三部 第十話
「そう……ですか」
僕の拙い話に一言も口を挟まずに黙って聞き終えたロゼは、肺にあった全空気を吐き出してしまうのかと思うくらい深い息を吐いた。
「ロゼ、本当にごめ――」
その様子がどこか泣き出しそうなのを堪えているように見えた僕は、思わず口を開こうとする。
「謝罪は受け付けませんわ」
しかし、それは素早く僕の唇に人差し指を当てたロゼによって阻止された。
「謝罪というのは相手に対して迷惑をかけたら行うこと。今回、あなたはわたくしに迷惑などかけておりませんし、むしろ感謝しているくらいですのよ?」
「……感謝だって?」
ロゼの口から発された言葉が信じられなくて思わず聞き返してしまう。僕はロゼに感謝されるようなことをしていない。というか絶対大声で何か言われると思っていた。
「ええ。……先に想いを押し付けたのはわたくし。そしてあなたはそれに自分の答えを告げただけ。エクセもこういったことには疎いでしょうし、ひょっとしたら返事がもらえないかもと思ったこともありましてよ?」
「そこまでひどい人間じゃないよ。まあ、その手のことに疎いっていうのは否定できないけど」
尻込みしたのも事実だし、返事をしないという選択肢があったのも事実。無論、人としてどうかと思うから選ばなかったが。
……それに、誰かを本気で思っている人の想いを踏みにじるような行為はできなかった。僕の知り合いで友人である人ならなおさらだ。
「そうですわね。――でも、ちゃんと返事をしてくれた」
「約束は守るよ。どれだけキツくっても」
自分で決めたことだから。
「……ふふっ。それにしても、フラれてしまいましたわね」
ロゼが唐突に両手を胸の前で組みながら歌うように話し出す。とてもではないが口を挟める雰囲気ではないので黙って話を聞く。
「――ですが、諦めませんわ」
「……は?」
黙って話を聞いていたら脅威的なセリフがロゼの口から出てきた気がする。いかん、ちょっと冷静でなくなってる。落ち着け。
「えっと……ロゼにはもっと良い人がいくらでもいると思う……ん、ですけど……」
「そうはそうかもしれませんわね。人生、まだまだ長いのですからどこかでエクセ以上に良い人に巡り会える可能性だってあります」
恐る恐る顔色を伺いながら言ってみた僕の言葉に、ロゼはうんうんと何度もうなずく。よかった、ちゃんと理解はしてる――
「が、それはあくまで可能性でしかありません。今のわたくしにとって、最も心惹かれる男性はあなただけですわ」
「…………」
あまりにもストレート過ぎる言葉によって、僕の顔が熱でも発しているかのように熱くなる。
「あら、照れてますの?」
「ち、違う! これは……そう! 宿で飲んだワインが効いてきただけ!」
図星を指されてしまい、思わず否定してしまう。だが、それはロゼの笑みをさらに深めるばかりだった。
「妙なところで照れ屋ですのね、エクセは。新しい発見ですわ」
「……そうかい」
「ともかく、わたくしは諦めませんわよ。もともと三年間待ったのです。さらに努力してあなたを振り向かせることだって朝飯前ですわ」
あ、やっぱり三年前からだったんだ。僕がロゼの想いに完全に気付いたのは昨日なのに。
……本当、僕って鈍感みたいだな。
「断っておくけど、僕が自分の意思を曲げることって滅多にないよ。それはロゼも知っていると思う」
決めたことは最後までやり通す。兄さんからの教えは何一つ失わずにここまで駆け抜けてきた。すでに僕の信条にまでなっている。今後一生変わることはないだろう。
「ですが、自分にとってやる価値がなくなったものを惰性で続けるような人でもないでしょう? あなたにとって価値があるのなら、傍目から見てどれだけ下らないことでもやり続けますが、価値がないと判断すればあなたは見切りも早いはずです」
「……よくおわかりで」
「ずっと見てきましたもの」
またもストレートな言葉で顔が熱くなる。チクショウ、さっきからこっちが圧倒されっぱなしだ。
「そしてわたくしも自分にとって価値があると判断したからこそ、あなたを振り向かせることをやめませんわ。こればっかりは――誰にも譲らない」
「……なら、僕からはもう何も言えない。ロゼが決めたことを僕が無理に変えることはできないし、やってもいけない」
やっていいのはせいぜいアドバイスくらいだ。もっとも、それだって僕と同じくらい意志の固いロゼ相手に効果があるとは思えないが。
「ええ、それでいいのですわ。……さて! それではみんなと決めた集合場所に向かいましょうか」
「了解。……ディアナと鍛錬してた場所だったね」
その場所を指定したのはディアナ本人だ。これだけでもオチが読めてしまうのが泣ける。
……お手柔らかにお願いすると言っておくか。
ロゼと並んで、僕たちはティアマトの門を目指して歩き出した。
到着した場所にはすでにディアナたちが待っていた。ニーナとカルティアもおり、僕が宿にいない間に起きていたらしい。
「……遅い」
「いや、正確な時間は決めてないでしょ。これぐらいでいいじゃん」
「……時間がないと言っていたのはエクセ。だから私はそれに合わせた。女性を待たせたらいつの時代でも男が悪い……と書いてあった」
とりあえず自分から折れるつもりが毛頭ないことはよくわかった。ならば僕が大人になって謝ってしまうのが得策か。
「はいはい、悪かったよ。お詫びと言ってはなんだけど、手合わせの申し出は受けるから」
「……よくわかった。エクセは私の考えていることが読めるの?」
「いやいやいやいや、こんなだだっ広くて何もない場所に呼び出されれば誰だって想像するだろ! 初めて来た俺でもわかったぞ!」
僕が突っ込みを入れる前にガウスが鋭い突っ込みを入れた。いつの間にそこまでの突っ込み技術を手に入れたのか、一度聞いてみたいものだ。
「……うるさい」
しかしディアナの返事は鞘に収めたままの剣だった。
「おわぁっ!? 理不尽過ぎる!?」
間一髪でそれを避けるガウス。ただ、想定外の行動で反応が遅れただけで避け方自体は危なげなかった。
「あははっ、エクセの友達っていつもこんな感じなの?」
ため息を吐きながら事態をどう収拾したものか悩んでいると、こちらに駆け寄ってきたニーナが笑いながら僕の方に手を置いてきた。
「いや、普段はもうちょっと静かだった感じがあったけど……」
「きっとエクセが帰ってきたことの興奮が醒めてないのですわ。わたくしだってそうですから」
ロゼの説明にも今一つ納得がいかなかったが、他に理由の説明ができないのでそういうものなのだと納得するしかなかった。
「ふーん……。ほら、ディアナ! そろそろガウスを打つ手を止めなさい! 動かなくなってるから!」
ビクンビクンと小刻みな痙攣は起こしているから死んではいないだろう。ディアナだって手加減したはずだ。
「……今のは準備体操」
「頬に付いてる血を拭いてからそういうセリフは言って欲しいかな」
ゴシゴシとディアナが頬の血を拭き取るのを横目に、僕はガウスに近寄って傷の具合を確かめる。
「……ん、見た目はひどいけど出血も少ないし、骨に異常もなし。ほとんど打撲だから適当に湿布貼っておけば治る。……ちょうどいいや」
ギル爺からもらった魔力拡散効果のあるブレスレット。これさえあれば治癒魔法も使えるらしいので都合の良いケガ人を探していたところだ。
「ちょっと待て。今なんて言った。俺はお前の実験台じゃないぞ!?」
僕のつぶやきを耳ざとく聞いていたらしく、ガウスが痛む体を起こす。だが、ケガ人の体を押さえつけるのは僕にとって片手でも容易なことだった。
「大丈夫大丈夫。失敗しても傷口が化膿するくらいだから」
左手でブレスレットを取り出しながら、右手でガウスの体を押さえ込む。暴れられないよう首のあたりを掴ませてもらった。
「クソッ! お前、何を――」
「《治癒》」
ガウスの言葉を最後まで聞かずに治癒魔法を発動させる。今までも発動自体は問題なく行なえたが、肝心の治癒の方が魔力を注ぎ過ぎてダメだった。だが今回は……?
「お、あぁ……? な、治ってく……? エクセの魔法で!?」
「コラ。僕だって成長するんだよ」
まあ、言いたいことはわからなくもないが。以前の僕は究極魔法や戦術級魔法以外ロクに扱えなかった。
ケガが完全に治ったのを見て、僕は魔法の光を収める。ガウスは傷のあった場所を何度も撫でながら調子を確認していた。
「おお……! 痛くない! それに副作用もない! 完璧だ!」
「副作用って何さ」
どこまで僕の魔法は信じられていないのだろう。いや、理由はわかるんだけど。
「……驚いた。まさか繊細な技術が求められる治癒魔法まで使えるようになっていたとは。『魔導王』まであと少し?」
「頑張った……って言いたいところだけどこれは魔法具のおかげだよ。魔力を拡散させる効果があるんだ」
言いながら左腕につけたオリハルコン製のブレスレットを見せる。みんなも驚いた顔をしていたが、魔力拡散の効果は僕にしか有効活用できないため、すぐに落ち着いていた。
「魔力収束だったらなあ……俺たちも使えたんだけど」
「……エクセに効果を及ぼすほどの魔力拡散だから、私たちが付けたら魔法の発動すらできなくなる可能性がある」
「そうですわね……。魔法に関してはこのバカ魔力、としか言えませんし……」
ガウス以外の学友たちの言葉にそこはかとなくトゲがある気がしてならない。
「マスター……。異体との決戦時にそれはあまりお勧めできません。すでにお気付きだと思いますが、究極魔法が使えなくなります」
カルティアの忠告にうなずく。治癒魔法が使えるというのはかなりのメリットだが、同時に究極魔法が使えなくなってしまうのは途方もないデメリットだ。
「わかってる。だから状況によって着脱可能にしてある。月断流相手でもない限り、夜叉を使えば時間の確保ぐらいできる」
「……思い出した。私と手合わせ」
カルティアに対応策を話しながらブレスレットを外していると、今までのやり取りで忘れかけていた模擬戦のことをディアナが思い出す。
……忘れていてくれればよかったのに。
「はいはい、付き合いますよ。……まあ、ちょうどいい鍛錬になるか」
朝にやりそびれてしまった鍛錬をやるのにピッタリだ。
「……前と同じ形式でやる?」
前と同じ形式というのは限りなく実戦形式に近いやり方で、僕とディアナが昔よく行っていたものだ。
「それでいいよ。……行くぞっ!!」
ディアナの言葉にうなずいてから、僕は天技を使わずに突進をかける。
さあ、まずは様子見だ!
時間がない……。キャラ設定を出そうと思うのに、全然進まない……。一日が三十時間欲しい……。