三部 第九話
宿の部屋に戻る途中、僕はロゼから言われたことについて考えていた。今だけは異体に関することを考えずに彼女のことを考えなければならない。
(……ロゼには悪いけど、たぶん僕は三年前からどこかで気付いていたのかも知れない)
これは事実だ。彼女の態度にはその手の経験のない僕ですら違和感を覚えるほどだった。
まあ、僕もそれに合わせていたからティアマトの中では恋人同士に見られていたのかもしれないな。あまり他の視線を気にする方ではないから今となってはわからないけど。
……だが、それがわかったからと言って何になる。彼女の想いに僕はどう応えればいい?
この問いに明確な答えなどないことはわかり切っていた。最適解がないこともわかっていた。僕が後悔しない答えを選べば間違いでないこともわかっている。あまりに倫理的にかけ離れているのは除くが。
(そもそも、僕は何とロゼを天秤にかけている?)
思考の途中で入るのはいつもそれだった。何がロゼの想いを受け入れることを拒む? 彼女の一途な想いを僕は何と秤にかけている?
「……明日、っていうのはちょっと無茶だったかもな」
迷いが弱音となって口からこぼれ出る。周囲を見て、今の弱音が誰かに聞かれていないかを確かめてからホッと安堵の息を吐く。何で安堵したのかはわからない。
ロゼに対する妙な後ろめたさを抱えたまま、僕は宿に戻った。
「あれ……ニーナ?」
男一人の女二人で部屋を取っているはずだから、彼女がこの部屋にいる理由がない。僕が戻るのも結構遅かったし。
「お帰り。ロゼさんたちと飲んできたの?」
「ああ、うん。と言っても、お酒じゃないけどね」
少なくとも僕だけはジュースを飲んでいた。酒が飲めないわけではないのだが、あまり好きではないのだ。あのアルコールの酩酊感がどうにも慣れない。
「へえ、そうなんだ」
ニーナは特に驚くことなく、穏やかに相槌を打つ。まるで僕が何か悩んでいることを全てお見通しているかのように。
「……どうしてここにいるの? ニーナの休む部屋は別に取ってあるでしょ」
「それはそうだけどね。帰ってきた時に誰もいない部屋じゃ、エクセが寂しがるかと思って」
悪戯そうな笑みを浮かべて舌を出す。この幼馴染は僕のことを一体何だと思っているんだ。
「人を寂しがり屋のように言わないでよ。子供みたいじゃないか」
「そういってムキになるところが子供っぽいのよ」
……言い返せない。
「……で、人を言い負かすために来たわけ? だったらサッサと部屋に戻れって言うけど」
「そういうのじゃないわよ。ただ、部屋で外を眺めていたらエクセが何か悩んでるように歩いてるのが見えたからね。それでここにいるわけ」
本当なら寝てるところなんだから、と言ってベッドの下に放り出した足をゆらゆらさせる。
「異体について悩んでる、って感じじゃないわね。あんたは出すべき結果がハッキリしてることにはそんなに迷わない質だから」
それに関しては同意する。あれを倒すこれを行う、とやるべきことが明確な時に僕が迷うことはほとんどない。優先順位がわかりやすいって楽だ。
「だからあんたの悩みはきっと答えの出ない問い。違う?」
「……大当たり過ぎて不気味なくらいだよ」
ロゼといいニーナといい、どうして僕の考えていることをそこまで的確に読める。僕ってそこまで素直なタイプか?
「あら、大当たりだなんて。あたしはただあんたの行動パターンから推測しただけなのに」
僕が参ったと言わんばかりに両手を上げると、ニーナはわざとらしく驚きの表情を作る。
「だけど根拠があるんだろ。でなきゃあんな断定口調にはならない」
「女の勘」
とんでもないものが根拠に出てきた。僕はどんな反応をすればいいんだ。
「まあ、あたしのことはどうでもいいじゃない。重要なのはあんたの悩みでしょ」
「う、確かに……」
いや、うら若き乙女が男の部屋にいるのも結構由々しい問題な気もするが、ニーナだからいいやと思う気持ちが強い。夜叉を覚えている以上、そこらの雑魚じゃ足止めにもならない実力があるし。
「あんたにもあんたの悩みがあるでしょうから深くは聞かないけど、とりあえずあんたが答えを出すまで一緒にいたげるわ」
「……どうして?」
これから考えることには相談役も答えを提示する人も必要ない。全部僕が一人で悩んで一人で答えを出さなければいけないものだ。
「あんたの悪癖で、一人で悩み始めると勝手に悪い方向へ持っていくのがあるからね。悩み過ぎてぶっ飛んだ答えを出さないためよ」
「ぐ……」
またも否定できないお言葉をいただいた。幼馴染って厄介だ……。
「まあ、どうしても嫌って言うなら構わないけどね。本当に一人で考えたいなら無理強いはしないわ」
「ニーナ……」
何だかんだ言っても僕のことを考えて行動してくれているのは確からしい。そのために夜遅くに男性の部屋に入り込んでいる以上、あまり誉められた行動ではないが。
「…………部屋に戻って。やっぱり、こればかりは一人でやらないと意味がない代物だから」
しばし黙考した後、僕はニーナを部屋に戻すことにした。
そこにいるだけとはいえ、ニーナが部屋にいてくれるのは本当に助かる。
――でも、それでは一人で出した答えにならない。
誰かにヒントすらもらってもダメなのだ。今回に限っては。
「……そっか。それじゃ、あたしは部屋に戻るわね。おやすみ、エクセ」
僕の言葉にニーナは弟の独り立ちを見守るような喜びと一抹の寂しさをないまぜにした笑顔を見せ、僕の部屋を出て行こうとする。
「おやすみ。……それと、来てくれて正直気が楽になった。ありがとう」
出て行く前に声をかけてお礼を言うと、ニーナは目を細めて慈しむような笑顔で手をひらひらと振った。
「来た甲斐があったってものね。どういたしまして」
ドアに手をかけたところで静止し、ニーナはこちらに横顔だけを見せるように体を傾けてこちらを見る。
「最後に、一つだけ――」
――頑張ってね、エクセ。
それだけを言い残して、ニーナは部屋を出て行く。
残された、というよりようやく一人になれた部屋で、僕はニーナの言葉を頭の中で反芻していた。
(頑張って、か……。何を頑張るのか教えてないのに、都合の良い……)
だが、その言葉が胸にストンと落ちてきたのも事実。実に安上がりな精神をしているな、僕は。
汎用性の高過ぎる言葉であるにも関わらず、気分の良くなってしまった自分に苦笑しながら思考を元に戻す。
しかし真剣に考えようと適当に考えようとすぐさま答えが見つかるかどうかはまた別問題だ。ぶっちゃけ、行き詰まったままで何一つ変わっていない。
ただ、ニーナとの会話のおかげでぼんやりとではあるが僕の選ぶべき答えが見えてきた気がする。
ロゼの想いを受け入れること自体には否定すべきものが何一つ見当たらない。俗的ではあるがメリットデメリットの面から言ってもメリットしかない……はず。
そもそもあんな素晴らしい女性に想われて悩むとか、僕がそれを見ている第三者の側だったらそいつに殺意を抱いているところだ。
……ちょっと思考が脱線したな。
バカなことに向きかけていた考えを消し、今現在どうにかすべき問題であるロゼとのことを考える。
(……今さらだけど、ちょっと安請け合いし過ぎた気がする)
記憶のほとんどを旅に使った僕が、このようなことを考えること自体おこがましい気がしてきた。
まあだからと言って請け負ってしまった以上は何が何でもやるのだが。
(………………僕がどうしたいのか、だな)
ここまで考えていれば、僕が何と何を天秤にかけているのかぐらいは理解できるようになる。
僕が迷っているのは、このままニーナと一緒に旅を続けることの方だ。というかロゼとタメを張れるくらい大切な物はそれぐらいしかない。
実のところ、ニーナと旅を続ける未来は結構明確に予測することができるのだ。もともと一緒に旅をしていたわけだし、その延長線上で考えればさほど難しくはない。
そして――ロゼには悪いが、僕はロゼと一緒になった先の未来を想像できない。
それにその場合、ニーナとカルティアはどうなる? ロゼのことだから見捨てることはしないだろうが、僕と一緒に来ることも不可能なはずだ。
離ればなれになる? 二人と――ニーナと?
「嫌、だな……」
知らず知らずのうちに感情が口からこぼれ出てしまい、自分でもビックリする。
だがこれでハッキリした。僕の気持ちが。
僕は――ニーナと離れたくない。
幼馴染だから、ではない。彼女の方が復讐に心血を注いでいるからでもない。たとえニーナが何をしようと、僕はきっと彼女を選ぶだろう。
強いて理由を言語化するのなら……守護欲という言葉が当てはまるはずだ。
ニーナを守りたい。ニーナの思いを守りたい。
――ニーナの全てを守りたい。
「……なんだ。答えは出ているじゃないか」
その思いを自覚すると、自分でも呆気ないと思うほど簡単に問題は解決した。
ロゼの想いをすぐに受け入れられなかったのは、これが根底にあったからだ。
そして一番大切な僕の根っこを自覚してしまった以上、ロゼの願いは叶えられない。
ジクリ、と胸が嫌な疼きを覚えて顔をしかめるが、何もしないで受け入れる。
罪悪感なんて感じられるほど大層な身分ではない。これからロゼが受けるであろう痛みに比べれば、この程度何のことはない。
胸が嫌な感覚で締め付けられる中、どこか清々しいような気持ちも湧いてくる。これはやはり僕が自身の根源を理解したからだろう。
――もう、迷わない。
この先どんなことがあっても、僕は僕が選ぶ道を迷わない。自分勝手だと言われようが、貫くべき道だ。
ニーナを守る。兄さんの墓前で誓ったことであり、そのためなら命を投げ出しても何ら後悔はない。
……最終決戦でニーナと僕の命、どちらかを取れと言われたらニーナの命を取ろう。
おお、ロゼに対する答えを探していたのにいつの間にか僕自身の身の在り方にまで向かっていた。
「……あとは言うだけだ」
ロゼはどんな行動を取るだろう? 泣くだろうか? それとも悲しむだけだろうか?
どちらにせよ僕はこれから彼女を傷つけてしまう。そのことを思うと気分が暗くなるのがわかるが逃げていいことではない。
……それに傷つくロゼを見て僕が傷つくのならば、ロゼの方が傷は大きいはずだ。嫌がる資格すら僕にはない。
「とはいえ、気が重い……」
口では嫌がるようなことを言いながら、ベッドから立ち上がる。すでに空には朝焼けが薄くできていた。いつの間にかそんなに時間が経っていたらしい。
「あらら、剣を振る時間はないね、これは」
毎日やらないとすぐに鈍ってしまうから、時間を見つけてはやるようにしていたのだが。
「仕方ないか、過ぎたことだし」
しかしすぐさま思考を切り替えて、僕は部屋を出て行った。過去のことをくよくよと考えるようでは前の方に見えるものも見えなくなってしまう。
そんな意味のないことを考えながら、僕は宿を出てロゼの住む女子寮を目指して――
「あ、そういえばロゼは卒業したんだった」
……みんなが起き出す頃まで待とう。
微妙に締まらない自分にため息をつきながら、僕はすごすごと宿の中に戻っていった。
……ロゼが好きだって言う方、申し訳ありません! これが私の精一杯です!
……しかし、私って本当に幼馴染属性好きだな。