一部 第二十九話
僕は手刀や蹴り技を駆使しながら兵士たちを薙ぎ倒し、一直線に進む。
「足止めに徹しなさい! 彼の身体能力は驚異的です!」
アリアの指示が飛び、兵士はそれに従っている。まあ、誰だって痛い思いはしたくないだろうから特攻は嫌がるよね。
しかし、彼らが吹き飛ぶペースは変わらない。それはなぜか?
答えは単純極まりない。僕から突撃しているからだ。
「お嬢様! こいつから突っ込んできます! とても防ぎ切れません!」
「なっ!? どうして!?」
こっちだって考えてるんだよ。どうせ撒いたところで尾行されてバレるのがオチだ。だったらここで全部叩き潰してしまった方が効率が良い。
「お前たちに恨みはないけど、こっちにも事情があるんだ!」
兵士たちは完全に巻き込まれた側だが、僕からすれば関係ない。行く手を阻む以上、倒すだけだ。
「無理ですお嬢様! 速過ぎます!」
「気合で何とかなりません!?」
「それが無理だと言ってるんです!」
兵士とアリア、仲が良いな。ちなみに人間には視認できないレベルで強化施してるから、気合ではどうにもならないと思うよ。
……まあ、達人クラスの戦士なら気配で見切るだろうけど。
「せいっ!」
鳩尾を狙って拳を正確に打ち込み、七人目を昏倒させる。ちなみに延髄を強打して気絶させるより遥かに痛い。というか一日食事がまともにできなくなる。
……誰が《飛翔》使わないだって? 使えないんだよこっちは。
個人的に恨みのある兵士をあえて痛い方法で気絶させ、そろそろ頃合いかと周りを見る。
(うげ……っ、どんどん増えてる!?)
最初に突撃した時は多く見積もっても二十五人前後しかいなかったはずなのに、今は三十人以上が取り囲んでいる気がする。
常に動き回っているものの、このままでは補足されるのも時間の問題だった。この人たちも伊達に兵士をやっているわけではないらしく、僕の速度に目が慣れ始めている。
……才能があるっていいなあ。
いかんせん体術や接近戦方面の才能がない僕としては死ぬほど羨ましい。一流になる素養がないだけで並程度にはできるけどさ。
(それよりもこの状況じゃ一旦退いた方が得だ! 逃げるが勝ち!)
強化に回している魔力をさらに増やせば殲滅も不可能ではないが、さすがにこれ以上筋力を強化してしまうと手加減ができなくなってしまう。
一瞬だけ脚力に魔力を集中させ、大きく跳躍する。そして建物の屋上部分に着地した僕は一気に速度を上げて走り出した。
(一応、場所は覚えてるからこのまま走っても大丈夫だけど……、向こうを撒けるか?)
答えは否。僕なんかより遥かに土地勘のある彼らでは、僕が向かう途中でも目的地に気づいてしまう可能性がある。
撒くこと自体は不可能じゃないだろう。向こうは何かと障害物のある地面を走り、僕は何ら障害物のない上を走れる。それに迂回しなければならない道などもこっちには存在しない。
しかし、どの方向に逃げているかは絶対に読まれる。逃げやすい場所とか、隠れやすい場所も彼らは知り尽くしているだろう。
(ここから強襲と離脱を繰り返してひたすら数を減らすしかないか……!)
恐ろしく地道な作業が予想される未来に頭を痛ませながら、僕は地面を蹴った。
「よし、ほぼ全部!」
通算七度目の強襲でようやく兵士は倒し終えた。五回目辺りからは上から攻めると見せかけて地上に隠れて攻撃しないと勘付かれるようになっており、非常に厳しい戦いだった。
……この短時間で僕の攻撃に適応した彼らの動体視力が羨ましい。
嫉妬で人を殺せたらと思いながら、壁に背中を預けて腰を下ろす。最終的に五十人前後に増えた兵士たちを全て倒すのはさすがに骨が折れた。
「はっ、はっ、はぁ……」
おまけに時間も結構かかってしまった。戦闘中の圧縮された体感時間のおかげで時間感覚が狂っているが、おそらく一時間半は確実だ。
「でも、これで残りはアリアだけ……!」
だいぶ息も整ってきたし、出発しようと思ったところで頭上に影ができる。
「……アリア。どうかした?」
わかっていた。彼女の足音がすぐそこまで迫っていることには。でも、逃げられなかった。
……カッコつけたけど、ぶっちゃけ連戦の疲労が足腰にキテるからちょっと動けないんだよね。
僕が顔を上げると、そこには予想通りと言うべきか、凛々しい騎士装束に身を包んだアリアがいた。
「……どうして、そこまでするんです? あなたがロゼ様のご友人であることは私も認めるところです。ええ、認めます。あなたはロゼ様のことを真摯に思いやれる良き友人です」
いや、さすがに半泣きで頼まれれば引き受けると思うんだけど……。それに何でロゼの友達であることに許可がいるのだろう。
「だからこそ理解できません。地位や富、ありとあらゆる社会的要素は私が勝っている。ロゼ様のことを考えているのなら、あなたは私にロゼ様を渡すべきなのです」
「………………」
うん、そこまで細かいこと考えてなかったよ。僕はロゼに頼まれたからやっただけだし……。
ああ、でもこれじゃアリアは納得しないだろうな。こんな流されに流されてここにいます、なんて理由では。
「そうだね……、強いて言うなら――」
「強いて言うなら?」
「嫌がってたから、かな?」
「――っ! そ、それは確かにあるでしょう。しかし長期的な目で見れば必ずやロゼ様のために!」
「いや、そういう問題じゃないんだよ。僕は田舎の村出身でね。そういったことは無学だからわからない。でもね、幸せって誰かが決めることじゃないんだと思う」
僕の幸せが兄さんたちと旅をずっと続けることにあるように。僕とは逆に静かに家庭を築いてゆっくり老いるということが幸せの人だって大勢いるはずだ。
「まあ、幸せって誰かが決めることじゃないと思うんだ。もちろん、アリアと一緒になれば苦労はないと思うし、世間一般で見ればすごく幸福な人生になるはずだよ? けど、そこにロゼも当てはまるかどうか、よく考えて」
もちろんのことだが、ロゼ自身がアリアとの婚約が乗り気であるならば、僕の出る幕などなかった。生暖かい目で見ながら祝福するだけだ。
「……ずるい人ですね」
「そうかもしれない。……んで、通してくれる?」
アリアと話したおかげでだいぶ体力も戻ってきた。僕は壁に体重をかけながらゆっくりと体を起こす。
「……もはや私自身、この勝負に意味を見出せなくなってますが……。それでも、ケジメだけはつけさせてもらいます」
腰の剣帯からすらりと刺突用のレイピアを抜き、僕に突き付ける。その構えに隙は――ない。
「……やるしかないみたいだね」
逃げるなんて選択肢は初めっから存在しない。僕にだって情がある。人の本気を流せるほど理性の塊ではない。
「ええ……覚悟!」
その一声と同時にレイピアが突き出され、僕はそれを避けるべく体を動かした。
今まで出会った敵の中でレイピアなんてお上品な武器を使う人はあまりいなかった。というか、僕の中でレイピアのイメージが貴族様が使う武器だと勝手に思い込んでいた部分がある。
使う相手は貴族だからイメージとしては間違っていないものの、技術は僕の予想を遥かに超えていた。
「――っ!」
僕の喉元が精密無比に狙われる。首を横にひねることでかろうじて避けた僕はそのまま地面を転がった勢いを利用して起き上がる。
立ち上がると同時に守り刀に右手を伸ばすが、思わず左手で喉元を探ってしまうくらい正確な一撃だった。正直、避け切れたのは奇跡だと思う。
(怖っ……)
あんなに鋭い突きは僕の人生の中で初めてだ。兄さんの攻撃は斬るという線攻撃だし、槍でもここまで鋭いのはお目にかかったことがない。
(天才、か……! くそっ、ついてない!)
「まだまだっ!」
アリアの技量に一瞬でも恐れてしまった隙を彼女は逃さず、連続で突きを放ってくる。僕はバックステップを連続することで何とか攻撃範囲から逃れるが、それも時間の問題だった。
(《身体強化》ならやってるんだぞ! なのに楽々ついてくる!)
たまにいるんだよね。鍛錬だけで人体の限界突破しちゃうような人って。
目の前のアリアがそうだとは思いたくなかったが、そうでも考えないと説明がつかない。
……ちょっと現実逃避してしまった。肝心なのはアリアの倒し方だ。
(正面から打ち合う? 愚の骨頂。地形を活かして戦う? 土地勘のある向こうにいいように弄ばれておしまい。魔法を使う? この街が吹き飛ぶ)
結構八方塞がりかもしれない。背筋に冷たい汗が流れ、同時に守り刀を持つ右手にも力がこもる。
「せいせいせいっ!」
右手首、右肩、肺、喉元、眉間の順番で繰り出される突きを僕は左に転がることで避けることに成功。だが、後がなくなってしまう。
「壁、ですね……。どうします? 降参するなら発煙筒を出してください」
「それは……できない相談かな」
この勝負に負けたらロゼと心中させられるのだ。ここで死んでも大して変わらない。
しかしマズイ。ここから巻き返すにはちょっと無理をする必要がある。
「そうですか……。では! 少し気絶していてもらいましょう! ちなみにこれはただの模擬剣です!」
今さら過ぎるし、刃の部分を潰したって刺突用の剣であるレイピアには大して関係ないのではなかろうか。
アリアのレイピアが僕の右手首を狙って突き出される。守り刀を握れなくして、その間に僕から発煙筒を奪おうという魂胆なのだろう。最初に行われた喉元への一撃よりかは優しさを感じられる。
「痛っ……!」
だが、僕はそれを右の手のひらで受けた。皮膚を破り、肉を引き裂き、骨まで達する冷たい金属の感触が僕に怖気と焼け付くような痛みを運んでくる。
「なっ、自分の体を!?」
アリアが驚愕に満ちた声を上げるのをどこか遠くに聞き取りながら、僕は痛みに歯を食い縛りながらレイピアの突き刺さった右手で拳を作った。
「これで……、武器は封じた……!」
右手を極力動かさないように体を動かし、僕とアリアの顔が紙一重の差になるくらいまで肉迫する。そして左手の手刀でアリアの延髄を打つ。
「あ……」
アリアは何とか耐えようとする仕草を見せたが、すぐに意識を落とす。
この攻撃は意志がどうこうで耐え切れるものではない。むしろすぐに意識を落とさなかっただけ賞賛されるべきだろう。
「やれやれ……とんでもないお嬢様だな……」
倒れたアリアの腕からレイピアが落ち、僕の手に収まる。それをなるべく横に動かさないように慎重に引き抜いていく。
「……っ、痛って……」
痛みに耐性のない人なら気絶してもおかしくない痛みが右手から脳天へと一直線に貫く。
涙がにじんで霞む視界の中、何とかレイピアを抜いた僕は懐から布を取り出して手首の方に撒いておく。本音を言えば傷口に直接当てたいのだが、消毒もしていない布を直接当てたりしたら非常にヤバいことになるのが目に見えている。
「治るのは二週間以上かかるなあ……」
帰ったら治療用ポーションでも買っておくべきだろう。でも高いからロゼに今回のことを持ち出して集る予定。
「さて、行くか……」
何かと破天荒なお姫様がお待ちかねだ。
案の定、そこにロゼはいた。
昨日案内してもらった場所とまったく同じ場所に腰を下ろし、飽きもせずに景色を眺めている。
「……遅刻ですわね」
僕が近寄るのに対し、ロゼは振り返ることもせずに文句を言う。僕としても何時間も待たせたことは悪いと思っているため、素直に謝るよりほかない。
「ゴメン」
「……まあ、勝負には勝ってくれたようですし、数時間程度の遅刻、許して差し上げますわ」
ロゼはゆっくりと僕の方を振り返り、右手を見て仰天する。
「ちょ、な、何ですのこの傷は!? ひどい……、貫通しているじゃありませんの!」
「ちょっとね。予想以上に勝負が手こずった」
特にアリアは驚異的だった。一歩対処を間違えていれば、僕は今ごろあそこで物言わぬ死体となっていた可能性すらある。
「見せなさい! まったくエクセは……。いつも頼りになるのに、どこかで無茶をして……!」
無茶をさせているのはどこのどいつだ、と突っ込みたかったが黙っておく。ロゼ、本気で僕を心配しているみたいだし。
「……ロゼ、治癒も使えたんだ」
傷口を優しく暖かな光が覆うのをを見て、僕は目を白黒させてしまう。
「初歩程度ですわ。本職の治癒魔導士には足元にも及びません」
いや、十分過ぎるだろう。本来、攻撃にしろ補助にしろ、どれか一つを特化して覚えるのが普通だ。なのにロゼは一般の魔導士に比べても遜色がないほどの域で全てを習得している。
……本当の天才は僕みたいな奴じゃなくて、彼女のことを指すのかもしれない。
「これで応急処置はできましたわ。ティアマトに戻りましたらポーションを差し上げますので、それでちゃんと完治するまで右手は使わないこと! わかりました!?」
「あ、う、うん」
ロゼの気迫に押される形でうなずいてしまう。僕が快諾したのを見たロゼはホッと安堵の息を吐いて、僕に笑顔を見せた。
「ありがとうございます。このご恩、必ずお返ししますわ。わたくしの名にかけて」
その力強いいつもの笑顔を見て、僕もようやく厄介事が終わりを迎えたことを実感し、肩の力を抜いた。
「うん……期待してるよ」
僕の右手を握っているロゼの両手に左手を重ね合わせ、額をぶつけ合わせる。
「………………ふ、ふふふ」
「………………あはは」
しばらくそのままの姿勢で静かにしていたのだが、何かがおかしくてどちらからでもなく笑い出してしまう。
そして、その笑い声が止まることはなかった。
これにて、ロゼの結婚騒動は終わりを告げた。