煉瓦の部屋
粉のふいたように表面がやや白みを帯びてぼやけた煉瓦造りの室内の、静けさと涼しさを漂わせた形どおりの光が入ってくる、ささやかな円蓋を擁した四角い窓のほとりに鈴華は腰をかけた。
敷きつめて積み重ねられた煉瓦が厚いために、外壁に合わせて取り付けられたはめ殺し窓のこちら側には、二人がならんで座れるほどの空間があって、鈴華はそこへ上がってその片側に一人背をもたせながら両膝を立てると、かかとの高いサンダルの先が向かいの壁につきそうで付かない。
それが気になって、落ちついて優しげなベージュ地に、それに近い色調の赤や青紫の花や濃い緑の葉をあしらった、ふくらはぎの半ばあたりを覆うワンピースにつつまれた左脚をのばしてみると、すぐにサンダルの先はついて、硬い壁がやさしく押しかえして来るようなのにほんのり満足を覚えたものの、中途半端にのばしたままでいるとじきに運動不足の膝が笑いだしそうで、静かに脚をもどしながらそっと抱えた。
「ちょっとそのままでいて」
そうお願いされてやわらかなフェイクレザーのボディバッグから、マットな黒い一眼レフではなく、取りつけて月日が立ちやや黄みをおびた半透明のカバーに包まれた黒いスマートフォンを取りだしてこちらへ構えた彼を見つめていると、
「あ、こっちじゃなくて、真っすぐ向いて欲しい。俺のほうに横顔がみえると嬉しい。そうそう。膝に手のひらを載せてそれを見おろす感じ」
鈴華は言われるままにそうすると、膝にのった右の手のひらは白い彩光をなかば吸い取りなかば跳ねかえし、そのままぼんやり見つめているうち、中心にひらがなの「て」の字が細くやや不安定だけれどもくっきりとした線で浮かびあがり、その上の一本線とともに眺めると、たちまち片仮名の「ラ」の字に生まれ変わって立ち現れる。
カシャッとつづけて鳴るシャッター音を片耳にききつつ裏返してみると、すぐさま人差し指のつけ根に浮きでる小さな赤みが目についた。二三日前のことで、もう直りつつあるけれども、鈴華はすこし重いものを持ち上げようとして、誤って手から滑らせるままに角にこすってしまい、たったそれだけのことで薄皮がむけてしまった。幸い血はでなかったから良かったものの、それでもこうも弱々しい自分の肌に情けなくなる。
軽い内出血で済んだのは部屋に常備している絆創膏の細長い形状からだけでなく、単に怪我の部位からいってもささやかな僥倖と言ってよかった。これは指全般、手先全般について言えることだけれども、そこに絆創膏を貼りつけての生活は煩わしいからで、ふいに気になったり、水にふれると肌がふやけてしまうし、手さえあまり洗ってはいけない気がしてしまう。とてもそんな事はできないけれど。
「鈴華。ちょっと立って歩いてみてよ」
その声に物思いを解かれておもむろに立ち上がると、入口でちゃんと拭っているとはいえ、サンダルの底が触れた箇所が気になって、ちょっと勿体ない気はしたものの、鈴華はバッグから携帯用のウェットティッシュを取り出してさっと拭きとり、使ったものを透明な袋に入れて口をとじた。
「もう平気?」
穏やかながらも急かすような声に鈴華は思わず、
「はい。うん」
そう反応するままに、白くて明るい窓のほとりにバッグを置いてゆっくりと辺りを歩き出す。打ちっぱなしの地面の灰色を白のチョークで塗りつぶしを図ったような色合いで、ところどころ周りの煉瓦にそっくりな色味が点々としていて、何となくそれからそれへと落ちないように渡りたくなってしまう。
足をのばし、つま先を傾けても届かないとわかってポンッと軽く跳び、上手く着地をすると、かかとの高いサンダルの軽い衝撃がふくらはぎから腿へと通じ、鈴華はそれだけで日頃の運動不足がちょっぴり解消された気がして、思わず微笑んでしまう。
ふっと疲れて足をとめると、動画の撮影を終えた音がきこえて、そっと斜めに振りかえる。
「ちょっとそのままでいて。そうだね、指をかるく組んで頭の上にあげてみようか。そう。そのくらい」
指示をだしつつ彼は再びカメラを構えた。鈴華に向けられたそれはすでに愛用の黒いスマートフォンを脱して、レンズの丸くて大きい艶消しの一眼レフに変わり、その向こうからにわかにプロフェッショナルへと変貌を遂げた、自分を美しく可愛く撮ってくれる一人の青年が気恥ずかしくなるほどに愛しげで優しくも力強い、繊細で大胆な視線をそそいで来るのに、鈴華の身はぴんと固まって頬は赤く火照りつつ、でも今しばらくこの時間がつづいてほしいと願っていた。
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