二,五部 第十三話
まずは分身する。それは夜叉を使った速度でとある動きをすれば意外と簡単にできる。この辺はコツさえ掴めば僕でもできた。
「分身が六体か……やればできるじゃないか」
兄さんを取り巻くように分身したため、兄さんは警戒して足を止める。
「色々と感覚が掴めたんだよ! ……それに、驚くのはここからだ」
分身に戦闘能力はない。所詮、僕が動いて作り出しているだけの残像に過ぎないものだ。斬られれば消えるし、あまり複雑な動きもできない。
だから僕はこれに魔法を追加した。
使用するのは水属性上級魔法《姿写》。水鏡のように磨き抜かれた水面を利用して、自分とまったく同じ姿をした水の塊を作り出す魔法だ。
そして、僕はこれと分身を組み合わせることでとある天技を擬似的にではあるが再現する。
――天技・鏡写し。
魔法が発動するのと同時に、今まで作り出していた全ての分身がそれぞれの意思を持って動き始める。
三体が手にクリスタルの刀や魔法などを用意して兄さんに突撃をかけ、残りの三体は後ろから魔法の援護をするべく下がる。
「ん? おいおい、分身でどうやったらこんな複雑な動きができる――っ!?」
兄さんは僕の通常の分身ではあり得ない動きに不審そうな顔をしていたが、分身の持つ刀がすぐそばの地面を砕いたのを見て、顔を驚愕で顕にする。
「ウソだろ!? これって全部――」
「本物だよ。擬似的な、ね」
そして僕も後ろに下がって攻撃に参加していた。
「天技・鏡写し。分身と僕の魔法を併用することで何とか可能になった技だよ」
「マジかよ……オレどころかハルナ様でさえ、会得できなかった技だぞ……。まさか剣才で劣るお前が覚えるとはな……」
「形だけの見よう見まねだけどね。それでも、戦いには十分使える!」
『そう、ここにいる僕は肉体も魔力も全てが本物だ!』
鏡写しとして天技が機能した瞬間、僕の作り出した鏡像は全て本物になった。おそらく、本体である僕が死んでも別に誰かが本物に成り代わるのだろう。
『もっとも、僕たちは時間制限付きだけど……』
『兄さん一人を倒すくらい、余裕だ!』
鏡像の僕がまったく同時に話し、兄さんに向かって攻撃を開始する。
自分の声が五つ重なって聞こえる奇妙極まりない声を聞きながら、僕もありとあらゆる属性の魔法を乱射しておく。
氷のトゲが無数に上から落ち、炎の渦が兄さんを呑み込もうと迫る。風の刃が両断せんと迫り、雷が辺りを焦がす。
後ろにいる僕含めた三人の魔法が接近戦をしている僕の合間を縫って怒涛の勢いで撃ち出される。
「お、おわっ!? これは……キツイ!」
兄さんもこれには慌てた声を出す。さすがに六人の僕がまったく同じ身体能力にまったく同じ魔力を持って戦うのには防戦一方にならざるを得ないようだ。
『受けてみろ!』
接近戦を挑んでいた三人が距離を取り、それぞれ刀を突き出すように構える。
――瞬剣多重・花菱。
三方向から迫る雷電を纏った剣に対し、兄さんは汗を流す。
地上に関してはどの方向に逃げてもダメなのだ。今から逃げたのでは、反応して返す刀に斬られてしまう。
ならば必然的に逃げる箇所は上だけとなる。
しかし、上に逃げるのは僕の想定通りであることを兄さんも理解している。だから上には逃げられない。ちなみに上に逃げた場合には後ろの三人からの究極魔法が待っている。
「くっ……!」
兄さんは焦るように歯ぎしりし、次に僕でも予想していなかった行動を取った。
後ろから来た剣を半身になることで回避し、左右から来た刃をそれぞれ片手で白刃取りする。
要するに、三方向から来た剣全てを兄さんは受け切ってみせたのだ。
「冗談だろ……?」
今度は逆に僕がそうつぶやく番だった。確かに僕一人一人の技術は兄さんに及ばないが、それでも三人いれば一太刀ぐらい浴びせられると思っていたのに。
「こっちだって焦ったさ。正直、一撃受けるのは覚悟していた。だが……運はオレに向いているらしい!!」
兄さんがしゃがみ込んで足払いを放ち、背後に回り込んでいた僕を転ばせる。左右から迫った二人はその時点で距離を取っていた。
「せっ!!」
背後にいた僕は地面から足が離れ、崩れた体勢を立て直す暇もなく兄さんの刀の餌食となってしまった。
「クソッ……!」
「まずは一人……と。ったく、とんでもない技だな。天技・鏡写しは。ハルナ様が聞いたら血の涙を流すんじゃないか?」
「かもしれないね。あの人は本当に天才だから」
こと剣技に関しての才能なら兄さんを凌いでいる。僕の知る限り世界最強の剣士はあの人だ。
「違いない。……ところで、お前が本体なのか?」
兄さんは僕の言葉に喉の奥でクツクツと笑ってから、当たり前の疑問を口に出す。
「さあ、どうだろうね? むしろさっき斬った奴が本物かもよ? というより、全部本物と同じだからね。どれを斬っても本体だよ」
ちなみに斬られた僕の体は霧散している。その時点で本体でないことはバレるのだが……。というか、僕が死んだ時体がどうなったかなんて覚えているわけがない。
「そいつは面倒だな。……だが、いっぺんに作れるのは六人が限界なんだろ? お前の鏡写しは必ず分身を作るという過程が必要だからな。必然的に、分身の作れる最大数が鏡写しの最大数だ」
「…………」
的確に技の弱点を見抜いてきた兄さんに閉口するしかない。ヤバい、ここまで早く弱点が見抜かれるとは……。
「……それでも、僕が六人いるのは脅威のはずだよ。これが続くなら、兄さんだって無傷じゃ済まない」
「ああ、無傷で勝つのは無理だ。断言したっていい。でも――勝つことは無理じゃない」
この人はどこまで高みにいれば気が済むんだ。僕が兄さん六人に囲まれたら即諦めるぞ。
「……僕が六人いるのに、勝てるなんて言うんだ。怒るよ? 僕だっていつまでも弱いままじゃないんだよ?」
「だったら数の暴力に頼らないことだな。相手と一対一で勝てないなんて、自分が弱いことを肯定しているようなものだぞ?」
挑発されている。そんなことは誰にでも理解できることだった。
こんな挑発に乗るべきではない。理性は事実を告げている。
(……ああくそ)
さっきまで決めていたセコく小狡く立ち回って勝とうと決めていたのに。本当に兄さんは人を煽るのが上手い。
「……いいよ。死んで掴んだ技が、あれだけだとは思わないことだね」
僕は自分の分体を全て消し、単独で刀を握る。
「……言ってみただけなんだけどなあ」
「僕も自分の心変わりに驚いてるよ。……こんなの、これが最初で最後だ」
後ろも周りも何も気にしないで戦える勝負なんて、今後はないだろうから。
……さらに言ってしまうと、柄じゃない。正面から戦う正攻法は僕に向いてないのに。
「ははっ、まあ最初で最後なんだ、いいじゃないか。オレと全力で戦えるのも。お前が後ろとか気にしないで戦えるのも」
それもそうだ。どうせこれが最初で最後だというのなら――
「とことん、後先考えない全力で戦うまでだ!」
守りなんて無視だ無視! 即死するような攻撃のみ弾いてあとは刀を振るうのみ!
「はぁっ!!」
天技・影走りを使用して一気に兄さんまで肉薄する。兄さんもそれに対応するように刀を振り上げた。
「うおらっ!!」
振り下ろされた刀を僕は左手の甲で受け、骨まで刃が達したのを感じてからそらす。
兄さんの剣相手に人の体なんて柔らか過ぎる。しかし食い込ませてしまえばすぐには抜けない。それを利用したそらし方だ。
……普段は自爆もいいところだから使わないけど。
左手に走る溶岩を直接流し込まれたような熱と、瞬時にそれを治そうとする魔力の働きを感じながら右手だけで抜刀する。
「っと!」
兄さんは刀を振り下ろした際の重心移動をそのまま利用して前のめりになり、僕の抜刀を回避した。ギリギリの回避だったため、兄さんの後ろ髪が少し宙を舞った。
「さっきより鋭い、良い攻撃だ!」
兄さんが僕を賞賛しつつ、前のめりになった体勢を利用して前転し、僕から距離を取る。その隙を見逃す僕ではない。
「おおおぉぉっ!!」
――天技・土雪崩。
地面に突き刺した刀を起点にして、円状に地面が崩れていく。
「う、おっ!?」
見慣れない技を前にして、兄さんは空駆を使って空に逃げる。僕はすぐさま追撃すべく、刀を振り上げた。
「食らえ!!」
僕も弐刀・断空は抜刀しないで出せるのだが、今一つ確実性に欠ける。そのため、僕がやったのは魔法剣だった。
――魔法剣・疾風
風を纏わせた波切を縦横無尽に振るい、そこから生まれるほんの僅かな風圧を纏わせた風が増幅し、無理やり真空波に変える。
「く、おっ!」
断空より数段速い真空波に、しかし兄さんは慌てることなく一つずつ避けていく。ちなみに断空による真空波は見えないため、刀の軌跡を見て避けるのが基本である。
そして、兄さんも基本に忠実にそうして真空波を避ける。
――それが僕の魔法によって生み出されたものであることに気付きながら。
「破壊!!」
僕が合図すると同時に、真空波が纏っていた風が一斉に弾けて四方八方へ飛ぶ。
「いっ!?」
僕の魔法がここまで効果を及ぼすことは予想できなかったらしく、兄さんは驚きながら刀に手をかける。次元断層を作るつもりだ。
(……勝負っ!!)
それが僕の狙いだった。
どうせ今の僕では次元断層を突破できる技を使うことはできない。ならば開き直って使った後の隙を突くしかあるまい。
そう思って、僕は兄さんが抜刀した瞬間を見計らって接近する。
やはり兄さんは僕の予想通り、次元断層を作って僕の作り出した真空波を残らず消し飛ばした。そして、その瞬間を狙って僕が抜刀する。
―― ・ 。
(え……?)
自分でも何が発動したのかわからなかった。ただ、まるで自分の体でないような感覚がして、恐ろしく滑らかで無駄のない動きで抜刀した。
それだけのはず、なんだ。
「どうして……?」
なのに、どうして兄さんは倒れ、僕は刀を振り抜いた形で立っている。
まさか――
「兄さん、わざと受けたの!? だとしたら僕は本気で怒る――」
僕が至った結論に、兄さんは弱々しくも手を振って否定の意を示した。
「冗談、言うな……。あんなの……避けられるか……。まさか……お前が……、あんな土壇場で……あれを使うなんて……、思わなかったぞ」
「あれって何!? 僕はただ普通に抜刀しただけ――!?」
違う。確かに僕は抜刀しただけの意識しかないが、それだけならば兄さんが避けられないはずがない。
なら、あれには何かがあるはず。放った僕でさえ理解できないような何かが。
「気付いてないのか……? まあいい。だったら、それは宿題にでもしろ……。とにかく、おめでとう……」
「おめでとう? …………あ」
自分の放った技に呆然としていて忘れていたが、これは確かに兄さんに勝ったことになる。つまり――
「僕が、兄さんを越えた……?」
「そういうことになるな……。胸を張れ……。お前は、オレを越えた。……だから、どこに行ってもやっていける……」
兄さんの祝福の言葉によって、僕はようやく自分が兄さんに勝ったという喜びが胸に湧き上がり始めていた。
「……うん、嬉しい。すごく嬉しいよ……。兄さん」
喜びは今にも喉の奥から叫び声として漏れそうなのに、なぜか心はひどく穏やかで、口から出る言葉も静かなものだった。
「……お前には、悪いことをする……。たぶん、オレが背負うべき……だったものを、かなり背負わせることになった……。悪い兄貴で……すまないな……」
「ううん、僕は自分の意志で選んだ。だから後悔もしてないし、兄さんを責めたこともない。そして、僕は兄さんの背負っていたものを引き継げることを誇りに思う」
これは本心だ。兄さんの背負っていたものが重いと感じることは確かにあったが、それでもその重さを誇れた。
「だから……今度こそゆっくり眠って……。もう、僕は大丈夫だから」
「みたいだな……。悪いが、先に休ませて……もらうぞ」
その言葉を最後に、兄さんの体がゆっくりと空間に溶け始める。
それを見て胸に浮かび上がるのは、今度こそ兄さんに会えなくなるという多大な悲しみと、そんな中に一欠片だけ存在する満ち足りた思い。
きっと今の状態を万感の思いと言うのだろう。喜びと悲しみなどがないまぜになって、どちらを表に出したらいいのか全然わからない。
ただ、一つだけ確かに言えることがあった。
「兄さん」
僕が呼ぶと、兄さんがわずかに身じろぎをして聞いていることを教えてくれた。
「最後に――声が聞けて嬉しかったよ」
――達者でな、エクセ。
僕の言葉に、兄さんは声なき声で確かにそう言ってくれた。
……もしかして、一話が短い?