三部 第二十話
僕が黙々と薬を作り続けて三日ほどが経過した時、それはやってきた。
「……っ!」
ニーナの短剣に塗り込む用の毒を作っていたのだが、その毒をうっかりこぼすくらい驚く。
宿の部屋にいてもわかるほどの濃密な存在感。そして脳裏に浮かぶ黒いエンシェントドラゴン――バハムルの姿。
『うむ、我の姿が脳裏に浮かんでおるな? それは魔法だ』
「しゃべった!?」
頭の中に浮かぶバハムルが口を開いたことに二度目の驚愕。なんというか、魔法って何でもありだな。
『神代の魔法を甘く見ない方がよいぞ。そちらの使う究極魔法とやらもその時代では上位に位置こそしたものの、決して最強ではなかったからな』
だから究極魔法単発では弾かれてしまったのか。それでも細かい傷はつけていたみたいだけど。
『……一つ断っておくが、通常の魔法にあんなバカげた魔力は込めないのだぞ? 魔法に関して、お前は常識外過ぎる』
……神話の時代から生きるドラゴンにまで常識外扱いされた。誇るべきなのか泣くべきなのか判断に困るところだ。
「僕に関してはまた後日ということで……近くまで来たの? だったら迎えに行くけど」
『頼む。本体を表して無用の騒ぎを招きたくはないのでな』
そりゃそうだ。下手に本来の姿を見せたら大騒ぎだろう。そしてすぐさま討伐隊が組まれるに違いない。
……そして返り討ちに遭うんだろうな。戦ってみてわかったけど、彼らは本来人が手を出しちゃいけない領域にいる存在だ。
「わかった。すぐに向かう。どこにいる?」
『門前すぐ近くの森だ。見かけたらこちらから話しかける。ああ、それと……』
バハムルから聞きたいことは聞けたので、立ち上がって出かける準備をしていたのだが、バハムルの用件はまだあるらしい。
『別にこの状態で話すのに声は必要ない。心の中で強く思えばいいだけだ』
それだけ言いたかった、と残して今度こそ頭の中にバハムルの姿が消える。
部屋の中にも頭の中にも誰もいなくなり、一人になったことがわかってからポツリとつぶやく。
「……先言えよ」
「こんにちは」
門番の人にペコリと挨拶をしてから外に出る。よく近くで素振りをしているため、門番とは顔見知りになってしまうのだ。
「……おはよう、エクセ」
「ん? ディアナ?」
だが、今日の門番は僕のあだ名を呼んで挨拶を返してきた。それに少しだけビックリしつつも門番の方を振り返って確かめる。
「……今は仕事中。兜は取れない」
しかし兜に覆われて顔の確認まではできなかった。まあ、声でディアナだと確信できたから別にいいのだが。
「ん、それじゃ」
「……行ってらっしゃい」
ディアナに手を振ってから、僕はバハムルのいそうな場所を探す。
幸い、強大な威圧感が付近でしたためすぐにわかった。黒い髪もチラホラと見え隠れしてるし。
「バハムル、遅かったね」
『うむ、少しばかり代理を決めるのに手間取った』
バハムルでも決めるのに手間取るとか、どれだけ森の奥は競争が激しいのだろう。
『基本的に平和ではあるのだが、それゆえ変化を好まない連中が多くて困る。今回のことも結構な騒ぎになった』
辟易したように首を振るバハムル。その姿を見て、森の奥でも平和にはいかないらしいと学んだ。
「まあ、ここにいるってことはそれも無事に終わったって判断するとして……、来てくれてありがたいよ」
『約束は守る。その証拠に少しばかり血も持ってきた』
そう言ったバハムルの手には人の血よりも遥かに濃い魔力を秘めた紅い液体が浮いていた。
「ありがとう。助かる。……とりあえず、魔法陣の方へ案内するよ」
その魔法陣を使うかどうかも見えなくなっている現状には目をつむることにした。
一緒に来るのがバハムルなので、遠慮せずに夜叉を使って一時間ほどで魔法陣のある部屋に到着する。
『ほぅ……実際に見るのは初めてだ。大胆にして精密。人間の知恵とはかくも驚かされるものであったか』
バハムルは魔法陣に使われている術式の数と複雑に絡み合い、それでいてどれ一つとして意味のないものなどないそれに感心してばかりだった。
……まあ、僕も最初にこれを見た時は本当に驚いたからわからなくもないのだが。
「うん……。でも、人間同士では話し合いが難航してね。ここの魔法陣を使うかどうかもわからなくなってきているんだ」
人間側の恥部をさらすような気持ちで白状する。しかし反応は思いのほか冷静だった。
『半分は予測していたことだ。異体に関する資料など、ほとんど現存していないのだからな。伝える一族もどこかで途絶えてしまっているだろう……』
「……そっか」
確かに異体のことについて知ったのもカルティアと出会ったからだ。彼女と出会わなければ、僕も知らずにいただろう。
『おそらく、人間の中で最も事態を把握しているのはお前だろう。我は実際に見たこともあるし、戦ったこともあるが』
「待った。戦ったことがあるって初耳なんだけど」
見たことはある、とは聞いていたのだが戦闘経験があるまでは聞いてない。
『尖兵共を露払いしただけなのでな。それを誇らしげに語るのもどうかと思っただけだ』
「それでも貴重だよ! どんな感じだったの!?」
『あまり強くはなかった。数だけは多いが、お前なら問題なく蹴散らせる程度に過ぎない』
もうちょっと具体的な情報がほしいところであった。僕なら勝てる、ではなくどの程度の実力があれば勝てるかどうかを知りたい。
「……まあいいや。今日は見せに来ただけだし。一旦上に戻ろう」
『む、なぜだ? 時間が惜しいのではないのか?』
「時間が足りないのは確かだけど、今はあまり波風立てない方がいいんだよ。僕もそうだけど、人間っていうのは脅威が明確にならないと動かない存在だからね」
僕は基本的に事なかれ主義だ。なので知らないことには見向きもしないし興味も示さない。だから異体だって知らなければそのままでいただろう。
『……人間の本質は怠惰にこそあるのかもしれんな。そして追い詰められた時の底力は我々すら驚かせるものがある……、都合の良い種族だ』
「かもしれない」
真理を突いている言葉に僕は苦笑しながら、魔法陣の方を眺める。
「……悪いけど、ちょっと愚痴こぼしていいか?」
魔法陣を見つめていると急に自分の無力を強く感じてしまい、今まで積もり積もったものと相まって、心が折れそうになってしまう。
『なんだ、我にでなければ言えないことか?』
「いや、誰もいなければ鏡に写った自分にでも言うべき愚痴だよ」
つまり相手が特別親しい存在でなければ誰でもいい。
『我相手に弱音を吐くか……お前も存外に傲岸だな』
神をも恐れぬ――ではなく竜をも恐れぬ行動にバハムルが苦笑する。
……言われてみれば確かに相当図太い頼みをした気がしてきた。
「でも言い出した以上は話すよ。聞くね? うん、話そう」
『別に了承したわけではないのだが……いいだろう。我相手に立ち向かう人間は多くとも、我を相手に愚痴をこぼそうなどという相手はお前が初めてだからな。面白くもある』
どうやら僕は本当に珍しい行動をしたようだ。
「じゃあお言葉に甘えて……。最近さ、あまり自由に動けないんだ」
『自由に、とは?』
「僕は旅人として生きてきた。物心ついた頃からそうしてきたし、きっとこれからもそうやって生きていく。要するにしがらみなく自由に生きたいんだ」
『自由とはそれに伴う責任もあるが……お前なら問題ないか』
まあ、人の道を外れてまで何かやりたいわけでもないし、自由に生きると言ってもそこまで苦しいわけではない。
「ずっと旅してきたけど……ここ三年前からは別のものになった」
目的が明確となり、それを成し遂げるために走り続けた。前からもそうだったのかもしれないが、少なくとも焦ってはいなかった。
「タケル――あ、こいつは因縁の相手ということで解釈しておいて。僕の恩人を殺したそいつを追いかけて……今度は異体を相手に戦う羽目になって……」
『ままならぬ、というわけか』
「うん……」
何もかも自由にならない。異体を倒すにも色々と手順を踏まないと勝てないし、タケルは異体の中に入らないと生死の確認ができない。
「おまけに僕と一緒にいた女の子も結構不安定で……、僕に依存しているんだよ……」
『相当苦労しているようだな……』
バハムルが適度な相槌を打ってくれるため、こちらとしても非常に話しやすい。おかげでだいぶ心が軽くなってきた。
『だが、別に依存するのは問題ないのではないか? 数が多いからこそ、それぞれがそれぞれを支え合い、凄まじい力を発揮する。それが人間だろう?』
バハムルの言葉も正論だ。別に依存すること自体が悪いことというわけではない。それはつまり、相手のことを信頼しているということだから。
「……でも、これから僕が戦う相手は異体だよ? 絶対どう考えたって死ぬ確率の方が高い。なのに今の彼女と来たら……僕が死んだら後を追うんじゃないかって不安なんだよ」
そうそう死ぬつもりもないが、万に一つの事態というのはあり得る。その時ニーナを残したらと思うと……寒気がする。
『……お前は長には向かないな。様々なことを真剣に考え過ぎて袋小路に入ってしまう』
色々なことに頭を抱えている僕を見たバハムルの言葉がそれだった。
「……重々承知してるよ」
リーダーの柄じゃないことぐらい、自分が一番良くわかっている。ああいうのは兄さんみたいに細かいことを何も考えず、それでいて真っ直ぐ目標に向かって突き進めるような人がやるべきものだ。
僕みたいに細々したことでも考え込んでしまうような人間はリーダーを補佐する役回りの方が向いている。
「……まあ、ある意味なるべくしてなったことだからね。やるとしたら最後までやるさ」
だけど、それでも僕は全部背負うことを選んだ。弱音を吐くことはあっても、投げ出すことだけは絶対にしない。
『む、もう愚痴はいいのか?』
「うん。ありがとう。聞いてくれて」
ニーナやロゼにしてしまうと、僕に慣れない役割を押し付けたみたいに感じて引け目を覚えてしまうだろうから言えないのだ。
『なに、そこまで悪い気分でもなかったさ。……で、どうするかは決めたのか?』
「もうどこから何を言われようと知ったことか。魔法陣、用意するよ」
『あいわかった。協力しよう』
僕の言葉でバハムルは血を用意し始める。
説明とか細々したことは全部後回しだ。とにかく正しいと思ったことをやっていこう。
理解されなくても構わない。その代わり、やったことへの責任は全部取る。
――よし、覚悟もできた。あとは突っ走るだけだ!
「バハムルは血を抜いては魔法陣の上に置いていって! 多分説明しなくてもわかるでしょ! 僕はちょっと色々な人から進捗具合を聞いてくる!」
『む、了解した。お前以外の誰かが来た場合、何と言えばいい?』
「血を提供してるとだけ! あとはこっちから説明しとく!」
もはや何も考えず、脊髄反射のみの言葉を口に出しながら立ち上がる。すぐにティアマトへと戻るためだ。
愚痴を吐き出したことによって一時的ではあるが、心がスッキリした。ならば思考が前向きになっている今のうちに色々とやってしまうべきだ。
などと考えている間も、僕の体はティアマトへの道をすごい速度で爆走していた。




