一部 第十二話
僕とロゼがフィールドワークに出かけてから三週間が経過した。
その間、僕はひたすらにクリスタルを売りさばいたり食堂のアルバイトに精を出したりと非常に忙しい日々を送っていた。
そして先日になってようやく、僕は杖の借金を返し切ることに成功したのだ。
「終わったーー!!」
僕は夜の自室で稼いだお金と借金に当てるお金、さらに生活費を紙に書き込んで何度も確認し、これ以上働く必要がないという事実に快哉を上げる。
「んー? もう働き終わったのか?」
ガウスが寝転がっていたベッドの上から体を起こし、こちらを見る。僕はそれに満面の笑みでうなずいてやった。
「うん! やっと今までの睡眠時間二時間の生活から解放される……!」
ロクに食事も睡眠も取れない日々は辛かった。だが、この経験はきっと僕に素晴らしい何かを与えてくれるはずだ。そう、具体的には今後の生活の快適さとか。
「そっか。そりゃおめでとさん。……あ、言い忘れてた。ついさっきロゼがこっち来てたぞ」
「ロゼが? それは珍しいね」
彼女が僕たちの部屋に来ることはあまりないことだ。一応、僕もガウスも住んでいる場所は男子寮なため、女性であるロゼがここに来るには手続きが必要となってくる。
……まあ、これは多少の手間暇かければ誰でも何とかできるのだが、彼女に限っては例外がある。
そう、ファンクラブだ。
彼女にはファンクラブがある(本人否定)。しかも構成員全てが女性。彼女の男運のなさには僕も同情せざるを得ない。
ファンクラブの活動はロゼを愛でたり、ロゼに近寄る下賤な輩の排除やら、ロゼのファンを増やす布教活動など多岐にわたる。
僕は今までロゼの良き友人として彼女たちにも認められていたのだが……、最近は何やら『仲良くし過ぎです……いっそ一思いに……』などという不穏な噂を耳にするようになったため、それもだいぶ怪しくなっている。
とにかく、そのファンクラブのメンバーがロゼを男の部屋に向かわせるなど許すのだろうか。否、絶対に許さないだろう。
「どうやって……?」
ゆえに僕はロゼからの伝言の内容よりも、ロゼがどうやってここに来たのかを疑問に思った。
「《透明化》使って女子寮を抜けたんだってさ。んで、ちゃんと手続きしてここまで来たらしいぜ」
「魔法使ったの!?」
魔法使わないと監視を消せないなんてストーカーの領域だ。衛兵に訴えれば勝つぞ。
「ああ。でも、ロゼ自身があれだからなあ……。無邪気に向けられる好意を無碍にはできないだろ」
「あの目がギラッギラしてる人たちの好意が無邪気なら、きっと法律での犯罪基準が大幅に緩くなるだろうね」
ガウスの言葉に突っ込みを入れながらも、内心で僕は納得していた。
ロゼが面倒見の良い性格であることは僕だって知っている。そのロゼが彼女たちの手を振り払う場面を想像するのはちょっと難しい。
「まあ、いいか。その辺はロゼに苦労してもらうしかないし。んで、内容は?」
「ん? ああ、確か『早く約束を果たしなさい』だったかな。他にも色々言ってたけど、要点はこれ。……エクセ? どうした、そんなこの世の終わりみたいな顔をして」
「終わった……! 何もかも……!」
思い出した。思い出してしまった。一月半ほど前、僕はロゼに夕飯をご馳走する約束をしてしまっていたのだ。しかも本人のご希望は銀貨一枚もする高級料理。
僕は震える手で紙を持ち、現在の僕が自由にできる金額を恐る恐る確認してみる。
……ギリギリ足りる金額がそこにあった。
「また……貧乏生活か……っ!」
勘の鋭いロゼ相手にいつまでも隠し切れるとは思えないし、何よりこれは僕も了承した約束だ。どう考えても踏み倒せない。
「ん? どんな約束なんだよ」
「……夕食、銀貨一枚、僕とロゼ」
「単語だけで説明するな。少しは理解させようとしろ。この上なく理解できたけど。……あー、この場合、俺はお前を羨めばいいのか? 憐れめばいいのか?」
そういえばロゼは男子にも人気があったな。確かこの前『足で踏まれたい人ランキング』のナンバーワンに輝いていたし。もちろん本人はこの事実を知らない。
……あんなランキング、一位になって喜ぶ輩がいるのだろうか。僕だったらアンケート取った奴を滅殺しているぞ。
「どちらかというと憐れんで……。もともと、僕が言い出した約束じゃないし……」
「ってことはロゼが持ちかけたのか。お前も相変わらず気に入られてるな」
ガウスがニヤニヤとした笑みを張りつかせながら、僕のわき腹を肘でつついてくる。
「たかられてる、の間違いでしょ。それに僕だけだからね。ロゼのあれに付き合えるの」
突拍子もなく事件を探しに行ったり、外に出てモンスターが頻繁に出る場所で薬草採取に行ったり、彼女の訓練に付き合わされたり。
「まっ、お前がそう言うなら何も言わねえよ。ところで、ディアナはどうするんだ?」
「あ、マズイ。最近忙しかったから話してないや」
ガウスの言葉に僕は頭を抱えてしまう。
ディアナというのはガウスともロゼとも違う僕の友人だ。
この場にいないから説明がし辛いので、一言だけ。非常に物静かな人である。
ディアナは初めっから魔闘士になりたくてこの学院に入学した変わり者で、僕と彼女はよく手合わせをする仲なのだ。
でも、それもこの一ヶ月半は忙しくてロクに稽古ができなかった。説明はするけど、断りもなく稽古をすっぽかしてしまったことに関するお詫びはしておくべきだろう。
「僕の出費はどこまでかさむんだ……!」
また借金生活に逆戻りする未来が見えてきた。一日でいいからお金持ちな生活を送ってみたい。
「お前も苦労してんなあ……。あ、俺は手伝わないぞ。こっちもこっちで忙しいんだ」
「ふーん……」
僕はジト目でガウスを見つめる。レポートなどで切羽詰まっている姿を見たことは何度かあるのだが、こいつが働いている姿を僕は見たことがない。
僕自身が一生懸命働いているから、部屋以外ではあまり顔を合わせないのも理由の一つにあるだろう。でも、それだけで一年以上わからないままというのはさすがにおかしい。
……まあ、ガウスにもガウスの生活があるだろうし、どうこう言うつもりはないが。
「って、手伝ってよ! ガウスのレポート手助けしてんの誰だと思ってんのさ! 恩を返さない奴は最低だぞ!」
ガウスの忙しさがあるのは十二分に理解した。だがこちらも結構キツイ状態であることを知ってほしい。
「んだよ、ロゼからの伝言教えてやっただろ」
伝言は教えるものであって、教えたら恩を返せるようなものではない。
「冗談だって。まあ、本当にお前が困ったらな」
僕の目に込められた感情を理解したのか、ガウスは笑いながら手をひらひらと振る。
確かに僕は本当に困るような事態に陥ったことはほとんどない。一時期食事が取れずに餓死しかけたが、あの時はロゼが助けてくれた。
……何だかんだ言っても困った時に助けてくれる友人がいるだけ、僕はマシな部類に入るのだろう。
「その時は頼むよ。んじゃ、ちょっと出かけてくる」
僕は窓枠に足を乗せ、いつでも飛び立てる体勢を作った。
「おい、待てよ。もう夜も遅いぞ」
ガウスの言う通り、すでに夜の闇は街を覆い尽くしている。もう眠りについた家だってあるだろう。
「だからこそ、だよ。白昼堂々向かったら八つ裂きじゃ済まされない」
人間、数の暴力には勝てないようになっている。ファンクラブの人たち全員を敵に回したら、僕の命はあっさりと消えてしまうだろう。
「まあ、それもそうか……。んじゃ、気を付けてな」
ガウスに手を振ってから、僕は大きく窓枠を蹴って空に身を投げ出した。ちなみにここは二階である。
着地する瞬間、前に転がることで衝撃を殺した僕はローブに付着した土を払いながら、女子寮目指して歩き出した。
ロゼの部屋は女子寮の最上階である四階に位置する。普通そこは上級生がいるべき場所じゃないのか、と突っ込みたいのは山々なのだが、魔道士の世界は実力主義だ。ある意味当然の結果とも言える。
そんなロゼの部屋までどうやって行くか、僕は二秒だけ逡巡し、すぐに決断した。
「《身体強化》」
僕の筋肉や脳神経の伝達速度を魔力が補助し、運動能力を飛躍的に高める。同時に全身を薄く覆う魔力の保護膜がある程度の攻撃も防いでくれる。
魔闘士になるのなら必須の魔法だが、本職の魔道士を目指すならまったく必要のない魔法である。
僕は全身を覆う魔力の軽い高揚感に気分を良くしながら、地面を蹴って四階まで一息にたどり着き、レンガ造りの壁のわずかな凹凸に指を引っ掛ける。
一応、僕はロゼの部屋にも何度か行ったことがあるので、難なく場所を探り当てる。
そして全身を見せずに軽く握った拳で窓をトントンとノックした。
しばらく待つと、部屋着姿のロゼが窓を開けてきたので僕はシュタと手を上げる。
「やっ」
「エクセ!? あなた、どうやってここに……! い、いえ! 今しばらくお待ちなさい!」
ロゼは僕の姿を見つけた最初は驚愕に目を見開いていたが、すぐに慌て出し、わたわたと窓を閉めようとする。
「いや、いいよ。すぐに済む要件だし」
「そういう問題ではありませんわ! 女は見栄えを気にする生き物ですのよ!」
「男はそういうの気にしない生き物だから大丈夫」
だから安心して。と続けようとしたのだが、それはロゼの拳で邪魔された。
「わたくしは女ですわ!」
「危なっ!?」
幸い、壁にいる相手を打つような拳に体重も速さもないため、難なく避けることができた。それでも僕はロゼに非難の視線を向ける。もし食らったら落ちて死んでたぞ。
僕が拳を避けた一瞬の隙間でロゼは窓を閉め、カーテンまで下ろしてしまう。
「ちょ……ロゼ!?」
あまり大声を出して騒げる場所でもないが、それでも出せる最大限の声を出してロゼを呼ぶ。
窓をコンコンと叩き続けること五分ほど。再び窓が開かれ、そこからいつものローブ姿のロゼが姿を現した。
「……で? 要件というのはなんですの?」
「……別にローブでも何でも僕は気にしな――イィッ!?」
「気分の問題ですわ!」
僕の言葉は顔を赤くしたロゼの攻撃で遮られてしまう。いい加減避けるのも面倒になってきたので、さっさと用件だけ伝えて帰ることにしよう。
「あー……、とにかく用件を言うね。近いうちに約束を果たすよ」
「へ? それって……」
「高級料理屋でのディナー。言い出したのはそっちでしょ。これから店を探して予約したりしないといけないからまだ少し時間かかるけど……、必ず遠くない間にもう一度声かけるね」
僕の報告にロゼは呆けたように口をポカンと開けていたが、すぐに嬉しそうに頬をバラ色に染め、いつも通りの強気な表情でこちらを見た。
「ええ、当然ですわ。むしろ今まで待たせたことを謝罪しても良いくらいですわね。……とにかく、楽しみにしていますわ」
「うん。……言いたいことはこれだけ。じゃあ、また明日」
用件を伝えたら、何やら言い知れぬ照れくささが急に湧き出てきたため、僕はそそくさとその場を逃げるように飛び降りた。
「あ、エクセ!?」
ロゼの声に返事もせず、僕は音もなく地面に着地して走り出した。
さて、明日はディアナに声をかけるか。ロゼだって大勢で食事した方が楽しいだろうし。
この時の僕には知る由もなかった。その行動によって僕は自分に関係のある事件に、彼女たちまで巻き込んでしまうことに。