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定期戦バックレ以後

後編が始まります。是非読んでください。

 体育館から選手用の臨時更衣室まで、さほど時間はかからならない。更衣室に入り制服に着替えようと、ユニホームを脱ごうとしたが、手が震えてなかなか脱げない。よくよく見ると、手どころか全身が震えている。手が震えていたのは、川村ではなく、俺だったのだろうか。

 なかなか進まない着替えが終わった頃、体育館の方から歓声と大太鼓が聞こえて来た。試合が再開したのか。にしては、ちょっと遅すぎるような気がするが、どんな状況かはもう知ることはできない。

 帰ろう………。ここですることは、何もない。外に出ると、5月の爽やかな風が全身に吹き付ける。

 不思議なもんだ。ほんの10分ぐらい前まで、ユニホームを着て必死に戦っていたのに、今は制服姿で外に突っ立っているだけ。何か体育館がやけに遠く感じる。

 校内は、歓声やら、応援やら、吹奏楽部のマーチやらが、そこかしこから湧いていて、生徒達は各々の会場を目指し、足早に目の前を通り過ぎて行く。

 俺だけがその熱気の外を黙々と歩く。校門を出て数分も歩けば、最寄りの下鶴駅に着く。定期戦は、両校とも最寄り駅が同一路線上にあるため、移動にはその路線を利用するのが伝統だ。普段は1両編成だが、定期戦当日の朝と夕は、臨時に増設編成され、応援に向かう生徒達がこぞって乗り込み、両校を行き帰りするのだ。

 が、今はまだその時間ではなく、ローカル線だけあって、次の到着までは30分程待たなくてはならない。切符を買って待合室で待つことにした。


「神谷 豪、誰が一人で帰れと言った。」

 10分程待ったところで、不意に後から声がしたので、慌てて振り返ると、小嶋先生が立っていた。小嶋先生はマザーテレサを尊敬するあまり、外見までマザーテレサ化してきてる英文法の先生だ。人呼んでグラマーテレサ。そのテレサ先生、息が若干乱れているし、顔も汗ばんでいる。結構な御歳だし、運動にはまるで縁が無さそうだし、まずいことをしたような気は、する。


「すみません………。まずかったですか?」

「あたり前でしょ。黙って一人で帰って、何かあったらどうするの。神谷 豪。」

「いや………、さっき帰って頭を………。」

「そういうことを言っているのではないの。高3なのに、挨拶の一言もなしで帰るなんて………、社会に出たら苦労しますよ。神谷 豪。」

「すみません………。」

「それに、勝敗は分からなくて良いのかしら。神谷 豪。」

「知ってるんですか?」

「はい。海高の勝ちです。さあ、車に乗りなさい。神谷 豪。監督からあなたを学校に送るようお願いされています。」

 先生は結構大変だったらしい。俺に試合結果を伝えてから一緒帰るつもりで、試合が終わった瞬間、更衣室に走ったが、その時はもう俺が出払ってものけの殻であったため、今度は俺を駅で捕まえようと急いで車を取りに駐車場まで走り、そこから車に乗って駅に来たそうだ。

 それと、車の中で俺が体育館から出た後のことを、知っている範囲で教えてくれた。

 一つ目は、試合再開までちょっとゴタゴタしたこと。内容までは詳しく説明できないから、後で他のメンバーから聞いてくれとのこと。

 二つ目は、最後の2点は、若菜が取ったこと。ブロックとクイックを連続で決めたらしい。最後のクイックは、あたり損ないだったらしく、決まった瞬間、少し残念そうな顔をしてたそうだ。

 最後は、川村はボールに触ることなく、試合が終わったこと。先生の表現だと、糸が切れた人形のように、コート内を引っ張り回されていたらしい。


「………。」

 コートの中を訳も分からず漂う川村の姿を想像すると、吹き出してしまいそうになるが、まあ、他の二つは何となく説明が付きそうだ。

 ゴタゴタは、俺の仕出かしたことが、遅延行為にあたるかどうかの協議だろう。間違いなくあたるだろうけど。

 若菜の連取、これも納得。若菜以外の攻撃手段がない。最後のクイックも縦Bあたりでゴリ押ししたか。

 それにしても、恐ろしく実感とういうか、感慨というか、そういうのがない勝利では、ある。あれだけ目標にしてた試合だから、少しはウルっと来たりするもんだと思っていたが………。


 頭の整理が付かないからだろう。もちろん勝った方が、良い。負けの百倍良い。が、分かっていても、勝利に集中できない。


 俺は何をしたかったのだろうか。


 まず、奴はわざと負けようとした。これは明白な事実だ。

 これに対し、俺は俺のできる最大限のハンデを付けてやろうとした。なぜか。奴等に負けの言い訳をする余地をなくすため。エースの俺が抜ける。ど素人の川村を代わりに入れる。これで勝ってもまだ何か言うのって。

 そして、自分に納得させたかった。ここまでやって勝ったら、本当の勝ちで良いよねって。


 が、そう簡単には割り切れない。


 奴は、俺の仕出かしたことに発奮して真剣にやった結果、負けたのか、それとも、ここまでやっても奴には響かず適当に負けたのか。どう整理しても割りきれない余りが出てしまう。


 結局、俺は何がしたかったのか。


 そんな堂々巡りをする中に、学校に着いてしまった。

 先生は、場所さえ教えてくれれば、どこにいても良いとのことだったので、部室にいることにした。部室は体育館の中にあり、コートとは壁で仕切られている。三面体育館なので、その壁には各面一つずつ、計三つの扉がある。

 玄関でシューズに履き替え、壁沿いに一番手前の扉を目指して歩き、その扉から部室が並ぶ廊下に入る。男バレの部室はその並びの奥から二番目、ちなみに一番奥は女バレで、三番目は男子バスケ部になっている。4番目以降の使用部と並びの法則は、よく分からない。

 からからと横開きの戸を開き、中に入ると、部員どもの汗の饐えた臭いが鼻をつく。歴代の先輩達が履き捨てていったシューズにつまづきながら、一つしかない窓を全開にして風を入れ、定位置のパイプ椅子に腰かけ、部室中央の長机の上に積み上げられた週間雑誌を漁った。この雑誌どもは、練習前に誰か彼か買って来たものが自然に溜まって来たもので、普段からマネージャーに溜まる前に片付けて下さいと注意されているのだが、今は時間潰しに都合が良い。待機(謹慎?)場所に選んだ最たる理由がこれだ。

 雑誌を読んでる途中で、ふと顔を上げる。先生の話に疑問が湧いて来たからだ。

 俺が抜けた後、試合が再開した時のサーブ権はどっちにあったのだろうか。俺が交代前に遅延行為をしたから、サーブ権は向こうに行ったもんだと思っていたが、若菜が2点、ブロックとクイックで連取して試合が終わったってことは、サーブ権はうちにあったことになる。

 それとも、サーブ権は最初向こうにあって、それを一本で取り戻して、そこから若菜が………。それはない。それだと、前衛のライトで俺と代わった川村に、サーブが回って来るからだ。でもテレサ先生は、川村はボールを触らなかったと言っていた。いくらテレサ先生がバレーを知らないからって、サーブを打った川村がボールに触らなかったと話す筈がない。

 と、言うことは、やっぱりサーブ権は、うちにあったことになる………。だから、どうした。どうも………、しない。

 俺がやったのは、そこまでの反則ではなかったということか。

 勝ちは勝ちなんだから、もう皆に謝って終わりにしよう。それでいいじゃないか。最初が勝負だ、皆が帰って来たら、いの一番で謝って、後は煮るなり、焼くなり好きにしてくれってね。

 時間が経つにつれ、部室の戸を開けたり閉めたり、雑誌に少し目を通したかと思えば、体育館に出て行って、帰って来る者がいないかと見に行ったり、また部室に戻って部室の戸を開けたり閉めたり………。笑ってしまうくらいの落ち着きの無さだ。

 とにかく、目下の焦点は戸だ。戸を開けて迎えるのか、閉めて迎えるのか。開けておいたところをいきなり名越に襲撃されたら、守りの時間が稼げない。閉めておいたところをいきなり名越にバンッ!なんて開けられたら、それだけで体も心も硬直してしまうだろうし、単純に部室臭いし。よし!戸は開ける!

 やがて、体育館の方からちらほらと声が聞こえ始めた。遂に運動部の連中が帰って来たらしい。定位置に座って来襲に備える。ごく自然にかつ、穏やかに、かといってあまり卑屈にならないような佇まいを心掛ける。鼓動が部室に反響するような感じさえする。

 声の塊が、廊下から響いて来る。とにかく先手必勝。如何に先に謝れるかが勝負だ。売り言葉に買い言葉で、口喧嘩になるのが最悪のパターンだ。そんなことになったら、俺の味方はまず、いない。

 隣の男子バスケ部の部室から、部員達の話し声が聞こえる。全部俺のことを話しているような気がする。

 来るなら、来い。覚悟は出来ている。と、言うより、もう早く来て欲しい。一思いに殺してくれ………。いつになったら来るんだ………、疲れた。


「いよーっ!!バックレ男!生きてるー!?逃げれば良かったのに!」

 キャプテンの若菜が妙なテンションで部室の入口で叫んできた。この瞬間、俺の謝る機会は永遠に、消えた。とはいえ、だ。逃げれば良かったのに、という言葉を聞いた時、素直に良い考えだと思ってしまった。今更ながら、こいつをキャプテンに選んで良かったと思う。


「うるせぇ。好きで出て行ったんじゃねえよ。」

「あん時、ひでえこと言って悪かったな。お前、向こうから何か言われてたんだろ?」

 先に謝られてしまった。普段は雑なとこがあるが、抑えるところは抑えて来る。やはりこの男キャプテンの器では、ある。

「何でそん時、言わなかったんだよ?そしたら、審判に言ったのに。そんで、怒って出て行ったんだろ?大人しいお前がな………。」

「言われただけじゃなくて、相手にちょっと納得いかないプレーがあってな………。ちゃんと説明するわ………。ん?ところで、他の奴等どうした?まだ来ねえの?」

 部員共が来る気配が全くと言ってもいい程、ない。


「あ〜、あいつらか。」

「あいつらは、もう帰ったよ。」

「えっ?マジで?荷物どうすんのよ?」

 ボールとか、ドリンクとか、救急箱とか、密かに決定率見るの楽しみにしてたスコアブックとか、全部どこに置いていっちゃったのさ?


「今日は、とりあえず教室に突っ込んで、明日しまわせるわ。」

「何か、めんどくさいことしてんな~。」

「お前が言うな!ちょっと、変なことになりそうだったんで、帰したんだよ。」

 どうも若菜にしては歯切れが悪いし、さっきから、頻りに時計を見ている。何かあったんだろうか。


「実は、お前に会いたいって奴がいるんだよ。」

「あん………?女か?」

「アホ!で、そいつ等に会う前に話しておきたいことがあんだよ。」

 若菜が俺に話したのは、俺が交代した後のことだった。

 俺が交代した後、主審は交代の際の俺と監督達の会話、審判の注意を無視した川村への激入れが、試合の進行を故意に遅らせた遅延行為にあたるとして、海高に警告処分及び下高へのサーブ権移動の判定を下したのだが、下高がその判定に抗議したというのだ。


「………。」

「実は下高も一部の選手が、こっちの一部の選手を怒らせるような発言を繰り返してて、しかもその時間稼ぎにシューズの紐をわざとほどいたり、メンバーチェンジをしてたんだと。

 だから、下高も挑発行為と遅延行為で処分されるべきだって自分から言い出して来たのよ。

 試合再開の状況も、下高への処分を加味して判定してくれって。」

「お互い警告を喰らえば、サーブ権の移動は無くなる………。」

「おうよ。でも最初は、主審がなかなか認めなくてよ。」

 主審も確認していない行為は、罰せられないという態度だったが、下高が、俺が交代する時、俺はかなり興奮していて、下高の挑発に乗ってしまっていたことは明白だったと主張し、かつ、海高の監督も、俺が下高の選手から何か言われたようだと証言したため、審判からは確認できなかったが、両校からの証言が一致したことにより、両校警告、サーブ権海高からという状況で試合が再開したらしい。


「そんなバカなことあると思うか?サーブ権やるっつってんのに、いらねえなんて?」

「………。一つ聞きいていいか。下高が認めた反則は俺にやった挑発行為と、その時間稼ぎだけか?」

「おう、そうだ。他に何かあったのか?」

「………、別に………。」

 奴等フェイントの件には触れてない。全ては茶番、と言うことか。


「で、どうなんだよ?」

「会うよ。」

 俺は、部室を出てすぐの扉を少しだけ開け、隙間から体育館を覗き込む。ネットのないコートの中央で、ワイシャツに学生ズボン姿の男が二人で話をしている。横向きで顔はよく分からないが、背の低い方が奴で、高い方がキャプテンだそうだ。

 試合後、下高からうちの監督を通し、奴が俺に会いたいと申し出があったそうだ。俺の行動に納得のいかない部分があるらしい。監督は、一対一では会わせないことを条件に許可したので、両校のキャプテンが付き添いに選ばれたそうだ。

 どうして奴は俺をそっとしておいてくれないのだろうか。折角、全て飲み込みかけていたところを何故、蒸し返そうとするのだろうか。胸の奥の消えかけていた青黒い炎がちろちろ全身を舐めるように拡がっていくのを感じながら、俺は静かに扉を閉めた。


「名越なんか連れて来たら、収拾つかんことになっていたろ?帰して良かったろ?」

「そうだな。じゃあ行くか。パーティになったら頼りにしてるわ。キャプテン。」

「乱闘パーティってね。あんま長引かせんなよ。あいつらまた電車で帰さねえといけねえからな。」

「了解!キャップ!」

 俺は勢いよく扉を開け、真っ直ぐ奴等に向かって歩き出した。部室のある廊下側は騒がしいが、体育館の三面ともほぼ無人。出入りする他の部員が、ちょろちょろと玄関側のコートを横切るくらいで、一番ステージ側の俺達がいるコートに入って来る者はいない。流石に今日、練習する部はなさそうだ。つまり、奴をぶちのめすには、一番都合のいい条件が揃ってるってことだ。

 奴等が俺達に気づいて、キャプテンが奴に言葉を二、三かけて、コートの後ろに下がっていく。奴はどうもタイマンをご所望らしい。俺も顔を奴に向けたまま若菜を手で制し下がれと合図する。


 俺と奴は、コート中央で向かいあった。貼り付けたような笑みは、試合中のままだ。


「どうも、はじめまして。」

「………。よくここまで来れたな。」

「はい。制服は両校学ランですし、海高生に混ざってしまえば、特に………、」

「違うよ。よく俺の前に顔を出せたな。って意味だよ。」

「………。私達はあなたに謝りに来た訳ではありません。その件については、もう試合中に処分を受けていますからね。

 ここでいつも練習してるんですか?だったら、来年はここがバレーの会場になるんですよね?」

「お前は、な。俺の定期戦は今日、終わったけどな。」

 俺は、奴を睨み付けながら言い放つが、それでも奴の笑みは崩れない。


「あなた達は本当に何ていうか、おめでたい人達ですね。俺達のことなんて全然知らないんだ。」

「てめえ。2年だろ。」

 我ながら恰好が悪い捨て台詞だ。年功序列の通じる相手ではないと分かっているのに。


「私2年生って試合中に言いましたっけ?設定上、下級生ってだけで、何年とも言ってない筈ですよ。私も3年です。」

「私も最後の定期戦だったんです。」

「海高バレー部のことは、全部調べました。だって、今日戦わないといけなかったんですから。」

 それから奴は、滔々と俺達のことについて述べ始めた。メンバーの背番号、名前、学年、ポジション、癖、過去の戦績、攻撃のバリエーション等々。

 そして、代替わり当初の練習試合を行った時、すぐ辞めさせたのも奴の発案だという。これ以上やっても歯が立たない上に、手の内を曝すだけで利点がないと思ったらしい。

 それから、奴は如何にすれば、俺達に勝てるかを研究し、その糸口を見つけたそうだ。メンタルだ。挑発行為はこの時から前もって準備していたそうだ。


「よく分かったわ。」

 俺は奴の話を打ち切った。もう付き合ってられない。


「俺の質問に答えろ。」

「………。」

「挑発を俺にしたのは何故だ。」

「一番危険だったからです。」

「どこが?」

「試合中ずっとですが、あなたは打てないボールを決して強く打たなかった。ギャンブルをしなかった。ミスにつけ込むしかなかった私達には、一番嫌なことでした。

 それにあなた、とても負けず嫌いですよね?私と競り負けた時、モロ、顔に出てましたから。それで―――、」

「使ったタイミングは?」

「デュースからのあなたは、特に危険でした。ここでやらないと試合が終わると思いました。」

「内容はどうやって決めた。」

「試合開始直前、あなたは、女子部の声援を受けたのを見ていたので決めました。」

「それだけか。他にも言ってたろ。色々と。」

「………、随分と一方的ですね。こっちも―――、」

「黙れ。早く答えろ。お前がやったことだろ。」

「………、初心者の数は、こっちが多いことが分かっていました。動きを見たあなた方も薄々感じているだろうと思って言いました………。」

「いちいち話を切るな。俺に言ったこと、まだあるよな?」

「それを聞いてどうするんです!あれは、あなたのミスを誘うための言葉であって、中身に意味なんてないんです!」

「言ったな。意味なんてないって。」

 この一言を待っていた。奴の言い分は、挑発はただの挑発であって、実際のプレーとは関係ないということだ。逆に、挑発の言葉の中に本当があれば、奴の言っていることは噓になる。


「じゃあ聞くが、あのフェイント、拾わなかったのは何故だ。」


「フェイント?」

 奴の顔から笑みが消える。


「そうだ。俺はフェイントを一回しか使ってないから分かるだろ。お前は、拾おうとしたレシーバーを手で止めている。俺ははっきり見た。」

「あの状況で拾わない筈ないよな。勝ちたかったら。」

「いつ諦めたんだ?15−15の時か?まあ確かに効いたろうな。あのスパイク。お前が言ったのは、挑発じゃなくて、本音。挑発行為を隠れみのに上手くサーブ権渡して、勝ち目のないゲームから格好良く逃げたかっただけなんだろ。」

「お前が2年だろうが3年だろうが、女バレーがどうとか関係ない。お前達がやったことは全くの無駄。俺の定期戦を返せ。今すぐ。できなかったら女バレーに謝って来い。弱くてすいませんでしたって、今すぐ。」


「ニ度と来んな。」

 俺は、うつむく奴を尻目に、若菜に軽く手を振って終わったと合図し、体育館から引き上げようと後を振り向いた。


 その時、突然奴が狂ったように笑い出した。

 何かとんでもない失敗を見透かされて笑われたような、ひどく不快な笑いが空の体育館に響く。

 一方で自らを激しく苛なむように、むせかえろうが何しようが強引に身体を捩っては酸素を肺に入れ込み、笑うことを止めようとしない。


「いや〜、そういうことでしたか。………。

 聞きますけど、あなた、無理矢理1年生と交代しましたよね………。交代する時、何か………、ワーワー喚いてましたけど………。その理由はやっぱりこれなんですか?」

 笑いの余韻が残っているのか、奴が途中途中吹き出しながら質問してくる。


「何がおかしいんだ。」

 奴の顔を見据えながら吐き捨てる。


「質問を質問で返すな。聞いてんのは俺だ。俺達のことを勝手に分かったような気でいやがって。あんたの疑問に答えてやるから、さっさと答えろ。ってことですよ。一応この口調にも拘ってるんです。俺は、下級生って設定でしょ。自分のやったことには最後まで責任を持つって意味でやってんだから、調子に乗ってんじゃねえぞってことだよ。」

「てめえ………。」

「で、どうなんです。交代の理由。」

 奴の顔にまた例の笑みが張り付いている。


「試合を諦めたお前が何を今更………。

 教えてやるよ。その通りだよ。お前とたいして変わらんだろ。諦めたんだよ。あのフェイントでお前が勝つことを諦めたように、俺もお前等と戦うことを諦めたんだよ。」

「何てバカなことを………。あなたは間違っている。あなたがやったことは、ただの裏切りだ!俺達の、あなたのチームへの!」

 奴の顔が一瞬にして曇る。


「お前が言うな。裏切ったのはお前だ。お前が最後まで戦えば、こんなことになんなかったんだよ。

 わざと負けようって奴等と戦う価値なんて無えよ。1年の初心者で十分だろ。」

「………。」

 奴は固く目をつぶり、拳を握りしめ、全身を小刻みに震わせている。

 俺はポケットから手を出して数回手首を振り、軽く拳を握りしめた。お喋りはもう終わりらしい。


「もう十分だろ。

 これ以上あの試合を汚すな。」

 俺は手を腰に当て、軽く天井を仰ぐと水銀灯の無感情な灯りが目を刺す。何をどうしようと、もう定期戦は終わったことだ。

 奴はというと、奴も水銀灯と同じように、刺すような視線を俺に向けている。


「いいでしょう。もう終わりにしましょう。最後に確認したいことがあります。」

 奴は俺から目を離すことなく、俺の周りを歩き出した。俺も背を捕られないよう奴の動きに同調する。


「何だよ。」

「俺の話を聞く覚悟はありますか。」

「覚悟?」

 この期に及んで何を言い出すかと思えば、何を訳の分からんことを………。

「そうです。俺は決めました。後はあなたが決めて下さい。

 ないと言われれば、俺達はこのまま帰ります。俺のことは好きなだけ負け犬呼ばわりすれば良い。」

「あるって言えばどうなんだよ。」

「あなたも覚悟を決めなければならなくなります。」

「またそれかよ。」

「で、どうなんです。怖いんですか?」

「くだらねえ。さっさと話せよ。歩いて帰る気か?」

 奴は足を止めて、満面の笑みで俺を見据えている。今までとは違った何かを捨て去ったような、透き通った感じの、今までとは少し違う嫌な笑顔だ。


「俺は負けようなんて少しも思ってなかった。」

「嘘を―――、」

 奴が素早く指を立てる。黙って聞けということらしい。


「あのフェイントは、あなたが定期戦で放った最初で最後で、あなたの最後のプレーになったあのフェイントは………、

 あなたの最高のプレーだったんです。」

「………。」

 何を言ってるのか全く理解できない。


「あの時のフォーメーションを再現してみましょう。」

 奴が後ろのキャプテンを呼び寄せて、前衛ライトのセンターライン付近につかせた。

「そっちは?」

「………。」

 俺も若菜を呼び寄せ、サーブレシーブの位置、後衛のレフト側に置いて、俺は前衛のレフトの位置につく。


「私はここにいました。」

 奴は、サービスエリアまで下がった。


「サーブを打ちます。」

 奴がサーブを打つふりをして、少し前に出て来て、コーナー付近に位置する。ストレートヘの強打、ワンタッチに対応するためで不自然な点はない。


「そっちは?」

「………、レシーブが乱れて、俺がカバーに行こうとしたら、若菜がアンダーで無理矢理上げて………。」

 俺は、一度若菜に向かってから、反転してボールを追いかけるふりをする。


「その時こっちは、もう強打はないと判断して、ブロックが下がりました。だからライトはこの辺にいました。そしてライトが下がって来ると同時に、私はストレートレシーブを捨ててネットに出て行きました。合ってます?」

 キャプテンがセンターラインからアタックラインまで下がる。それとすれ違うような形になって、キャプテンの右側後方から奴がセンターラインに出て来ている。


「ああ、ただ、ボールタッチした時セッターの動きまでは、あの時確認できなかったけどな。」

「見えてなかったんですね。」

「そんな余裕はない。もう拾われてもいいから適当に返しただけだ。」

「狙ってなかったんですか………。」

 ここまでは、何も不審な点は、ない。セッターが出るタイミング、経路どれも俺達でも普通にやっていることだ。


「そしてボールはここに落ちました。間違いないですね。」

 奴は、キャプテンから見て正面やや右側、アタックラインとセンターラインのほぼ中間に踵を置いた。ちょっと足を動かせば、確実に拾える距離だ。


「ねえよ。これが、どうして拾えなかったんだ。」

「まず、私は拾えませんでした。ボールから一回目を切ってしまいましたし、ネットについて振り向いたらもうボールは落ちる寸前でした。」

「じゃあライトは?」

「まだ分からないんですか。」

「………。」

 何だ?俺に見落としでもあったのか?全ての動きに問題がないんだったら、やっぱり拾わなかったという結論しかない。


「あっ、分かったかも。」

 と、言い出したのは、若菜だ。


「よせ。」

 俺はまだ、奴が話を煙に巻こうとしてるんじゃないかと疑っている。答えを俺達に出させてうまく言い包めてしまえば良い。追い詰められた奴なら、それぐらいのことをしてもおかしくは、ない。


「あん時、俺と前田がぶつかってレシーブミスったんだろ?お互い取りに行ったから、ぶつかったんだろ。取りに行かなかったら?」

 若菜が俺の制止を無視して話を進める。寝技の下手な男だ。こうなったら進める他が、ない。


「落ちて試合が終ってた……。あいつらお見合いで落としたってことか。」

「そうじゃなくて、何か言い方あったろ………。セッターが振り向いた時落ちそうだったんだから、取れる高さにあったのは、セッターがネットに出て行く途中だったんじゃねえの?そん時は、セッターはボールから目を切ってたから取れなくて、ライトが取りに行こうにも、セッターと被ってて………。」


「セッターの出口………。」

 俺の口から自然とこぼれ落ちた。


「それよ!それ。お前そこに落としたんじゃねえの。」

「………。」

 俺は、センターラインを越え、ボールが落ちた場所を見る。セッターはレシーブの邪魔にならないようにライトから出る時は、必ず前衛の右側を通ってネットに出る。

 ボールが落ちた位置は、セッターの進路とぴったり一致していた。俺もボールから目を放す余裕がなかったから、セッターの動きを見落としてたんだ。


「50点です。海高のキャプテンに敬意を表して、もう50点は、こっちから差し上げます。

 フェイントを拾えなかった理由は、二つありました。一つは、セッターの出口に落とされたから。もう一つは………。

 あなたに騙されたからです。」

「………。」

「あなたは、自分でも言ってましたけど、フェイントを使ったのは、あの一回だけです。なので、ほとんどフェイントは予想していませんでした。」

「………。」

「あなたが踏み切って飛んでる以上、打たないという選択肢を外すことができませんでした。この試合あなたは色んなことをして来ました。強く打ったり、弱く打ったり、ブロックアウトをしたかと思えば、ストレートを抜いてみたり、おまけに時間差は決める。だからデュースになった時、あなたを一番警戒する必要がありました。

 あの時も、トスは良くないから、強くは打たれないだろう。だったら、どこへ打って来るか?私達は大体予想はしてました。

 コート中央です。あなたは、この試合困った時、よくここを狙っていました。何本か決められて気付いたんです。

 私達は、最終セットに入る前、あなたが弱く打つ時は、中央をケアしようって確認してました。つまり、あなたがフェイントする直前、ライトのレシーブの重心は左後方にずらされていたんです。

 でも、ボールが来たのは、全く反対の右前方、しかもセッターの出口にポトリ。取れるとお思いですか。ライトは、完全に逆をとられてほとんど動けない状態でしたが、それでもレシーブに行こうとして、危険だったので止めました。」

「………。」

「私は、決められた瞬間、鳥肌が―――、」

「嘘だ………。」

「あの状況から何であんなプレーが―――、」

「嘘だ!」

 無人の体育館に俺の絶叫が虚しく響き渡る。


「てめえ!さっきから何が言いてえんだ!

 負ける気がなかっただの、セッターの出口だの、好き勝手にベラベラ喋りやがって!

 それがどうした!それが勝つ気でやってた証明になんのかよ!」

 俺は奴の胸ぐらを掴んで、強引に身体をステージに押し付けた。手にボタンのちぎれる感触が伝わり、背後から両キャプテンが駆け寄る足音が聞こえて来る。


「来るな!」

 奴はそう叫ぶと、俺に胸ぐらを掴まれたまま両手を大きく広げ、二人を制した。


「証明なんかしませんよ。してたまるか。俺は事実を話したまでです。そっから先は、あなたの問題だ。」

 ふざけるな!そんなことが事実な訳がない。


「最初に言ったでしょ。覚悟を決めろって。」

 覚悟!こいつは悪魔のような奴だ。虫も殺せないような顔でとんでもねえことを言いやがって。


「そんなもん決められるか!そんなもん………。

 悪いのはお前だ!お前が諦めたせいだ!お前の負け犬根性のせいだ!じゃなかったら俺は、俺は………!」

 言葉になんてならない。言葉になんて出来ない。言葉になんてしてたまるか。


「あなたのしたことは、ひどい裏切り行為だ。味方だけじゃない。周りの人間、そして俺達に対してもだ。

 でも、あなた一つ裏切らなかったものがある。

 それはあなた自身だ。

 あなたは、自分が抜けることで、定期戦という真剣勝負の場で手を抜くなんてことがあってはならないって俺達に伝えたかったんでしょ。それこそ、周りに何を言われようが定期戦を捨ててまで、これからもずっと続く定期戦を守りたかったんでしょ。

 それだけのことをしたあなたが、その自分自身すら裏切ろうしている。それでもいいのか!海高のエースさんよお!」

 奴の真っ直ぐな眼差しに完全に気圧されて、両手が俺の意志とは関係なく奴から離れ、俺は力なくその場から後ずさる。


「全部………、無駄………。」

 これが受け止めるべき事実で、この事実を受け入れるのが覚悟。俺は右手で顔を覆った。何故かは分からないが、とにかく今は目から入って来る情報が煩わしい。

 フッと鼻から空気が一つ抜け、それが合図になって真っ暗な世界の奥底から、泡のように空気が湧き上がっては鼻から抜けていく。

 他の奴等の目には、俺は笑っているようにしか見えないだろう。俺は狂ってしまったのか、それとも受け入れがたい事実を受け入れなければならない人間の身体の反応がそうなっているのか、どちらかは分からない。

 鼻から空気が抜けていくうちに体の芯からうねりが押し寄せて来た。

 泡が大きな波に変わって鼻だけでは処理できなくなって、口からも空気を大量に吐出した。笑っても笑っても笑いは身体の奥から吐き出されて来る。身体中の空気がなくなっても、笑いは次々に吐き出される。そうなると身体が無理矢理捩ってでも肺に空気を詰め込んで、俺を笑わせる。

 俺はこの苦しさを甘んじて受けることにした。奴もさっき狂ったように笑っていた。これはおそらく俺が奴に与えた痛み。定期戦で分かってやれなかった奴の痛み。


「あなたは最高のプレーをして、くだらない勘違いをした挙げ句、試合を去った。あなたは定期戦を守ろうとして、一人相撲を取った挙げ句、全く無駄なことをした。これで間違いないですね。」

 奴は満面の笑みで問いかける。


「………、ああ、そうだな。………、清々しいくらい………、その通りだよ。」

 顔を覆ってた右手で目尻の涙を拭い、笑いのうねりに巻き込まれながら、やっとの思いで答える。


「俺の覚悟です。」

 そう言うと奴は俺の目の前で膝を折り始めた。


「てめえ!」

 奴が座り切る前に、右手一本で胸倉を掴んで引っ張り上げ、ステージに押し付ける。


「今何しようとした?」

「あなたがそんなことになった原因は俺にあります。俺はあなたに対し、負うべき責任がある。これが俺が決めた覚悟です。」

「お前最初に言ったよな?謝りに来た訳じゃねえって。」

「それはあくまでチームとしてであって、俺個人としてではありません。

 俺が変なことを言いさえしなければ、こんなことにはならなかった。」

「ふざけんな!てめえの責任だあ?いつからてめえは俺の責任者になったんだよ?

 分かってたさ。てめえの安い挑発なんざあとっくに見抜いてたさ。俺はな、最後の最後で自分のプレーを信じられなかった俺自身に一番ムカついてんだよ!

 なのにてめえは何なんだよ!謝って終わりか!ふざけんな!そんなの逃げてるだけじゃねえか!俺に謝って、俺に試合をぶち壊した責任を全部押し付けて、それで満足かよ!俺は認めねえ!絶対に認めねえ!

 それこそてめえはてめえを裏切ってんじゃねえのか!ああ!?」

 奴を強引に引き寄せ、コートの中央に向かって突き放した。


「あ~、なんだかな~。もっと………、もっと、あなたと………、たたかい………、たたかいたかった。ほんっとバカだな………。ほんとに、すいませんでした………。」

 奴はその場に立ち尽くしたまま声を震わせた。俺達は、その様子をただ見つめる外なかった。



「交代の理由?あれな、お前があんまり苦しそうな顔をしてるからよ、ハンデを付けて差し上げたんだよ。そうだろキャプテン?」

 片目を閉じながら、若菜に水を向ける。


「お、おお!そう、そうよ。お前なんかいなくても楽勝よ!

 最後の2点は、俺が決めたしな!」

 若菜が軽く右腕を振りながら乗って来る。


「レフトは川村だしな。」

「お前が川村って言い出した時は、本当に殴ってやろうって思ったぜ。」

「その方が名越の上げ場所がはっきりすんだよ。下手に打てる奴入れると、相手の裏かこうとして失敗すっからよ。デュースになった時も、山口に上げられた時はガビーンって。分かる?」

「あ〜、分かるわ、それ。」

 本当に良いキャプテンだと思う。実は、若菜から受験が終わったら、春高バレーを見に行こうと誘われている。直接聞いた訳じゃないが、こいつが進学先でバレーを続けようと考えているからだと思う。こいつは高校からバレーを始めてまだ荒削りな部分が多いが、高さとパワーは強豪校にも通じていた。大学に行ってプレーが洗練されれば、案外面白い存在になるんじゃないかと密かに思っている。

 俺は、高校でバレーは辞めようと思っている。ちょっと器用というだけで、高くもなければ、強くもない。おそらく次のステージでは通用しないだろう。何よりこのメンバー以外でバレーをやる気がしない。今持っている力は、今いる奴等とじゃないと出せない気がする。


「俺達が苦しい?バカ言うな!

 ほんとに苦しかったのは海高の1セット目だろ!何あれ、10点って?そっちの方がよっぽど手抜きだろ!びっくりしたわ。

 あん時のおめえらの顔ったらなかったわ!」

 向こうのキャプテンがいきなり実体化して毒づいて来て、俺と若菜は思わず顔を見合わせる。


「と、下高のキャプテンから抗議が入りましたが、この件について、海高キャプテンの見解は如何がでしょうか?」

 若菜に今日二度目の水を向け、キャプテン対決の場を整えてやる。内弁慶気質の若菜が、何を言い返すか多少気には、なる。


「はっ?………、え〜、………、それを言うな………。」

 若菜が申し訳なさそうに、消え入りそうな声で呟く。

 フッと鼻から空気が一つ抜けた音が、やけにはっきりと体育館に響く。それを合図に空気の泡が次々と腹の底から湧いては鼻から抜けていく。

 泡はうねりとなって笑いに変換され、鼻や口から容赦なく吐き出されていく。

 笑いの衝撃を身体で吸収しきれず、腹と肩が勝手に動き出し、目尻に涙が溜まって来る。

 それでも笑いは止まってくれない。身体中から空気を絞り出しても、勝手に身体がよじれて肺に空気を取り込んでは片っ端から笑いにして身体の外に送り出してしまう。

 俺は、どうやらまともらしい。笑えることにはちゃんと笑えている。

 笑いに身をよじられながら、辺りを見回してみる。若菜は、バツの悪そうな顔をして首を傾げていて、向こうのキャプテンも大爆笑中、奴………、彼も控え目に肩を上下させている。


「あんたの………、キャプテンも大した………、もんだな。」

 笑いの隙間を縫ってそう絞り出し、彼の肩を一発叩いた。


「うちのキャプテンですから。」

 俺の腹に軽く一発くれると、彼も弾けるように笑い出した。



「俺はお前の謝罪を受けない。受けても許す権利がない。」

 笑いが収まった頃合いを見計らって、彼にそう切り出した。

「俺とお前が謝らなきゃいけない相手は、他にいる。そうだよな。

 今年の定期戦はもういい。全部終ったことだ。でもこれからの定期戦の在り方に、俺達は責任を負うべきだ。

 改めて言うけど、俺………、海高は、今年の下高の戦い方を否定する。そんなのは下高本来の戦い方じゃない。

 海高は、今年の下高とは正反対の戦い方をする。手の内なんて隠さねえし、挑発なんて以ての外だ。下高が真っ向勝負を挑んで来んだったら、海高はいつでも、どこでも相手になってやる。

 だけど、来年の会場は海高で、今年の試合は曲がりなりにも海高が勝利してんだから………。

 そこは、きっちり筋は通してくれよ。」


「それがあなたの覚悟ですか。」

 彼は、満面の笑みでそう言った。


 彼等が去って体育館には、俺と若菜の二人になった。部室の騒がしさも収まって、おそらく誰も残っていない筈だ。

「最後お前何言ってたの?筋通せだの何だのって。」

「あー、あれね。」

 今年の定期戦で一番感じたのは、良い試合というのは良い敵がいて初めて成立するということだ。今年の定期戦、確かに最終的にはスリリングな展開になったが、全体を見ると、両校とも流れというものに翻弄され、漂い続けた試合であった感が否めない。

 例えば、第1セット、下高が10点を連取するが、それは、下高が10点取ったというより、俺達が一人相撲で10点献上したという方が正しい。俺はこのセット、ほとんどを後衛でプレーしていたが、正直物凄く退屈だった。

 両チームの力がまともにぶつかっていないのだ。こっちのチームが調子いい時はもう一方がダメ、という感じで連続得点からの連続失点。今日の試合は、こんなことの連続だった。

 プレイヤーが退屈だったら、見ている方はもっと退屈だった筈で、こんな試合を続けていたら、男バレの試合会場から応援者の足が離れていってしまうだろう。ああ、男子バレーね。何かボールに遊ばれたような気がするけど見に行った?なんてことになりかねない。

 良い試合とは、どういう試合だろうか。お互いが持っている力を出して戦っている試合、そのことが相手に伝わる試合のことと定義させてもらおう。そこが伝わらなければ、試合も何もあったもんじゃないということは、今回の件で嫌という程思い知った。

 じゃあ、良い試合するには?これは俺の経験上の話だが、初めての相手と初めての場所でやるよりは、よく知った相手とよく知った場所でやる方が力は出しやすい。練習試合でも、最初の何セットかはお互いちょっとぎこちないが、セットを重ねて行くうちに動きがよくなるというのは、よくあることだ。

 バレーボールというスポーツにとっては、体育館の問題も大きい。天井の高さ、プレイゾーンの広さによって上がったボールの距離感やコートの見え方が違ってくるからだ。そしてそれは、スパイクや、サーブの成否に直結する。

 今年の定期戦では下高が勝つためという目的で、そこを遮断してしまった。間違いなく俺達の苦戦の要因になっただろう。開けに行かなかった俺達も反省すべき点は、ある。勝つため。それは何より優先されるべき目標であり、手の内を隠して勝率を上げるやり方は、短期的には有効かも知れない。が、俺は敢えて否定した。


 なぜなら、良い試合をするということは、お互い得をすることになるからだ。


 定期戦は、毎年5月第1週開催の全校行事だ。入学間もなく、どの部活に入るか決めかねている新入生が、あの雰囲気の中、バチバチに打ち合っている選手の姿を見たら、少なからず心惹かれることだろう。また、定期戦は一般公開行事でもある。親やOBに連れられた子供、あるいは受験生が、この戦いを見て俺達の学校を目指して来ることだって大いにあり得る。


 定期戦での熱戦は、お互いの戦力強化、底辺拡大につながる可能性を秘めているのだ。


 来年の会場は、海高だ。今年の勝者でもある。いつでも相手にはなってやる。今年のうちの二の舞いになりたくなければ、この体育館で好きなだけ練習試合をすれば良い。が、人様の家を使わせてもらったり、今年情報を隠した分くらいは………、


「頭を下げろよって意味で言ったんだ。」

「そんなこと言ってたか?」

「ニュアンスで伝わりゃ良いんだよ。向こうだってそんな感じだったろ。」

「ほんとかよ………。まあ、いいや。それより、明日監督と部員共にきっちり話せよ。結構心配されてんだからよ。いいな。」

「分かってます。キャプテン。そろそろ帰ろうぜ。疲れた。」

「おう。帰るわ。部室の鍵頼んでいいか。」

 そういえば、俺の荷物も部室に置いたまんまだった。扉に向かって歩きながら了解の合図を送る。若菜は体育館のまん真ん中を通って最短距離で玄関に向かうらしい。

 下高という対外的な相手との話は解決したが、キャプテンの言うとおり、身内とはまだ何にも話をしていない。正直憂鬱だ………。実は勘違いで試合を飛び出してしまいました。なんて言った日にゃあ………。

 絶対に制裁もんだ。監督にはまず殴られる。これ決定。下手すりゃ練習禁止の上、スタメン剥奪?そうなったら羽田甚(行きつけの駄菓子屋)でチェリオでも煽るか。名越にも暴力を受ける。これもほぼ決定。あとは………、

 もういい。疲れた。明日の口上は帰りながら考えよう。


「―――!」

 何の気なく開いた扉に誰かが当たりそうになったので、慌てて腕を引っ込め、もう一度慎重に開ける。


「どうしたんですか?二人とも?」

 廊下にいたのは、女バレーのキャプテンとマネージャーさんだ。あっちゃー、そうでした。この人達のことをすっかり忘れていました。


「ご〜ぢゃん、きょ〜わど〜じだのさ〜?」

「あら~、ご〜ぢゃん、だいじょ〜ぶ?」

「はい、大丈夫です。そんなことより二人とも………、」

 

………声、ガラガラじゃないですか。


「じもこ〜がらなんがいわれだんでじょ〜?でるどきごえがけだんだげど、きごえだ?」

「あら、そんなのきごえるわけないでじょ〜。」

「………。」

 そうだったんですか。体育館のあの声はキャプテンだったんですね。ごめんなさい。答えてあげられなくて。自分がしたことが恥ずかしくて、顔を向けられなかったんです。

 駄目だ。頷くのが精一杯で声が出せない。顔が下がってしまう。


「わがなくんが、じもこ〜のセッダ〜とキャプデンをご〜ぢゃんにあわせるってゆ〜がら、じんぱいでみにきだんだけど、ハラハラじだっで………、ぢょっど、ご〜ぢゃん、だいじょ〜ぶ?どっがくらっだ?」

「あら~、せんど〜はながっだよ〜にみえだんだけど、どっがいだいとこある?」

「………。」

 言葉がただの空気の振動だなんて、噓だ。そうでなければ、こんなにも的外れでガラガラの振動がこんなにも鼻や目の奥を刺激出来る筈がない。

 受け手と過程の問題だ。どんなにいい言葉でも、そこに過程がなければ薄っぺらに聞こえるし、あっても受け手が気づかなければ、的を外れたまんまだ。

 

 試合も、さっきまでのことも、二人はずっと見ていてくれてたんだ。自分達の悔しさや悲しさを置いて、何の見返りを求めることなく、こんなに声を枯らして、こんな時間まで俺を心配して。

 内容なんて問題じゃない。そんな二人が今ここにいてくれて、声をかけてくれることがどうしようもなく嬉しくて、嫌というほど胸に刺さる。


 ありがとう。応援してくれて、ほんとうにありがとうございます。


 ごめんなさい。最後まで戦えなくて、ほんとうにごめんなさい。心配かけて、ほんとうにごめんなさい。

 

 次は俺の番だ。伝えなければならない。二人に今の気持ちを言葉にして、声にして、二人の鼓膜を振動させなければ伝えたことにならない。伝えないという選択肢は、ない。二人ヘの不誠実は絶対に許さない。俺がどうなろうが関係ない。全て自分のしたこと。できなければ、どこぞのセッターがまた俺を笑いに来る。


「そのせつは………、たいへん………ごめいわくを………おかけしました。ご………、ごめんなざい。」

 いくら呼吸を早くしようが、顔を上に向けようが、下に向けようが、鼻を押えようが、目を押えようが、いくら何を努力しようが、視界が勝手にぼやけてくる。目の奥から、鼻の奥から、勝手に水が漏れて、頬を、鼻をつたって廊下に落ちていく。


「ど〜じよ〜。ご〜ぢゃんあやまっぢゃっだ。ど〜じよ〜。」

「あら~、ギャプデンもわがってないわね~。ないでるおどごのごにわ、ごれがいぢばんのひっさつよ〜。よ〜じ、よじよじ。ごわがっだの~。もうだいじょうぶよ〜。」

「………。」

 怖くて泣いてんじゃねーし!

 頭を撫でるの、やめて下さい。必殺じゃないですから。そういうの以外に効かないですから。撫ででもらうの久ぶりですけど。


「ねご?ねごみだいにすればい〜の?ご〜ぢゃんねご?」

「あら~、あだらずどもどおからずっでどごがじらね〜。よ〜じ、よじよじ。」

「………。」

 マネージャーさんの手を静かに払い除け、ぐしゃぐしゃの顔を上げて叫んだ。


「おれをながぜるのが、ゔぁらゔぁぜるのがはっぎりじでぐだざい!」了

読んで頂きありがとうございました。

なおこの小説は、その当時のルールに沿って書かれています。分かりづらかったらすいませんでした。

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