三部 第三十話
少し考えればわかることだった。
異体の攻撃手段はこの異片によるもので、最大の脅威は種類でも大きさでもなく、数であることを僕たちが失念していただけのことだ。
「クソッ……!」
僕の目ではまだ見えないが、カルティアの目にはハッキリと映っているのだろう。こちらに向かって飛来してくる異片の群れが。
「どのくらいの数がいる? カルティア」
「二十、二十三、二十七……次々と増えています! このままでは……!」
焦ったようなカルティアの声。それは僕に対して個人的な感情を見せることよりも遥かに珍しいことだった。
だが、そのおかげで僕は逆に頭を冷やすことができた。現状で最も知りたい情報と、最も理想である展開を頭の中に思い描く。
「――カルティア、異片が地上に到達するのはどのくらい?」
「まだ異体本体から切り離されたばかりですので二時間ほどの猶予がありますが……、たったそれだけです! そしてそこからは次々と増援が来て――」
「いや、とにかく僕が知りたかったのは到達時間。それだけあれば十分だ」
二時間あればティアマトに戻って師匠を呼びに行くことができる。紛れもなく世界最強の剣士であるハルナ様なら、この程度の連中など瞬殺だ。
「それにもう情報がどうのこうの言ってる場合じゃない。ここからは食うか食われるかの勝負になると思う」
急いで魔法陣の改変を終え、僕に自爆術式を刻んで異体内部に突入する。たったこれだけ。
やるべきことはあと少しなんだ。こんなところで終わらせるわけにはいかない。
「カルティアはここに残って異片の観測。僕はすぐに師匠を呼びに行って、魔法陣改変を急ぐよう言ってくる」
「わかりました。確かにハルナ様であれば、この状況の打破も可能だと思われます」
というかあの人が苦戦する状態自体想像できない。僕がいくら頑張っても汗一つ流さずに対応するからな……。
「とにかく……行ってくる!」
カルティアに軽く手を振ってから、天技・夜叉を使って一気に走り出した。
「師匠!」
いつも以上に速度を上げてティアマトまで二十分で戻る。そして真っ先に師匠のいる修練場に駆け込んで大きな声を出す。
「ん、なんだエクセル。そんなに息を切らして。……体力に難有り、と。今度徹底的に走らせるか……」
後半部分が果てしなくどうでもよく、また僕にとっては限りなく恐怖すべき情報であることには目をつむり、荒れた息を整えて師匠の方を見る。
「師匠! 異体の欠片――略して異片が大量に来てるんです! 場所は教えますから向かっていただけませんか?」
「む、そっちはお前たちが倒したのではないのか?」
「それはやりましたが、援軍が次々と来てるんですよ! 僕とカルティアだけじゃ面倒なんです!」
面倒なだけであって別に倒せないわけではないのがポイントだ。
「……わかった。すぐに向かおう。幸い、刀も手元にある。場所の案内はできるな?」
「ありがとうございます! 急ぎますよ!」
魔法陣の完成を急かすには……途中でニーナのところに寄ろう。
すぐさまカルティアの元に戻りたい気持ちを押し殺し、師匠に一言断りを入れてからニーナのいるであろう宿屋の部屋に向かう。
「ニーナ! 時間ある? なくても頼むけど!」
部屋の扉を蹴破る勢いで開けると、そこには僕の作った毒を短剣に塗り込んでいるニーナの姿があった。
「え、エクセ!? あ、危なっ!? ノックしなさいよね!」
「ご、ゴメン! まさか毒塗ってる最中だとは思わなくて……」
さすがに今のは僕が悪い。毒の扱いは慎重に慎重を期さないといけないのに、僕がいきなり来てしまった。
「まったく……今のは出血を止めない毒だから、触れただけなら大丈夫だけど……次からは気をつけてよね」
「本当にごめんなさい。反省してます」
「おいエクセル。用件見失いかけていないか?」
ニーナにペコペコと頭を下げていると、僕の後ろから師匠の呆れたような声がかかった。
しまった。つい毒の危険性を考えて一番大事な用件を忘れていた。
「お前は一つのことしか考えられないのか……。まあいい。ニーナ、今暇か?」
「え、師匠? まあ、やることがあればこんなことしてませんけど」
だろうね。まだ決戦には遠いと言われているし、暇でもなければ短剣の手入れなどしない。
……まあ、兄さんの形見である波切だけは毎日手入れをしているけど。
「ちょうどよかった。時間がないから手短に行くよ。異体の欠片の群れが予想以上に多く来てるから、魔法陣の完成を急がせてほしい」
「――っ! わかった。すぐに地下に行ってくる! 師匠はそれの討伐?」
事の重大さを理解したニーナはすぐさま短剣をしまい、いつでも走り出せる姿勢を作った。
「ああ、エクセルに頼まれてな。少し出かけてくるよ」
そんなニーナに師匠は浅くうなずき、僕の手を掴んでドアに向かう。
「あ、し、師匠?」
「時間がないのだろう? ニーナ、そっちは任せたぞ」
……なんだかこの人、僕よりもリーダーの資質があるような気がしてならない。すでに僕とニーナを引っ張ってるし。
「ほらほら、何を不貞腐れている。お前しか場所を知らないんだから、ちゃんと案内しろ」
「……わかりました、師匠」
どこか納得できない心を抱えて、僕と師匠は夜叉を使って走り始めた。
「まったく、この程度の運動で息を切らすとは情けない……。もう一回修行するか?」
「時間が……ないので……結構です……」
帰りはさらに短く十分ほどで到着した。もっとも、常に全速力以上の速度を強制された僕は息も絶え絶えどころか枝でつつかれたら倒れそうなほど消耗していたが。
……いや、師匠のペースが速過ぎるんだよ。僕の倍近い速度で走るものだから。
「ぜぇ……ぜぇ……、師匠……僕を殺す気ですか……?」
今の僕なら大抵のものが相手でもアッサリやられる自信があるぞ。回復力を強化してあるとはいえ、すぐに何でも治るものでもない。
「お前が急ぐと言っていたから急いだのだろう。そう言われても困るぞ。……カルティア君! ちょっとこいつを看てやってくれ」
全然困っているようには見えないのだが、さすがに消耗し切った僕に思うところはあったらしく、カルティアを呼んでくれた。
「マスター、大丈夫ですか?」
「…………うん、大丈夫。ようやく息が整ってきた」
全身の細胞に酸素が巡っていくのを感じながら、膝につけていた手を離す。
「よし、回復した。カルティア、状況は?」
呼吸が整ったのを待ってから、現状を聞く。カルティアもすぐにそれに答えてくれた。
「はい。マスターは私の予想を超える速度で戻ってきましたため、まだ奴らが着陸するまでは余裕があります」
「そっちは了解。数は?」
「…………」
数のことになると、カルティアが言い淀むのがハッキリとわかる。つまりそれだけ言いづらいことであるということだ。
「もう一度聞くよ。――数はどれくらいになった?」
静かに、それでいて拒否権がないことを示した強めの声を出して聞く。
「……申し訳ありませんマスター。それでは報告します。現在、こちらに向かって飛来している異片の数は――」
――すでに二千を越えました。
「……確認したいけど、僕たちが戦った時はどのくらいの数だった?」
おそらくカルティアが見ているのは球体状の異体だろう。そして、その中から複数の異片が現れる。ゴブリン型なら二十体近く。オーク型なら十体。カニ型なら五体ほどがあの中から出てくる。
「……十あれば多い方かと」
「そっか……」
あれだけの数で十か……。観察も兼ねていたとはいえ、結構シャレにならない。
「……カルティア、さすがに今度はせん滅だけを目的にするよ。それだけに限定すれば何とかならないこともない」
僕と師匠はどちらも大規模戦闘を得意としている。特に僕は遠距離から魔法を撃たせれば世界最強を名乗れるレベルだ。
「ふむ……要するに大群がやってくると考えていいのだな?」
僕たちの話を横合いから聞いていた師匠が腰に下げている刀を楽しそうに揺らす。
「……楽しそうですね」
「ああ、楽しいとも。私が本気で剣を振るえる相手など、敵を殺すつもりのお前かヤマトとタケルの二人がかりぐらいだったからな」
特にお前は私に殺意を持たないしつまらなかった、と言って師匠は実に楽しそうに空を見上げていた。
……この人は本当の天才だ。ある意味でニーナと同じ面を持っている。
自分と張り合える相手がいない。本気を出せる相手がいない。その痛苦とはどれほどのものなのだろう。
……まあ、その点で言えば僕もなのかもしれないけど、僕の場合は立ち向かう相手が大き過ぎてほとんど気にならない。
「ふふふ……本当に久しぶりだ……。私が全力で剣を振るうことなど、もうないと思っていたんだがな……。エクセル、お前には感謝している。こうして私にまた剣を振らせてくれるのだからな」
「は、はぁ……」
どうしてだろう。この人がとても喜んで僕に感謝しているのはわかるのだが、どうしても素直に受け取れない。
――この人と僕は根本的な在り方が違う。だからかもしれない。
などと目の前にいる師匠との違いを考えていると、カルティアが緊迫した声を出した。
「皆様! 来ます!」
「……っ、来たか」
すぐさま今の考えを切り上げ、いつでも動ける体勢になって警戒を強める。
「……ああ、なるほど。あの微妙に蠢いているあれが私の敵か。何とも醜いものだな」
「……見えるのですか? ハルナ様」
カルティアが驚いたように師匠の方を見る。実際、僕には見えていない異片が師匠には見えているらしい。バケモノじみた視力をしている。
「よく空を見れば見えなくてもわかる。空に微かではあるが、淀んだ点があることにな」
「……僕にはわからなかった」
「修行不足だ、たわけ」
いや、修行不足という言葉で済ませていいのだろうか。
「それよりそろそろお前でも見えるところまで来るぞ。構えておけ」
「あ、わかりました」
腰を下げて、柄に右手を添える。いつでも抜刀術を使える姿勢だ。
「私は鳴動を。お前は無限刃を使え。いいな、初撃で一気に数を減らすぞ」
「了解です!」
下手に魔法を組み合わせない方がいい。この場合は師匠にも影響を与えてしまう。
「……来るぞ! 撃て!」
そして師匠の掛け声とともに、渾身の力を込めて抜刀する。
刃の嵐と次元の歪みが空に向かって放たれ、そこに向かって落ちてくる異片を残らず破壊しつくす。
ここに僕と師匠、二人での殲滅戦が開幕した。