1話 水
「この水は教祖様、マドフ・アーギの力が入ったものです」
前髪を切り揃え腰あたりまで伸びる黒い長髪が小さく左右へ揺れた。
「この水はあらゆる病に効き人間を病から解放するものです」
短髪にカチッと切り揃えられた金髪は神々しく、耳にぶら下がる銀色の輪っかはカランっと揺れた。
「こ、これはいくらなんですか?」
震えた声は2人を見上げ助けを求めた。女性のズボンは擦り切れ、手は無数の擦り傷。自由に飛び広がる髪は頭の後ろでまとめ隠されていた。
「10万ピールです」
「じゅ、10万ピールですか…」
一般的に水の最安値は約100ピール。しかし、長髪の女性から提示された水は1000倍であった。それでも、へたり込む女性に驚きはない。
「高いとお思いですか?」
「もう少し安くなりませんか」
へたり込む女性は高いとも安いとも言わず、ただ値下げ交渉に踏み切った。
「私達は商売をしているわけではありません。マドフ様はこの水を無償で分け与えてくれるはずです。しかし、それではダメなのです」
彼女はふと顔をあげ2人を見た。
太陽をも反射する艶やかな肌。深くへと導く緑色の目。自由意志のない統率された髪。何人たりとも触れることのできない美しい顔。
私にはこの男女2人が息子を救う神様ではないかと思った。
「私には息子がいます。今、病で倒れ医者には数日しか命がないと言われました。だから、私はここに来て息子の生への可能性を探しに…」
「人間、生きていれば苦しい。あなたもその1人だ。ここに救いを求めたのも正しい。だが、全ての人類を無償で救済してしまっては世は成り立たない。悪はマドフ様を利用する」
「私は、そんなことしません!」
女性は金髪の男性の黒いコートにしがみついた。
「えぇ、あなたを見ていれば息子の為というのがとても良く伝わります。しかし、私たちは家族になるのです。そこには、悪などはない硬い結束になる。その証明に私たちは10万ピールを求めているのです」
「家族、ですか…」
「はい、家族です。これは強制ではありません。しかし!」
男は目力で女性の目を鷲掴みにし離さない。
「マドフ様の奇跡を目の当たりにしたら、貴方はまたここに息子と戻り私達と共に家族になっているでしょう」
突如として現れた人口500人の村。国は認可を下してはいないが、確かに意思を持った村が出来上がり、村のトップを神格化していると言われている。
そんな村にある噂が生まれた。
その村の人間は病にかかることがなく老衰でしか亡くならないと。
世間ではまだできて2年程度なのだから、そんなものだろうと興味をなくしていったが、1人が村に入り、また1人また1人と人数が増える異様さに皆、警戒心が高まっていった。
私も警戒していた1人なのだが、老衰でしか亡くならない村が本当ならば息子を助けられるのではないかと一縷の望みを持ち向かった。
「わかりました。でも、10万は流石に用意ができません」
旦那が死んで生活はかなり厳しい。旦那が残した借金さえまだ完済できていない。そんな状況での10万ピールの支出は家計を崩壊させてしまう。
「そうですか、ざんー」
「いいじゃないですかギト」
私は確かに空気が揺らぐのを感じた。全身から湧き立つ何か。腹から、指先から、脳から。何処からかわからないが、確かに私は湧き立っていた。
2人が勢いよく頭を垂れる反動で私は顔をあげた。
そこに現れたのは2人と同じ形の白いコートに身を包んだ、中性的な神がいた。
正確には神ではないのだろう。しかし、私は感じる。あぁ、この人が世界で1番神に近しい人間なのだと。
「水を息子さんに飲ませてあげなさい。きっと良くなる」
彼がそう言うとすぐに長い髪を床につけ女性が胸元から1つの瓶を私の前に置いた。
「私達信者でさえこの水を容易く手に入れることはできません。マドフ様の寛大なお心に感謝を」
「カーキ、感謝は押し付けるものではありません。あとで、代わりの物を私の部屋から貰っていきなさい」
「軽率な発言をしてしまいました…精進します」
指導を受けたはずのカーキはなぜか満足げにマドフの隣に足を運んだ。
「さぁ、早く息子さんに飲ましてあげなさい」
「あぁぁぁ、ありがとうございます。この恩は絶対に忘れません」
彼女は涙を流しながら走り去り既に視界からは消えてしまった。転んで瓶を割らないことを願うだけだ。
「なぁ、カーキ」
「なんでしょう」
「あの水は、井戸から取ってきた水だよな?」
「はい、そうです」
当然のように答える彼女に困惑しながらギトへも質問した。
「ギトあの水、10万ピールは流石に高くないか?」
「いえ、妥当かと」
いやいやいや、ただの井戸水だ。生活に困ってまずは水を入手しようかと思って掘ったら出てきた水だぞ?
確かにカルト教をするにあたり、水の販売は検討してたけど水は湧いてくるし実用的だから高くて1万を想定していたのだが、この二人がまさか10倍で販売していたとは…
「まさか、他の信者たちにも10万で?」
「「はい」」
二人の当然と言う顔は崩れることが全くない。
「なんなら、瓶詰めが足りていません」
カーキが申し訳なさそうに頭を下げた。
「足りていない?」
「はい。全ての信者ではありませんが、大半の信者が月に1本買っていますので毎日大忙しです」
ギドはメモを取り出し大雑把に目を通していた。
「ん?」
大半の信者が毎月1本。1本10万ピール。10人で100万ピール。100人で1000万ピール?現在信者が500人だから...
「最近ベッドが広くふかふかになったのって」
「はい。王都の高級寝具を購入させていただきました。な、なにか不具合でも」
「いや、気持ちよく寝させてもらっている」
宗教を始めようと思って2年。既に私たちの『ムード教』は世界に羽ばたく準備を始めているのかもしれない。