一部 第十八話
僕が街中を歩いていると、ちょうど目を付けていた犯人が僕の視界を横切る。
「……え?」
横切った後、僕自身も信じられないようにその方向を見てしまう。顔自体は徹底的に脳へ叩き込んでいたのだが、どう考えても今が奴の外出時間だとは思えなかったのだ。
「あの人、研究者だろ……。なんでこんな時間に……」
研究者というのは基本的に昼も夜もない人種だ。だから昼も真っ盛りのこの時間に出ることはおかしくないのかもしれない。
とにかく、調べ上げた行動パターンと違う行動を取っているのだ。何かある可能性が高い。
「《透明化》が使えたらなあ……」
風属性の中級魔法だ。効果は光を遮断する風を纏って周囲の目から隠れる。
ただし、光を遮断する風の移動速度には限度があるので激しく動くと姿が見えてしまうし、内側から魔法を使うと風が弾け飛んでしまう。意外と繊細な魔法なのだ。
そして当然僕は使えない。繊細な魔力制御が必要な魔法を大雑把な魔力制御しかできない僕が扱えるはずがない。
……自分で言ってて泣きたくなる。戦術級魔法だの、究極魔法だの、あんな使いどころに困る魔法よりも汎用性の高い魔法が覚えたかった。
「言ってても始まらないんだけどね……」
何はともあれ、僕は奴を追わなければならない。これでも多少は隠密行動もできる。少なくともまともに戦闘したことすらない人間を欺くくらいはできるだろう。
僕は雑踏に紛れながら、犯人の後ろ姿をゆっくり追い始めた。
「……エクセが動き始めた」
エクセルの後ろでは先ほど追い返したはずの少女たちがいた。当然、目的は彼を追うためである。
「あら、本当ですわね。……追い掛けますわよ。ディアナ」
「委細承知」
ロゼとディアナは二人で寄り添いながら体をある種の風で覆っていた。
「《透明化》はさすがに使えませんが……、《風景迷彩》ぐらいならわたくしでもできますわ」
ロゼの言っている魔法は風属性の初級魔法で、効果としては自分の匂いや気配が周囲に届きにくくするという《透明化》の劣化版のようなものだ。
「……それでも私よりはマシ。私は攻撃系の魔法しか覚えてないから」
「いえいえ、わたくしも覚えているのは補助系ばかりですわ。……こんなことしてる場合ではありませんでしたわね」
お互いに謙遜し合っている間にエクセルの姿が動き出してしまう。ディアナがそれに気付き、慌ててロゼも続く。
「……あら? やはりエクセに魔法が使われた痕跡はありませんわね。でも、妙に見つけにくい?」
ロゼはエクセルの姿を目で追いながら、時々不思議そうに眼をこする。彼の姿が時おり見えなくなるのだ。
「……あれは動き方に特徴がある。おそらく、暗殺者か盗賊クラスの気配隠し」
「何でそんなものをエクセが持ってるんですの!? 彼は魔導士ですわよ!」
ほとんどの武器を扱える器用さや魔闘士であるディアナとも引けを取らない体術など、普通に魔導士をやっていたのではまず習得できないような技術をエクセルは多々持っている。そのことに対し、ロゼは悲鳴のような突っ込みを入れた。
「……わからない。でも、彼が旅していた間に何かあったのは確実」
「まあ戦闘技術は百歩譲っても良いとして、どうして隠密技術まで持ち合わせているのです!? 彼の仲間に盗賊でもいたのですか!?」
「………………」
「そこで黙らないでくださる! 本当にあり得そうですから!」
魔法による隠密はかかっているのだが、それでもにぎやかに騒ぐ二人の姿はやたらと目立っていた。
「後ろが妙にうるさいなあ……、何かあった?」
僕は後ろから聞こえてくる声に顔をしかめながら、前にいる犯人を追っていた。
この隠密はニーナから教わったものであり、彼女から見ても半人前の烙印が押されるほどの完成度の低さを誇る。誇れない内容だけど。
僕と兄さん、ニーナの三人で旅していた時、一番助けになったのは間違いなくニーナだ。家事全般をこなせるし、戦闘以外の雑事において役立つ技術を多く持っている。
兄さんは間違いなく剣の天才だ。剣技に関してなら、初見でほぼ見切ってしまうことができる。
僕は魔法の天才――いや、異端児である自覚はある。竜種と比べても別次元な魔力量にクリスタルを単独で生み出せる収束技能。断言したって良い。僕と同じ能力を持つ生物はこの世にいない。
そしてニーナは――隠密技能に対して特異な才能があった。
僕もニーナもただの村人だったはず。しかし、兄さんに連れられて始めた旅の生活で各々の才能が開花した。僕の場合は村人だった頃から片鱗はあったけど。
ニーナは索敵、隠密に関して十一歳の頃から兄さんすらしのぐレベルを身に付けていた。兄さんをして『隠密されて強襲仕掛けられたら勝ち目がない』と言わしめたほどだ。
というか、ニーナが本気で隠密を取り始めると目の前にいても認識ができなくなる。もはやあれは存在を消しているレベルだ。
それはさておいて、僕はそのニーナに少しだけ隠密の手ほどきを受けている。途中で匙を投げられたことなど三十回くらいあるが、それでも必死にかじりついて覚えた隠密だ。一般人程度なら見切られない自信がある。
「……にしても、あの人はどこまで向かうつもりなんだろう」
すでに外へ出る門の前だ。にもかかわらず、その足取りが止まる様子は見られない。
フィールドワークか? ということも考えたのだが、普通の魔導士が護衛もつけずに一人で外へ向かうなど信じがたい。
……まさか、もう僕の隠密がバレてる?
いや、確かに戦闘の玄人を欺くには足りないが、それでも研究ばかりしている魔導士を騙すくらいは造作もないはずだ。
……三年近くニーナにけなされながら必死こいて覚えたんだ。それぐらいできなきゃ落ち込む。
「うわ、本当に街の外に出た」
衛兵も怪訝そうな顔をしていたが、引き止めることなく犯人を通してしまう。
僕もそれに続こうとするが、僕の場合は衛兵が邪魔になる。
一度疑われて投獄一歩手前まで行った身だ。やすやすと通してくれるとは考えにくい。
「よ……っと」
そこで僕は拾った石を投げ、僕が抜ける門とは別の方向にある壁へぶつけて視線を一瞬だけそちらに向ける。わずかにできた空隙を逃さず、僕は門の向こうへ身を投げ出した。
「ふぅ……危ない危ない」
それにしてもわからないのは犯人の行動だ。高飛びするようには荷物が少なすぎるし、準備もまるでしている様子がない。
「考えても仕方のないこと、か……」
どうせ遠からず聞き出すつもりではあった。それがわずかに早まったと考えていいだろう。
僕は背中にある守り刀の感触を確かめる。今回もいつもと同じように後を追うだけだと思って杖は持ってきていない。
別に杖がなくても困らないんだけどね! オパールに仕込んだ燐光の魔法ぐらいしか用途ないし! オパールじゃ戦術級魔法とかできないし!
……言ってて空しくなってきた。これ以上は自分を傷つけるだけだからやめよう。
腰を低くして、草むらに紛れるように犯人の後ろ姿を追う。街の外であるここでは雑踏に隠れることもできない。
しばらく後ろで犯人の後を追っていると、規則正しく聞こえていた足音が唐突に聞こえなくなる。
「――っ」
何か来ると判断して、僕は付近の木陰に体を隠す。
すると、犯人の近くに寄ってくるいかつい顔をした壮年の男性がいた。
「……例の件はどうなった?」
壮年の男性は見た目に違わぬ低い声で問う。
それに対し、僕が犯人だと特定している中年の男性――ウォルタ・ビンヤードはやや興奮した口調で報告する。
「問題ありません。このまま行けば必ずやあの若造をこの街から追い出すことができます」
あの若造というのは十中八九僕を指すのだろう。
「そうか……。慎重に進めろ。魔法の特異点であるエクセルをアインス帝国に引き込むことには多大な利益がある」
……何だか情報がどんどん大がかりになっている気がしてならない。しかも中心点にいるのは間違いなく僕だ。
アインス帝国は機械文明が盛んな国で、魔法中心都市であるティアマトとはほぼ犬猿の仲状態。その国が何で僕を引き入れようとする?
「わかっておりますとも。奴の生み出すクリスタルを利用して、機械文明を一気に発展させる。完璧な計画ではありませんか!」
媚びへつらうようにへこへこするウォルタを見て、僕は言い知れない苛立ちを感じた。
あの人は水属性を極めた偉大な魔導士なのだ。『水の大賢者』という二つ名を持ち、大勢の魔導士からの尊敬と畏怖を集めている。僕も一魔導士として彼は尊敬していた。
その人が、僕の尊敬する人がたかが機械に頭を下げている光景が目障りで、一秒でも見ていたくない衝動に駆られる。
「ふふふ……その暁にはお前の功績を陛下に伝え、それ相応の地位を約束しよう」
「おお……! ありがとうございます!」
地位、だって?
僕は内臓の配置が入れ替わるような錯覚を感じてしまうほどの怒りを腹の奥に感じた。思考は灼熱し、目の前の人間に感情をぶちまけたい衝動が止めどなくあふれる。
そんなくだらないもののために、水属性魔導士の全てが憧れる存在であることを、やめる?
ふざけるな、と声を大にして言いたかった。その称号の偉大さがわかっていないのか? 『賢者』という称号は、魔導士の頂点に名を連ねるものしか持てないものなんだぞ。
「急ぐな。貴様の仕事はまだ終わっていないのだ。エクセルをこちらに引き込み、我らが繁栄の礎となってもらう。……失敗は許されんぞ」
「ははっ!」
何やら時代劇めいたやり取りが繰り広げられるが、僕はもう我慢の限界に達していた。
「そうなんですか。話は聞かせてもらいました」
だから、姿をさらす。
「な……っ! エクセル!」
「残念です。ウォルタ様は僕の尊敬する水属性魔導士でありましたが……。やはり僕の考えは間違っていなかった」
遺体は調査している間に一度だけ見たことがあり、それが僕の中で一つの事実と結び付いた。
「……な、なぜ私がやったと断言できる! あの事件に関して、私は何も知らんぞ!」
「……体内の血流操作」
ウォルタの体が強張る。やはり正解か。
「僕はこれをクリスタルを体内に作ることで疑似的に血流操作ができた。……でも、あなたほど人体に精通した魔導士なら不可能ではない。むしろ、簡単にこなせるはず」
水属性は癒しの属性。患部に適切な魔力を送り、緻密な魔力制御で傷を癒す。
逆に言えば、傷を癒せるのなら傷を広げることだって可能だ。
「そうやって死因を特定できないようにしたあなたは僕の作ったクリスタルを置いて、僕に疑いがいくようにした。最初はてっきり妬まれているものだとばかり思ってましたが……、まさかこんな理由だとは思いませんでしたよ」
死因や証拠がわからない事件で疑われるのはまず魔導士だ。そのため、魔導士絡みの事件では証拠とは言えないような小さな物でも確たる証拠として扱われることが多い。
そんな中で僕のクリスタルが殺人事件の現場という現場に落ちていてみろ。僕がどうなるかなど誰に目にも明らかだ。
「くそっ、そこまで見抜きやがったか! くそが! 俺の出世を邪魔するんじゃねえ! おい、あんた!」
僕が持論を語っていたら、突如ウォルタが先ほどまでの落ち着いた顔とはかけ離れた醜悪極まりない形相になり、壮年の男性を怒鳴るように呼んだ。
「わかっている。おい、お前ら! 奴を捕獲しろ! 腕の一本や二本は奪っても良いが、絶対に殺すな!」
男性の一声で辺りに黒いローブを纏った人間たちが現れる。それぞれの手には高速回転する刃が握られていた。あれだけの回転をするようなものが体に触れてみたら、人間の脆弱な体では切断されてしまうだろう。
そして相手の数も脅威だった。刃を持つ人間が八人ほど。そして水属性魔法の権威であるウォルタ。さらに壮年の男性がいる。
十対一なんて、いつもの僕ならいったん退いて体勢を立て直しながら各個撃破を狙うところだろう。
だが、今日の僕は非常に怒っていた。
「たかが十人程度の人数で僕に勝てると思うの……? 良い度胸だ。死にたい奴からかかってこい!」
そのため、僕の取った行動は守り刀を抜いて、周囲を挑発することだった。
僕の言葉が開戦の合図となり、一斉に飛びかかってくる男たち。僕はそれを迎撃しようと刀を構えて――
「……エクセ、無理し過ぎ」
後ろから割り込んできたディアナが男たちを吹き飛ばしていた。
「ディアナ!? どうして!?」
予期せぬ人物の乱入に目を見開いていると、後ろから肩を叩かれる。慌てて振り向いたところ、そこには非常に見慣れた人物がいた。
「ディアナだけではありませんわよ」
「ロゼ! ってことは……やっぱり僕の後を追ったな!」
一応、窓から出て追手対策はしたんだけど……。彼女たちの行動力を甘く見ていた、としか言えないか。
「当然でしょう。わたくしたちがあの程度で諦めるように見えまして? ……まあ、今の状況でそれは些事だと思いませんこと?」
ディアナは僕の隣に立って油断なく剣を構える。そしてロゼは僕たちの後ろに下がり、指輪に魔力を込め始める。今日は風属性と水属性の混成魔法媒体であるサファイアだ。
「……エクセ。怒るのはわかる。でも、頭を熱くしちゃダメ」
ディアナの叱責に頭が急速に冷えていくのを感じる。どうやら彼女たちの登場ですっかり怒りが収まってしまったようだ。
「……ゴメン。それと、ここまで来たんだから嫌でも手伝ってもらうよ」
「それくらい当然ですわ。あのような下賤な輩にわたくしたちの街は汚させやしません! 来なさい! あなたたちの野望はわたくしたちが打ち砕きますわ!」
ロゼの一言が、今度こそ戦いの火ぶたを切って落とした。
今のところストック放出中です。そろそろパソコン回収業者が来るので、来たら本格的に遅くなる可能性があります。
……いやぁ、人間追い詰められれば大学のパソコンを使って、なおかつ二時間でも一話書き切れるものなんだなあ……。
それとお知らせです。某氏よりリクエストされた静と薫、そして明とキリエの出会うお話が完成しました。
…………………………投稿しますか?
なお、このお返事は『結晶の魔法剣士』の感想欄ではなく、メッセージの方にお願いします。