一部 第二十八話
アリアの合図と同時に、僕の周囲にいた兵士たちが一斉に飛びかかってくる。狙いは当然僕。
「《身体強化》!」
それを読んでいた僕は一瞬だけ体を強化して、生身の人間には視認できない速度で包囲網を突破する。
「え、消えた!?」
「僕は魔導士だよ! 魔法を使わないとでも思った?」
ふふん、と小馬鹿にしたような笑いを見せ、挑発をしてから強化を解いて駆け出す。
「くっ、追え! 奴さえ潰せばアリア様の勝利は揺るがん!」
そりゃそうだけどさ。最初から僕が狙いだったのかよ。
「こりゃ、意地でも捕まってやれないね……!」
走る速度を上げながら、僕は後ろに迫ってきている兵士の数を数えた。
最初に飛びかかってきたのは四人ちょうど。そして現在、僕を追いかけているのは六人ほど。あの場にいたのは確認できる限り十五人前後だ。
おそらく、ここにいない残りの人たちはロゼを探しに行っているはずだ。僕一人のために半数近く人数を割くとは思わなかった。彼女の本気ぶりが透けて見えるものだ。
だが、僕も負けられない理由がある。悪いが、兵士たちにはしばらく眠っていてもらおう。
「……シッ!」
疲弊した姿を装って走る速度をゆっくり落とし、それに追いついてきた兵士たちに体を回す勢いを利用した回し蹴りを放つ。
「ぬっ!?」
今回、兵士たちは鎧を着ていない。当たり前だ。特定個人を追いかけるのに重い鎧なんて邪魔になるだけだ。
それをわかっているからこそ僕は足の保護を考えないで蹴りを放つことができる。そしてそれは二人の兵士を薙ぎ払うことができた。
「っとと……」
二人分の体重が足にかかったため少し体勢を崩すが、残った四人に追いつかれる前に立て直して再び走り出す。
「こりゃマズイな……」
逃げながらチマチマとダメージを与えているだけでは、全然決定打にならない。先ほど蹴りを受けた二人だって、もう立ち上がって追いかける側に戻っている。
彼らを叩きふせて発煙筒を奪うには各個撃破を狙うしかないのだが、土地鑑のない僕では一人ずつおびき出すなんて器用な真似ができない。
「………………よし!」
方針変更だ。とりあえず彼らを完璧に撒いて、それから各個人を探し出して倒す。これでいこう。
後方確認して追っ手との距離がまだ離れていることを確認する。次の曲がり角で勝負だ。
「《身体強化》!」
さっきよりも格段に魔力を込めた強化魔法で体を一気に強化する。強化された脚力を使って思いっきり壁に向かって跳躍した。
「なっ!? あんなことまでできるのか!?」
「というか普通の魔導士なら《飛翔》使うんじゃないか?」
兵士の一人が何やら耳に痛いことを言っているが、概ね僕の行動に驚いているようだ。
壁に激突する寸前で体を捻り、足でぶつかる衝撃を和らげつつ、曲げた膝に力を溜める。
「よっと!」
そしてもう一度跳躍。壁蹴りを連続で行って建物の屋上部分まで到達する。
うん、ここからなら景色が良いし、何より下から追いかけられる心配がない。
次に《身体強化》の魔力を視力と聴力に回す。もちろん、魔力配分はかなり減らした。
一応、兵士たちも互いの見分けが付くように私服は着ていない。おかげで僕の目でも見れば理解できる。
「あとはロゼを探しつつ兵を各個撃破! 前者の確率が途方もなく低いけどやるしかない!」
金髪なんて割と大勢いるのだ。僕や兄さんみたいな黒系の髪色の方が珍しいくらいだ。
確かにロゼは美人だ。それは認める。でもこの高さから人の顔なんてそうそうわかるもんじゃない。
「……なんて言ってる間に見つけた!」
鎧の下に着る、鎖帷子もついた軽装を着ている兵士が一人で探し回っていた。
僕は壁を地面に見立てて垂直に落下する。
「《風撃》」
着地する寸前に風を出し衝撃を軽減すると同時、兵士の延髄部分を狙って手刀を繰り出す。
「え!? な……」
兵士は手刀を受ける直前で気付いたようだが、突然のことに驚いたのか、何の反撃もしないで崩れ落ちた。
「良い反応だよ。でも、少し経験が足りない」
兵士になるのはどこの国でも難しいことだ。特に私兵などは要求される能力も国直属の兵士になるより難しい場合が多い。国に守ってもらうだけでは不安だから私兵を雇うのであって、その私兵が国の兵より弱かったら話にならない。
……もちろん、精鋭部隊クラスには勝てないだろうが。諸々の理由で一度だけ対峙したことがあるのだが、あれは僕でもバケモノだと思った。人間の皮被ったドラゴンだと言われても驚かないぞ。
それはさておき、この人たちはよく訓練されている。うん、きっとその辺の盗賊では五人集まっても勝てないだろう。
だが、哀しいかな。彼らには致命的に経験がかけていた。
動きが綺麗過ぎるのだ。まるで教本からそのまま抜き出したかのよう。
そんな動きでは高所から強襲を仕掛けてきた相手の対応などできるはずがない。
「……つまり、戦う必要もないくらいこの街は平和ってことだよね」
悪いことではない。素晴らしいことだ。だが、僕を相手にするには少しばかり足りない。
気絶した兵から発煙筒を奪い取り、適当な水場に浸してしまう。これで中の火薬が湿気って使えなくなるはずだ。
「この調子で頑張るか」
一応、気絶した兵士は見つかりやすい場所に置いておく。どこが危険な裏道でどこが安全な裏道かわからないため、とりあえずこうしておけば命まで取られることはないだろう。
再度強化魔法を施し、家々の屋上に登る。人数、土地鑑、どれを取っても負けているのだ。せめてこれぐらいの真似は許してほしい。
僕はロゼを探す片手間に兵士たちを探しながら、屋上を駆け抜けた。
「これで六人目……っと!」
兵士の後頭部に打撃を食らわせて脳天を揺らす。身動きの取れなくなった兵士の懐から発煙筒を奪い取って水に浸す。
さすがに三人目あたりから僕の行動が見抜かれて警戒され始めたのだが、それをかいくぐって各個撃破するなど造作もない。
向こう側としては襲われる危険を減らすために複数で固まって行動したいのだろうが、ロゼを探すには大勢でバラバラになった方が効率が良い。そして指揮官であるアリアは多少の危険を冒してでもロゼを探すことを優先したのだろう。
……それにしても見上げた忠誠心だ。僕だったらサボるぞ。
そしてすでに日は高く昇っているのに、ロゼが見つかる気配は一向にない。
どちらかが見つけるかはどう考えても向こう側なのだが、見つけたら発煙筒を使う手はずになっている。アリアの言っていた金色の煙が見えない以上、まだ捕まえることができないのだろう。
……ロゼ、意外と隠れるの得意なんだね。
「困ったなあ……。まさか室内に隠れたとかはないだろうけど……」
いくら彼女でも見ず知らずの人の家に隠れるなんて真似はしないはずだ。やるとしたら最初に何とか撒いてから自分の家に――
「あれ?」
もしかしてとんでもない見落としをしていた?
そういえば僕はロゼの家を探してはいない。アリアもきっと探してないはずだ。
「うわ……とんでもないバカじゃないか。僕」
ロゼに鈍感とか言われるはずだ。そういえば兄さんたちにも『難しく考え過ぎて当たり前のことに気が向かない』とか言われたことがある。
あまりにバカバカしい思い違いをしていた自分を恥じ、僕はロゼの家に向かって駆け出した。当然、アリアに見つからないよう体を低くして。
到着した時、そこには重苦しい鎧を着たクーベルチュール家の門番たちが立っていた。そして周囲にアリアおよびアリアの兵士の姿はない。
「ん? 君は……」
門番の人が僕の姿に気付いて声をかけてくる。僕は会釈をして口を開いた。
「あの、事情は聞いてますか?」
「ああ……。あれね。君も苦労するなあ……」
事情は知っているらしく、門番はひどく憐れむような目で僕を見る。だったら助けてくれと思うのは僕が図々しいからだろうか。
「ちょっとロゼがここにいるかもしれないので、入らせてください」
「え? ロゼ様がここに? 私たちは見ていないが……、まあいいだろう。何か手がかりがあるかもしれないしな」
僕のお願いに門番は怪訝な表情を見せたが、すぐに気を取り直して門を開けてくれた。良い人だ。
「ありがとうございます!」
何も聞かずに開けてくれた門番にお礼を言ってから、急いで中に駆け込む。先ほどのやり取りがアリアたちに見られなかったとは限らない。
屋敷の中に入ってから、ロゼの部屋を目指す。無論、どこにあるかなんて知らない。だが、特に何も羽織らずにテラスに出られるのだから、テラス付近の部屋を捜せば見つかるだろう。
そう考えて僕は真っ先にテラスに出る。幸い、誰かがお茶をしているとかはなかった。
「ここからロゼの部屋を探すには……ん?」
僕が気合いを入れてどんな部屋でも開けて回る覚悟を決めていると、僕が昨日と一昨日寝床に使ったテーブルの上に小さな紙が置いてあるのを見つけた。
「これは……」
手に取って眺めてみると、手紙であることがわかった。そこには丁寧な文字で簡潔に一言、
『あの場所で』
と書いてあった。
「……ヤバいな」
ロゼなりの暗号であることは一目でわかった。だが、これが置かれたのはいつだろう?
答えは始まってすぐだ。おそらく、僕とアリアが各々の準備時間として与えられた三十分の間ではないだろうか。
最初は慌てて走ってしまったが、聡明なロゼがそのまま走り続けるわけがない。すぐに冷静になった彼女は、僕が一度ここに戻ることを見越してこの紙を置いたに違いない。
置かれてから何時間が経つのだろう? 問題はそこだ。
軽く見積もっても三時間は経っているはずだ。つまり、それだけの間ロゼを待たせてしまっている計算になる。
「急がないと……!」
律儀な性格の彼女のことだ。きっと待ち続けていることだろう。さすがに三時間以上も遅刻している状態でのんびりなどできない。
「《身体強化》!」
今日最大の魔力を込めた強化を行い、僕はテラスから身を投げ出した。
着地してすぐに走り出そうとしたところ、目の前にアリアの兵士たちがズラリと並び、中央にアリアが立って僕の邪魔をしていた。
「やはりあの手紙はあなた宛でしたか……。これから、どちらへ行くのです?」
やられた。アリアはロゼの手紙に気付いて僕を泳がせていたのだ。僕とロゼしか知らない場所へ案内してもらうために。
「逃げても無駄です。地の果てまでもあなたを追いかけて、ロゼ様にたどり着いて見せます」
僕は彼女たちの追っ手を撒くことはほぼ不可能であると判断し、別の方法を取ることにした。それは――
「邪魔をするなら……、気絶してもらうよ。今はさすがに手加減ができそうにない」
武力による排除だ。
「……あなたのような殿方がそのような強硬手段に出るのは予想外でしたが……、私も負けるわけにはいきません。お覚悟を!」
アリアがそう言うと同時、兵士たちの気迫が強くなる。
爆発寸前の緊張の中で誰もが機会を狙って微動だにしない。否、できない。
「……捕らえなさい!」
そんな中、アリアの声だけが高らかに響き渡り、戦いの火蓋を切って落とした。