一部 第二十一話
賢者事件から一月半が経過した。
季節は夏真っ盛り。世間で言うところの夏季休暇が始まる季節である。
僕やロゼみたいな学生はその例に漏れず、夏季休暇を与えられた。それと同時に課題も当然与えられる。
「休みかあ……。ロゼはどうするの?」
「変わりはありませんわ。課題をやりながら魔法の訓練漬けでしょうね」
ストイックな休みだな、と僕は呆れ半分尊敬半分の気持ちでロゼを見る。生徒の七割近くは実家へ帰郷するというのに。
「エクセこそ、夏休みはどう過ごすのです。あなただって実家には帰らない人でしょう?」
帰らないというより帰れないんだけどね。もう滅んでるし。
「まあね。僕も大してロゼと変わらないよ。自室で課題やって、図書館で魔法覚えて、ディアナと稽古。これの繰り返し」
ううむ、こうして言葉にしてみると僕もロゼをストイックとは言えない生活だ。
「あら、アルバイトはどうなるのです? あなた、いつも貧困に喘いでいるではありませんか」
「その言い方は正直どうかと思うけど……。休み中は食堂も閉まってるんだよ。だから別のところでバイトを探すしかないね」
去年も通った道だから、どんなバイトをすればこの休みを切り抜けられるかもわかっている。
「では、どんなことをして稼ぐつもりで?」
「鉱石採集。夏の時期の鉱石採集は命がけになりやすいからね。やる人が少ない分、給料も良い」
僕だって可能なら楽して稼げる仕事をしたい。だが、僕の財政はそれを許してくれないのだ。悲しきかな、貧乏。
「ということは……鍛冶屋ですわね。ギル爺のところですか?」
「ご名答。ギル爺なら僕のクリスタルも使ってくれるしね。おまけになんだかんだ言って気前良いし」
その代わり、他の鍛冶屋とは比較にならないくらい要求する鉱石のレベルが高い。鉄鉱石一つ取っても純度がかなり高いやつしか使わないのだ。
「そういえば……ディアナも居残り組なんですの? 先ほどは聞き流してしまいましたが」
「ああ、ロゼは知らなかったね。ディアナの故郷はここだよ。だから魔闘士になるなんて言ってるわけ」
ディアナも実家には帰るが、すぐに戻ってくるはずだ。普段からちょくちょく顔を見せているようだし、今回も軽く顔を見せるだけだろう。
「なるほど……。それは盲点でしたわ。この街に元から住んでいる人だっていますものね」
「そういうこと。ちなみにガウスは実家に帰るみたい」
何でも向こうから呼び出されたとか。呼び出しがなければ帰る気なかったのか、とは僕の内心。
「この中で一人だけ帰るというのもなんだか不思議な気分ですわね。わたくしたちは帰らないというのに」
「まあまあ、それぞれに事情があるんだし、気にしたってしょうがないよ。それに僕もガウスに課題見せてくれ、なんて頼まれないしね。悠々自適に二人部屋を占領できる」
僕の言葉にロゼは苦笑を見せた。しょうがない子、のような暖かな眼差しで。
……ひょっとして、子ども扱いされてる?
こうして、僕たちの夏季休暇が始まった。
始まった、のだが……。
「ねえ……、何で僕まで一緒に行かなきゃならないわけ」
夏季休暇三日目でロゼに捕まり、向こうの事情に付き合わされる羽目になってしまった。
「そ、それは……」
しかも僕が内容を問いただすたびに口ごもり、ハッキリとした返事が来ない。僕が相手じゃなかったら帰ってるぞ。
「しかも転移門まで使って。ロゼ、そんなに急な何かがあったの?」
転移門というのは最新鋭魔法技術で作られた転送装置である。これを使えば、転移門同士の間ならすぐに移動できるという優れものだ。
ただし、最新鋭技術だけあって一回の使用にものすごくお金がかかる。そのため、使えるのはもっぱら上流階級の人間だけだ。
……僕には一生縁のない代物だと思ってたんだけどなあ。
その転移門を使うことから、ロゼの故郷はとんでもない遠くにあるのか、はたまた緊急を要する理由なのか、など色々な理由が考えられるのだが、どれも僕を連れて行く理由にはなり得ない。
「うぅ……。と、とにかくついて来てください! お礼なら向こうでいくらでもします!」
「待って。お礼が必要なことに僕を巻き込むつもり?」
ここで言うお礼は、僕がロゼに現在進行形で降りかかっている何かを振り払うことで与えられるものだろう。
「うぅぅ……」
僕の突っ込みにロゼは力なくうなだれ、そしていきなり頭を下げてきた。
「お願いします! わたくしを助けると思って、今は何も言わずについて来てください!」
「え……えぇ!?」
ロゼが頭を下げるという事実にさすがの僕も驚きを隠せない。というより、誇り高い彼女にそこまでやらせるほどの何が彼女の故郷にはあるのだろう。
「……ねえ、本当に何があったの? 悩みがあるなら聞くよ」
ロゼのこのような姿を見てはもう嫌がってる場合じゃない。心配になった僕はロゼの顔を覗き込みながら、優しく声をかける。
「…………あなたの心遣いを無駄にして本当に申し訳ないと思っております。ですが! ですが今だけは! 何も聞かないでくださいまし……!」
いや、本当に何なの? いつも余裕綽々のロゼがそこまで追い詰められる事態って何なの?
果てしない不安に襲われながらも、僕はいい加減腹をくくり、ロゼの肩を叩いた。
「ほら、行くよ。事情なら後で説明してくれればいいから」
「……本当に? 本当について来てくれるのですか?」
ロゼ自身、無茶を言っている自覚はあったのだろう。僕が了承したことに信じられないような瞳を向けてきた。
「ロゼがそこまでヤバいと思うような事態にも興味はあるし……。何より、本当に困っているようなら助けてあげたいしね」
たとえロゼが何度も僕に厄介事を持ってきて、散々な目に遭っているとしてもだ。第一、彼女は別に厄介事を持ってきているわけではない。単純に誘ってきていることに対し、僕が乗るとなぜか凶悪なモンスターがいるのだ。僕とロゼ、二人揃って初めて起こりうる運の悪さだ。
……いや、威張れないよね。
とにもかくも、僕は友人だと思っている人が困っているのを見捨てられるほど人間はできていないのだ。
「ありがとう……、ありがとう、エクセ!」
僕の言葉に感極まったのか、ロゼは目に涙をためながら僕にお礼を言ってくる。まだ何もやってないんだから、そこまで言う必要はないのに。
……というか、ロゼが情緒不安定になるような事件って本当に何なんだろう。
僕はこれから先に一抹の不安を抱きながら、緑色の淡い光を放つ転移門に足を乗せる。
一度瞬きをして、目を開いたらすでにそこは見慣れたティアマトではなくなっていた。
「……ここは?」
辺りを見回すものの、景色に見覚えがない。わからなくなった僕は隣にいるロゼに聞いてみる。
「水の都オデッセイですわ。大陸で言えばイリア大陸にあたりますわね」
「うわ、海一つ渡った向こう側じゃないか」
ちなみにティアマトのある大陸はプレス大陸と言って、地上最大の大陸だ。僕の故郷もプレス大陸にあるし、五年間の旅でも大陸より外に行ったことはない。
「やっぱり世界は広いなあ……。こんな綺麗な街があるなんて、思いもしなかった」
水の都と言うだけあって、そこかしこに噴水が見受けられる。それぞれの噴水から出てくる水が弧を描いて虹を作り、さらに太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
転移門のある場所からわかるのはこの街が山形に作られており、一番上の方から水が滝のように流れ落ちていることくらいだ。
そして一番上の建物が素人目でも豪華に作られているため、あの辺りが王族、あるいは貴族の住む場所なのだろう。
「わたくしの故郷ですわ。当然でしょう? ……まあ、ここまで連れて来てしまった以上、わたくしの用事が済んだら案内ぐらいしても構わなくてよ」
「本当? ありがとう!」
ここの観光はきっと楽しいものになるだろう。それだけでもロゼに付き合ってこの街に来た甲斐があるというものだ。
「ええ、それくらいならお安いご用ですわ。それにエクセが来てくれたのですから、すでに怖いものなしですわ」
「いや、僕でもできないことはたくさんあるから。ロゼの悩みだって解決できるかどうかはわからないよ」
むしろ僕にはできないことの方が多い。戦闘に関してはそれなりの実力者だと自負しているけど、戦闘以外の日常生活の面ではロゼの方が優れているくらいだ。
「大丈夫ですわ」
そんな僕の懸念をロゼはまるで気にせず、こちらに笑いかけてきた。
「エクセはきっと、全力を尽くして何とかしようとしてくれますから」
「……いや、それはそうだけどさ」
押し付けられたにせよ、涙ながらに懇願されたにせよ、引き受けることを決断するのは僕だ。僕自身が考えて決めた以上、最後までやり抜くのが筋だろう。
「ですから、大丈夫ですわ。あなたはわたくしと知り合った時からそう。誰かのために全力を尽くせる人ですわ」
「えっと、そこまで大層なものじゃ……」
というか、ロゼにここまで褒められたことなんて前代未聞だぞ。逆に何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうほどだ。
「……ほら! わたくしの家に案内しますから、行きましょう!」
僕が照れ臭いやら怪しいやらで、頬を掻きながら視線を辺りに投げかけていると、ロゼが手を叩いて僕を現実に引き戻した。
「あ、ロゼ! 待ってったら!」
スキップでもしているような軽やかな足取りで歩き始めたロゼの後を追いかける。ティアマトと同じ石造りの地面が足に固い感触を与えてきた。
「チクショウ! 上流階級が見下しやがって!」
「わたくしの家に到着早々そのセリフは何ですの!?」
ロゼの後ろをついて行くこと十五分ほど。ひたすら坂を上っていい加減疲れ始めた頃にロゼの家は見えてきた。
……いや、視界には転移門の場所からもすでに見えていた。だが、僕はそれを認めたくなかった。
しかし、今こうして立つことで僕の認めたくなかった幻想は崩れ去ってしまった。
「そりゃ、ロゼは名字持ちだから予想はしていたよ? でもここまではさすがに……」
以前話したように、名字持ちの人は名家の場合が多い。ロゼもその例にもれず、彼女はオデッセイでもかなりの権力を持つ貴族の娘だと言っていた。
噴水が四つも見つけられる広大な庭に、お城並の大きさを誇る高級感あふれる館。そして門の前に立っている重装備に身を固めた警備兵。
「うーん……。僕も色々な街や国を巡ったから、お金持ちの家を見たことがないわけじゃないんだけど……、これは桁外れだよ」
「そうですか? ……まあ、わたくしも寮生活が長いですからね。確かにこの家は少々広過ぎるように感じますわ」
少々どころじゃないだろ。僕一人だったら、こんな家恐れ多くて入れないよ。
……つくづく僕って庶民根性染みついてるな。
「それはさておき、そろそろ行きますわよ」
「も、もうちょっと待って! まだ心の準備が……」
こんな大きな家に入ることは僕の人生経験上初めてだ。そのため、心臓の鼓動は先ほどから恐ろしく早鐘を打っている。
「まったく……ほら、シャキッとなさい!」
「無理! 僕のノミの心臓じゃこんな家に入るの無理!」
何か粗相をしてしまわないだろうか。もし下手なことをしたら打ち首とかないだろうか、と脳内で際限なく不安が膨らんでいく。
そんな僕に業を煮やしたのだろう。僕の背中をロゼが押し始め、さっさと門を開いてしまった。
「ああもうっ! いい加減にしなさい!」
「……うん、わかった。ここまで来たんだから、覚悟を決めるよ」
さすがにここまで来てしまったのだ。今さらゴチャゴチャ言っても仕方ない。ならば、覚悟を決めて行ってしまうべきだろう。
僕は死地に足を踏み入れる気分で、ロゼの家へ歩を進めた。