第12話
「おはようございます、ゼットさん」
目覚めるとネネの涼やかな笑顔が目の前にあった。
「……一応聞くが鍵はかけてあったよな?」
「はい。ですがアテナさんが開けていってくれましたので」
俺にプライバシーはないらしい。
「今何時だ?」
「九時です。マリエルさんはすでに出かけていますよ。アテナさんなら下の階で朝食をとっているはずです」
「わかった。俺もすぐ行くから先行っててくれ」
「では失礼します」
ネネが部屋を出ていったあと俺は着替えて一階に下りた。
あくびをしながらアテナとネネがいるテーブル席につく。
「ゼット、あんたずいぶん余裕ね。わかってる? わたしたちの経済状況」
「昨日の夜、おまえに寝ているところを起こされたから眠いんだよ」
「マリエルちゃんを見習いなさいっ。マリエルちゃんは今日も朝早くからパン屋に行ってるのよ」
マリエルさんのことを持ち出されると耳が痛いな。
アテナは俺を指差し、
「わたしもこれからギルドに行ってくるからゼットもちゃんと魔物を狩ってくるのよ、いい?」
「ああ、わかってるよ」
珍しい魔物の角や牙は店で高く買い取ってもらえる。
また凶暴な魔物は退治するとギルドから報奨金がもらえることもある。
「最低でも金貨三枚分は稼いでくるまで帰ってきちゃ駄目だからねっ! ネネもちゃんと見張っておくのよ、いいわねっ」
「はい、ボクがついていますから大丈夫ですよアテナさん」
俺って信用ないんだな。
アテナが早々に朝食を終えギルドに向かったあと俺とネネもパンとコーヒーを胃に流し込んで足早に出発した。
魔物狩りといっても俺は人間に危害を加えそうにない魔物に手を出す気はない。
かといって魔物自体あまり見かけなくなっている。
「前の旅で寄ったゼータの村の東に魔物の巣窟がありましたよね。そこに行ってみるというのはどうですか?」
ネネが言うゼータの村とは魔王城の近くにある小さな村のことで一時期は凶悪な魔物たちに苦しめられていたのだが俺たちが魔物を退治して救ったという過去がある。
その村の東に魔物たちの拠点となっていた巣窟があったのだ。
「ただいきなり魔物の巣窟に転移するのは危険かもしれないのでその場合は一度ゼータの村に転移した方が賢明ですね」
ゼータの村か……あまりいい思い出がないんだよな。
ゼータの村はかなり閉鎖的で魔物から救ってやった俺たちのことでさえあまりよくは思っていない。それだけならまだしもゼータの村にはあいつがいる。
「ゼータの村といえば彼に協力してもらうという手もありますね」
ネネが一人でどんどん話を進めているが、
「俺はまだ一言も行くなんて言ってないぞ」
「ではゼットさんはほかに魔物が沢山いそうな場所が思い当たりますか?」
そう言われるとぐうの音も出ないが。
「それに彼の鼻はあなたの魔法より利きますよ」
「あいつの鼻に関しちゃ俺も疑ってないさ、だがあいつはどうも苦手で。おまえはいいのか?」
「彼ですか? ボクは好きですよ。ふふっ」
それならもう何も言うまい。
どうせネネは俺がマイケルを嫌がっているのも承知のうえでこの案を持ちかけてきたに決まっている。こいつはそういう奴だ。
ネネは微笑を浮かべてこっちを見ている。
「俺の手を掴め。行くぞ」
ネネが俺の手を握る。
俺は目を閉じゼータの村の光景を思い浮かべた。
そして転移魔法を発動した。
目を開けるとゼータの村に移動していた。
決してさびれているわけではないが活気のない村だ。
人もいるにはいるが俺たちの姿を見ても何の反応もない。
だがネネの足元にすり寄ってきたこいつだけは話が別だ。
「ネネ、久しぶりだワン。どうして帽子をそんなに深くかぶってるワン。せっかくのきれいな顔が見えないワン」
喋る犬、マイケルだ。
ゼータの村の人語を喋る犬、マイケル。
茶色い体毛に深海魚のような不細工な顔。
こいつは魔物と間違えて一度攻撃を仕掛けたことがあってから俺のことを目の敵にしている。
「マリエルはいないのかワン。マリエルは抱かれ心地がふわふわで最高だワン。ネネも好きだワン。抱いてほしいワン。アテナは洗濯板だからあまり気持ちよくないワン。でもゼット、てめぇよりはましだワン!」
マイケルは犬だけに鼻が利く。
前の旅ではその鼻で少しだけ俺たちに協力してもらった。まあ正確にはアテナが無理矢理協力させたのだが。
ネネは今回もこいつに手伝ってもらおうと思っているらしい。
「マイケルさん、もしよろしければまた協力してもらえないでしょうか?」
「ネネがどうしてもって言うなら協力してやらないこともないワン。でもこいつと一緒は嫌だワン!」
器用に前足で俺を指差すマイケル。
俺だって御免だ。
ネネがマイケルのあごの下をさすりながら、
「そこをなんとかお願いします」
「あっはうん、うひゃうひゃ気持ちいいワン! や、やめてくれワン! いや、やめないでワン!」
と気持ち悪い声を出すマイケル。
不細工な顔がさらに見れないものになっていく。
「うひゃうひゃ、わ、わかったワン! 協力するワン!」
「ありがとうございます、マイケルさん」
「ゼット、てめぇはわいの半径三メートル以内には近づくなワン!」
「はいはい、わかったよ」
まったく。
だがこいつの鼻が俺の生物探知魔法より優れているのはたしかだからな。
ネネはマイケルを抱き上げるとゼータの村の東に以前あった魔物の巣窟に向かって歩き始めた。
俺も少し距離をとってあとに続いた。
道中、抱きかかえられたマイケルがネネを見上げ、
「マリエルはどうしてるワン。マリエルに会いたいワン」
「マリエルさんは今頃パン屋で働いていますよ」
「パン屋かワン。パン食べたいワン」
どうでもいい会話をするネネとマイケル。
俺はそんな一人と一匹をうしろから眺めていた。
自分の足で歩けよと思っていると、
「魔物のにおいがするワン!」
マイケルが声を上げた。
「どこからですか?」
「東の方角約三キロ先に二体いるワン。一体はギガントマンモスでもう一体はベヒーモスだワン」
三キロ先というとちょうど魔物の巣窟があったあたりか。
ギガントマンモスの牙は高値で買い取ってもらえるしベヒーモスはギルドが報奨金を設定している。どちらも金等級の冒険者でも手を焼く魔物だ。
「すごいですね、そんな離れていてもわかるなんて」
「まあな、わいの鼻を持ってすればなんてことないワン。ネネのあの日だぐぶっ」
「何か言いましたか、マイケルさん」
マイケルが何か言いかけて口ごもった。
俺の位置からは見えないがネネがマイケルの首を絞めているように見えるのは気のせいだろう。
それにしてもネネの言う通りこの距離で魔物の識別まで出来てしまうなんて便利な鼻だ。
マイケルがなぜか静かになった理由はわからないが俺にとってはありがたい。
無駄な会話もなくしばらく歩くと魔物の巣窟に着いた。
以前はこの中に沢山の凶暴な魔物が潜んでいたが今はどうなのだろう。
「マイケルさん、魔物の数は?」
「さ、さっきと変わらないワン。ギガントマンモスとベヒーモスだワン」
というとこの洞窟の中の魔物のにおいを三キロ手前で嗅ぎ分けたというのか。
マイケルには驚かされる。
生理的に受け付けない奴でなければいい仲間になれたかもしれない。実に惜しい。
洞窟の中に先頭をマイケルを抱えたネネが、その後ろを俺が歩いて入っていく。
中は迷路のようになっているがマイケルの鼻と俺の生物探知魔法があれば迷うことなく進める。
「においが強くなってきたワン。ここを曲がったところに二体いるワン」
突き当たりを曲がると大きな空間があった。
そこには二体の魔物が眠っていた。
だが俺たちの気配に気付いたのか長い体毛に覆われた巨大な四足歩行の魔物が大きな口を開けて咆哮した。ベヒーモスだ。
その唸り声でギガントマンモスも起き上がる。
「離れていてください」
ネネがマイケルを地面に置くとマイケルは岩の陰に隠れた。
『ガアアァァァ!!』
ベヒーモスの咆哮に空気がびりびりと震える。
振動が洞窟の天井に伝わりパラパラと小石が落ちてくる。
先に仕掛けてきたのはギガントマンモスだった。
勢いに任せて突進してくる。
俺とネネはそれを危なげなくかわしネネが歌い出す。
「ララ―ラララ―……」
『ガアアアァァァァ!!』
ネネの歌がベヒーモスの咆哮によってかき消される。
「ベヒーモスをお願いします!」
俺は手に魔力を集中し風の刃を発生させた。
「それっ!」
風の刃をベヒーモスに向け飛ばす。
だがこれをベヒーモスはジャンプで回避した。
その間にギガントマンモスが態勢を整え俺に向かって突進してくる。
俺はギガントマンモスの牙を掴み正面から受け止めた。
「ぐっ!」
瞬間、捕縛魔法を発動させる。
するとギガントマンモスとベヒーモスの足元の地面から光の紐のようなものが無数に出て絡みついた。
『ガアアアァァー!!』
『ガアアアァァ……!!』
二体とももがけばもがくほど身動きが取れなくなる。
「今だ!」
俺は風の刃をベヒーモスめがけ放った。
ザシュッ!
ベヒーモスの体に命中し真っ二つになった、と同時に霧のように霧散していく。
魔物は普通の生き物とは違い倒した瞬間に消滅する。そしてその際身体の一部を残していくのだ。
ベヒーモスがいた場所にはベヒーモスの赤黒い太い体毛が一本残されていた。
「ララララーラー……」
ネネが再度歌い出す。
「やばっ。マイケル耳ふさげっ!」
俺はマイケルに注意を促すととっさに耳をふさいだ。
ネネが今歌っているのは死の歌だ。
この歌声を聴いたものは魂を抜かれてしまう。
歌を聴いていたギガントマンモスがぶしゅ~と牙だけを残し消滅した。
「ネネっ、死の歌を歌うときは前もって言えよな! 耳に入ったらどうするんだよ!」
「すみません。でもゼットさんなら大丈夫だと思ったので」
とすまし顔のネネ。
そういやマイケルは大丈夫かと確認すると岩の陰で仰向けになってピクピクしていた。
少し聴いてしまったようだ。
「こいつ大丈夫か?」
「ふふっ、しばらくすれば元に戻りますよ」
俺とネネはマイケルのさらに磨きがかかった不細工面を拝みながら時間が経つのを待った。
ネネの言う通りしばらくするとマイケルは回復した。
マイケルがもう魔物の気配はないというので俺たちはギガントマンモスの牙とベヒーモスの体毛を持って洞窟を出る。
「ではゼットさんすみませんが転移魔法をお願いします」
「ああ、これだけあればアテナにも胸を張って帰れるだろ」
「わいも連れていってほしいワン!」と必死にしがみつくマイケルをネネは「すみません。ありがとうございました」と突き放し俺の転移魔法で俺とネネはシーツーの町へと帰還した。