三部 第三十三話
朝日が昇ってきたのを部屋で確認してから、僕は体にかけていた毛布をどかして立ち上がる。
「ん……」
眠れはしなくても、一応横にはなっていたので体の節々をほぐしておく。
隣のベッドで眠っていたニーナも目覚めようとする素振りが見える。
その様子を眺め、一応目が覚めるまでは部屋にいることを決めて静かに精神統一を始めた。
「フゥ……」
息を静かに長く吐き出し、深く大きく吸い込む。これをゆっくりと繰り返しながら、徐々に集中を深めていく。
空気の流れが感じられるほどに五感は鋭さを増し、それでいて余計な音などは一切遮断する。そんな状態に入ってから今日のことに思いを馳せる。
(今日で……全部終わる)
タケルとの因縁も。僕の生まれた意味も。何もかも今日で決着がつく。
今日が星の意思として生み出された僕の終わり。そして今日が他の誰でもない“エクセル”の始まり。
……まあ、ひょっとしたら僕の命自体が終わる可能性もあるのだが、今は目をつむっておく。自分が負けた時の想像なんてする必要がない。
――だって、僕が負けたらイコールで人類の終わりを表しているのだから。
「さて……」
そこまで考えてから深層まで踏み込んでいた意識を上昇させ、外界へと向ける。
「おはよう、エクセ」
目を開けると、ちょうど起きたらしいニーナが僕に向かって笑顔を向けていた。
「おはよう。……朝ご飯を食べたらすぐに出るよ」
「わかってるわ。……長かったわよね。兄さんのいない三年間」
「うん……」
ニーナの言葉にしみじみうなずく。兄さんと一緒にいた時は時間なんてすぐに経っていた。
兄さんがいない、手探りでの三年間は本当に苦しかった。目的があったから良かったものの、目的すらなかったら僕なんてとうに心折れていた。
「……だけど、僕はもう兄さんに頼らないでいられるだけの力を身につけた。兄さんのことを忘れるつもりはもちろんないし、これからもずっと思い続けるけど……縛られるのは今日で終わり」
兄さんの頼みであるタケルの刀。不気味な妖刀だとは思っていたが、まさか異体に繋がっているとは思わなかった。
あれを破壊するということはすなわち異体を破壊するということでもある。
「兄さん……最後の最後でとんでもない難題を押し付けていったな」
あの時の頼みごとが、まさかここまで大変なことになるとは兄さんでさえ予想していなかっただろう。
「それぐらいでないと、あたしたちの門出にはちっぽけ過ぎるわよ。……何もかも、終わらせに行きましょ」
そう言ってニーナは立ち上がり、朝食を食べに僕の部屋から出て行った。
残された僕は、呆然と口を開いてニーナの言葉を反芻していた。
(門出……ね……。やっとだな……)
やっとニーナも立ち上がってくれた。兄さんのことを思い出に、前へ進むことを決めてくれた。こんなに嬉しいことはない。
「ははっ……」
思わず目頭が熱くなってしまうのをごまかすために、顔面を手で覆いながらくぐもった笑い声を上げる。
……うん、ようやく色々な歯車が回ってきた実感がある。
今まで空回り続けていた要素が全部噛み合ってきた感じだ。
「……よしっ! 僕も朝ご飯食べよう!」
何もしなくても湧き上がる気合いを胸に、僕も食堂へ向かうべく部屋を出ていった。
「……ニーナ、準備はいい?」
朝食を食べてから、僕たちは正門の前に並んで持っていくものの最終確認をしていた。
と言っても、僕は右腕にオリハルコン製の腕輪を装着し、波切を腰に差せば終わりなのだが。あとは学院時代から使っている濃紺のローブを羽織れば終了である。
「あたしは……麻痺毒とか眠り毒をたくさんと、致死毒をいくつか。他にも援護用の投げナイフがいくつかあるわ」
「私も武装は全て体内に内蔵されております。準備は万端かと」
「みたいだね。よし、行こう――」
外に出ようとしたその瞬間、後ろから聞き慣れた声がした。
「お待ちくださいまし、エクセ!」
思わず振り向くと、そこには息を切らしながらこちらへ駆け寄ってくるロゼの姿があった。
「……ロゼ」
「はぁ、はぁ、はぁ……。せめてわたくしたちにも見送りぐらいさせるつもりはありませんの……?」
ロゼは僕の元まで駆け寄ると、息を必死に整えようとしつつ僕を詰問する。
「…………あ」
ヤバい。本当に忘れていた。師匠のことなどがあって、焦る気持ちばかりが出ていた。
「忘れてましたのね?」
息を整え、ニッコリと笑ったロゼの顔をこの上なく怖いと感じた。
「……ごめんなさい」
これに関しては弁解のしようもなく僕が悪いと思ったため、素直に謝る。
「許しますわ。こうして話すことができたんですもの。……少し、時間を取れませんか?」
神妙な顔をして聞いてくるロゼ。僕個人としては時間が惜しいからすぐにでも異体に突撃したいのだが……。
「行ってきなさいよ。死地に向かうんだから、知り合った人みんなと話してくるぐらいの時間は師匠も多めに見てくれるって」
「……そうだね。ちょっと行ってくるよ」
ニーナからのお墨付きももらえたため、僕はロゼの顔を見てうなずいた。
「ありがとうございますわ。それではこちらに付いてきてくださいまし」
ロゼが先行して歩き出すのを、僕も付いて行った。
ロゼに連れられて向かった場所は中央広場だった。
普段は人々が行き交って活気のある場所なのだが、今は戦時下のような物々しい雰囲気が出ている。
しかし、そんな場所も今だけは僕の知り合った人たちの集まる場所となっていた。
「よっ、エクセ。ったく、ひどい奴だなお前も……。忘れてたんだって? 俺たちに挨拶してくの」
到着した僕に真っ先に声をかけてきたのは学院に入ってから最初にできた親友、ガウスだ。
挨拶を忘れるというとんでもないことをした僕に対して、ガウスは苦笑いしながら肩を叩いてくるだけだった。
「ま、お前が一つのことに一直線なのは昔から知ってるって。……頑張れよ。俺たちの分まであいつをぶっ飛ばしてこい!」
僕の首に肩を回し、顔を寄せてそんな激励を言ってくるガウス。僕はそれを無言で受け取り、うなずいてみせる。
男同士の約束に言葉は不要。ただ、行動で示すのみ。
僕の心意気を読み取ったのか、ガウスは破顔しながら手を自分の顔の横に添える。そして僕の手をそこにぶつける。
パンっ、と痛快な音を響かせたハイタッチを最後に、ガウスはみんなの中に戻っていった。
「……エクセ」
「ディアナ」
次にやってきたのはディアナだ。衛兵としての鎧を身にまとい、相変わらずの無表情で僕を見つめてくる。
「……武運を祈る」
「任せて」
言葉少なのディアナだが、そこに込められた意味はよくわかった。だから僕はうなずきながら強く拳を握ってそれに応える。
「……私は異片の討伐作戦に参加する。なるべく早く戻ってきてくれると嬉しい」
「……そっちは善処するとしか言いようがないんだけど……」
僕だってなるべく早く終わらせたいが、向こうがそれをさせてくれるかどうかは限りなく怪しいところだ。
「……ともあれ、頑張って」
手をちょこんと顔の横に添えて、小さく振りながらディアナもみんなの中に戻っていく。
「エクセルさん。お話はお聞きしました。頑張ってください」
次に出てきたのは、兄さんと一緒にティアマトから旅立ってすぐに出会った遺跡調査が生業のバーサーカーだった。
「シエラさん!?」
「ずいぶんと変な評価をされた気がしましたけど……気のせいですよね?」
「気のせいでしょう」
あれは僕の中では妥当な評価だ。変な評価であるわけがない。
「まあいいです、不本意ですが。……エクセルさん。陳腐な言葉ですが……頑張ってください! あなたの勇姿、地上から見させてもらいます!」
「……ありがとうございます」
戦力になってくれるのも嬉しいが、わざわざここまで来てくれたことが嬉しい。
僕は喜びを噛み締めながら、うなずいて彼女の言葉を胸に刻みつけた。
「まったく……我が国だけでなく、世界まで救おうとするか。君もずいぶん難儀な縁を背負って生まれたらしいな」
次にやってきたのは、昔僕を付け狙い、助けられたアインス帝国のシルバだった。
「……あんたか」
「一国の長に向かってあんたとは。……まあ、私が君に対してやったことを鑑みれば何も言えないのだがね」
「当然だろ。あんたのしたことを許すつもりはない」
ニーナをさらったんだ。どれだけ謝ろうと、そのことを許しはしない。
「その通りだ。だが、私と話してくれている以上、話を聞く気はあるのだろう?」
「……まあな。あんたは許せないが……嫌いでもない」
その目的のためなら倫理も道徳も全てかなぐり捨てることのできるひたむきさというのは、僕も認めている。
「それは嬉しいことだ。……こうして最後の最後まで君に救われることになってしまうのが悔やまれて仕方ないよ。……生きて戻ってきてほしい。君にはまだ、自分の助けた人々の恩返しを受ける義務がある」
「……そっか」
ならば意地でも戻って来なければ。一国の長からの恩返し。相当なものになるに違いない。
「……エクセ」
そして最後はロゼだった。ずっと僕の後ろに付き添って、みんなが一声かけていくのを微笑みながら見つめていた。
「……ロゼ」
「その前に、これを受け取ってくださりませんこと?」
静かに名前を呼んだ僕に、ロゼが一つのポーションを取り出す。爽やかな緑色をした液体が入っており、それは――
「万物の霊薬じゃないか……。昔作ったあれ?」
「その通りですわ。エクセの分はどこかで使ってしまったのでしょう? わたくしのをあげますわ」
どこかで使ったというか割ってしまったのだけど。
「いや、だけどこれは……」
「これ一つであなたの命が助かるかもしれないのでしたら、安いものですわ。……ですからお願いします。生きて、またわたくしの前に顔を出してください」
懇願するような響きすら含ませたその言葉に、僕は何も言えなかった。
「……わかった。大切に使わせてもらうよ」
ただ僕にできることといえば、これを受け取ることだけだ。
ロゼの手から万物の霊薬を取り、懐にしまい込む。
「みんな、ありがとう!」
今まで僕と関わってきた人との挨拶を終え、僕は再びニーナたちの元へ戻っていった。
「お帰り。挨拶は終わった?」
正門前にはニーナとカルティアが待っていたので、そちらに駆け寄って立ち止まる。
「うん。……それじゃ、今度こそ行こうか」
ティアマトの人たちには僕が外に出たら魔法陣の発動をお願いするように言っておいた。なので、外に出たらすぐに戦いが始まるだろう。
「ええ、行きましょ」
「はい、マスター」
いつもとほとんど変わらない返事をしてくれる二人にうなずきながら、僕たちはティアマトの外に出た。
瞬間、世界が揺らいだ。
「……っ」
全身から魔力の抜け出る感覚が走る。だがそれは、根こそぎ奪おうとするものではなく、ほんの少し不快に感じる程度のものであった。
そしてその魔力を源に形作られるのは異体へと続く色とりどりの光の階段。
青、緑、赤、銀、金、これらの色――魔力の輝きそのものが集まり、非常に幻想的な光景を作り出していた。
「綺麗……」
それを登って異体へと向かうのに、ニーナがそのようなつぶやきを発してしまうのも無理はないだろう。
僕とカルティアはそれを見ながら、お互い無言でそれぞれの武器を握り締める。
「――二人とも、来るよ」
「はい、すでに視認可能範囲です」
「わかってるわ」
全員が空を見上げ、そこからやってくる異片の大群を見据える。
「お――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォッッ!!」
僕たちは異片の群れに飛び込むように、光の階段を登り始めた。
ここに――最終決戦の火蓋が切って落とされることとなった。