。
……重婚可能じゃないか、という突っ込みはなしで。アリアと僕の場合、お互いに譲れない一線があったということで。
当然だが、僕に身を固める意志はこれっぽっちもない。ロゼもそれを理解しているため、折を見てこの話をなかったことにするつもりらしい。
正直、今回の件に関しては僕自身が関われる範囲もたかが知れているため、こればっかりはロゼに任せるより他ない。
ということでアリアとの勝負が終わった後のオデッセイでの出来事はこんな感じになる。
そんな僕だが、今現在――
「課題が終わらない……」
――と言っているガウスの面倒を見ていた。
「やってないからでしょ。ほら、そこの魔法理論間違ってるよ」
僕は図書館で借りてきた趣味用の小説片手にガウスの間違いを指摘する。
「え!? 何で!? これ、この前まで正しかったはずだろ!?」
「論文確認ぐらいしなよ。それ、この前否定されてた。学生だからそこまで細かく見ないだろうけど、直しておいた方が評価高いはず」
魔法学は日進月歩の分野だ。そのため常日頃から最新の論文を見たり、研究は欠かせない。
「ガウスは割と実用一直線の授業取ってるからね。使われる機会の多い魔法を習得しているだけあって技術の進みも早いよ」
「ああくそっ、こんな大変なことになるんなら実家に帰るんじゃなかった! 課題持っていけないし!」
それはそうだろう。この辺の課題なんて図書館がなければ絶対に無理だ。
「まあ、頑張って。ところでどうして実家に帰ってたの? 割と急な話だよね?」
僕はガウスの苦境をおざなりに流して、彼が帰郷した理由を聞いてみた。
「ん? ……ああ、ウチの国は結構大きいんだけどな。そこが複数の種族で混成されたモンスターの軍勢に襲われたんだ。俺が知ったのは当然終わった後だけど」
「は……?」
種族の違うモンスターたちが群れで国を襲う?
「待って。待って待って待って。それ、あり得ないよ。モンスターは基本、同族以外の群れを作らないよ。ましてや国を襲えるような大規模になって、一丸となって向かう?」
「いや、俺に言うなよ。俺だってその国の警備隊長してる親父から聞いた話なんだから。ただ、親父が言うには複数の種族のモンスターが群れで来たと言ってたぜ?」
ガウスの父親がそんな守りの要とも言うべき役職についていたこと自体初耳だが、ガウス本人にもウソをついている様子はない。
「実際、城門前とかひどかったぜ? 防壁もボロボロだったし、相当な激戦だったんだろ」
「……えっと、ガウスの親父さん大丈夫なの?」
そんなヤバい戦があったなら戻って当然だろう。ガウスの口振りを聞く限り、死者ゼロなんてあり得ないだろうし。
「警備隊長になったのは伊達じゃないってさ。ちょっと怪我はしてたけど、ピンピンしてた」
「それはよかった……、両親は大切にね」
命は失えばそれまでだから……、という言葉は何とか己の心に留めておく。そういえば、ガウスには僕が天涯孤独の身であることを話していなかった。別に聞かれないなら答えるつもりもないけど。
「まあ、親孝行はしておかないとなあ……。でも、お前の言ってることってどういうことなんだ? モンスターは同種でしか群れないことぐらい俺だって知ってるぞ? って基本?」
「あ、うん……例外も実はあるんだ。そうだね、どこから話したものか……」
僕だってモンスターの習性全てを知っているわけじゃないし、半分以上は推測と勘に頼ったものとなってしまうが、話のタネにはなるだろう。
「……まず、モンスターにも格差があるって知ってる?」
「ああ、確かゴブリンとオークじゃオークの方が格上なんだろ?」
「うん。モンスターの世界は完全なる実力主義であり、そして物量主義。もちろん、ドラゴンクラスになると数は少ないけど……。んで、ごくたまにだけど異なるモンスターの群れが移動するってのは起こりうる事態なんだ」
僕もこれは経験がないため、本でしか読んだことがない。しかし、その理論は信ぴょう性が感じられた。
「モンスターの世界は実力主義。なら、外から強力なモンスターがやってきた時はどうなる?」
「え? そんなの決まって……あ!」
ガウスは僕の言わんとしていることに気付いたらしく、ポンと手のひらに拳を乗せたポーズを取る。
「ガウスの想像が正解だと思う。おそらくガウスの国の近くに凶悪なモンスターがやってきて、もともとそこに住んでいたモンスターが大規模に移住しようとしただけなんじゃないかな?」
となると、問題はやってきた凶悪なモンスターだ。まずエンシェントドラゴンは除く。連中は移動しないし、そもそも連中は食事や睡眠などの欲求から開放された正しく生物としての規格外だ。
そんな奴らが今さら人間社会に興味を持つとも思えないし、持った時点で人類の終わりは確定する。
「そっか……。ちょっと可哀想なことしたのかもな」
「しょうがないでしょ。向こうには理性がないし、通り抜ける際にオークとかは必ず人を殺すよ。あいつらは虐殺欲求の塊みたいな奴だからね」
こちらから手を出さない限り無害な連中もいないことはないのだが、基本的にモンスターは百害あって一利なしだ。
「だけど、襲ってきたモンスターの中にはオークとかプチデーモンまでいたって話だぜ? さすがにデーモンは見なかったらしいけど」
「は? プチデーモンまで?」
いやいやいや、それはシャレにならないだろう。どのくらいの規模かわからないけど、数によっては国一つ落とす強さはあるバケモノだぞ。
「ああ。だからこそわかんねえ。エクセの言うことが全部正解だとしたら、俺の故郷に一体何が起こってる?」
「僕は行ったことないから何とも言えないけど……。まあ、それだけの騒動で無事だったんだから心配する必要はないと思うよ。それより、課題サッサと終わらせたら?」
「ひどい! 俺がこんなに一生懸命話題をそらそうとしたのに!」
いや、現実逃避しても課題は終わらないって。むしろ後の絶望が大きくなるだけで。
「くそっ、お前は終わったのかよ!」
「うん」
僕の場合、明日が平和に終わるかどうかもわからない日々を送ってるんだ。平和な間にやってしまおうと思うのは当然だろう。
「チクショウ! だったら見せてくれ!」
「レポートだから無理だよ。自分で調べないと」
適当にでっち上げる手もないわけではないのだが、後で絶対バレる。バレた場合は死すらも生ぬるいと思える地獄を味合わされるらしい。
「ううぅ……悪魔……」
「早くやりなよ。休みが終わるまであと二週間ちょっとしかないんだから」
ちなみに僕の場合、調べるのに一週間。書くのに五日ほどかけて終わらせた。当然だが、一日全部を費やしている。他のことなど脇目も振らずに行ってこれだ。課題の多さは推して知るべし。
おまけに僕もまだ終わってない、というかどうしたらいいのかわからなくて途方に暮れている課題もある。
「どうしたものか……やれやれ」
ガウスが必死こいて課題をやっているのを横目に見ながら、僕も残った課題をどうやるか思案した。
「さて、どうしようか」
「ええ、これは由々しき問題ですわね」
「ああ。まさかエクセどころかロゼでもやってない問題があるとは……」
「……あの課題は異常。教授の正気を疑う」
五日後、僕たちは休み中でも開いている学食に集まっていた。
ちなみにガウスはおかしいとしか言えない集中力で、レポート課題を全て終わらせていた。
……僕だって結構時間かかったんだけどなあ。
それはさておき、ロゼやディアナも集まっているのには訳がある。
僕たち全員、とある課題の前に足踏みをしている状態なのだ。その内容は――
「自由研究、ね……。言葉にすると簡単だけどねぇ……」
実際のところは全然違う。まったく新規の魔法理論を何か一つ立てなければいけないのだ。
クリスタルに関してはかなりの知識があると自負しているのだが、どちらかと言うと感覚で魔法を行使する僕は理論立てた説明ができない。
「おっしゃらないでくださいまし……。わたくしだってこれには悩んでいるのですわ」
ロゼも僕と同じ悩みのようで、頭を抱えている。それはそうだろう。僕と同期で入学した生徒にやらせるような内容じゃない。むしろこれは研究者でも年中頭を悩ませている問題だろう。
「……魔闘士に理論は必要ない。必要なのは純然たる戦闘技術だけ」
……そういえば、ディアナはどうしてこの明らかに研究者向けの課題をやっているのだろう。
ああ、そういえば二年目の生徒たちはこの授業が必修だったな。僕もそれで受けている授業だし。
「エクセやロゼにできないことが俺にできる訳ないよな!」
そしてバカ一名は胸を張っていた。ガウスは悩みのなさそうな人生を送るだろうな。
『貴様は黙れ』
当然だが真面目に考えている僕たちが苛立たないはずがなく、まったく同時に静かにするよう注意する。
「ひどっ!?」
とまあ、こんな風に頭を悩ませているのだ。正直、魔法理論は作れなんて言われて作れるものではない。長い間地道に研究に研究を重ね、その上で閃きがあってようやく完成に至るものだ。
「ふぅ……、この際だから四人で何か一つを調べようよ。提出の際もチームでやったって言えばいいし」
研究者だって何人ものグループを作ってやっている。僕たちがそれをやったって何ら問題はないだろう。
「それに異論はありませんわ。ですが、何を調べるのです?」
ロゼに突っ込まれて僕は言葉を詰まらせる。何を調べるかなんて見当もついてない状態だ。
「……地下の大空洞」
「え?」
僕とロゼがこめかみに指を当てて頭を回転させていると、ディアナがボソリと小さくつぶやいた。つぶやいた内容を聞き返そうとしたところ、ガウスが声を上げる。
「ああ……。あれか……」
「ガウス、知ってるの?」
こいつも僕やロゼと同じく外の街からこの学院にやってきた人間なのに、どうしてそこまで情報に詳しいんだろう。
「ああ。何でも、ティアマトの地下には網目みたいに張り巡らされた下水道があるってのは知ってるよな?」
「うん。それはもう」
あそこで繰り広げた戦闘は忘れようにも忘れられるものではない。僕と一緒いにたロゼも神妙にうなずいていた。
「その下水道によるクモの巣の中心には、この街ができる前から存在する大空洞があるんだってよ。怪しいもんだけどな」
「…………それにしますわよ」
「……ロゼ? 正気?」
ガウスが半信半疑どころかまったく信じていない様子で笑って話を終わらせたにも関わらず、ロゼは本気でそれを調べるつもりらしい。
ディアナはロゼの方を信じられないような目で見つめる。いつも冷静で無表情なディアナにしては非常に珍しい顔だ。
「はぁ……」
逆に僕はため息をついていた。それはつまり、逃げようがないことを知っているからだ。
彼女の目は本気だった。それにここでグダグダとしゃべっていても課題が終わるわけじゃない。ならば彼女のように思い立ったらすぐ行動も悪くはないだろう。
「エクセは当然として、ディアナにガウスも来るんですのよ! 集合は明日早朝! 場所はここ! わかりました!?」
「おいおいおいおい……、ってエクセの顔見るに本気か……。…………わかったよ。俺だってこのまま何もしないで休みを終わらせたくはない」
ガウスは意外とすぐに了承した。僕の予想では一番ごねそうな人間だったのだが……。親友と言ってもまだまだわからないことは多い。
「……私も行く」
控えめにディアナも手を上げ、これで参加者はここに居る全員に決定した。
「それでは、明日に備えて解散!」
さっそく、というか最初からリーダーシップを発揮しているロゼの一言で、僕たちは解散した。各々の準備を整えるために。
僕たちの自由研究は、ティアマトにあると噂される大空洞の探索になった。
これが世界をも破壊しかねない騒動の原因になるとは、知る由もなかった。