三部 第三十八・五話
それはニーナたちが脱出を始める少し前の時だった。
「魔導士部隊は詠唱開始! 騎士部隊は魔導士部隊の護衛をしつつ、戦線の維持を!」
金色の髪に勇ましい鎧を身につけたロゼが人類連合軍の一部に指示を出し、異片との戦いを支える。
彼女が一部だけとはいえ、一軍を任されたのには理由があった。
魔法について専門家にも引けを取らない知識を持ち、おまけに家が名家であることから覚えさせられた人を操る術。この二つのあるおかげで彼女は術士部隊とその護衛部隊である騎士隊を率いることを許可されたのだ。
そして現在、彼女率いる部隊は遊撃部隊ほど最前線ではないのもの、かなりの前線部分で奮戦していた。
「ロゼ! 右翼が突破される、援護頼む!」
ロゼの指揮下に入って拳を振るっているのはガウスだ。炎を纏わせ、エクセルを苦しめたのと同じ、それでいて三年前よりも洗練された体捌きで異片の顔目がけて拳を突き入れていく。
「わかりましたわ!」
ガウスからの援護要請を受けたロゼは自身の詠唱に入った。
エクセルのような魔的な才能こそないものの、千年に一人の天才であることは紛れもない。おまけに彼女はエクセルと違い魔導士に特化している。その術式構築のスピードはエクセルを凌ぐ。
「《水圧波》!」
高水圧の水流がロゼの右手から発射され、ガウスの言っていた右翼部分に直撃する。致命傷こそ与えないものの、容赦ない水流は異片を押し流して距離を稼ぐ。
「皆さん、もう少しでいいから頑張ってくださいまし! ここが我々の分水嶺ですわ!」
右翼の体勢が再び整うのを見てから、ロゼは鼓舞するように声を張り上げる。
「わたくしたちの希望、エクセルは今もあそこで戦っているのです! ここで我々が踏ん張って彼らの帰る場所を――我らの在るべき場所を守るのですわ! わたくしたちが――世界を守るのです!」
ロゼが咆哮し、その一瞬の間を置いて裂帛の気合があちこちから立ち上る。彼女の鼓舞はちゃんと機能したようだ。
「……ロゼ、今の言葉は胸に来た。それとそろそろ補給時」
ディアナが心なしか興奮したように顔を赤らめながら、ロゼに進言する。
ディアナの方が実戦経験豊富であるにも関わらず一兵卒に回されたのは、ひとえに指揮能力の欠如だ。指揮能力に関して、ロゼの右に出るものはエクセルと一緒にいたメンバーの中にはいない。
「何を言うのです! ここで引いたらズルズルとジリ貧になるだけですわ!」
「……どの道これはエクセが戻ってくるまでの耐久戦。向こうの敵数には文字通り限りがないのだから、引き際を見極めないと孤立してしまう」
戦場で気が逸っているのかロゼは前に進むことを提案するが、ディアナは冷静かつ的確な正論でロゼの反論を封じる。
「……エクセは帰ってくる場所がないことも悲しむだろうけど、私たちが死んでも悲しむ。私たちがすべきことは敵を一体でも多く倒すことではなく、少しでも長い間生き残ること」
「……すみませんですわ。わたくしとしたことが少し頭に血が上っていたようです」
ディアナの落ち着いた言葉にロゼも平静さを取り戻し、謝罪する。
「皆さん! 一時撤退して傷の手当をします! 負傷者がいたら手を貸しなさい! 奴らに食われそうになっていたら絶対に助けなさい! わたくしの部下である以上、勝手に死ぬことは許しませんわ!」
ロゼの指示に従った者たちが素早く撤退の容易を整える。彼らも自分たちの限界は把握していたようで、ロゼの命令に逆らおうとする猛者はいなかった。
他の部隊にもいくらか援護してもらいつつ、ロゼたちはティアマトにある補給所まで戻り始める。
(……今頃、エクセはあの中で戦っているのでしょうか?)
「……ロゼ。心配なのはわかるけど、今は自分の心配をすべき。私たちも彼に負けないほどの修羅場に身を置いていることを忘れないで」
「わかっておりますわ。それでも思ってしまうのです。彼は無事でいるのかを」
「……これは重症」
ロゼの言葉を聞いて、ディアナは何も付ける薬はないと言わんばかりに肩をすくめた。その顔にはどこか呆れも混ざっている。
「でも、あいつってすごいよな……。俺たちの友達が今や世界を救う希望だぜ?」
撤退途中のガウスも話に加わり、いつものメンバーが唯一の欠員であるエクセルのことについて話す。
「……本人が望んでなったわけじゃないみたいだけど」
「確かに望んでいたことではないでしょうが、一度うなずいたのだから彼はやり抜きますわよ。昔からそういう人間だったでしょう?」
「……そうだね。エクセは口に出したことは必ず実行する」
「だな。……まあ、ロゼもよく見ているとは思うけど」
そう言ってロゼは仲間を自慢するように笑う。つられるようにディアナとガウスも唇を苦笑の形に変え、歩を早めていった。
「はぁっ!!」
鞘から刃が超高速で走り、迸る衝撃波が異片の群れを薙ぎ払う。
「ふぅ……。まったく、二日以上戦っているのだから、もう少し種類を増やしてもいいのではないか? これではつまらない」
刀の主――ハルナは二日以上戦い続けているにも関わらず、余裕の笑みを崩さないまま異片を見据えていた。
だが、その体には微量ながら返り血が付着しており、まったく疲労していないわけでもないことがうかがえた。
しかしそのようなこと知らんとばかりにハルナは刀を構え、異片と対峙する。
「そろそろバカ弟子が異体内部で戦いを始めた頃か……。いかん、私もついていきたくなった」
エクセルと交わしてしまったこの場所を守るという約束が恨めしい。しかも師匠の体裁を守るためにも、これは守らねばならない約束であることがなお恨めしい。
「本当……少しは楽しませてくれよ!」
人型の異片が放ってくる陸刀・閃光を半歩動いただけで避け、反撃の七刀・鳴動を放つ。
空間の歪みに圧殺されていく異片を眺めながら、ハルナはため息を隠そうともしない。
確かにこの異片たちは月断流の剣技を使う。通常の人間やエクセルのように月断流剣士として未熟な人間であれば脅威かもしれないが、ハルナにとって奴らの動きなど単調に過ぎた。
「これならバカ弟子と戦っていた方がまだ楽しかった。あいつは予想できない動きをするからな。その点、お前らはまるで決められた動きをしているようだ」
そう愚痴るハルナの頭上に剣を振り落とすオーガ型の異片。
しかし、それは振り向きもしないハルナの抜刀で腕を斬り落とされ防がれる。同時にハルナはトドメを刺すべく体を駆け上って首を両手で掴み、思いっ切りひねり落とす。
ゴギャッ、と嫌な音を立てながら倒れる異片を見もしないでハルナは次の獲物を探し出した。
「……っ、やはり体力の消耗はあるか」
その際、わずかに体が揺らぐ。ハルナはそれを忌々しげに舌打ちしながら、顔を振ってごまかす。
やはり彼女ほどの人外クラスの剣士であっても、三日ほど戦闘状態を維持するのは体力を使うものなのだ。
「エクセルと戦っていた時も疲労はあったしな……やはり寄る年波には勝てないか」
そうは言うが、あの時消耗の激しかったのはどう考えてもエクセルである。それにヤマトとタケルも教えたというのだから、彼女の年齢はかなり高齢であるはず。
この二つのことを加味して考えても、やはり彼女は人外じみた能力を持っていることは変わらない。
「この戦いが終わったら、バカ弟子に剣技を全部覚えさせるか。努力家なあいつのことだ。四年か五年もかければ覚えるだろう」
そして全ての剣技を修得した彼と戦うのだ。魔法剣士である彼の動きには読めないものが多く、非常に楽しい。
これからの楽しい未来を想像し、ハルナは返り血を浴びてゾッとするほどの妖艶さを備えた笑みを浮かべる。
……どうやら彼女はエクセルの心配など微塵もしていないらしい。
什刀を修得したエクセルが彼女に会った場合どうなるのか……それは誰にもわからないことである。
『がぁっ!!』
口から迸る炎が放射状に広がって異片を焼き尽くす。
黒い鱗を鈍く輝かせた竜はそのまま両手の爪で近づいてくる異片を薙ぎ払い、再びブレス攻撃の溜めに入る。
黒い竜――バハムルは大きく息を吸い込みながら光の階段に余波がいかないよう気をつける。
(万が一脱出時の奴らを巻き込んでしまっては申し訳ないからな……)
エクセルたちがバハムルの地点を通過してから二時間近くが経過している。そしてバハムルのいる地点は異体とさほど離れていない場所なのだ。
内部でどれほどの抵抗にあっているかはわからないが彼らの実力であれば問題なく倒せるだろう、とバハムルは予測していた。
ニーナもカルティアも人類という視線で見れば相当な実力者の部類に入るだろうし、特にエクセルは神代の頃から生きるバハムルに迫る実力を持っている。しかもまだ成長途中。
いずれ奴は我をも越えるだろう、とそう遠くない未来に想いを馳せながら、バハムルは溜めに溜めた空気を魔力とともに吐き出す。
白い息が絶対零度となって異片の身動きを取れなくする。例え殺せなくとも関節部分を凍らせ、無力化させる氷の吐息。
『おおぉぉっ!!』
同時に短い詠唱でエクセルが《衝撃》と呼んでいる魔法を発動させ、凍らせた異片を全て打ち砕く。
これで何千体倒しただろうか、すでにバハムルは数えるのをやめていた。倒しても倒しても湧いてきてキリがないのだ。
『やれやれ……面倒なものだ』
力の使い過ぎによる疲労などあるはずがない。三日近く戦い続けているハルナでさえ、疲労はわずかに感じる程度なのだ。竜であって二時間ほどしか戦っていないバハムルが根を上げるわけがなかった。
『まあ、力を振るうには丁度良い! こんなに大空を舞えるのは久方ぶりなのだ!』
面倒であることは事実だが、同時に楽しくもあった。森の奥深くに隠れ住み続ける自分が自由に空を舞える。翼持つ種族として最高の喜びだ。
バハムルは本当に気持ちよさそうに空を飛びながら、同じく空を舞う異片どもを蹂躙していく。その姿はまさしく竜の名にふさわしいものだった。
『む……?』
そんな時、光の階段から青い髪を翻して走る女性の姿をバハムルは見つける。そして、その女性の手には傷だらけの少女が抱えられていた。
「バハムル様。マスターが異体破壊の準備に入られました。急いで退避してください」
『そうか……。では、我らの勝利ということだな?』
「はい。私たちは速やかに脱出し、マスターの不安を少しでも軽減させることが目的です」
淀みなく答えるカルティアとは対照的に、カルティアの腕の中にいるニーナは不安そうな瞳を異体に向け続けていた。
『ふむ……了解した。背中に乗れ。地上まで戻るのならその方が速い』
ニーナの視線の意味も全て理解し、その上でバハムルが提案する。生きた年月は人間の比ではないのだ。瞳に込められた意味の理解など造作もない。
(……だが、今エクセルの隣にいたところでできることなど何もない)
そして、それはエクセルの邪魔になるものだと判断したバハムルは、二人に背中を向けて乗るように促す。
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
カルティアはニーナの返事も待たずにサッサとバハムルの背に乗り込む。
『飛ばすぞ。しっかり掴まっていろ』
「わかりました。……ニーナ様」
「…………」
カルティアの呼びかけにニーナは異体の方から目を離さずバハムルの背を掴むことで応える。
「……ニーナ様」
「……本音を言うとね、エクセのやることだから最後まで見届けたい。だけど、あたしがそこにいたらエクセはどこかで手加減してしまう……。わかってるんだ」
ニーナは自分が最後までいられないことに悲しみと切なさを滲ませた笑みを浮かべ、次の瞬間にはバハムルの背中を叩いていた。
「ほら! さっさと動いて! すぐに動かないとあたしはいつあの中に戻るかわからないわよ!」
『了解した。飛び立つぞ!』
ニーナのカラ元気であることがありありとわかる声を聞いて、バハムルは少しだけ唇に笑みをたたえて今度こそ翼を広げる。
そして、空気を切り裂いてバハムルが空を飛ぶ。その姿は黒い隕石のを彷彿とさせるものだった。
「あ……」
声が流れて聞こえる中、ニーナは異体の内部から白い光が幾筋も漏れていることに気付く。他の二人も後ろに光源ができていることに気付き、振り返った。
「あれは……」
ティアマトの街まで補給に戻っていたロゼたちもその光を見た。純白に輝き、どこか神々しさと温かさを感じる破壊の光を。
「エクセ……」
「だな。あいつ、とうとうあんなとんでもない物まで倒しやがった……」
「……帰ってきたら盛大にお祝い」
異体が何かをやった可能性だって彼女たちは考えなかったわけではない。だが、その上で彼らはエクセルの勝利を確信したのだ。
「エクセ……無事に帰ってきてください。それだけあれば、わたくしは他に何も望みませんから……」
その中でもロゼは誰も見ていないことを確認してから、両手を胸の前で組んで祈る姿勢を取った。
「ん……? あの光は……」
ハルナも異片の群れと戦い続けながら、その光を目撃した。
「……フ、やってみせたか」
すぐさま光の主がエクセルであることを確信し、ハルナは口元に艶然とした笑みを作る。
今までハルナが弟子とした人間はヤマト、タケル、エクセルの三人。
三人の中では一番剣才に劣る人間だったエクセルだが……、何でもありの勝負では三人の中で一番の手練にまで成長した。
「フフッ、あいつは本当に私を楽しませてくれる……」
心の底から楽しそうな笑いをこぼしながら、ハルナはようやく終わりの見え始めた異片の群れに対し、刀を向ける。
「さて、ここからは防衛戦ではなく――殲滅戦とさせてもらおうか」
最後の一花くらい咲かせてみせろよ? と言いながらハルナは自分から空に浮かぶ異片相手に飛びかかり、刀を振り上げた。
こうして、後世にて異体戦争と呼ばれる事件は幕を下ろすこととなった。
なかなか切りどころが見つからず長くなってしまった……。
ともあれ、明日で完結予定です。
……最後の最後になって、エピローグに迷いが生まれてきた……!