一部 第二十四話
「体の関節が痛い……」
翌朝、僕は軋みを上げる肩や腰に手を当てて回しながら、朝日が昇るのを眺めていた。
「おっ、綺麗な朝日だ」
日の出と同時に噴水も再び水を出し始め、日の光を浴びて燦々と輝いている。
「良い景色だな……」
ひょっとしたらジークフリートさん夫妻はこの景色が見たいがために、こんな高い場所に家を建てたのではないかと思ってしまうほどだ。
「時間は……と」
日の出が眺められたことから、まだ街の住人が起き始める時間よりも早いはずだ。きっと使用人の人たちもまだ眠っている時間だろう。
「部屋に戻るか……」
ソファーに座るだけでもビクビクものだけど、それに関しては仕方のないことだと思って割り切ろう。
「おはよう。エクセ。よく眠れましたか?」
部屋に戻り、水差しから水を飲んでいるとロゼが入ってきた。昨日の寝間着ではなく、見慣れた魔法学院の制服姿だった。
「……って何で学院の制服着てんのさ。今日がお見合いの日なんでしょ。もっと良い服があったんじゃないの?」
「それが……、向こうの意思でして。何でも『制服姿の凛々しいロゼ様が見たいです……ハァハァ』とか言われたらしいですわ」
脇目もふらずに逃げ出すことを三秒ほど本気で考えた。それとなぜ息遣いまで伝言に含まれているのだろうか、小一時間は問い詰めたい気分だ。
「……そうなんだ」
さすがの僕も口元が引きつるのを抑えられない。ヤバい、そこまで真性の人間と相対するのは初めてだ……!
そしてロゼはこの状況に危機感を抱いてはいないのだろうか。これはもしかしなくても相当の危機だ。命にこそ関わらないが、命とは別方向に大切な何かが危ないぞ。
「ええ、まったく……。わたくしの貞操はどうなるんですの……?」
前言撤回。どうやら彼女なりに危機感は抱いている様子。むしろ当事者だけあって僕より切実に悩んでいる気がする。
「……期待してますわよ。というかわたくしの頼みの綱はあなただけです! どうかお助けください!」
「お、落ち着いて! わかってるから!」
ここまで錯乱するロゼが見られるなど、一生に一度あるかないかだろう。
それにしたって彼女も相当追い詰められているみたいだ。誇り高いロゼがなりふり構わず頭を下げてくる光景など、半年前までは予想もできなかった。
「本当ですわね! もしこれに失敗したらわたくしは舌を噛みますからそのつもりで挑んでくださいまし!」
「わかったわかった! 全力を尽くすよ!」
ロゼに肩を掴まれ、ガックンガックン揺さぶられながら僕は何とか答える。その様子をロゼは不安そうに瞳を揺らがせながら見つめるが、やがてため息をついて視線をそらした。
「ふぅ……、エクセル」
だが、未だに落ち着いているとは言い難い様子だ。というか無表情かつ平淡な声で名前を呼ばないで欲しい。先程までの鬼気迫った表情より怖いから。
「な、なに……?」
「わたくしは女です」
「は、はぁ……」
いきなり始まったロゼの言葉に、僕は訳がわからないなりにうなずく。まだ混乱状態が続いているのか?
「女というのは古来から男を求めるようにできています。でなければ今日まで人類は繁栄しません」
「ろ、ロゼさん……?」
話の飛び方が半端じゃない。これは本格的にダメかも。いざという時のために守り刀に手をかけておこう。
「つまり、わたくしに求婚をしてきた女はわたくしに男らしさを見出した、ということになります」
「そ、そうなりますね……」
思わず敬語になってしまうほど、ロゼの言葉は場にそぐわなかった。しかも話の仕方から判断するに、これはまだ前振りっぽい。
「ですが、わたくしは至って平常な女であることを自負しております。ゆえに、人並みにわたくしも男性が気になるのです」
「そうなんですか……。じゃあ、今回のことは災難でしたね……」
ロゼが何を言いたいのかさっぱり理解できない。話が遠回し過ぎる。もう少しハッキリ言ってほしい。
「ですからっ! ……エクセが失敗したら、わたくしと一緒に死んでもらいますわよ」
「何でっ!? どこからその結論に飛んだの!?」
思わず悲鳴のような突っ込みを入れるが、ロゼが耳を貸す様子はない。ギラギラした瞳で僕を見据えているその様子は誰がどう見ても本気だった。
「……冗談、じゃない?」
僕自身としても冗談であることを望んでいたのだが、返答は黙って首肯のみ。
……おかしいな。ちょっとした厄介事に巻き込まれただけだと思ってたのに、いつの間にか命がけになっている。
僕は深い深い、海よりも深いため息をついて全てを諦め、受け入れる覚悟を決めた。
朝食は可能な限り全員で取るのがクーベルチュール家の決まりらしく、一家全員が食堂に集まっていた。
上座には当然家長であるジークフリートさん。そしてその右側には奥方であるテレサさん。テレサさんの向かい側にロゼ。
そして僕はジークフリートさんの対面に座っていた。つまり下座である。
ある意味招かれざる客人というべき存在なので、この扱いに文句を言うつもりはない。そもそも、上座とか下座の決まりがあるかどうかも怪しい街だし。
別に悪い意味ではない。価値観の違いは隣同士の村の間でさえ起こりうることだ。文化の違いがあったって驚きはしない。
給仕の人がしずしずと朝食を運んでくる。ふかふかのパンに具沢山のスープ。そして色とりどりのジャムが添えられていた。
これだけ見ても、一般人からすれば相当に豪華な朝食である。ただ、僕個人の感想としては家の規模に反して地味な朝食だと思ってしまった。おそらく、朝はあまり食べない家なのだろう。
「美味しいかね、エクセル君」
パクパクと夢中になりながらパンを貪る僕に、ジークフリートさんがやや辟易した顔で聞いてくる。僕の食べっぷりを見て胃もたれしてしまったのだろうか。
「あ、はい。とても美味しいです」
ちなみに僕の朝食はだいたいパン一枚にジャムがつけばご馳走だ。貧乏? これが人間の普通でしょ?
「それにしてもよく食べますわね。エクセは意外と健啖ですのね」
「まあ、何をするにしても体が資本だし。体を動かす時とかは特に多く食べるよ」
人間は食わねば力が出ないのだ。旅人の時だってなるべく三食取るように心がけるのは基本だ。戦闘に負けた際の言い訳が食事を抜いて力が出ませんでした、なんて情けないにもほどがある。
「でも今日は特に運動する予定もありませんし……太りますわよ?」
「大丈夫。あんま肉にならない性質だから」
僕としては困ってるんだけどね。筋肉もなかなかつかないから、必然的に重過ぎる武器は使えなくなる。
「……世の女性に謝りなさいっ! あなたの体質がどれほど羨ましいか……!」
「うん、幼馴染にも言われた」
ニーナにもさんざん愚痴られたものである。しかもニーナは突っ込みにさえ隠密からの強襲を仕掛けてくるため、言葉だけよりもよほど辛かった。
ロゼの妬みの視線を涼やかに受け流していると、別方向からの視線を感じるようになった。特に殺意やらを感じるわけではないのだが、なんとなく気になってその方向に視線を向ける。
「……あの、テレサさん?」
「あら、何かしら?」
僕の声にテレサさんはニコニコと変わらない笑みを向けてくる。だが騙されない。先ほどまで、彼女の周囲に黒い気配がしたのを僕は知っている。
「……ん? 何か言いたいことでもあるの? 言ってみなさいな」
テレサさんから発せられる圧力に押し潰されそうな僕がいる。この場で思ったことを口にしたら僕の人生終わるぞ。自重しろ。
「……いえ、お若いなと思いまして」
何でもない、と言おうと思ったのだが、さすがに他人をジロジロ見つめてそれは相手に良い思いをさせないだろう。そう考えて、適当な褒め言葉を言ってその場を逃れることにした。
「あら、お上手なのね、エクセル君は」
僕のお世辞にテレサさんはまんざらでもなさそうな顔をする。その場しのぎの適当な言葉は功を奏したようだ。
「……ほぅ? 私の妻に手を出すつもりか?」
「……あなた、年上の女性が好きだったんですの? しかも親子ほど歳が離れている人が……? へぇ……」
しかし、同時にジークフリートさんとロゼの怒りを買ってしまったようだ。一勝二敗のため、僕は自分の行動は失敗だったと思い知らされた。
「えっとですね……」
この後どうすれば二人の追求を逃れられるか、僕は全力で頭を回転させながらパンを食べ続けた。
「あぁ……とうとうこの時が来てしまいましたのね」
非常に憂鬱そうなため息をこぼすのは当然のごとくロゼだ。
朝食を終えたあと、僕たちは応接間に移動してこれからやって来るであろうお見合い相手を待っていた。
ちなみに僕の服は結局魔法学院の制服のままだ。
今までの事情をまとめておくと、ロゼの両親はお見合い相手との結婚を望んでいる。
そしてそれを拒んだのがロゼで、そのために連れてこられたのが僕だ。つまり、僕は間男のようなものなのだ。横から割り込んでロゼは渡さないとわめいているだけに過ぎない。
しかし、ロゼからすれば結婚は一生の大事。見ず知らずの人と結ばれるのは名家に生まれた宿命として受け入れるらしいが、同姓との結婚は死んでも嫌なようだ。
……まあ、僕でも男と結婚しろと言われたら舌を噛み切って死ぬだろうから、ロゼの気持ちはわからないでもない。
「まあまあ……。ロゼだって、ここまで来たんだから何か策はあるんでしょ? 期待してるからね」
「………………あ」
え? なに? その『まったく考えてませんでしたわ』みたいな顔は? え? 僕をここまで巻き込んでおきながら無策とかないよね?
「……いざという時、あなたはわたくしを助けてくれますか?」
今がそのいざという時な気がするのは僕だけだろうか。そしてそんな勇者の助けを求めるようなお姫様の目で僕を見るんじゃない。
「はぁ……」
まさかとは思ったが、一番外れていてほしかった予想が当たってしまった。きっとロゼは切羽詰った末に何も考えないで僕を拉致ったのだろう。
「も、申し訳ありませんわ……。正直、考えておりませんでしたの……」
「……いや、ロゼの突拍子もない行動には慣れてるから大丈夫だよ。僕だってこの半年間で学ばなかったことがないわけでもないし」
とは言っても、さすがに同姓との結婚を阻止してくれなんて頼みごとへの対策は考えてないが。いや、誰だってそんなの予想できないでしょ。
「まあ、今回ばかりはね……。さすがに手伝うよ」
もし僕が男との結婚を強制的にさせられそうになったら、恥も外聞もかなぐり捨てて土下座する。そう考えるとロゼを笑えない。
「恩に着ます。もう本っ当に恩に着ますわ。あなたとなら本当に結婚しても良いくらい嬉しいですわ」
そこまで大げさに言わなくても良いと思う。というか、僕との結婚なんてジークフリートさんが許してくれるのか甚だ疑問だ。
「はいはい……っと、そろそろ来るみたいだよ」
大勢の足音がこちらに近づいてきているのがわかる。僕とロゼはお互いに顔を見合わせ、少しだけ距離を取った。
僕たちが距離を取るとすぐにドアが開かれ、中から今日のお見合い相手が姿を表した。