一部 第十三話
翌日。僕が授業のついでにディアナを探すべく、学院内をうろついていた。
授業も選択性のこの学院。そして選べる授業の多彩性から時間割が同じになることは滅多にない。ロゼと同じ授業だって薬学くらいだ。
そのため、僕とディアナは共通する授業がほとんどない。僕は魔法の修得や理論の学習に重点を置いているが、向こうは戦闘訓練に重点を置いている。正反対の履修内容と言っても過言ではない。
僕は戦闘系の授業を行う外の教練場や体育館などを見て回り、ディアナの姿を探す。
「……あ、いた。ディアナー!」
しかし、見つけたのは僕が休憩しようと思って立ち寄った図書館だった。予想外だったが、見つけられただけ良しとしよう。
「……エクセ」
ディアナは僕のことを無表情に見上げ、名前をつぶやく。
銀髪というよりはややくすんでおり、灰色と表現すべき髪が耳元にかからない程度に短く揃えられた綺麗な少女だ。
瞳は雷鳴の轟く雲のような黒ずんだ灰色をしており、この瞳に宿った強い意志を見るだけでも並の人は委縮してしまうだろう。だが、それとは対照的に顔は小さな卵型で唇は桜色に色づいている。
見るべき人が見れば相当の美少女であると誰もが認めるはずなのだが、近寄りがたい雰囲気があるためあまり人との関わりは多くない。
基本的に無表情で無口なタイプだが、これでディアナはガチガチの魔闘士だ。接近戦の技術に関しては僕よりも高い。
「……最近、顔を見なかった」
ディアナは相変わらず物静かなしゃべり方をする。だが、その表情がほのかに僕を責めているように見えるのは僕の被害妄想だろうか。
「うん。今日はそのことを謝ろうと思って。本当にゴメン。せめて断りを入れるべきだったよね」
言い訳はしない。色々とあったのは事実だが、それは彼女に関係することではない。
「……別に。気にしていない。エクセにもエクセの事情があった」
「ううん。それでも僕がディアナに迷惑かけたのは事実だしさ。それで、今度お詫びに食事をおごろうと思うんだけど、どう?」
僕の発言にディアナの眉がピクリと動く。割と苦し紛れの策だったのだが、大当たりしたようだ。
「……それ、本当?」
物静かな瞳には期待の色が隠し切れていない。やはりタダ飯は誰にでも魅力的に映るのだろう。
「ウソはつかないよ。んじゃ、近いうちに連絡するから」
用件は伝えたので僕はすぐに帰ろうとしたのだが、ローブの裾を掴まれてしまう。
「……待って」
「どうかした?」
「……ここ最近、エクセとしていない」
僕とディアナが一緒にやっていることといえば、組み手くらいのものである。
確かにそうだ。僕はここ一ヶ月ディアナと顔を合わせていない。そんな中で手合わせも何もないだろう。
「うん、そうだね。……じゃあ、今夜あたりどう?」
昼間は僕もディアナも授業がある。だから僕たちの稽古は夜に行われていた。今回もその延長だ。
「……わかった。夜が楽しみ」
「あはは、僕もちょっと腕上げたはずだからね。今度こそ勝たせてもらうよ」
ロゼに付き合わされてくぐった修羅場の質は半端じゃない。というかレッサードラゴンと戦うなんて普通に冒険していても一度か二度あれば多い方だぞ。
「……じゃあ、いつもの場所で」
ディアナはそう言って立ち去っていった。右手に持っている剣を手をブラブラさせているところを見ると、どうやら軽く体を動かすようだ。
「さて、僕も少し体を動かすか……」
これ以上黒星を付けられるわけにはいかない。いい加減一つくらい白星を付けたいところだ。
……まあ、模擬戦では制限が多いから勝つのは難しいんだけど。
「……ん? ロゼ?」
どこか広い場所を探して体を動かそうとしたところ、何やら視界の奥から砂煙を上げながらこちらに駆けてくるロゼの姿があった。
僕は彼女がなぜ走っているのか理解できないまま、とりあえず手を振ってみる。
ロゼは勢いを緩めずにこちらに駆け寄り――
「なんて破廉恥な話を往来でしてるんですのーーーー!!」
いきなり殴ってきた。
「うわっ!? 何するんだよ!? それに訳わかんないよ、破廉恥って何さ!?」
散々走った速度を拳に乗せていたのでかなり速かったが、動きが直線的だったので簡単に避けることができた。しかしロゼはそのまま僕の胸倉を掴んで持ち上げてくる。
「あんな会話をして……! あ、あなたには羞恥心というものがないのですか!?」
「……?」
どうにも話がかみ合っていない。僕とディアナは今日の稽古をどこで行うか話していただけだ。それをどう解釈したら破廉恥に結びつくのだろう。
「ロゼ、まずは落ち着いて意見を交換しよう。僕には一切状況が掴めてないし、ロゼの考え通りであるという裏付けにもなるかもしれない」
僕は足が宙に浮いて息苦しいのを我慢しながら、ロゼが落ち着くよう説得する。というかここで下手な行動取ったら死ぬ気がする。
「そんなの必要ありませんわ! わたくしが全て聞いてました!」
「だからそれに誤解があるかもしれないでしょ! 大体何でディアナと稽古する約束付けただけで変態扱いされなきゃならないのさ!」
あと、そろそろ下ろしてほしい。首が絞まってきてる。
「……え? 稽古の、約束?」
ロゼの腕から力が抜けて、僕の足が地面に着地した。だが、胸倉を掴む力自体は弱まっていないため息苦しいのは変わらない。
「そ、そうだよ……。ディアナ、魔闘士志望だから……稽古に付き合って……、もらってるんだよ……。……いい加減、腕を離して……。死ぬ……」
視界が……霞んで……、なんか気持ち良くなってきた……。
「あら、すっかり忘れてましたわ。…………エクセ? エクセル!? ちょっと、目を覚ましなさいエクセル!」
「うわっ!?」
頭が段差から落ちたような衝撃で目が覚める。さほど痛くはないものの、衝撃でグラグラする意識を何とか立て直しながら、自分が何でこんなことになっているのかを把握しようと努める。
「ううん……、あれ? ロゼ? なにやってんの?」
あたりを見回して真っ先に目に入ったのは正座の姿勢を取ったロゼだ。僕が意識を落としている間に何があったのかは知らないが、顔が赤い。
「……何でもありませんわ」
「はぁ……。でも、顔が赤い――」
「な・ん・で・も・あ・り・ま・せ・ん・わ!!」
「はい、わかりました」
顔が赤い理由を聞こうとしただけなのだが、ロゼの迫力が怖過ぎて追及できなかった。
「えっと……、前後の記憶が少しあいまいなんだけど、ロゼは何か心当たりない?」
どうして僕が寝ていたのか、一切思い出せない。確かディアナと話して、僕も少し体を動かそうとして……、そこからの記憶がない。
「い、いいえ。ありませんわよ?」
「ふーん……」
どうやらロゼが何かやらかしたのは確定のようだ。だが、追及して話す気配がないため、僕は特に気にしないことにした。
「そういえば、ロゼはどうしてここに?」
「あなたとディアナの話を聞いたのですわ。わたくしも付き合ってよろしくて?」
「ロゼも? 別に構わないけど……、結構キツイよ?」
地道な体力作りなども兼ねているため、腕立て伏せやら走り込みもあるのだ。ロゼの身体能力は魔導士だけあって平均よりもやや低い。体力だけはフィールドワークなどもあるため、そこそこあるのだが……。
「望むところですわ。わたくしを誰だと思っているのです?」
「いや、ロゼがどうとかじゃなくて……、まあいいか」
その時になって苦しむのは当人だし、僕は忠告した。ならば無理やり止める必要はないだろう。
「んじゃ、僕は一人でちょっと体動かしておくよ。時間になったら呼びに行くから」
「あら、場所を教えてくれれば一人で行きますわよ? まあ、あなたがどうしてもというなら吝かではありませんが」
場所の説明が難しいのだ。さほど歩くわけではないのだが、少しばかり見つけにくい場所にある。
「それでいいよ。……夜、寝ないようにね」
「わたくしは子供ではありません!」
ロゼが怒ったのを尻目に僕はさっさと退散した。
……そういえば、どうして僕は段差から落ちたような衝撃を頭に受けたのだろう。あの辺に段差らしきものはなかったはずだけど。
「やっ、ロゼ。迎えに来たよ」
その日の夜。僕はロゼを迎えに再び女子寮に向かった。呼び出し方は昨日と同じで窓を叩いてロゼからの返事を待つ。
「……相変わらず非常識な現れ方ですわね」
ロゼは呆れ切った視線を僕に向けながらも、ちゃんと迎え入れてくれた。
「用意はできた? あ、武器もちゃんと用意して。あまり大っぴらに魔法は使えないから」
「武器を? ……エクセは見たところ何も持ってませんが……」
一目でわかるような位置に武器を持っていないだけだ。相手の意表を突くには様々な仕掛けがあった方が心強い。
「ローブ羽織ってる僕の武器が見えるわけないでしょ。それより行くよ。そんなに時間がかかるわけじゃないけど、夜だから少し道が見えにくいんだ」
「わかりましたわ。……ところで、その手は?」
「いや、一緒に降りようかと思って」
「殺す気ですの!? わたくしはこんな高さから飛び降りて無事でいられるほど頑丈ではありませんわ!」
ロゼなら《飛翔》が使えるはずだけど……。何も僕と一緒に壁を伝って下りろなんて言ってるわけじゃないんだし。
「ちょっと待ってなさい。玄関から出ますから、正門前で」
思ったことを正直に伝えようとしたのだが、ロゼは一足先に廊下へと続くドアを開けてしまっていた。
僕は一人で地面に着地し、ひっそりと隠れながら正門前まで向かう。女の子一人誘うのにどうしてここまで苦労しなければならないのか甚だ疑問だ。
「待たせましたわね。行きますわよ」
正門前でしばらく待っていると、ロゼが暗闇の中でもわかるほど颯爽と歩いてやってくる。そしてそのまま僕の前を歩き出して――
「待って待って! 場所は僕が知ってるんだから、僕の前出ちゃダメでしょ!」
あまりにも自然に歩き出すから僕も反応が遅れてしまった。何というリーダー気質だ。
「あら、そうでしたわね。では、キチンとエスコートなさい」
当たり前のようにロゼが僕に手を差し伸べてくる。え、なに? ダンスパーティーのお供でもしろと?
「……はいはい。手は握らないよ」
僕はまだ到着してもいないのに、肩にずっしりとした疲労がたまるのを自覚しながら歩き出した。ロゼもその後ろについて来ているのが気配でわかる。
「ところで、ディアナという人とあなたは長いのですか?」
歩き出して少ししたところでロゼがそんなことを聞いてきた。
「んー? うん、ロゼよりは知り合ったのが早いと思うよ。稽古を一緒にやり始めたのもそれからすぐだった気がする」
僕は歩く速度を緩めずに答える。後ろからうなずく気配がしたので、僕の答え方に問題はなかったようだ。
「……そうですか。それで、ディアナとはどんな人なのです?」
「それも会えばわかるよ」
一言で表すのは簡単だが、もっと詳しく言おうと思うと非常に難しい。あと面倒臭い。
「会う前に知りたいから聞いているのでしょう! ちゃんと答えなさい!」
「だからそれが難しいんだって!」
ロゼのごもっともな言葉を聞きながら、僕はディアナとの待ち合わせ場所を目指して歩を速めた。