三部 第十九話
しばらくは忙しい日々が続いた。
ロゼは偉い人達との会議に連日出席し、どんどん疲れていく様子が目に見えてわかる。
僕だってロゼに体を壊してまで会議に出られても困るだけだ。そりゃ情報はほしいけど、ロゼの健康と引き換えでは割に合わない。
だから何度も休むように言っているのだが、一向に聞く様子がない。土下座してまで頼んでいるのに、まったく無視とはさすがに傷つくものがある。
ガウスとディアナはあちこち走り回って情報収集に忙しい。特にガウスの方は学院に通っている様子が見受けられない。
……卒業見込みはあるって言ってたから大丈夫、なのか? 最初から卒業するつもりのなかった僕にはその辺りのことがよくわからない。
ディアナは仕事とも両立ができているから問題はない。強いて言うなら若干疲れ気味なことだが、ロゼほどひどくないため僕が作る滋養強壮効果のあるポーションでどうにかフォローできる。
カルティアは変わらず異体の観測。人気のない高い場所でほぼ一日中異体を眺めている。
……まあ、これに関してどうこう言うつもりはない。僕が指示したことでもあるし、死なない程度に調節することもできるだろう。
ニーナはほとんど変わらず僕と一緒にいる。魔法の知識がない彼女には雑用ぐらいしかやることがないのだ。
そして僕はと言えば……、
「やることってこれぐらいしかないんだよね……」
地道にポーション作成に勤しんでいた。
「はい、エクセ。言われた薬草採ってきたよ。……また落ち込んでるの?」
ニーナが机に頼んでおいた緑色にわずかな黄色の斑点がある薬草――シスの草を置きながら、呆れた視線を向けてくる。だって……、
「みんな頑張ってるのに、僕一人だけこんな……」
「エクセにできることが他にないんだから仕方ないじゃない。それに愚痴を言いながらも手が止まってない辺り、エクセも気に入ってるんじゃないの?」
ニマニマとした笑顔でこっちを見るニーナ。無性に腹が立つからやめてほしい。
「そりゃ、薬学は嫌いじゃないけどさ……。この状況下でひたすら草をすり潰したり煮詰めたり……虚しい」
すりこぎにニーナの持ってきたシスの草を入れ、ゴリゴリと動かす。草からにじみ出る緑色の液体が潤滑材となってペースト状になってきたところで手を止め、小型のビーカーに移す。
それを下から火で温め、沸騰する寸前になったら温度を維持しつつニーナが来る前に用意しておいたバラユの花の絞り汁を加える。
淡い紫色の液体が緑色の液体と混ざり合い、色々な変化を起こして薄い黄色の液体へと変わっていく。
それを注意深く見つめながら、黄色の中にかすかな青が見えてきた時点で火を止め、ポーションの容器に移す。
容器の中でポーションの色は黄色から青へと変わっていき、海水のように透き通った青になった。
「何度見ても不思議よねえ……。それ、どういう過程でそんな色になるわけ?」
容器の中にできたポーションをまじまじと見ながら、ニーナが僕に聞いてくる。僕もほとんど実地で得た経験だから座学関係に詳しいわけじゃないんだけどな……。
「専門的なこと言うと混乱するから省いて結論だけ言うと――色素と色素がくっついて化学変化した結果この色になる、としか言えない」
「……十分難しいんだけど」
「かなり省いた方だよ。というかそういった知識に関してはあまり知らないんだ」
僕の場合、あまり細かい仕組みよりも結果だけを求めて薬学を勉強していた。だからどの薬草と、どの薬草の組み合わせがどんなポーションになるのかはほとんど覚えているが、理論的な部分ではわからないことの方が多い。
「そうなの? いつも淀みなくあたしの毒とか作ってくれてるから博識なのだとばっかり思ってたわ」
「だからその辺は覚えてるんだって。どれとどれをどんな風に混ぜたらどんなものができるのか、には自信あるよ」
その代わりどうして、という理由部分はまったくわからないが。とりあえず使えるものが作れればいいんだよ。
「うし、これは滋養強壮、と……」
一目でわかるようにラベルを貼り付けて棚に置く。滋養強壮だけでもう棚が二列ほど埋まってしまっている。
「溜まってく一方ね……。誰に使ってほしいわけ? ……って聞くまでもないか」
ニーナが肩をすくめながら壁にもたれかかる。この部屋は薬剤の調合用に別の一室を借りているため、ベッドがないのだ。
「ロゼだね。最近のロゼは見てて辛い」
目の下にもひどい隈ができ、白くはあったけど健康的な感じがした肌も今では見受けられない。
ある程度は化粧でごまかしているようだが……、そもそも化粧自体を薄めにしかしない主義のロゼがいきなり化粧を濃くするのだからバレバレだ。
「まあ、そうでしょうね……。あたしもあの人は頑張り過ぎてると思うし」
「できることなら代わってやりたいけど……、ロゼの位置に僕が成り代わることはできない」
僕たちの中で社会的地位が一番高いのは間違いなくロゼだ。ゆえに、戦闘以外の雑事にかかる負担が一番大きい。
これが戦闘なら僕が前に出られるのに……。自分の無力を嘆くばかりだ。
「ロゼと僕じゃ戦う分野がまるで違う。だから、僕にできることはこれくらいしかない。……そう頭じゃわかってるんだけど、ね……」
また別の薬を作るべく、以前ニーナに頼んでおいたソウルフルの実を干したやつを三つほど取りながら、自嘲のため息をついた。
「エクセはまだいいじゃない。こうして決戦に向けて薬を作ったり周辺に出てくるモンスター倒したりできるんだから。あたしなんてほとんど雑用よ?」
「こっちだって一緒だよ。ただ、ちょっとだけ魔法関連の雑用も任されるだけ」
『はぁ……』
お互い同時にため息をついてうなだれる。一応、事の中心にいるはずなんだけどなあ……?
異体にはタケルも少なからず関わっている。いや、正確に言えばタケルの持っていた剣が、だ。
タケルが関わっている以上、僕もニーナも無関係ではいたくない。
もっとも、今の奴は生死不明で死んでいる確率の方が遥かに高いのだが。
「……ニーナはもう休んでて。僕はこれ作ったら休むから」
「……ん、了解。もう作れる薬なんてないものね」
ニーナは戸棚にある草や実がほとんどなくなりかけているのを見て、僕に手を振りながら部屋を出て行った。
「そういうこと」
一人残された僕は誰にでもなくつぶやきながら、戸棚から最後の材料である赤くて丸い実を取り出した。
これは造血作用のあるククルの実と言って、ソウルフルの実と混ぜ合わせることで体力魔力両方を回復する良質なポーションが作り出せる。
まずは徹底的に水分を抜いたソウルフルの実を粉末状になるまですり下ろす。
「ゴリゴリゴリ……っと」
静かに無言でやるのが無性に寂しくなったので、擬音を口に出してみる。
……何も変わらなかった。
「…………」
あんなことを言っていた自分がアホにしか思えないので、無言ですりこぎを脇に寄せ、別のボウルを用意する。
そしてククルの実を布に包んで持ち、そこに軽めの重力魔法を発動させる。
重力が均等にかかって布に包まれた実が潰れてゆき、汁も内部に溜まってこぼれない。
完全に潰れたと判断してから、重力魔法を解いて絞り汁をボウルの中に入れる。
「ふぅ……魔法って便利だなあ……」
昔なら万力か何かを使って人力で潰していたのだが。
達成感とともにやる気を出し、先ほどすり潰した粉末とこの汁を混ぜ合わせる。これで完成だ。
「よし、完成っと」
魔力回復と体力回復のラベルを両方貼り付け、棚に置く。これで今日のノルマは達成だ。
「ん……」
肩を伸ばし、凝り固まった全身の筋肉を解す。二十四時間戦い続けることも修行の一環でやったことがあるのだが、それとは別の疲れがあった。
「さて、体を動かすか……」
一しきり体を解したあと、僕は波切を持って窓に手をかける。バカ正直に扉を開けて外に出てもみろ。一瞬でニーナにバレるわ。
すでに体を動かすのは日課になっている。本音ならば一日五、六時間は素振りをしていたいところだ。
「はぁ……もどかしい」
だが、僕にできるのは自分を磨くことだけ。ロゼたちの役に立つことはできない。そのことがどうしようもなく悔しい。
「……まあ、ここで愚痴垂れていても仕方ないか」
今は耐えるべき時だ。僕が動く時は絶対に来る。ならばその時に備えて少しでも牙を研いでおくのが今の僕にできることだ。
無理やり心を前向きにし、僕は窓から外に飛び出した。
「――とか思ってるんでしょうね、あのバカは……」
エクセが窓の外から出ていくのを気配で読み取りながら、あたしは毛布の中でひっそりとつぶやいた。
あいつはバレていないと思っているのかもしれないけど、あたしからすればバレバレもいいところよ。せめて気配を消す努力くらいはしてほしいわね。
……まあ、最近はこの宿の中ぐらいだったら心臓の動きまで把握できるようになっているから無駄だけど。
「ったく、変なところであたしに気を使うんじゃないわよ……」
最近のあいつは妙によそよそしい。特に行動とかに表れているわけではないけど、昔と比べてどこか遠慮があるのよね。
……あの日からだ。エクセが気負い始め、あたしたちにも他人行儀な接し方になったのは。
最初はあたしにもそこまで余裕があったわけじゃないから、思い詰めているものだとばかり思っていたが、あれはエクセなりの線引きなのだろうと今ならわかる。
エクセは優柔不断なように見えて意外と決断力がある。おまけにヘタレな面ばかり見せているようでいて、決して自分の弱みは見せない。
以前はあたしか兄さん相手に弱音を吐くことはあったのに……今はまったくない。
それが強さであることを否定するつもりはないわ。以前はどこまでも受動的でまず誰かが動かない限り腰を上げなかったが、今では自分で決めて自分で動いている。むしろ成長したとしみじみ思う。あたしも幼馴染として鼻が高いわ。
「記憶がないもんね、あいつは……」
村で過ごした記憶がないため、旅を始めたばかりのエクセは本当にひどかったのを思い出す。無表情無感動で何があっても眉一つ動かさないような奴だった。
「それはさておいて……」
今のあいつはこう考えているはずよ。『今のニーナはひどく不安定。だから僕がしっかりする必要がある』と。多少違いはあるかもしれないが、そこまでかけ離れてもいないはず。伊達にあいつの幼馴染はやっていないわよ。
……実のところ、エクセが思うほどあたしは追い込まれていない……はず。
自己分析だから今一つ信頼できないけど、少なくともエクセが思うほどあたしは重症ではない……たぶん。
タケルが出てきたり、エクセが死んじゃったりした場合はわからないが、エクセが多少ケガをしたくらいなら動じない自信ならあるわね。長い付き合いであるからこそ、あいつがそれくらいで止まらないこともよくわかっている。
――なら、あたしはそのサポートをしてやればいい。
そう考えて一緒にいるようにしているのだけど……、どうも素直に厚意を受け取られていない気がしちゃうのよね。
もちろん、それくらいでエクセのサポートをすることを譲るつもりはないから、何を言われても退くつもりはない。
……そうなるとやはり思っていることを素直に言ってしまった方がいいわね。
よし、明日言ってしまおう。
エクセはきっと驚くだろうけど……、その表情も楽しみにしておくということで。
「……あはっ」
うん、滅多に驚かないエクセの驚愕は非常に面白そうだ。あたしもあまり見たことがないのだから。
弾むような心持ちで、あたしは睡魔の海へと意識を落としていった。