三部 第三十八話
「っ!!」
喉が干上がり、顔の至る所から嫌な汗が流れる。
凄まじい速度で触手が向かっているはずなのに、僕の目からは不気味なまでに遅く感じる。
(どうする!? このまま突っ込んで抜刀すれば確実にタケルは殺れる! でもニーナが危ない!)
実際、ニーナは向かってきている触手に反応し切れていなかった。何か危ないのが来ている、程度にしか認識ができていないのだろう。
タケルの動きすらが遅く感じる世界の中で、僕の頭は猛烈に空回りを繰り返し――一つの当たり前な答えに行き着く。
答えを弾き出した体が動き、前へ進む。
「――っ!!」
舞い散る鮮血と吹き飛んだ肉片。そして、これらの主は――
「ご、ぶっ……!」
タケルではなく、僕だった。
「……エクセル?」
右胸を触手に貫かれ、右腕はほとんど千切れかけている。そんな僕の姿を見て、ニーナが呆然と僕の名前を呼ぶ。
「あっはははははははは!! 君ならそう動くと信じていたよエクセル! 君は――いざという時何に置いても仲間を優先する!」
タケルは狂ったように笑い、触手をブルブルと震わせる。そのたびに僕の体の内側から爆発するような痛みが走っていく。
「滑稽だねエクセル! 格下のくせに何かを守りながら勝とうなんて欲張った結果――何もかも手からこぼれ落ちる!」
タケルが笑い続けているうちに、僕は何とか動かすことのできる左腕にクリスタルを纏わせて刺さっている触手を斬り落とす。
「エクセル……エクセ!!」
ニーナはそこでようやく僕の体が恐ろしく重傷であることを認識して、途端に取り乱した表情になった。
「エクセ! エクセ! 生きてる!? ねえ、生きてる!?」
ガタガタと体を揺らしながら僕の名前を何度も呼ぶニーナ。
「聞こえ、てるよ……。だい、じょう、ぶ。生き、てる……」
と言っても、次々と流れてゆく血液と同時に命が流れているのも実感できるのだが。
タケルが追撃をかけてくる様子もないため、僕はせめて右腕だけでもくっつけておこうと回復魔法を行使する。今までは単純に自分の限界まで強化した回復力に頼っていたが、それだけでどうにかなるような傷ではない。
右腕の感覚が蘇っていくのを感じながら、空気を思うように取り込めず酸欠気味の頭で口を開く。
「次、で……決める……から……。ニー、ナは安心……して……」
何を口走ったのか、僕自身よくわかっていない。だが、これからすべきことだけはハッキリとわかった。
「エクセ、ちょっとまだ傷が治り切ってない――」
ニーナが何か言っているが、頭が認識できていない。
生まれたての子鹿よりもがくがくと震える頼りない足で立ち上がり、明瞭と混濁を行ったり来たりする視界の中でタケルの姿だけを見据える。
「満身創痍、という言葉がピッタリ当てはまる姿だねえ……。まあ、そろそろ楽にしてあげるよ」
「…………」
ぶっちゃけると、タケルが何を言っているのかまったく理解できなかった。頭がまともに動いていないのだから、当然といえば当然だが。
ただ、自分がどんな姿勢でどんな行動を取っているのかも半分以上理解しないまま、僕は前に走り出した。
夜叉も使わないし、影走りも使わない。そして走っている速度は一般人のそれより遥かに劣る。
――だけど、それで十分だった。
ゆっくりと、それでいて着実に距離を詰める僕。
当然、それを潰すようにタケルの異体による攻撃が迫ってきた。
視界を埋め尽くすような触手を、即死に至るものだけ見極めて掌底と体術だけで受け流す。
「……なぜだ? なぜ死なない? 速度はすでにさっきより遥かに高いというのに……」
そんなの簡単だ。だって、僕はとうに生きることを諦めているのだから。
始めから食らうこと前提で突き進めば痛みも多少は耐えられるし、痛みによって集中が途切れることもなくなる。
今の僕は自分の血で血塗れで、左腕はすでに見る影もないほどズタズタだ。骨まで露出しているそれを振るいながら、抜刀に必要な右手と頭だけを守っていく。
「く、来るなっ! こっちに来るな!」
命に至る傷をいくつも受け、それでもなお足を止めないで接近を続ける僕が怖くなったのか、タケルが叫びながら距離を取る。
――好機。
呼吸もとうにやめている頭がその言葉だけをつぶやき、全身に残った力を八割使って体を動かす。
――天技・空間転移。
魔力をありったけ込めて作った魔力刃で次元の裂け目を作り、その中に飛び込んで任意の場所に開けて再び出る。ほんの少し時間差があるとはいえ、瞬間移動を可能にする天技。
……まあ、考えてやったわけじゃないんだけど。
「な……」
タケルは自分の後ろに転移した僕を見て、この戦いの中で初めて驚いた顔をした。
してやったり、と頭の片隅で思いながら残った酸素全てを使って、裂帛の気合を入れる。
「あ――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッ!!」
――什刀・大和。
死にかけの体になってようやく掴んだ最後の剣技。失われて久しいそれに、僕は月断ではなく兄さんの名前をつけた。
視界に映る全てを空間、次元一切の区別なしに斬滅する魔法剣技。
基本は抜刀術で七刀と伍刀を混合させたようなものだが、これを魔法でさらに増やして速度を上げる。
魔法による無限加速を得た剣はお互いにぶつかり合い、刃の上を滑り合って際限なく速度を高めていく。
それが一定を越えた時、初めて什刀は完成する。
……兄さんを倒したあの時は純粋な剣技だった。そして剣技だったがゆえに、兄さん一人を倒せる程度の未熟な技止まりだった。
「な……に……?」
タケルは自分の体がズルリとずれ、地面に首だけが落ちていくのを見て、本当に信じられないとでも言わんばかりに目を見開かせる。
攻撃が止み、全身に刻まれた無数の傷が少しずつ治り始め、僕は相変わらずの呼吸のしにくさを覚えながら口を開いてやる。
「お前の敗因はいくつかあるけど……。あえて二つだけ挙げようか……」
一つ、初めっから僕を全力で殺しにかからなかったこと。戦闘が始まったとはいえ、目が慣れていない最初のうちに本気で襲われたら手の打ちようがなかった。
つまり、なまじ余裕を見せて僕をいたぶろうとなんて思ってしまったから、僕にも光明が見えたのだ。
そしてもう一つだが……こっちは決まっている。
「ニーナを殺そうとした……。お前は僕のタブーを犯したんだ」
たったそれだけの理由かもしれない。けど、僕が自分の命も何もかも放り出して戦う理由としては十分だった。
「……はは、弱点だと思って突いた場所が僕の敗因になるとはね……。正直、君のことを見くびり過ぎていたみたいだ」
首だけになったタケルが弱々しい笑い声とともにそんなことを言う。死ぬのは確定しているが、まだ余力があるようだ。
「……悔いるのは……地獄でやれ」
もっとも、僕もすぐそちらに向かうことになりそうだが。傷も治り始めているとはいえ、あまりの傷に僕自身の回復力が落ちている。自然治癒に任せていたら間違いなく死ぬだろう。
「そうさせてもらうよ……。僕も剣士の端くれ。剣で負けた者の末路ぐらいわきまえている……」
「…………」
兄さんを殺した人間なのだから、もっと惨めに命乞いでもしてほしいところだった。されたとしても許さず、徹底的に肉体も心も叩き潰して殺すつもりだったが。
「ほら、君にとっては敵討ちの終わりだよ? もっと笑ったらどうだい? 僭越ながら僕も祝わせてもらうよ。おめでとう。君は――」
――兄さんの最後の未練を果たしたんだ。
「……死人は死人らしく、さっさと逝け。僕はお前の戯言に付き合っていられるほど暇じゃないんだ」
タケルの言葉に対し、僕は驚くほどスラリとその言葉を吐いた。
自分でもわかっていた。この復讐を終えたら前に進むことができるようになるだけで、心から笑えるようになるわけじゃない。
そして、僕は兄さんの敵を討って兄さんから託された望みを果たしただけでなく、兄さんの最後の肉親を殺したことも意味していることも承知していた。
その事実をタケルの一言でまざまざと見せつけられ……僕は目を逸らした。
「そうかい……じゃあ、地獄で待つとするよ……。君がやってくるのを……!」
タケルの目の瞳孔が開き、引きつったような笑顔のまま固定され動かなくなる。
死んだ。僕たちが長い間追い続け、敵として憎み続けた存在がこの世から消えた。
「エクセ……。その……ケガは大丈夫なの?」
タケルの死体の前で佇んでいる僕の後ろからニーナが声をかけてきた。
「……大丈夫。だいぶケガも良くなった。それにロゼからもらった薬もある。死ぬことはないよ」
それに回復魔法を自分にかけ、傷の治癒をさらに早めている。万全とまではいかなくても、せめて肺を再生して呼吸をしやすくすることくらいはできる。
「それよりカルティア!」
ニーナの心配する視線を受けながら、僕はカルティアを呼ぶ。
……これから行わなければならないことのために。
「何でしょうか、マスター」
あちこちに傷を作ったカルティアが僕の前に歩み出てくる。死地に追いやったのは自分で、生きてくれただけでも御の字なのに後ろめたい思いが出てしまう。
「……ニーナを連れて異体内部から速やかに脱出。道中の敵は無視してどうしようもない場合だけ戦え」
「了解しました」
カルティアは僕の命令に対し、深い追求を入れることなくうなずいてくれた。そしてニーナの華奢な体を抱え上げる。
「きゃっ! え、エクセ、あんたその傷でまさか――!」
「二人ともお疲れ様。ここからは僕の、僕だけにしかできない仕事だよ」
きっと今の自分は優しい笑みを浮かべているのだろう。最後になるかもしれないのに、心は不思議なほど落ち着いていた。
もうすぐ何もかもやり終えるという達成感がそうさせているのか、はたまたタケルを殺したことによる虚無感がそうさせているのか、僕にはわからない。
「ニーナ様。これがマスターの成すべきことなのです。マスターご自身も納得してらっしゃいます。何より……あの人は一度決めたことは翻さない」
カルティアの諭すような言葉がニーナに向けられる。しかし、最後に少しだけ感情らしきものがにじんでいた。
切なそうな視線を投げかけ、カルティアは目礼をして出口に向かう。
「エクセ! エクセル! 待って、止まってカルティア! あたし、まだ――」
――好きだって言ってない!
ニーナがそう言って、僕とカルティアの間に流れる時間が一瞬だけ止まる。
……というか今好きって言ったよね。
「……ニーナ、返事は帰ってきたらでいいかな?」
さっき浮かべた優しい笑みとは対極の苦笑が浮かぶ。何もこんな時に言わなくてもいいだろうに。
「わかった! 絶対、絶対に生きて帰ってきて! それだけ約束して!」
「約束するよ」
それだけ言って、今度こそ僕はニーナたちに背を向ける。もう言葉はいらない。
二人の気配が遠ざかっていくのを感じながら、僕は痛む右胸を手で押さえながら赤く拍動を繰り返す異体の核を見据える。
「ここまで……来たんだ」
本音を言えば、僕を含めた何もかもを終わりにしても別に構わなかった。タケルを倒したことによって、僕の中には奇妙な空洞ができていたからだ。
だけど、その空洞にはニーナとの約束が埋め込まれた。僕がエクセルであり続ける以上、交わした約束は守る。それが僕という人間だ。
ロゼからもらった万物の霊薬を一口飲み、体力の回復を図る。
「へぇ……」
傷が全快、とまではいかなかったものの痛みがかなり引いて楽になった。伊達に地上最高の霊薬とは呼ばれていないらしい。今なら全力を出しても体にかかる負担は減りそうだ。
「こいつで全部終わらせる……!」
力の湧いた僕は炎、水、地、風、光、闇。六つの属性のクリスタルを作り出し、周囲に滞空させる。
すると、異体が危険を察知したのか、露出していたコアを薄緑色の肉塊で覆ってしまう。これではいかに《終焉》でも威力の減退は免れないだろう。
だが、剣士でもある僕からすればその程度、何の意味もない。
「お――おおおぉぉっ!!」
短く強い気合いを吐き出し、魔法抜きの純粋な剣技を放つ。六つの究極魔法がすでに待機状態に入っているため、他の魔法がほとんど使えないのだ。クリスタル生成ぐらいはできるが。
月断流でも何でもないただの抜刀術。それは肉塊を浅く斬りつけるだけで振り抜かれてしまう。粘膜とその弾力性のせいで上手く斬れないのだ。
けど――それぐらい予想済みだ。
――星剣・無限抜刀。
振り抜かれると同時に右に回る体。その左手にはクリスタルの刀を持って斬りつける。
また少し肉塊に切れ目が入るのと異体を斬れなかったはずのクリスタルに無茶をさせ、砕け散るのを手応えで感じ、同時に右手に持っていた波切を地面に突き立てる。ここから必要なのはクリスタルだけだ。
すぐ右手にクリスタルの刀を作り出し、回転の勢いをさらに強めて斬りつけ、切れ目がさらに深くなるのを確信しながら再び左手に新しくクリスタルの刃を作る。右手に持っていたクリスタルの刀は粉々に砕け散っている。
回転を止めず、延々と抜刀の勢いを保って斬り続ける。それが魔法を使わず、クリスタル生成能力のみに頼った僕の剣士としての最強攻撃だ。
凄まじい速度でクリスタルが次々と生み出され、次々と砕け散っていく。そのたびに視界には虹色の欠片が飛び散り、鋭い破片が容赦なく皮膚を切り裂いていった。
血が飛沫を上げるのを見ながらも手を止めず、僕は異体のコアがわずかに肉片を纏って露出するまで回転を続けた。
そして残った肉片も全て吹き散らすため、魔法をほとんど使えない僕が使えるギリギリの魔法で風を起こす。
「《流星の群れ》!!」
学院時代に僕が考えた《星の礫》をさらに強化したもので、こちらは粒が大きく起こした風の規模も強い。さながら流星群だ。
クリスタルの破片が容赦なく肉片をこそげ落とし、丸裸となったコアが僕の目前にある。
「これで――」
白い光が収束し、僕の手の中で爆発の瞬間を待ち望み――
「終わりだあああああああああああああああああああぁぁぁぁっ!!」
何もかもを巻き込んで、全てを白で埋め尽くした。
次回で終わり……と言いたいところですが、次回は三十八・五話を投稿する予定です。エピローグはその後で出すつもりです。




