三部 第十二話
「まさか下水道の中で一日を過ごすとは……」
ニーナが妙に戦慄した顔で一人つぶやく。そこまで恐れるようなことか?
「……私も同感。初めてここで寝た時は熟睡しているエクセの正気を疑った」
「それ初耳なんだけど!?」
しかしディアナまでが賛同するようにうなずき、あまつさえ僕の正気を疑っていたというのは初めて知った。
「……事実。あの時、完全に熟睡していたのはエクセだけ。他のみんなは臭いや環境が悪くて眠れなかった」
「ふーん、そこまでひどいものかねえ」
床はレンガ造りで固いから眠りにくいのもわからなくはないが、そこまで気にするものでもないだろう。
「あたし、旅した期間はこいつより二年ぐらい長いけど、これは真似できないわ……」
「……エクセ、もしかして大物?」
「かもしれないわ……。こんな図太さがあるなんて知らなかったし……」
ディアナとヒソヒソ話しているニーナ。会話がほとんど聞こえているぞ。あれか? 二人とも僕を貶したいのか?
「……マスター。大器をお持ちなのですか?」
「僕に聞くな」
カルティアの質問に心の底から泣きたくなった。なぜかはわからないが。
こんな感じで、僕たちはティアマトの魔法陣を確認しに下水道の中を歩いていた。
「にしても、どうしてここのモンスターは次々と復活するんだろうな」
「……知らない。どこかに再生術式でも組まれているのでは? 私の予想では下水道のレンガの中に一つ一つ編み込まれているものだと思う」
「おそらくそうでしょう。先ほどからレンガに不自然な凹凸が見受けられます」
「そんなことはどうでもいいから手を動かしなさい! ああもうまた来た!」
僕とディアナ、カルティアが他愛もないことを話しながら戦っていると、必死そうに短剣で石人形を捌いていたニーナが悲鳴を上げてきた。
「大丈夫だよ。ここの連中、今の僕たちならそこまで苦戦しないでも勝てるから」
核の位置も見ればわかるくらい表に出ているし、昔は何でこんな奴らに苦戦したのかわからないくらいだ。
「あたしが現に苦戦してるんですけど!? ここ、狭いから隠密なんてできやしない!」
苦戦しているという割には一撃で石人形を倒しているじゃないか。それが短剣でできるだけ大したものだろう。
「んじゃ、そろそろ頑張りますか……ねっ!」
もうすぐ目的地でもある。ちょっとばかり力を出したって悪くないはずだ。
波切は抜刀せず、両手にクリスタルの刀を作り出す。できた双刀を握って人形どもの中心に飛び込んでいく。
「はっ!」
鋭い呼気を吐き出しながら、双刀を振るい縦横無尽に石人形を斬り崩す。以前の結晶を纏わせただけのような剣とは違い、磨き抜かれた滑らかさを誇るこの剣ならば砕けることなく何でも斬ることができる。
……まあ、柔軟性が上がったわけじゃないから横合いからの強い衝撃には弱いままだけど。
舞うように何度も回転し、止まった時には僕の周囲に敵の姿はなかった。
「ふぅ……これで全滅だね」
両手に持った双刀を消しながら深呼吸をする。警戒レベルを下げつつも、敵の見逃しがない程度には気を張っておく。
「……もしかして、この程度の敵ならエクセ一人でも大丈夫だった?」
「何を今さら」
ディアナのポツリとつぶやいた言葉に突っ込みを入れざるを得なかった。
「まあ、別に来るというなら止めるつもりもなかったけどね。大丈夫だとは思うけど、不測の事態っていうのはいつだって起こりうるものだし」
「そうです。私とマスターの二人だけではカバーし切れない部分も出てきますので。ニーナ様も直接戦闘には向かない方ですから」
「……本当?」
先ほどまでニーナは普通に戦っていたため、ディアナが信じられないような顔でニーナの方を見る。
視線に気付いたニーナは苦笑しながら呼吸を整え、その場から姿を消す。
「……っ!?」
そして次の瞬間にはディアナの後ろに回り込んでいた。
「こういうこと。あたしが一番得意なのは気配隠し。あ、それとこれ返すわね」
ニーナはディアナにあるものを投げ渡す。受け取ったそれは――ディアナの使っている長剣だった。
「……いつの間に」
ディアナはニーナの卓越した隠密技術に目を見開きながら、剣を腰に差し直す。ニーナにもう一度奪われないよう、手でがっしりと掴みながら。
「気配を隠してひっそりといただかせてもらったわ。あたしにかかればこれくらい朝飯前よ」
「……何で前に出て戦っているの? これなら敵に気付かれずに戦うことだってできるはず」
「こんな狭い空間で一人二人騙すならともかく、あんな大勢を欺いて倒すのは無理。二十くらいまではいけるだろうけど、そこであたしの存在がバレるわ」
二十体は倒せるだけ大したものだと思う。そもそもこいつらって魔法生物の類に入るから、知覚器官とか人間の比べものにならないはずだし。
「……マスター、私の感覚器官がおかしくなったのか、一瞬だけニーナ様を補足し切れませんでした。これは私の故障ですか?」
「カルティアの感覚が正しいと思う。僕もわからなかったし」
と言っても、僕はすでにニーナの隠密を見抜く努力など放棄しているのだが。いや、無理だって。あんな存在感すら希薄にするレベルの隠密を暴くなんて。
「それより先に進みましょ。あたしのなんてどうせ相手に見つかってないことが前提で初めて成り立つんだから」
ニーナ、それは少し自分を過小評価し過ぎだろう。確かに言っていることは正しいが、相手に見つかっていなければ無類の強さを誇るじゃないか。不意を突けば僕だって為す術もなく負けるというのに。
「……エクセ、行こう。こういうのはいくら第三者が言っても無意味」
僕が何を言いたいのか察したのか、ディアナがそっと僕の肩に手を乗せた。
「……そうだね」
ディアナの言い分が正しいと思った僕は、一抹のやるせなさとともにうなずいておいた。
「二人とも、何してんのよ。置いてくわよ!」
誰を話題にしてたと思ってるんだ……! と妙な怒りを抱きながら僕とディアナはニーナの方に小走りで駆け寄っていった。
「ここが魔法陣の部屋?」
だだっ広く、ひたすらに白く塗り潰された空間を見渡しながら、ニーナがキョロキョロと辺りを見回す。そんなに見たって何もない。
「あ、すごく大きい骨が転がってる」
「……そういえばみんなで戦ったドラゴンゾンビの骨、片付けてなかった」
懐かし過ぎるものが残っていたようだ。ひょっとしたら奴に傷つけられて流した僕の血もその辺にあるかもしれない。
「ここの魔法陣は起動していないようですね。そしてここが全ての起点となる魔法陣のようです」
「そうなのか、カルティア?」
三年前に戦ったギーガはそう言っていたが、敵の言葉だからこれっぽっちも信じてなかった。だが、それもカルティアが言ったとなれば話は別だ。
「はい。描かれている魔法陣の形が私の記憶にある始点魔法陣と一致します。……おそらく、タケルもそれを知っていて最後に回したのかと」
カルティアの言葉にうなずきながら、僕は魔法陣を眺める。ここの魔法陣の効果は魔力吸収。範囲も非常に広く、発動した時は周囲の生態系が変わりかねないほどの影響が出た。
「……カルティア。この状況でタケルがここの起動をしていなかった。……これってマズイ?」
「……はい。全ての魔法陣を十全な機能で発動させるには、魔法陣だけでは足りません。タケルが行っていたように何らかの方法で媒体が必要となります。無論なくても行えますが、効果が著しく低下するのは避けられないかと」
やはり何とかする必要があるか……。
「だけどエクセ。人骨を使うなんてのは人としてどうかと思うわよ? まあ、他に手段がないならやるしかないけどさ……」
「……そうなったら私がエクセを止める。例えそれで世界が滅ぶとしても、私は私の役割を放棄しない」
ニーナの発言に対し、ディアナが僕に対して剣呑な気配を向けてくる。そこまで僕は残酷な人間だと思われていたのだろうか。ちょっとショックだ。
「やらないよ。そんなことして世界を救ったって僕に残るのは罪悪感だけでしょ」
傍から見れば英雄になれるのかもしれないが、僕自身は罪のない人たちを殺したことを一生悔やんで生きることになる。
――冗談ではない。そんなこと、頼まれたってするものか。
「……それでもどうしようもなかったら?」
「自爆覚悟で特攻する。死ぬ気はないけど、他に方法がなければしょうがない」
自分で後悔するってわかっている選択肢を選ぶぐらいなら、死地に向かうくらい何でもない。
「まあまあ……。言い出したあたしが言うのもどうかと思うけど、そんな“もしも”の話に熱くならないでこれからのことを考えない?」
ニーナが仲裁に入ってきたため、僕たちも不毛な話から現実的な話に思考を切り替えた。
「そうだね……。ロゼたちの方も気にはなるところだけど……、まずは置いておいてこっちの都合だけで物事を考えよう」
「……異論はない」
「私としてはまず、この魔法陣の起動準備をおすすめします。マスターの考えている策を実践するには必要不可欠のはずです」
カルティアがさっそく意見を出してくる。というか現状それぐらいしかできることがない。
「ぶっちゃけ、僕たちにできることってそれぐらいだよね……」
偉い人とのコネを持っているわけでもないし、僕たちにできることはせいぜい縁の下の力持ちくらいだ。
「でも、これだけの大きさの魔法陣を覆えるほどの媒体集めも大変じゃない? あたし、そんなすぐには思いつかないわよ?」
「それは確かに……」
ニーナの言葉は一理ある。というかこんな大きな魔法陣を強化するような媒体、そうやすやすと見つかるわけがない。
これの媒体探しも人手を増やして片っ端からやっていくしかない、と諦めかけた時だった。ドラゴンゾンビの遺骸が目に入ったのは。
――僕を見下ろす巨体。人間とは比べ物にならない知性を秘めた瞳に黒い鱗。
「あ……」
脳裏によぎった映像に僕は思い当たる節があった。ドラゴンゾンビの――つまり竜の死体を見て思い出したのだ。
――あの日、僕とロゼが出会った巨大竜のことを。
「あれなら間違いなく条件を満たせる……!」
ドラゴンの血、骨、皮、どれを取っても非の打ち所がない魔法増強の媒体だ。おまけに相対するであろう相手は間違いなくエンシェントドラゴン。効果の高さは折り紙付きだろう。
問題は戦闘になった場合だが……徹底的にこちらから下手に出れば何とかなるだろう。もし戦いになってもその時はその時だ。
「ちょ、ちょっとエクセ? さっきから一人でブツブツ独り言言ってるみたいだけど……頭でも打った?」
一人で色々と考え始めた僕を見かねたのか、ニーナが心配そうな顔でこちらを見つめてくる。少し一人の世界に没頭し過ぎた。
「あ、ああ、大丈夫。それより思いついたことがあってさ。まずはそれを試してみたいんだけどいいかな?」
「……内容次第。まずは話して」
ディアナのジト目になぜか悪いことをした気分になりながら、僕は自分の思いついたアイデアを披露した。
「うん、エンシェントドラゴンを倒そう!」