一部 第二話
ギル爺の鍛冶場から歩き始めて三分ほど。僕はティアマトの中央広場に差しかかった。
ティアマトは中央広場を起点に円状の街並みを築いている。少しだけ説明しておくと、北側に魔法学院が。東側に商業区が(ギル爺の鍛冶場もこの辺)。西側に居住区があり、南側は酒場や宿屋などがある。
そして中央部分には公共の建物やギルド――治安維持部隊の詰め所が存在する。
魔法学院に通っていて、重宝するのは中央に存在する図書館や外れに建てられている研究機関だろうか。逆に食料品などは学院でも売られているし、そもそも学生は食事を学食で済ませるため、東側にはほとんど行かない。
さて、ギル爺のおかげで思わぬ収入を得られた以上、今日はどこかで美味しい物を食べよう。そう思っていた矢先だった。
「おーっほっほっほっほ!!」
と、甲高い笑い声が広場に響き渡り、街往く人々が何事かと辺りを見回し始める。
僕はそれらを一切合財無視して歩を速めた。こんな衆人環視の中でこれほど恥ずかしい笑い方ができるのは僕の知り合いには一人しかいない。
……きっとそんな知り合い、一人もいない方が良いんだろうけど。
「って待ちなさいエクセル!」
名指しするな。逃げにくい。
「……なに?」
僕はかなり剣呑な雰囲気を撒き散らしながら、先ほどまで高笑いしていた僕の天敵に視線を向ける。
ニーナのしっとりとした光沢のある銀髪とはまた対照的な鮮やかな金髪。そして瞳も彼女の意志に呼応するかのように爛々と輝く金。
僕と同じく野暮ったい濃紺のローブに身を包みながらも、全身から振り撒くオーラにいささかの衰えなし。むしろそれが彼女の豪奢な美貌を引き立てているようにすら見える。
総合してみれば……やはり綺麗という言葉があてはまるだろう。
「そんなの当然決まってることでしょう? わたくしとあなたの第二百七十三回目の勝負が決まりましたのよ!」
彼女の中で僕との勝負数はすでに三ケタを超えているらしい。僕が認めた勝負は一つもないんだけど。
「僕の不戦敗でいいよ。ロゼ」
名家の生まれらしく、本名はロゼリッタ・フォン・クーベルチュールなどといった長ったらしいことこの上ない、おまけに名字を持つことを許されている人だ。
少し話がそれるが、名字というのは貴族以上――あるいは正式な魔導士や騎士でない限り持てないものだ。僕の場合は学院から卒業する際に学院長から賜れるものになるかな。卒業する気がないから無理だけど。
「そんなことこのわたくしが許しません! 戦わずして負けるなど、恥ずかしいと思わないのですか!」
話を戻そう。僕の目前まで迫ったロゼはやたらと騎士道精神旺盛な困った女の子なのだ。その女の子に目を付けられた僕は事あるごとに勝負を挑まれ、辟易している。
「戦ってないんだから、勝ちも負けもないじゃん」
「また屁理屈を……! だいたいあなたは! 真面目に学問にいそしんでいたあの頃のあなたはどこへ行ったのです!」
「みんなの心に一人ずついるよ。きっと」
僕だったら願い下げだけど。
そもそも、僕に学問は向いていない。どちらかというと感覚で魔法行使してきたから、理論とかは小難し過ぎるのだ。それでも一年間勉強し続けた僕の根気強さを褒めてほしい。
第一、ここに入学したのだって魔法の腕を効率よく磨くためだ。最初は色々なものに手を出したけど、今では向き不向きがハッキリわかっている。上達の見込みがないものを学び続ける気はない。
「それよりも! 今度の勝負はこれですわ!」
僕の発言を一切合財無視したロゼがチラシのようなものを僕に突き付けた。
無視してサッサと行ってしまっても良いのだが、ここで無視すると後が怖い。というか、相手しないといつまでも付きまとって来るのだ。鬱陶しいことこの上ない。
「なになに……指名手配犯?」
どうやら魔法の中でも禁忌とされている分野に手を出した人間がいるらしい。
「その通りです! 現にティアマト内ではすでに何人もの行方不明者が出ております! これをわたくしたちが見逃してよいのでしょうか? 否! 絶対に悪を見逃してはなりません!」
何やら一人で熱くなっているロゼは置いておく。あと、たとえ魔法学院の生徒といえど犯罪者は見逃すものだろう。ギルドの人間だって犯人逮捕に力を注いでるんだから、下手に素人が突っついて良いものじゃない。
「ふーん……。で、もっと詳しい情報はないの?」
とはいえ、情報はもう少し拾っておきたかった。禁忌と言われる学問が何なのかも気になるし、何より行方不明者の出た場所さえわかれば、そこに近寄らないということもできる。
「…………今、なんておっしゃいました?」
ロゼは僕が興味を示したのが信じられないらしく、僕の額に手を当ててきた。失礼極まりない。
「勝負を受ける受けないはともかくとして、その内容に興味が出たんだ。他に何か知ってることはないの?」
「え、ええ。わたくしの集めた情報によりますと、下手人は男性で歳は三十代前半。風貌は特にこれといって捉えどころのないそうですわ。あと、彼が手を出した学問ですが――」
――死霊術らしいですわ。
「……穏やかじゃないね」
死霊術、という単語にさすがの僕も眉をひそめる。禁忌学問の中でも飛びっきりイカれている内容のやつだからだ。
死霊術とは人体の学問のことである。これだけなら普通の医学と大差ないのだが、明らかな違いとしてその方向性が挙げられる。
医学は人を治すための学問だが、死霊術は人を効率よく壊すための学問なのだ。また、魔法による拷問術などもこの学問から生み出される。特に殺して生き返らせるを短期的にではあるが、連続して行う拷問は誰が相手でも三分持たないらしい。
「ええ。このようなことに手を出す輩など、下劣極まりないですわ」
僕の言葉にロゼも忌々しそうに同意する。そもそも、死霊術は人体ありきの学問だ。行方不明者が出てしまうのも納得できる。
「……つまり、行方不明になった人は……」
「可哀想ですが……」
すでに亡くなっているか、まともな生活を送れない体にされていることは確実だろう。時間が経ち過ぎている。
「しかし! 今後の動き方によって少しでも被害者が減らせるはずです! そこで賢いわたくしは考えました。あなたと競争の形を取ることによって、効率が上がるのではないかと!」
どこをどう考えたらその結論にたどり着くのか、この人の思考回路を一度見てみたかった。結局はそこに行き着くのかよ。
「僕は遠慮するよ。大体、ギルドの人だって動いてるんでしょ? それに衛兵だって行方不明者が出ている中で動かないはずがない。僕たち素人が勝手に首突っ込めるような話じゃないよ」
ぐうの音も出せない正論にロゼがグッと息を飲んだ。やはり彼女も自覚していないわけではないのだ。これでも学院上位には名を連ねている彼女なので、頭の回転そのものは速いはずだし。
「ですが……っ! 動くことによって見えてくるものがあるかもしれませんわ! それにあなただってこの事件は許せないと思っているのでしょう!?」
「許せないとは思うけど、それでもこれは僕たちの領分を越えているよ。衛兵やギルドの人たちに任せておけばすぐ解決するって」
すでに顔まで割れているのだ。大方、三日足らずで全て終わるだろう。
「……話になりませんわね」
「――ロゼ」
踵を向けて立ち去ろうとしたロゼを引き留める。
「……なんですの? 言っておきますけど、わたくしは止まるつもりはな――」
「これは本心からの忠告。――やめておいた方が良いよ。こういう事件にはまず間違いなく戦闘が予想される。実戦経験もロクにないような素人が生き残れるほど甘くはないよ。犯人だって、タダで捕まるはずがないし、何か対策を立ててるはずだ」
ロゼの勇み足は今に始まったことではない以上、本気で止められるとは思っていない。しかし、今回は本当にヤバい。今までも街外れにゴブリンが現れたのを退治する程度なら経験もあるだろうが、人相手では全然違う。
「あら、あなた、わたくしの実技成績を知らなくて? そんなことはありませんよね。あなたはわたくしのライバルですから!」
ライバルになった覚えはないんだけど……、正直な話、その考えは甘過ぎた。
「…………」
だが、上手く説明できない。あの生きた人間の殺意を言葉に表すのは不可能だ。実際に見た方が遥かにわかりやすい。
「言いたいことが以上でしたら、わたくしはもう行きますわよ。あなたは我が身可愛さに引きこもってなさい!」
そう言い捨てて、ロゼは雑踏に消えていった。
僕はと言うと、何とも言えない後味の悪さが胸に残ったまま立ち尽くしていることしかできなかった。
手元にあった三枚の銀貨の輝きも今はくすんで見える。
「……あーあ。損な性格だよ」
もっと器用に立ち回れる奴なら、きっと今のやり取りを衛兵に告げるなり何なりして彼女の暴走を止めるのだろう。
しかし、僕にはできない選択だ。確かに彼女の行動はぶっ飛んでいることもあるが、それでも誰かを助けるために動こうとする姿勢は素晴らしいものであるはずだ。
要するに、僕は彼女の動き回る姿を見ているのが嫌いではないのだ。事あるごとに絡んでくるのは鬱陶しいと思うけど。
僕はポケットに銀貨を押し込みながら、ロゼの後を追うことにした。
「まったく……わたくしがいなくて寂しいというのなら、素直に言えばよろしいのに……」
「うん。その予想は百五十パーセント違うから」
早くも後を追ったことを後悔し始めました。エクセルです。
現在、僕たちは学院に戻る石造りの道を二人並んで歩いていた。ロゼの目がキョロキョロと動いているあたり、どこか洒落た場所でお茶でも飲んで帰るつもりなのだろう。そしてたかる相手は僕しかいない。
「まあ、あなたにしては賢明な判断ですわ。褒美にわたくしの隣を歩く権利を差し上げましょう」
「謹んでお断りいたします」
というかすでに歩いている。それに何でこいつの隣を歩くのに許可がいるんだ。
「このわたくしを相手にその物怖じのなさ……。それでこそエクセですわ」
ロゼの申し出を間髪入れずに断ったのだが、なぜかロゼは逆に機嫌を良くした。女心はわからない。
……余談だが、彼女は意外と人気がある。容姿はもちろん、性格も意外に世話好きでサッパリしている。高慢ちきっぽく見える一面もあるが、むしろそれが良いという特殊性癖な方もいた。
ただし、女子限定。
もう清々しいくらいに彼女は女性にモテる。いっそ男になってしまった方が良いんじゃないかと思ってしまうほどだ。
下級生から恋文をもらうこと無数。同年代からもお姉さまと呼ばれること無数。一部の人からは女王様と呼ばれることもあるらしい。
そんな方々に守られているロゼだから、あまり男性とお近づきになれる機会がない。彼女を性的な目で見つめでもしたら最後、二度と日の出は拝めないとかの噂もある。
僕はどうにも人畜無害そうだとかいう理由で放置されていた。イマイチ釈然としない理由だが、狙われないだけマシと思うべきだろう。それに半年間ずっと友人付き合いを続けてきた実績もあるし。
「まずは情報収集ですわ。衛兵に直接聞き出しますわよ」
「はい待った」
「ごぅえっ!?」
いきなり駆け出そうとしたロゼの服を掴み、強制的に停止させる。ビリッ、という布が裂ける嫌な音とおよそ女性が口にするとは思えない声が聞こえたが、脳内から排除する。
「げほっ、えほっ……。い、いきなり何をするんですの!? 窒息したらどうするつもりですか!」
「その時はその時。……んでさあ、ロゼ、君バカ?」
「バカとはなんですかバカとは!」
僕の言葉に案の定、ロゼはいきり立ってくる。首を絞めたのに、ここまで早く回復できるのは一種の才能だと思う。
「充分バカだよ……。守秘義務のある衛兵がただの生徒に教えるわけないでしょ……。同じ考えでギルドの人に聞くのもダメだからね」
ワイロ握らせれば動くかもしれない、というのは黙っておく。その手の方法を彼女が許容するとは思えないし。
「ではどうすればいいんですの! 八方塞がりですわよ!」
「そうだねえ……考えられる方法はいくつかあるけど……。聞きたい?」
当然と言わんばかりにロゼはうなずいた。この子、あそこで放っておけば勝手に行き詰まってたんじゃないのか……?
「少し話し過ぎて喉が渇きましたわ。あそこで何か飲みながら話すというのはいかがでしょう?」
話し出そうとした僕を遮り、ロゼが近くにあった喫茶店を指差す。疑問の形を取ってはいるが、彼女の中ではすでに確定事項らしく、足がそっちに向いていた。
「別に良いけど」
そう言って僕たちは手近にあったオープンカフェのテラスに入る。ロゼのお眼鏡に叶っただけあり、中は静かな、それでいてどこか甘やかな、平たく言ってしまえば恋人同士が入るのにちょうどよい雰囲気を醸し出していた。
ロゼはコーヒーとケーキを。僕はオレンジジュースのみを頼んで対面に座った。
「それで、あなたの作戦とやらを聞こうじゃありませんか。話しなさい」
「……色々と言いたいことはあるけど、まあいいや。一つ目は地道な聞き込み。街の住人だって何も知らないわけじゃないんだから、少しくらい情報は得られると思う」
「ふむふむ。無難な方法ですわね。独創性がないから却下」
情報収集に独創性は必要ないと思った僕は異常なのだろうか。
「……もう一つは衛兵たちの動きを観察して、先回りすること。僕としてはこっちをお勧めするね」
安全だし、素人が玄人を出し抜けるはずがない。ロゼを上手く扱うための方便だ。
「そんな手柄を横取りしようという考えは良くありませんわ。却下」
いや、犯人を僕たちの手で捕まえようとしている時点で、手柄を横取りしようとしていると言われても仕方ないと思うんだけど。
「……他にはないよ。両方とも嫌なら諦めたら?」
無理やり衛兵の口を割らせると言った荒業もあるのだが、それは犯罪だ。
「……むぅ、仕方ありませんわね。最初の方法を採用しますわ。感謝することね」
「ねえ、帰って良い? 帰ってレポート作成の続きやって良い? 良いよね?」
ついさっきの僕よ。どうして彼女を手助けしようなんて思ってしまった。
「当然却下。人の命がかかっているんですわよ。レポートなんて後でもできるでしょう」
いや、今回のレポート出さないと僕の学院生命が終わりそうなんだけど。
「ほら、方針が決まったんですから、急ぎますわよ。会計、よろしくお願いしますね」
ロゼは言いたいことを言ってサッサと立ち上がり、店を出てしまう。すると当然、会計を済ませるのは僕の役目となってしまう。
あのアマ……僕より金持ちのくせして、妙な部分でちゃっかりしてる……。
頭の中でロゼをボコボコにする妄想をしながら、僕は会計を済ませてロゼの後を追った。
ああ……また命がけの修羅場か、と諦観の念を抱きながらではあるが。