一部 第十話
レッサードラゴンに追いかけられること十分ほど。僕たちは何とか隠れることに成功した。
僕とロゼは走ってる途中で見つけた木の根っこの隙間に身を隠し、息を整える。
「はぁ、はぁ、はぁ……。し、死ぬかと思った……」
今回ばかりはマジでヤバいと思ったね。隣のロゼは魔法の勉強ばかりしていたからか、息を切らしていた。貧弱な奴め。
「ぜっ……ぜっ……ぜっ……。え、エクセ、よくそんなに平気な顔がしていられますわね……」
「いや、まあ鍛えてるから」
魔導士であれ何であれ、どんな人間も体が資本だ。だから最低限は鍛えておかないといざという時に困る。
「そういう問題ではありませんわ! あんなドラゴンが後ろから追いかけて来てる中でよく落ち着いていられますわね!」
「しーっ、声がでかい!」
人差し指を唇のところに押し付け、必死に黙るように言う。確かに落ち着いているかもしれないけど、僕だってヤバいとは思ってるんだぞ。
「あのね、こういうのは慣れの問題なの。僕だってドラゴンに追いかけられるのなんて何回もないけど、一応戦ったことならあるんだよ」
「……なら、倒し方とかも心得ているのでは?」
僕の言葉にロゼが光明を見出したかのように顔を輝かせる。しかし、その考えは甘いと言わざるを得ない。
「ゴメン。兄さん――ヤマトって言うんだけど、その人に頼りまくってた」
兄さんの実力はハッキリ言って僕なんかより遥かに上だ。たとえ僕が三人集まってもボコボコにされてしまうだろう。
「それでも戦い方は心得ているのでしょう? あれは何とかしないとマズイですわよ」
「うん、まあそれはそうなんだけど……」
足音の近さからまだこの辺をうろついているのは確定だ。ここで諦めてくれれば良いが、下手をしたらティアマトに向かってしまう。
「あんなのが街に向かったら、絶対に被害が出るね。衛兵五人ぐらいの命で済めば安い方、か……」
やはり僕たちで何とかするしかないだろう。だが、ロゼと僕という駆け出し魔導士二人だけで何とかできるだろうか?
「……ロゼ。竜殺し、してみたい?」
いや、ここはできるできないの問題じゃない。やらなければならないことだ。
「あなたがそう言うことは本当に倒すつもりですわね……」
ロゼも伊達に僕と友達をやっていないのか、僕の言いたいことをすぐに察して顔を引き締める。
「うん。軽くあいつの特性を説明するよ。まず、あいつの足と牙、そして尻尾に注意して。あの巨体でぶつかられたら無事じゃ済まない」
「わかりましたわ。わたくしは距離を取って戦えばよろしくて?」
ロゼの言葉に僕はうなずき、さらに説明を続ける。
「それでお願い。でも、ブレス攻撃には気を付けて。今回はレッサードラゴンだから火を吹くだけだけど、普通のドラゴンになったら属性ごとに使い分けてくるから」
あれは今でも忘れられない。炎が来ると備えていたのに、来たのは雷の息吹だった時の絶望感は。
「本当に理性がないんですの!?」
あれはどちらかというと本能でやっている感じだ。
「竜種だけあって魔力量とかは人間と比べ物にならないからね。無理やり属性変換してるんでしょ。それより、準備は良い?」
僕は杖の先端にクリスタルコーティングを施して即席の槍を作り出す。その様子を見たロゼがおずおずと口を開いてきた。
「……エクセル」
「なに?」
ロゼが僕を本名で呼ぶなんて珍しい。まあ、エクセというあだ名も本名と大して変わらないんだけど。
「単刀直入に聞きますわ。……勝算は?」
答えにくいことをズバッと聞いてくるロゼ。僕はウソを教えるべきか真実を教えるべきかわずかに逡巡するが、ロゼの真っ直ぐな目で見つめられてすぐに決意した。
「……定石で言えば僕たちが確実に負けると思う。何せ、僕たちはまだ駆け出しの魔導士だからね」
学院でも戦闘訓練がないわけではないが、ロゼも優秀ではあるものの教官に勝てるレベルではない。僕はあまりにも使える魔法に偏りがあり、なおかつ旅の経験で実戦経験は教官以上なので免除されている。
つまり、ここでまともにあいつを対峙して戦えるのは僕だけということになる。
だが――
「それでも、勝つよ。最悪は相討ち。僕たちの背中に背負ってるのは自分の命だけじゃない。それを理解して」
一緒にフィールドワークに来ている連中だっているのだ。ここで僕たちが負けたら後ろにいる命も危険にさらされるのだ。ロゼがそれを許容するはずがない。
「……っ! ええ、理解しましたわ。わたくしたちの後ろには背負うべきものがある。ゆえに負けられない。申し訳ありません。少し弱気になっていましたわ」
「わかってくれればいいよ。……んじゃ、行くよっ!」
僕の合図でまず、僕がレッサードラゴンの前に姿をさらす。次いでロゼが逆方向に駆け出した。彼女にとって戦いやすい距離を取りに行ったのだろう。
(……見栄張ったけど、ちょっと怖いかな)
僕は杖を使った即席の槍を向けながら、その巨体にやや圧倒されていた。
先陣を切ってみんなを守ってくれる兄さんはここにはいない。そして僕の呼吸を知り尽くした援護をしてくれる幼馴染もいない。
先ほどはロゼに援護を頼んだが、ぶっちゃけた話あまり期待はしていない。今日のロゼは戦闘を考えていないから、持ってきている魔法発動体がエメラルドなのだ。
エメラルドは風属性の発動体で、風属性は索敵や物探しによく使われる属性である。
風属性の攻撃魔法がないわけではないが、どうしても完全攻撃属性である炎属性には劣るし、水属性の攻撃魔法にも劣ってしまう。
そして、それらの威力は込めた魔力や術式構築の技量が直に反映される。ロゼも生徒の中では優秀な部類に入り、紛れもない天才とはいえ未だ実戦で使えるほどの領域には達していないだろう。
(やっぱり、僕がやるしかないか)
さすがに体が大き過ぎるため、全身をクリスタルで覆う技は難しい。そもそもあれは対人戦でいっぱいいっぱいだ。魔力の消耗だって半端じゃない。あれだけの規模のクリスタル、並の魔導士が作ろうとしたら文字通り命を燃やす必要がある。
それだけの魔力、せいぜい一ヶ月かそこらで戻り切るようなものではない。つまり、今の僕の魔力は大体九割ほどしかないのだ。
「それでも充分なんだけど……ねっ!」
僕の頭を噛み砕こうと迫ってきた牙を横に跳ぶことで避け、同時にクリスタルの槍で足を突き刺す。
クリスタルは世界最硬物質であり、それを用いて攻撃すれば、傷つけられない生物などこの世に存在しない。
レッサードラゴンは自分が傷つけられたことに苦痛を感じているのか、僕を引きはがそうと尻尾が振るわれる。
「せっ!」
僕は杖を鉄棒のように見立てて前回りする要領で跳躍し、頂点部分でピタリと止める。
そんな僕のすぐ真下を尻尾が通過し、すさまじい風圧が僕の顔に直撃する。食らっていたらアバラの一つや二つでは済まされない勢いだ。
その攻撃に冷や汗を流すと同時、僕はこんな攻撃にいつもさらされていた兄さんの負担を思う。もっと精進して少しでも負担を減らしてやろう。
「ロゼ!」
「わかっていますわ! 《暴風》!!」
ロゼの手に集中した魔力が解き放たれ、小型の竜巻がレッサードラゴンを覆う。竜巻の中では無数の風の刃が生み出され、レッサードラゴンをバラバラにしようと荒れ狂う。
「こんなのまで覚えてたのか……」
《暴風》は風属性の中級魔法で結構難易度が高い。やれるのなら、彼女はすでにいっぱしの魔導士級の実力は備えていることになる。
「わたくしだってこれくらいできるのですわ! それよりエクセ! 早くトドメを刺しなさい!」
「いや、あれに腕突っ込んだら死ぬって。それに……全然決定打には程遠いみたいだし」
風刃荒れ狂う空間にいながら、レッサードラゴンの皮膚には傷一つついていなかった。僕の攻撃だけは一応効果があるみたいだが、それにしたってクリスタルを用いているからに過ぎない。おまけに僕の力じゃ筋肉を突き破ることができない。
「……でも、これならどうだ!」
ならば、二つを合わせてしまえば良い。
僕は手をかざして意識をほんの少し集中させる。すると僕の意識したところにガラスの破片のような小さなクリスタルが無数に生成される。
そしてそれは《暴風》の中で光を乱反射し、レッサードラゴンの皮膚を傷つけ、血飛沫を飛ばさせる。
血の赤、クリスタルの輝き。これらが風の中で目まぐるしく動くそれは凄絶な美しさに溢れていた。戦闘中にも関わらず、僕が見とれてしまうほどに。
「……綺麗」
「そうだね。……一応、構想だけは練っておいたんだけど、実際に見たことはなかったからなあ」
《星屑の礫》と僕は呼んでいる。僕の場合は《暴風》の劣化版である《風撃》で代用するつもりだったのだが。あれだけは必死こいて覚えた。
「さて、あれでも致命傷にならないみたいだし……どうしたものか」
見たところ細かい傷はできているが、皮膚を切り裂くにとどまっている。あれでは致命傷になり得ない。
もっとも、両目にクリスタルが突き刺さっているのが見えるため、かなりのダメージは与えられているだろう。
しかし、それは裏を返せば凶暴性を増したことにも繋がる。ここまで痛めつけた相手を怒らないでいられるほどあのレッサードラゴンは温厚ではないだろう。
「ロゼ、今以上に離れて。僕がトドメはキッチリ刺すけど、余波がすごいはずだから」
僕とロゼの合体攻撃でもダメ。クリスタルにおんぶに抱っこしてもらっている僕の力でもダメ。ロゼの魔法でもダメ。ならば――
――僕が魔法を使うほかない。
「エクセ? あなた、魔法は使えないはずでは?」
僕の攻撃手段に思い当たる節がないのか、ロゼが不思議そうな顔で首をかしげる。
「まったく使えないなんて言った覚えはないよ。むしろ僕は並の魔導士以上に魔法は使える」
ただ、使わないだけ。いや、正確に言えば使いどころが難し過ぎるのだが。
「……まさか!?」
あ、もう気付いたみたい。ロゼは僕の言いたいことが理解できたらしく、顔をやや青ざめさせてこちらを見る。
「……一応聞いておきますわ。どの程度離れておいたらよろしくて?」
「本当は五百メル以上は離れてほしいところだけど……ちょっと時間的に無理だね。だから――」
僕は人差し指を噛み切って血を流し、それで懐から取り出した羊皮紙に魔法陣を書き込んでいく。
「それは?」
「《敵味方認識》だよ。衛兵たちが良く使う軍用魔法。これを持っている間は僕の攻撃魔法の影響は受けない。絶対に手放さないで」
血の出る人差し指を舐めながら、僕は素早く説明を終えて羊皮紙を押し付ける。ロゼはそれを受け取り、最初はわけがわからない顔をしたもののすぐに理解して表情を引き締める。
「……ご武運を!」
それだけを言い残してロゼは僕の方を何度か振り返りながら距離を稼いでいく。
「さて……、僕たちはもう少し踊ろうか」
僕はそれを見送りたい気持ちになりながらも、すでに風の中から脱出しているレッサードラゴンがそれをさせてはくれなかった。
両目から血を流し、全身を血まみれにさせながらも僕の方に体を向け、今にも飛びかかろうとしている。完全に逆鱗に触れてしまったらしい。
「……元を正せば、悪いのは居場所を荒らしてしまった僕たちだ」
殺されてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。だが――
「だけど、お前が後ろにいる人たちに手を出さない保証はないだろう? だから、討たせてもらうよ」
この世は弱肉強食だ。たとえ僕たちが悪いとしても、生きたいと強く願った人が勝つ。それが世界の真理。
その考えで行くと、本当に悪いのは自分の分を弁えずに手を出したこいつの方になる。
でも、僕は獣じゃない。弱肉強食の真理を否定するつもりはないけど、それだけで世界全てが回っていると思えるほどお気楽でもない。世界はもっと複雑にできている。
「……行くぞ!」
僕は杖を左手に持ち、右手で炎のクリスタルを生成する。
『グアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!!』
僕の行動に攻撃の意志があるとみなしたレッサードラゴンも今まで以上の咆哮を上げ、こちらに突進を仕掛けてきた。
僕はそれを避けながら、体内に眠る莫大な魔力に起きるよう喝を入れ始めた。