二,五部 第九話
「さて、やることがない」
師匠がそうつぶやいたのは、修行を開始してからもうすぐ二年になろうという時だった。
「やることがないって……どういうことです?」
「お前の場合、ひたすら剣を振らせていたところであまり成長が見込めるわけでもない。しかしだからといって基礎をやらせようにも、それに関してはすでに及第点だ」
後半はともかく、前半に言われたことが胸に突き刺さる。師匠、僕だって生きてる人間なんですから、傷ついたりするんですよ?
「……申し訳ありません、非才で」
「落ち込むことはない。この二年、私はかなりどころか私本人でもやらされれば逃げたくなるような修行内容をお前につけた。それに泣き言も言わず付いてきたお前だ。その根性は買っているんだぞ?」
僕の行っていた修行内容が師匠でさえ嫌がるようなものであるということも初耳なのだが。というか剣の師匠に褒められるのが根性って……。
「結果としてお前はこの二年の間に伍刀まで習得してみせた。正直、お前の才能では四刀あたりで止まるものだと思っていた」
前から気付いているんだが、僕けなされてるよな?
「……おお! つらつらと今までのことを思い返していたらいい方法を思いついたぞ!」
「……何ですか」
あまり期待を込めずに反応する。この人の行動の唐突ぶりとそこから生み出される修行のひどさは身を持って体験済みだ。
……でも効果はあるんだよね。だから正面切って否定することもできない。
「うむ。まずは確認なのだが、お前は剣技、天技どちらに関しても全て目にはしているよな?」
「え? ……いえ、天技に関しては書物を見た限りですし、剣技も鉢刀・黄昏までしか見ていません」
仇刀を放とうとして、兄さんはタケルに斬られて死んだのだから見ていない。あの抜刀術がそれだとしない限り。
「そうか。では仇刀と什刀を見てはいないのだな。……仇刀だけ見せるから、少し離れていろ」
「あ、はい」
何で什刀は見せてくれないのだろう、と首をかしげながら師匠の後ろに回り込んで、かなりの距離を取る。剣技は使い方次第で全方位に対応することができるので、どこにいようともまずは距離を取らないといけない。
「よし、そこから動くな。絶対に動くなよ。動いたら命の保証はできないぞ」
「そこまで動くなと言われると動きたくなるのが人の性だと思いま――何でもありません。一歩たりとも動きませんからどうぞご存分に」
ちょっと言ってみただけなのだが、師匠に仇刀を見せてもらう前に現世からおさらばしそうな気配がしたため、すぐさま前言を撤回する。
「では……行くぞ!」
師匠の周りから息をするのも辛いような重圧が発せられ、背筋を氷で作られた手でなでられるような悪寒を感じる。
(これ……殺気!?)
師匠との修行のおかげで、心臓を鷲掴みにされるような底冷えする気配を浴びても動けるようになったのだが、その僕でも動くのを躊躇したくなる密度の殺気だった。
そしてその殺気の放出主である師匠は緩やかとも言える速度で――しかし恐ろしく滑らかに無駄のない動作で刀を抜く。
――仇刀・天照。
抜いた刀から光が溢れ、それが形作って刃となる。そして、師匠の斬線の軌跡をたどって振るわれた。
直後、光の刃の通ったところを衝撃波が襲う。そのあまりの威力の高さと風圧に僕は目を押さえる。
「これは……剣技、なんですか?」
何とか目を開けるようになった僕の第一声がそれだ。まあ、月断流の技はかなり怪しいものが多いのだが。
「月断流の中ではそうなっている。汎用性に関して言えば七刀や陸刀、伍刀の方が優れているが、これの本質はそこにはない」
師匠の口振りからすると、もっと別の部分に特化した技らしい。そしてわざわざ鉢刀を抜いたことから考えられることは――
「鉢刀……がどんな力を持っているのかはわかりませんけど、それの強化発展形ですか?」
「お前は本当に察しが良くて助かるよ。お前の想像通りだ。これの特性はたった一つ。――次元断層を切り裂ける」
「……やっぱり」
おかしいとは思っていたのだ。兄さんとタケルの勝負は次元断層をお互い使える人間である以上、勝負の分かれ目は抜刀してから納刀するまでの一瞬の隙を突くことだと言っていたが、月断流の天技である以上、対抗する術が一つもないのはおかし過ぎる。
「あまり驚かないな。鉢刀の効果には当たりがついていたのか?」
「そんなところです。タケルもあれだけはわざわざ次元断層を使わずに避けてましたから」
そして、師匠でさえ溜めが必要なかなりの大技であることも理解した。速度を重視する月断流同士の戦いであの溜めは致命的だ。
「ヤマトは使わなかったのか? あいつも問題なく扱えたはずだ」
「使おうとしたところを殺されたんです。……ただ、それって相殺することはできるんですか?」
兄さんが殺された瞬間は二年近くが経過した今でも克明に思い出せる。しかし、なぜタケルがあの技の相殺として同じ技を選ばなかったのか、疑問が残っていた。
「タケルか……。こう言ってはお前が怒るかもしれんが、奴も相当な天才だ。それこそヤマトに次ぐ」
「それでは使えてもおかしくはない、と……?」
「私が最後に奴を見たのは十年前だからな。ヤマトが使えるようになっていることは疑っていなかったが、タケルの方は少々怪しいところだ。修行を怠ってなければ……いや、月断流の剣技はコツを掴めるかどうかだしな。ヤマトと同じようには行かなかったのかもしれん」
途中からブツブツと独り言の体を成し始めた師匠の言葉だが、それだけでも十二分な情報だった。
あの瞬間を見ていた僕だからこそ断言できる。
――タケルは天照を修得していない、と。
これは素晴らしい情報でもある。鉢刀に関してはわからないが、少なくとも奴の次元断層による絶対防御を崩せる筋道が見えてきた。
「タケルのことは置いておこう。今重要なのはお前が仇刀まで覚えられるかどうかだ。伍刀以降、難易度はケタ外れに上がっていくからな。今のペースでは二十年近くかかるぞ」
そんな悠長に修業をする時間など僕にはない。二年半でさえ師匠に言われてしぶしぶ伸ばしている形なのだ。
「魔法で代用します。兄さんたちみたいな才能がないことは百も承知ですが、僕にはこれがある」
右手に火の球を浮かべ、師匠の方を力強く見据える。ハルナ師匠は僕の引くつもりのない視線を見て、満足そうに息を吐く。
「……残り半年、それまでに残りの剣技を魔法を併用してもいいから習得しろ。それと什刀についてだが……これは覚えようとしない方がいい」
「え? なぜです?」
それが最高位の剣技だろう。覚えることが月断流の免許皆伝になるのではないのか?
「現存しないのだ。什刀が存在していたという情報以外、一切が闇の中だ。これに関しては私も色々と調べたから間違いない」
ただ、月断流の奥義である以上、名前はおそらく月断だろうな、と師匠が締めくくる。
「そうですか……」
師匠は何かとちゃらんぽらんなところが目立つが、本気になったら徹底的にやるタイプでもある。その師匠がダメだったと言うのだから、本当になかったのだろう。
「そしてこれは私の私見だが……什刀というのは純粋な剣技ではないのかもしれない」
「剣技では、ない?」
それを言ったら他の剣技も怪しいもんだ、とは言わないでおく。というか僕が会得している剣技を月断流以外の剣士に見せたら腰を抜かすはずだぞ。
「うむ。自慢ではないが、私は万年に一度の逸材と言われたほどの剣士だ。タケルとも正面から相対すれば奴が手も足も出ないほどにな」
「だったら一緒に来ればいいのに……」
「向こうだってそれを理解している。私の影が見えただけでも奴は遠くへ逃げるだろうよ」
ぐうの音も出ない正論で返されてしまい、僕の弱音にも似た言葉はかき消されてしまった。
「話を戻すぞ。――その私でさえ、什刀には至れなかった。そして私はすでに能力の絶頂期を越えてしまっている。このことから、もしかして什刀は剣技ではないのかもしれないという考えに達したのだ」
「なんていうか、すごい自信ですね……」
剣に関しては天才であると言ってはばからない師匠が会得できなかった。だから純粋な剣技であるかどうかが怪しい、などとは……。僕では口が裂けても言えないセリフだ。
「だからこそ、お前に期待している。……それでは、残りの半年間は魔法の使用を解禁する。環境に被害を与えない範囲で使え」
「……はい!」
師匠は自分の話が終わった証拠に、こちらに刀を向けて構えてくる。未だ正眼の構えを崩したことがないのは、僕と師匠の立っている場所の絶対的差異から生まれる余裕だろうか。
……上等だ。その余裕、魔法が使える今日こそ崩してやる。
「行きます!」
結晶剣・虹桜を使用してまずは視界を塞ぐ。どうせ師匠にかすり傷を与えられる技ではない。ならばそう割り切ってしまった方が精神的に楽だ。
「私は次元断層を使えるぞ。どうやって突破するつもりだ?」
しかし、日の光を浴びて虹色に輝くクリスタルの欠片は師匠の次元断層によって全てかき消されてしまう。やはり鉢刀か仇刀でなければ師匠の防御を抜くことは不可能だ。
(なら、ありとあらゆる魔法を試すまでだ!)
「光と闇よ……我が意に従え!」
夜叉を使って師匠に肉薄し、右手の波切を上段に構える。そして左手にはクリスタルで作られた滑らかな曲線を描く刀を持ち、それぞれに魔力を込める。
――鉢刀改変・陰陽刃。
牙を閉じる肉食獣のように双剣を振るい、光と闇の軌跡が綺麗な円を描くように混ざり合う。
「ほぅ、見た目だけでも黄昏に近づけたか……!」
師匠は僕の攻撃にわずかながらの感嘆を見せ、けれどそれを次元断層でかき消す。
「だが、見た目だけだ」
「重々承知してますよ……!」
ただ見た目を似せただけでは効果を成さない。それが理解できたのなら重畳。
やはり身体能力以外のものを使って剣技を再現するのなら、身体能力を強化してしまうのが一番手っ取り早い。どう考えても剣技が属性を持っているわけでもないし、見た目を重視した属性付与は意味がない。
「シッ――!!」
師匠が僕を昏倒させるべく振り下ろした刀を、僕は強化魔法で身体能力を底上げし、さらに夜叉を使っての超高速化で避ける。
(鉢刀も仇刀も使えない今の僕にできること、それは――!)
――限界まで近づいての接近戦だ。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっっ!!」
限界をとうに越えたところまで強化した身体能力で師匠に追いすがり、両手に持った双剣を振るう。抜刀術を使う暇はないし、向こうにも与えない。
「良い判断だ! さあ、どこまで戦えるか試してみようか!」
師匠は僕の意図を一瞬で見抜き、それでもなお僕の思惑に乗って高笑いをする。
チクショウ、敵わないな。
守りを一切考えない苛烈な攻撃を行ないながら、僕は頭の片隅でこの人に勝てる日が永遠に来ないことを薄々気付いていた。
……まあ、結論から言えばそれは結構遠い未来で否定される形となるのだが。