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定期戦バックレ以前

この作品を定期戦に関わる全ての人達ヘ。自信作です。是非読んでください。

 まずいことになった。

 ネットの向こう側のコート後方壁際に陣取り、男子を応援していたスクールカラーである薄紫色のジャージの集団、下鶴一高(通称【下高(しもこう)】)女子バレー部が一斉に立ち上がった瞬間、何となく楽観的に考えていたものが、決定的に悪い状況にあることが視覚的にはっきり分かった。下鶴一高対水道海一高(通称【海高(かいこう)】)の定期戦、男子バレーボール最終セットのスコアは現在14−14

 定期戦とは、兄弟校である【下高】と【海高】の間で年1回5月の第1週に行なわれる運動部の対抗戦のことを指す。会場は、1年ごと【下高】と【海高】が持ち回る。今年の会場は【下高】であり、俺達にとっては敵地になる。毎年全校生徒を挙げての応援が行なわれ、この体育館にも大勢の仲間達が来ている。創立90年以上の両校による、40年以上続く伝統行事である。

 過去2年の男子バレーの対戦成績は、1勝1敗。俺が1年だった【下高】開催時は、0−2の完敗で、2年の【海高】開催時は、2−0の圧勝。いずれの試合でも、今戦っている俺達の代のメンバーの出場はない。

 俺達の高校生活で定期戦を勝ち越すには、敵地で出場経験のないメンバーで勝たなければならなかったのである。

 とはいえ、俺達は、この一戦にさほどの危機感を持っていなかった。理由は2つ。

 まず、俺達の代になって間もない頃、一度練習試合をやった時は問題なく勝てていたこと。ただし、急用によりという理由でほんの1、2セットで打切りになってしまったが、苦戦をしたという記憶がない。

 2つ目は、公式戦の戦績である。【下高】と【海高】は、ここまで俺達の代で直接対戦したことはない。が、俺達は、コンスタントに地区予選を突破(ベスト4以上が条件)し、県大会に出ているのに対して、【下高】は一度も出ていない。

 俺達は、この大一番に、相手のことはよく分からんけど、普通にやれば勝てるんじゃないの?くらいの気持ちで臨んでしまうことになる。

 第1セット【下高】15−7【海高】

 「ごーちゃんガンバッテ〜。」と女バレーから応援を受け、割合軽い感じで試合に入るも、会場の雰囲気に呑まれ、序盤スパイク、サーブがことごとく入らず一人相撲状態に陥り、連続10失点の大乱調。そこから7点取り返したところで、またしてもミスを連発。そのまま状況は好転せずセットを落とす。

 第2セット【下高】3−15【海高】

 大差のビハインドから解放され、やっと俺達の身体が動き出す。相手にほとんど付け入る隙を見せずにこのセットを奪取。

 最終セット序盤【下高】5−8【海高】

 なかなか俺達のエンジンがかからず、5点連取されるが、相手の些細なミスから盛り返し、8点を取り返し、コートチェンジ。

 最終セット中盤【下高】8−14【海高】

 コートチェンジ後も流れを渡さず迎えた最初のマッチポイント。俺達のサーブに相手のレシーブ乱れ、チャンスボールとなって返って来るが、こっちもレシーブが乱れ、クイック攻撃に失敗。【下高】のサイドアウトに。

 ここから相手の反撃が始まる。俺達に4回のマッチポイントを握られながら、その都度撥ね返し、ジリジリと追い上げて来る。

 最終セット終盤【下高】13−14【海高】

 俺達の4回目のマッチポイント。相手のサーブレシーブが乱れ、ネット際の競り合いに。競り負けた相手は拾って返すのが精一杯だったが、返したボールのコースが絶妙で、ワンがセッターに入らない。それでも2段トスで………、という展開で2年生メンバーがこのトスをドリブルしてしまい、相手のサイドアウトになる。

最終セット終盤【下高】14−14【海高】

 セッターが俺を使うが、打ち切れず一旦ブロックに当てる。それを拾ってもう一度………、という目論見が伝わらず、2次攻撃のトスは2年生ライトの山口へ。これが相手のブロックに捕まって、デュースになってしまった。

 

 騒然とした空気の中、俺は、総立ちになった薄紫色の女子達に気圧され、声が出ない。この1点が大きい1点であることに違いないが、それ以上にショックだったのが、セッターの名越が、続けて俺を使わなかったことだ。

 気持ちはよく分かる。相手の目先を変えたかったんだろうが、強いブロッカーがいるライトに上げる意味が分からない。名越は今ちょっと苦しいだろう。ボールの上げ場所を考えているはずだ。

 俺達はサーブレシーブのフォーメーションを組む。セッターの名越は今、後衛のレフトで、前衛のレフトの俺の後ろに張り付いているから、話そうと思えば話せるが、今は精神的にも時間的にもその余裕は、ない。右手で背後の名越にサインを送るのが精一杯。主審の笛が鳴る。

「―――!」

 エンドラインいっぱいの際どいサーブを2年生エースの前田が中途半端に触れてしまい失点。

 後衛でコンビを組む若菜のジャッジが遅れたのか、それともジャッジに対して前田の反応が遅れたのかは分からないが15−14と逆転され、マッチポイントを握られた事実だけが残る。

 タイムアウトは、お互いとっくに使い切ってる。

 この嫌な流れを変えるプランは、ある。この試合で一番スパイクを打ってる俺だからこそ分かることがある。

 が、腹立たしいことに肝心のボールが上って来ない。次のプレーまでに、このプランを口で伝えたところで、耳に入る状態じゃない。


 だったら、目から入れた方が早いか。


 そのために次のプレーははっきりさせたい。プレーは簡単に、フェイントはしない。トスが良かったら強打。駄目なら軟打。狙いはコートの真ん中。相手はそこを開けて、ライン際を固めているのは分かっている。

 後は名越と少し話せれば………。心配なさそうだ。こっちを見て頷いてる。

 一回大きく深呼吸をしてレシーブの構えに入る。名越が後から軽く肩を叩いてきた。

 覚悟は決まった。落ちたら負け。両女バレーの悲鳴に近い応援と、応援団の太鼓が入り乱れる中、主審の笛が鳴る。サーブは、前田が……、よし拾った!


「レフト!!」

 俺は、レフトに開きながら力の限り叫ぶ。センターの高森が囮に入って、名越がトスアップ。が、ネットから遠い。俺は助走から踏み切って空中姿勢に入り、2枚のブロックに当てないよう半身を保って腕を振り上げる。


「打てえ!」

 女バレーのキャプテンの気合を背中に感じながら、スナップを効かせ、軽く腕を振り抜く。ボールが相手コートの真ん中で力なく弾んだ瞬間、歓声と落胆が入り混じったどよめきがコートに落ちてくる。


「ヨォーシ!」

「ナイスキー!」

 俺は、コート中央でメンバー達とハイタッチして、ネットに戻る。まだメンバー達の表情は固い。

 流れを変える方法とは、ミスをしないこと。ただそれだけだ。俺達は、第1セットとこの終盤、俺達自身のミスで散々失点してきた。あいつらは俺達のミスに乗っかってここまできているだけだ。

 とにかく相手にプレーをさせる。相手が手を下さずにポイントをやるプレーをしない。これができれば、相手は必ず苦しくなる筈だ。それが上手くいった第2セットは15−3。おそらく本当の実力差はこれぐらいだ。

 が、ここでサーブ権を失ったら、また振り出し。何としてももう一本取たい。

 名越が前衛に上がってきた。さっきと同じように目配せだけして相手コートを見据える。サーバーの山口は、良いサーブを打つから、このローテで一気に逆転したい。主審の笛が鳴って、山口がサーブを打った。

 サーブレシーブはセッターに入るが、トスが大分ネットから離れている。それを見た俺と高森と名越は、強打はないとみて、ネットから離れレシーブ態勢に入る。

 苦しまぎれに打ってきたスパイクは、俺達のレシーブ網にかかって名越に上がる。


「レフト!」

 力の限り叫びながらも迷った。名越のトスアップの場所が大分ライト側に寄ってしまっている。トスをどこで待つ?センター側に寄るか。しかし、そうやってレフト側まで伸びてきたら、少しまずいことになる。コートの外側に流れながら打つスパイクは、コースも限定されるし、力も逃げやすくとても難しい打ち方になる。

 かと言っていつもどおり開いて、短かったらスパイクに間に合わない。

 取り敢えずは、いつもどおりだ。名越なら指が折れてもここまで持ってくる。短かったら………、何とかするか。した後名越殴る。囮に入ったセンターを飛ばして名越が俺に上げて来た。

 トスは………、少し短いが、よし!打てる!さてどうする?ブロックは2枚ついてる。一番やってはいけないのは、ブロックを気にし過ぎてクロスにフカしてしまうこと。いつもより中に切れ込んで打つ分、クロスの距離が短い。

 踏み切った瞬間、2枚のブロッカーの後ろにいるレシーバーが視界の端に入った。ブロッカーにつられて中に入って来たんだ。

 狙うはストレート。おそらく空いてる。空中で身体を捻りながらトスが落ちてくるのを待つ。ここからは早い者勝ち。ネットに正面を向いてしまった俺はもうブロックをかわせない。向こうのブロックが出揃ったら終わりだ。


「決めろお!」

 ブロッカーの指先をかすめ、ストレートのコーナーいっぱいに飛んで行ったボールは、逆を突かれたレシーバーが懸命に伸ばした腕の、指先の、ほんの少しだけ先に落ちた。

 またコートに巨大な声の塊が落ちてくる。ようやく表情を取り戻したメンバーがガッツポーズしながら駆け寄って来た。

 しかし、俺はそれを両手で制し、大きくゆっくり二度上下させ、メンバーに落ち着けと合図を送る。

 そして右手の人差し指と小指を立てて、メンバー一人一人と目線を合わせ、取るべき点数を確認し、次のプレーに備え、ネットに張り付く。

 状況は変わりつつある。ほんの数分前までの圧倒的不利から15−15のイーブン。数字的にはイーブンだが、追いついた俺達が有利。相手はあと1点のところが2点、しかもサーブ権なし。ショックは大きい筈だ。

 ここで、短く数回主審が笛を吹く。プレーの笛ではない。相手コートで一人屈んで何かしている。どうやら、シューズ紐の結び直しらしい。

 会場は、相変わらず応援団やら、両校の生徒やらの応援が滝のようにコートに落ちて来ている。体育館のステージも、コートの周りも、2階のギャラリーも、びっしり人が入っている。防球ネットに隔てられた隣のコートは、つい今しがたまで定時制のバレーの試合が行なわれ、次はバトミントンの会場になる筈だが、そこにも人が押しかけて来てしまっている。

 そんな中で、一際目立っているのが、両校の女バレーだ。真後から来る応援の激しさと言ったら………。

 勝つんだ絶対に。ここまで応援されて負けたら水道海にどの面下げて帰ればいい。女バレーに何と言えばいい。


「ナイスキッ!」

 そう言ってネットの向こうから、満面の笑顔で手を差し出して来た奴がいる。相手のセッターだ。こんなことは珍しい。試合中に相手が話しかけてくるなんて、よく知ったチーム同士の練習試合でも滅多にない。


「ああ……。」

 微かな動揺でも悟られまいと、わざと曖昧な返事をして差し出して来た手を上からぞんざいに叩いた。

「それにしても、凄い盛り上がりですね。」

「………………。」

「特に、両女バレー。あいつら、我が物顔で応援してますけど、一体何様のつもりなんでしょうね。ウケません?」

「………。お前こそ何様よ。」

 奴に人差し指を向けながら、吐き捨てる。

 俺達と女バレーは、良い関係にある。大人しい男子とは違って、皆明るく、パワフルな面々だ。マネージャーに至っては、そのあまりの世話焼きっぷりに、俺達は、影で「お母さん」とすら呼んでる。

 実力もある。3年のほとんどは、中学時代から一緒にやっていた経験者で、県大会の常連どころか上位進出も狙えるといわれている。

 そして、俺達のチームの最初の練習試合の相手でもある。経験者のほとんどいなかった俺達が、あっという間に負けた時も、(俺達のキャプテンが、部室で泣き崩れる事態になったのだが)心底申し訳なさそうな表情をしていた。彼女達は優しくもあるのだ。

 その女バレーが負けた。俺達以上に勝利が確実視されていた女バレーがこの試合の前にこのコートで試合をして、フルセットの末負けてしまった。

 にも関わらず、彼女達はここに残り必死に応援してくれている。ほんとは、ここにいることすら嫌な筈なのに。

 お前こそ何様よ。

 シューズの紐を結んでいた選手が立ち上がって、主審に合図を送る。もうすぐプレーが再開だ。俺は、奴と話していたレフトから、プレー開始ポジションのセンターに位置した。右隣には名越がいる。


「名越!次も俺に上げろ!対面が穴だ、穴!」

 前衛のライトにいる奴を大袈裟に指差して叫んでやった。この歓声の中では、隣同士でもこれ位声を張らないと聞こえない。

 事情を知らない名越は、普段大人しい俺がいきなり叫び出して、驚いたに違いない。が、分かってるよ!と、いわんばかりに、ケツを叩いてきた。そういう名越も、こういうノリが嫌いではない男だ。

 主審の笛が鳴って、山口がサーブを打つ。レフトにポジションを入れ替え、目でボールの行方を追う。相手のレシーブが乱れセッターに入らず、ふらふらとこちらに飛んで来た。

 チャンスだ!ジャンプしてボールを両手でタッチライン際にはたき落とそうとした時、下から手が伸びて来て、ボールを俺達のコートに押し返されてしまった。

 やっちまった。ボールばっかり見てて完全に対面の動きを見落とした。来てると分かってりゃ、そのまま上から押さえてたのに……。

 顔をしかめながら足元で弾むボールを拾い、相手コートに転がそうとする先に足が見える。顔を上げると、ネットの向こうに、奴が顔に満面の笑みをたたえながら佇んでいた。

 主審が両腕を体の前で回し、相手側を指しながら長い笛を吹いた。向こうはメンバーチェンジをするらしい。

 せっかくのマッチポイントを逃すやら、何か感じの悪いセッターに競り負けるやら、大口たたいてこのザマかよって、その場で絶叫したい位の悔しさと恥ずかしさに身を灼かれていたが、理性を総動員して何とか笑顔を作って奴にボールを手渡した。


「ナイスシャット!」

 例え嘘だとしても、敵を褒めるという行為は思った以上の屈辱感を伴うことが分かった。

 が、ここで引くのはそれ以上に屈辱的だ。現に奴はやっている。奴にできて俺にできないという道理は、ない。


「エースがセッターに負けないで下さい。それより、もういいんです。経験者の数も違うし、今年はそっちの勝ちでいいんで。もうちょっと練習すれば、来年は勝てそうだし、あとは適当に―――。」


「そうかよ!」

 強引に打ち切ってレシーブポジションに戻って、軽く首を横に振った。この手の遠吠えは、過去試合の前後で何度か聞いたことがあるが、奴もその口だったのかと思うと、腹立たしさを通り過ぎて、少し悲しくもある。

 そもそも奴等、ここまで十分俺達と戦えているじゃないか。ここまで競っときながら今更こっちの勝ちでいいだの何だの、ふざけやがって。

 負けるんだったら、最初からさっさと負けてくれ。そして、ここにいる人達に今の言葉を言ってみろ!

 ん?おかしい。そう………、そこだ。負けるつもりなら、奴等とっくに負けている筈だ。にも関わらずこのタイミングで吠えたったことは………。


「野郎………。」

 口の中で呟き、唇の端を少し吊り上げる。


 これは、奴が仕組んだ作戦だ。


 つじつまは合う。この試合、俺達の中で一番打ってるのは俺だ。次のプレーで俺が打って来るのも、奴は十分予測している筈。そこで俺が奴の挑発で頭に血が上って攻撃をミスれば、名越がボールの上げ所に迷って苦しくなる。特に今のローテでオープントスを打てるのは、俺一枚だけだ。

 俺は、頭の血が下る音を聞いた気がした。視野も広がった気がする。作戦自体は理解はできる。ただ品がなさ過ぎる。

 メンバーチェンジが終って、サービスエリアに下がっていく奴の背中を見ながら、ほんの少し奴に感謝したい気分になっていた。妙なことは言われたが、そのおかげで少し落ち着くことができた。

 泣いても笑ってもお互い2点勝負、ここを落としたらマッチポイントをまた奴等に握られる。ここもミスなくさばいて一本で切りたい。主審の笛が鳴って、奴がサーブを打ってきた。

 後衛レシーブの前田と若菜の間に落ちて来たサーブに、二人が交錯、ボールは力なくレフトに開いた俺と若菜の間に上がる。

「―――!バッ!」

 あいつらまた………、慌ててフォローに入る。もし若菜がボールに触っていたら、ツーは俺が上げるしかない。2、3歩駆け寄ったところで、若菜が体勢を立て直して、アンダーハンドでレフトに上げて来た。


 俺は踵を返し、ネットに突っ込むような角度で上がったボールを追いかける。若菜の野郎がレフトの後方からレフトに上げたものだから、ネットの方へ逃げるボールを追いかけるような助走になって、ボールとの距離感が上手くつかめない。更にあまり高さもないので、早く踏み切らないと打てなくなる。

 ボールから目を離せないまま、ほとんどヤマ勘で踏み切り、空中姿勢に入ろうとしたが、ボールがもうほとんど打てる高さにない。視野の端っこに、奴等がブロックに飛ばず、アタックライン付近で前衛がレシーブの網を張っているのが入ってきた。

 もう打とうにも腕を振る余裕がない。ここはフェイントだ。コースを選ぶ時間すらない。拾われるのは仕方ない。ブロックに期待しよう。俺は懸命に右手を伸ばして、前に逃げて行くボールの背中に5本の指の腹を添えて、手の平に乗っかるギリギリのタイミングで相手コートに押し出した。

 ボールは、ほぼライトレシーバーの正面、レシーバーがいるアタックラインと、ネットに出て来た奴の間に落ちていく。


 そのまま誰に触れることなく、相手コートの上を転がって行く。


 俺は見た。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 歓声が湧く中、メンバーとハイタッチを交わす。自分が今どういう表情をしているのか分からない。どんな足取りで歩いているのか分からない。


 奴は、なぜチームを裏切ろうとしているのか分からない。


 奴は、なぜ応援者達を裏切ろうとしているのか分からない。


 奴は、なぜ俺達を裏切ろうとしているのか分からない。


 奴には、来年があるからか?


 我が物面の女バレー共が、気に食わないからか?


 もう、勝てそうになさそうだからか?


 たったそれだけの理由で、奴は本当に負けるつもりなのか?


 他のメンバーの思いは?


 この試合に賭けて来た俺達の想いは?


 そいつ等全部踏みにじってでも、奴は本当に負けるつもりなのか?


 分かっているのは、本当に勝とうって奴が、真っ正面のイージーボールを拾わせないなんてことは、絶対にしねえってことだけだ!


 もう喋るな。話しかけるな。黙って負けてくれ。それが、俺にできる最後で最大の譲歩だ。


 聞いたら………。


 サーブ権が俺達に来て、ローテが一つ回り俺はライトに向かう。そのネットの向こうに、奴が待っている。もちろん、満面の笑みをたたえながら。


「ナイスキッ!」


 頭の中で何かが弾けるような音がした。


 俺は、奴の差し出して来た手首を掴むと、強引に奴をネットの下から引っ張り出し、胸ぐらを掴んでネットに押し付け、顔面を殴りつけた。

 そして、一発食らってよろめく奴の襟首を後ろからわしづかみにして、力まかせにベンチにぶん投げ言い放ってやった。「ふざけんじゃねえッ、この負け犬が!」更に………、


 ってできればな。


 だけど、それは俺の戦い方ではない。勝つ気がない奴等に勝っても、何の意味もない。

 だったら、負けてやる。が、奴等みたいに適当に負ける。なんてことはしない。


 奴に負けることにも負けるつもりは、ない。


 楽に負けられると思うなよ………。勝つ方がよっぽど楽だぞ………。


 俺は、チラリと左を見た。隣に名越がいて、その向こうに若菜がいる。後ろに高森、ベンチに羽田と中島………。俺以外は、バレー未経験者だ。その俺だって中学時代は3年間補欠、高校も先輩が引退するまで出番なしの典型的なトコロテンレギュラーだ。

 そんな俺達が、練習を重ねて、シード校に勝って、シード取って県大会の常連なったんだから、大したもんだ………。俺は、こいつらとバレーができて本当によかった。

 今日だって勝ちたい。俺達がどんなにこの舞台に憧れてきたことか。この雰囲気の中で皆と喜べたら、最高の気分だったろうな。

 でも、それはできそうにない。俺達の勝利を侮辱する奴がいる。俺達の努力を無にする奴がいる。そいつには、徹底的に今、ここで、負けてもらう。


 見とけ!これが俺の負け方だ!


 俺は、満面の笑みを作って、ネットの向こうから差し出された奴の手の平を上から思い切り右手で叩き、ネットの正面に向いていた身体を右に90度回転させ、表情を真顔に戻し、静かにアタックラインとタッチラインの交点付近まで進むと、勢いよく右手を挙げた。視線の先には、監督がいる。


「どうした?プレーが始まるぞ。」

「メンバーチェンジをお願いします!」

「どっかケガでもしたのか?」

「してません。」

「じゃあなんだ!」

 監督の表情がみるみる曇っていく。

 監督は、海高バレー部のOBで、日本体育大学卒、現在28歳、独身、部活指導は、モロにそっちのノリであり、平手打ち指導は平気の28歳独身。


「勝つためです!」

 と勢いよく答える俺。


「海高、メンバーチェンジですか?するなら早くお願いします。」

「すみません。ちょっと行き違いがあったみたいで………。」

 慌てて監督が副審に対応する。


「おい!お前何してんだよ!?メンバーチェンジするんすか?監督?」

 キャプテンのお出ましだ。


「あ〜?何してんだ、テメエ〜。早くポジションつけや!」

 名越が後ろ襟を掴んで引きずって行こうとするが、何とか腕を振り払い、再び交代位置で右手を大きく上げる。


「お前達は、ポジションに付け。このままだと反則になる。」

 監督が2人を追い散らすように両手を振る。

 監督のお言葉は、ごもっともで、タイムアウトを使い切っている今、ベンチの前でメンバーが集まってあれこれ話すと、不正なタイムアウト、つまり、試合の遅延行為と判断される可能性がある。悪質であると認められた場合、警告処分となり、サーブ権の移動又は、1点の失点が課せられる、筈だ。


 俺はこの土壇場で、故意にこの反則を犯そうと企んでいる。手抜きで貰ったサーブ権などいらん。


 会場の歓声が収まりつつある。試合が止まったのに気づいたのだろう。

 監督の顔が眼前に迫る。まるでヤンキー同士の睨み合いのような間合いだ。


「勝つため?お前が抜ければ勝てんのか?」

「俺が抜けなければ、勝ったとしても本当に勝ったことになりません!」

「言ってる意味が分からん………。そういえば、お前相手と喋ってたみてえだけど、何か言われたんか?」

「言われましたが、これとは全く関係ありません!」

 そうであろう。確かに何かを言われたし、見もした。が、そのことに対し、考え、判断し、行動しているのは、あくまで俺の意志によるものだ。そこに何者かの意志は、介在していないし、させない。だからこそ俺は度重なる罵声にもめげずに、ここに立ち続けていられるのだ。


「あ〜!も〜い~よ。監督!こんな奴、構ってたら、日が暮れるべ!とっとと代えてくださいよ。お前、後で覚えとけよ!」

 名越が呆れモードで言い放って来る。


「………。メンバーチェンジをお願いします。」

 監督は俺から離れ一回首を大きく振って、副審に申し出る。が、目ぼしいメンバーはもう、試合がもつれて来た段階で使い切っている。3年の羽田、中島、2年の長塚。今の事態は、いきなり起こった(俺が起こした)ことなので、誰も準備していない。監督が、一瞬誰を使うか迷ったところを、俺は見逃さなかった。


「川村あ〜!」

 右手を上げたまま、顔中を口にして後輩の名を叫んだ。


「なっ!」

 慌てて近づく監督に対し、更に畳みかける。


「川村あ〜!早く準備しろ!反則とられる前に交代だ〜!」

 最上級生のエースに怒鳴り付けられ、動かない下級生はいない。それが最下級であれば尚更だ。川村が慌ててジャージを脱ぎ始めた。

 監督は、動き辛くなった。今更修正しようとすれば、また時間を食ってしまう。これ以上の時間の浪費は、監督のベンチワークの不備を問われかねない。主審、副審は、近隣の高校のバレー部が努めている。善意から引受けてくれたというのもあるが、もちろん敵情偵察も兼ねているのは間違いない。今は5月、6月にはインハイ予選が始まる。監督とエースのイザコザなんて、恰好の情報になるはずだ。

 とはいえ、監督はハラワタが煮えくり返るような思いをしているだろう。なぜなら………。


 川村は、ベンチのメンバー中で一番経験が浅いからだ。


 川村は、今年入ったばかりの1年で、中学時代の部活は、科学部。背も低く、体の線も補欠で一番細い。ユニホームが一着余ったので、もらってない1年でジャンケンをして決まった最後のメンバーが川村だ。正直、山なりのボールを上に上げられるかどうかも怪しい。当然、スパイクなんて以てのほか、フォーメーション動作もほぼ無知だ。

 監督は無言でベンチに戻り、椅子に半身で座って、足と腕を組み出した。どうぞご自由に、といった感じだ。

 川村がすっ飛んで来て、右手を上げ俺の右手と合わせる。川村の体全体が震えているのが分かった。


「お前、どうかしてるわ。」

 キャプテンの若菜が俺の背中に吐き捨てる。

 俺もそう思う。しかし、これはお前等を本当に勝たせるため。奴に本当の負けを刻み付けてやるため。そのためには、俺は悪魔にだってなってやる。


 必ず勝てよ。


「背番号を見せて。」

 副審が川村の背番号を確認に来た。俺は、左手で川村の体を誘導し、背中を副審の方に向けてやる。自然、俺は、相手コートに体が向く。ネットの向こうに奴がいる。珍しく真顔だ。1年の初心者がいるチームに負けられるもんなら、負けてみろ。

 俺は、大きく息を吸い込んだ。高校生活最後の定期戦の最後の仕上げだ!


「川村あ〜!」

「はい!」

「お前は!1年で!初心者だからって!ビビってんじゃねえぞ!」

「はい!」

「コートにゃ!先輩も!後輩もねえ!」

 主審が笛を吹いて辞めさせようとするが、構わず続ける。


「お前はエースだ!ボール呼べよ!いいな!」

「はっ!はい!」

「必死にやれ!絶対に負けんな!絶対に勝て!分かったか〜!!」

 返事を聞く前に、体を入れ替えながら、左手で川村のケツをひっぱたき、コートに送り出し、一礼してベンチに歩き出した。

 監督は、既に副審に呼び出され、何か話し込んでいる。

 副顧問の小嶋先生が近付いて来た。普段は、俺のクラスの英語を担任している女の先生だ。監督から指示を俺に伝えるよう頼まれたらしい。海高に帰って頭を冷やせ。ということだった。

 とはいえ、今は体育館から出るのが難しい。周りは、応援者でびっしりだ。一番近いコートの後ろにある出口から出るしかない。

 なるべく他の者とは視線を合わせないように歩き出した。ベンチの前を通り過ぎ、アップゾーンを抜けて、スコア表のところでちょうど壁際になる。ここでは、中学以来の親友とOBがいて、無言のままチラリと視線を合わせる。

 ここからが、難関だ。コートのエンドラインと体育館の壁際の間を歩いて行かなければならない。エンドライン際には、サーブ待ちの高森がいるし、壁際には、女バレーの面々がずらりといる。が、ここにいては、味方の士気を下げてしまう。意を決して足を踏み出した。

 コートの状況は、分からない。まだ協議中なのだろう。うつむきながら歩く俺の視界に右手が差し出されて来た。高森だ。無言でタッチして、後ろを通り過ぎる。

 そして、女バレーの前。視線をやや前方の地面に固定し、壁際に視線を向けないように歩いて行く。


「………………。」

 誰かに呼ばれたような気がするが、視線はずらせない。流れる汗もそのままに、俺は下唇を強く噛みしめながら体育館を後にした。

定期戦バックレ以後に続きます。熱い話なので是非読んでください。

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