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傷だらけのブルース

作者: 花織

ほとんど人の入ってない箱でギターをかき鳴らして歌う。

落ちぶれたんじゃなくて未だに人気が出てないだけ。

昔はバンドだったけれど次々と辞めていき今や俺一人だ。


昔から、できるのにやらない奴らが嫌いだった。

簡単に手にしたくせに簡単に手放す奴ら。

俺がどんなに手を伸ばしても届かなかった晴れ舞台にいとも容易く立ったくせに簡単に辞めていく奴ら。だから解散発表なんてものを聞くたびに腹が立つ。

今日もそんな奴らに負けたくない一心でステージに立つ。

俺の曲もそんな怒りや苦しみばかりを歌った負け組の曲だってわかってる。わかっていても歌にしてしまう。それが歌手ってもんだろ?


今日のステージも閑散としていて散々だった。

チケットを売るのすら苦労するインディーズ歌手、それが俺だった。

海外じゃ異端らしいが俺は神も宗教も信じちゃいない。あんなものが救いならとっくに幸せな人で溢れてんだろと思うから。

それに俺だってこんな底辺で燻ってなんかいないだろ。今の俺は海底で必死に水面を目指して足掻いている一匹の魚でしかない。そんなことはわかっている。


ライブハウスのスタッフさんから今日もいいステージでしたねなんてお世辞を言われてありがとうございますと返す。家路に着く後ろ姿はそこはかとなく惨めだった。


あの有名歌手だって遅咲きなんだからまだチャンスはあるはずと自分に言い聞かせる。これで何百回目だろうか。当然のように音楽だけでは食っていけず仕事をしながら活動している。

仕事で昇進の話がくるたびに迷うが結局は音楽を捨てきれず今に至る。現在30歳。大体のオーディションは25歳までだったりして、この歳でインディーズでほとんど自費で活動してる奴なんて音楽に縋り付くしかない社会不適合者だと分かってはいる。頭でわかっていても少しの可能性を考えてしまうのだ。宝くじと一緒と言えば伝わるだろうか。どうせ当たらないとわかっていても一縷の望みに縋り付いて買ってしまう。そんな感じだ。


今までの曲に自信があるかと言われれば正直自信なんてものはとうの昔になくなった。大勢の観客の前で歌って場を沸かせたいという希望だけでここまでやってきた。せめてフェスに出られるくらいには有名になりたかった。

ネットにチャンネルを作ってアップロードした曲やライブ映像は数百再生程度。売れない実況者よりも少ない。路上ライブも散々やったがたまに足を止めてくれる人はいたもののほとんどは通り過ぎる通行人に奇特な目で見られるだけ。


自分に華がないことはわかってる。

それでも曲が良ければ振り向いてもらえるはずと信じてやってきた。曲さえ良ければ。その曲に対しても自信が無くなって随分経つ。

掃いて捨てるほどある駄作にも埋もれる駄作。

そんな言葉が相応しいとさえ思ってしまう。

節目の年齢にして潮時を感じていた。


それでもあと少しだけ、もう少しだけ、と思ってしまうのだ。

ここのところ毎晩のようにうなされる。

人から散々言われ続けて音楽を辞める夢ばかり。

精神的負担はとてつもなかった。


元々自分は曲作り専門で華のある人に歌ってもらう想定で始めた音楽。いいボーカルもバンドメンバーも見つかって順調に見えたもののバンド特有のいざこざがあって次々と辞めていった。もちろんメンバー募集はその度にした。何度かのメンバー変更を経て今はこのザマだ。ある歳から急に集まらなくなり出したのだ。若い子には相手にもされない年齢ってことだろう。悔しいが時間を戻すことなんてできない。受け入れるしかなかった。


俺は正直言うと歌が上手くない。

それでも歌が上手くないけど売れてる歌手なんていくらでもいるじゃんか。そう言い聞かせて活動を続けた。歌が好きなのは変わらないけれど段々恨みつらみが湧き出てきて飲み込まれそうになる。そしてそんなことばっかり歌にしてる希望とは程遠い絶望ばかりな唄歌いだ。

それでもそう言う曲も一部では受けるじゃんか。

あのバンドやあの有名歌手だってネガティブな歌で売れてるじゃないか。俺だって売れてもいいだろ。できることは全部やったのだ。本当に少しだが応援してくれてる人もいるのだ。どうすればいいんだ。畜生。あまりに悔しくて柱を殴った。これで何度目だ。こっちの手の方が痛むがそんなことはどうだっていい。CDを買ってくれてる人に報いたい。応援してライブにまで来てくれてる人に報いたい。

チャンネルのコメント欄には自分も辛いことばかりで諦めそうになったけれどこの曲を聴いてなにくそと思って頑張れていますなどといった応援コメントがいくつか書かれている。むしろこっちがそのコメントに助けられて活動を続けられてるのだけれど。たまには憎しみばかりじゃなくてそんな人たちへありがとうを伝える歌を作ってもいいかななんて思った。

俺のファンは必死に布教してくれてるらしくて俺も頑張らなきゃって気にさせてくれる。


そうして出来上がった曲はいつもとかなり毛色の違った温かみあふれる曲になった。

いつものようにCDをライブで配り演奏もした。

ファンたちは喜んでくれた。いつも喜んでくれるから当たり前と思っていたけれど今はそんなことのありがたみが沁みる。


そして何が刺さったのかは知らないがネットでその曲がバズった。歌ってみたやMADなんかが次々と作られてこの歌手は誰なんだと話題になっていた。それを知らなかった俺の元にファンの一人が教えてくれたのだ。早速音源をチャンネルに上げてオリジナル音源ですと一言付け加えた。

ファンの布教もあり俺はようやく一部界隈では有名になった。だがインディーズということもあり全国的に有名にはならなそうだった。日陰者にはアンダーグラウンドがお似合いってか。所詮これが限界か。石ころをどかしたときにいる虫みたいなやつ、それが俺ってことなんだろう。

ただ今は有名になれたことが嬉しかった。ここ10年で夢のハードルが随分下がっていたのもあるが夢が叶った。


ただ他の曲の伸びは相変わらずだった。

そう簡単にはいかないか。ようやく他の曲の再生数が1000を超えた頃その曲だけは30万再生で、こっち方面でやっていったほうがいいのかななんて思ったりもしたが今までのファンを置いてけぼりにはできない。両立すればいいか。ただ、果たしてできるのだろうか。ネガティブな自分にポジティブな歌を書くというのはハードルが高かった。

あの歌手なんかは長年の下積みの末真面目な曲よりネタ曲の方がウケがいいからと路線変更した結果バズってさいたまスーパーアリーナを埋めるまでに成長したらしいしそういうのもありなのかもしれないけれど。


はぁ、昔に戻りたい。

今度はうまくやるから戻らせてくれ……。

平日は定期的に昇進のお誘いがある程度にはまともに社会人をやっているからそっちの方が向いてるんじゃないかって何度思ったことか。

活動費のために会社の付き合い以外では飲まないしタバコもやってない。他に趣味もないからろくに使い道もない。もちろん社会人としての身だしなみと携帯端末には金をかけているがそれくらいだ。

ほとんど全てを音楽に注ぎ込んで早数年、いくらになったのだろうかなんて考えたくもない。

そんなことを考えながら仕事を続ける。


ついに折れて昇進を受け入れたりもした。

意外と忙しさが変わらなかったのが救いだ。

給料も手当の分増えて音楽に回せる金も増えた。

結果としては良かったのかもしれないなんて思いながらも頭の6割を仕事に割きながら残り4割で音楽のことを考え続ける日々。

早く帰れた日はそのまま寝るまで作曲をした。

あの好きだったバンドだってデビューまでに100曲も作ったらしいし俺だってそれくらいは作ってきたからいい加減メジャーに進出したい。

いつも思いは一つだ。

職場では俺が飲み会の度に愚痴っているせいで割と有名になっていて、応援してくれてる人でいっぱいだ。ありがたい限りだ。

俺は人望がないわけではなかった。それが何よりの救いだった。時々ライブにも来てくれて盛り上げてくれる。部下や同僚、上司なんかもだ。それがなければとっくの昔に心が折れていたかもしれない。特にいつも応援してくれるのは部下の女性の一人。私はいつも先輩が頑張ってるところ本当にかっこいいと思いますと言ってくれて何かと支援してくれているからてっきり俺に気があるんじゃないかなんて勘違いしそうになる。その子はいつもライブに来てくれるしCDを配ったりライブのチラシを配ったり、ライブの時に毎回差し入れもしてくれるのだ。これも大きな心の支え。

つくづく俺はいろんな人に支えられてここまで来たんだと思う。長年やってきてくたびれた心であっても続けようと思えるのはそのおかげでもある。


俺はその女の子のことを思って曲を作ってみようと思った。それは何故だか不思議と捗った。そして完成してみるとまた前みたいにポジティブな曲になった。

早速音源をチャンネルに上げてみたところ、それがまたしてもバズった。そんな気は無かったのだが素敵なラブソングですねなんてコメントが相次いだりして、やっぱりそっち方面の方が向いているのだろうかなんて悩んでしまった。

俺は俺自身への需要がわかっていなかったのかもしれない。でも長年染み付いた卑屈さが消えるわけはなくて今まで通りの負けるもんかって気持ちで作った曲も上げ続けた。でもやっぱり再生数は少ないままだった。畜生。


そして時は経ち、バズった二曲だけはアンダーグラウンドコンテンツ内でどんどん広がっていき、とうとうド深夜のただ音楽を垂れ流すだけの番組から声が掛かった。

インディーズだろうと聴いたこともない歌手ばかりの歌が綺麗な風景や天気予報なんかと一緒に無言で流れている、番組と言えるかも怪しい番組だが全国ネットだ。断る理由なんてなかった。

一週間ほど放映されるようだったからそれで一人でも多くの人に知ってほしいと神に願うが如く縋った。

例の女の子は録画までしてくれていて会社で会った時にめちゃめちゃに褒め称えてくれた。

そしてそんな彼女のことをとうとう意識してしまうようになった。俺は音楽のことを考えなきゃいけないのに。音楽ばかりでやってきたからそういうことには弱かった。どうすればいいのかもわからなかったがその間もあの子は俺を支えてくれた。仕事もあるのにずっと献身的に。

日に日に彼女への想いは強まるばかりだった。


そしてとうとう俺から声を掛けて彼女にサポートとしてキーボードとコーラスで参加してもらうことにした。彼女はとっても喜んでくれた。

彼女は以前から手伝ってくれていたからかファンからの評判も良くて、彼女のコーラスとキーボードの入った曲は今までの曲をどれも輝かせてくれた。

ネットにアップし直す作業は骨が折れたが彼女の効果か番組の効果か、再生数も軒並み1万を超えるようになってきた。コメントもそれに応じて増えていって俺はそれが嬉しかった。彼女もそれを見てはいつも喜んでくれた。

平日は上司と部下。休日はバンドメンバー。

そんな関係がいくらか続いたあと、彼女から大事な話があると呼び出された。


ライブ後の人のいなくなったライブハウスの幕裏。そこで彼女に告白されたのだ。ずっと前から俺なんかのことを好きだったと。

卑屈な俺ですら受け入れてくれた人。ずっとそばで支えてくれていた人。気づけば彼女といるのが日常になりつつあって、必要というよりもはや不可欠だった。

そんなわけで卑屈な俺でも断る理由なんかなかった。断れるわけなかった。

こうして彼女と付き合うようになったが関係はあまり変わらなかった。ただそばで一緒にメジャーを目指す人が増えたのは何よりも心強くてバンドに飽き飽きしていた俺ですら心が動かされた。


そんな頃である。メジャーレーベルから声が掛かったのは。


俺はすぐさま飛びついた。こんなチャンス二度と来ないかもしれないのだから当たり前だ。

メジャーデビューと言っても華々しいものでは決してなかったがそれでも決まった日は彼女と家で喜び合った。彼女は泣いて喜んでくれた。信じてたこと正しかった、と。

デビューアルバムとしてミニアルバムを一つ出すことになってそこには例の二曲も入れた。少しでも目立つようにって。なんのタイアップもない宣伝も小さいアルバムだったけれど俺からしたら大きすぎる一歩で、MV撮影なんかもあって照れ臭かったけどそれも俺のチャンネルをそのまま公式化してアップされた。反応はとても良かった。


俺の歌は主に人生に苦しんでる人や辛い境遇の人に刺さったようでそんな人達から、今とても辛い境遇にいてそれでも頑張れるのはこの曲があるからですなんてコメントをもらう度に俺も頑張らないとという気持ちになった。

売れ行きはそんなに良くなかったけれどコメントでCD買いましたなんて報告もあってそれがとても嬉しかった。

今まで自分で音を録ってダビングして自費で配っていたCDにプレミアがついていたりして、転売だからよくはないのはわかっているけれどそんな価値を見出してくれてる人がいることが嬉しかった。

ここまで頑張った甲斐があったと思えた。

諦めなくて良かったと初めて思えた。

自然と作る歌にもそういった気持ちが乗るようになっていってポジティブな歌も書けるようになっていった。

そんな中初のタイアップが決まった。

深夜のドラマのテーマソング。

視聴率は低い時間帯だけれどないよりはよっぽど良かった。

そうしてできたのが「出来損ないのバラード」だった。

今までの苦しみも今の希望も載せた小さなボートで船を漕ぎ出すような感覚。

どれだけ売れなくても構わないからとにかく聴いて欲しかった。

初放送の日は心臓がバクバク言ってちょっと怖かったけれど後で恐る恐る評判を見たら今までで一番良かったのだった。

ドラマも深夜にしてはとてつもなく流行ってそれと一緒に出来損ないのバラードを入れた新しいミニアルバムもそこそこ売れた。

これからどんどん売れるようになれ。そう願った。でもある程度を境にして売れ行きは止まった。5000枚の壁。その後の作品もその壁にぶち当たっては砕けた。東京大阪でのライブだけは満員で他ではチケットが余ることばかり。

現実はそんなもんかと思わされた。

でもここまでは来られたのだ。それには胸を張れた。どれも小さい箱でのライブだったけれど完売する度に彼女とお祝いをした。

武道館はまだまだ遠かった。だけれど今の俺の身の丈に合っているのかもしれないなんて思いながら一人でも多くの人の心に刺され、と念じて今日も歌っている。

一部では負け組の歌と揶揄されるがそんなの関係ない。負けたままで終われるかと歌うのだ。


そして久々のタイアップが来た。

夕方のアニメの主題歌だという。

その方面には詳しくなかったから必死で読み込んだ。その話に合うように。

そうしてできたゴッホの最後のひまわりを題材にした「岐路」という曲は今までで一番売れた。知らなかったがとても注目されていたアニメだったらしくずっとアンダーグラウンドだった俺だが一般層に初めて俺の歌が届いたのだ。

長年水中から水面へと手を伸ばし続けた俺にようやく光が差した気がした。水面へ顔を出せる気がした。サブスクやカラオケなんかでも人気だと聞かされてよくわからなかったが愛されているのだとは思えた。

俺のバンドといえば岐路とまで言われるくらいには流行って、その頃には2枚目のフルアルバムだったがやっと5000枚の壁を超えられた。1万枚には届かなかったけれど今の時代CDが売れること自体珍しいからとレーベルの人には励まされた。

実際ダウンロードランキングではデイリー1位を取れていた。週間までは無理だったがそれでもようやくここまで来られたのだ。10数年の下積みが少しずつ報われていくようで嬉しかった。普段泣いたりなんかしない俺でも泣くほどには。


売れっ子歌手なんかよりもよっぽど下を彷徨っているが、それでも俺には十分すぎた。

職場付近にある武道館を見る度にいずれあの高台に立つんだとそれだけを原動力に努力し続けた。

だけれどやっぱり遠くていまだに小さい箱でライブをやっていて。

きっと届かないと諦めたらそこで終わりだとわかっているから諦めない。根性だけが最後の砦だ。


そして今年遂に夏フェスに呼ばれた。

一覧見て誰こいつって言われるような有象無象の一人でしかないけれど、それでも嬉しかった。

数合わせでもメインステージじゃなくても、それでも嬉しかった。初の目標だったっけ。忙しすぎて忘れかけていた夢を一つ叶えられた。まだステージは先だけれど速攻受諾した。

有給休暇を使ってでも出てやる。そんな気持ちで活動を続けていった。会社の飲みの席でもみんな祝ってくれた。酒も入っていたから余計に浮かれてしまって小っ恥ずかしかったけれど、みんなのいつも以上の応援が何より暖かくて今日の酒ほど美味い酒はなかった。

フェスというのはそんなに何曲もできるわけじゃないけれど大勢の前で歌える幸せといったらこれ以上歌手冥利に尽きるものはない。

たとえ聴衆がそっぽを向いたってやり遂げてみせる、と意気込んでリハーサルと題したバンド練習にも力が入った。

会社の人たちも有給使ってでも見に行くと言ってくれて、がっかりさせるなんてもっての外だし恥はかかせられないなと思った。


そしてフェス当日。

大体の客は有名歌手の出るメインステージに吸われていたがそこそこ多い人だかりがそこにはいた。

舞台袖からそれを眺めて心臓が口から出てくるかと思うくらいには緊張した。なにせ今までのキャリアで最も多い人数と大きなステージなのだから。

そんな時俺の震えていた手を握ってくれた彼女を見て勇気が湧いた。何も恥をかくのは俺だけじゃない。支え続けてくれた彼女にも恥はかかせられない。全力で行ってやる。

ステージに出て自己紹介を軽くするとまばらには反応があった。俺目当てで来てくれた人はこの中に何人いるのだろうなんて考えたけどやめた。他のバンドのファンも引き込んでやる。今まで散々そう思って活動し続けたじゃないか。なんのこれしき。手に持ったギターがやけに重く感じた。


そして有名曲を中心に自分の気に入ってる曲たちをMCを挟みながら数曲歌った。最高の気分だった。オーディエンスの反応も最高でみんな盛り上がってくれたのだから。

最後の曲の前にちょうど他のステージが終わったからか人が増えてきた。狙い通りだ。そこでここぞとばかりに「岐路」を歌い上げた。


結論から言えば大成功だった。

これ以上ないくらいの盛り上がりを見せて幕を閉じた初のフェス。時間帯は有象無象の無名歌手が集まってる昼の時間だったけれどその中でも最も盛り上がっていたらしいとスタッフさんから聞いた。会場で販売していた初回盤のアルバムも売り切れたと聞いて一気に緊張の糸が切れたのかへたり込んでしまった。心配はされたが大丈夫と答えて休憩に入った。

しばらく休んだのちに有名バンドが務めるトリのライブをこっそり見に行った。凄い人の数だ。俺なんか到底太刀打ちできない圧倒的な才能と魅力。誰も彼もがそれに魅了されているのがわかった。悔しさはあるが壁は越えられない。ただ勉強にはなった。プロの盛り上げ方は凄かったから。


結局一勝一敗のような気持ちで幕を閉じた。

あとで聞いたが同僚たちも本当に来てくれていたらしい。本当にアットホームな会社だ。

彼女もやりきったというような顔をしていてとても綺麗だった。俺は今どんな顔をしているのだろうか。喜べている自信はないが苦々しい思いをしているわけでもない。おそらく安堵の表情だろうか。どっと力の抜けた俺は自分でもわからなくなっていた。

それから大型フェスや地方のマイナーなフェスと色々なところに呼ばれるたびに同じことの繰り返しだった。俺からしたらみんな凄くて凡人が紛れ込んでいる気分だったけれど昔やっていた小さな箱での対バンを思い出して悪い気はしなかった。

そうしてフェスに出るようになって気の合うバンドも増えた。これは自分で精一杯な俺には意外な収穫だった。

音楽の話をしたりただ飲んだり、ときには前座や対バンに誘われたりもしてどんどん休日のスケジュールが埋まっていった。対バンは相手の主宰ばかりだったからアウェーだったがそれでも盛り上がって嬉しかった。フェスで学んだ盛り上げ方を早速活用したのが功を奏したか、そこで知ってファンになったと言ってくれる人も増えた。


ただ何もかもうまく行くわけはなくて、流石に働きすぎたのかとうとう過労で倒れてしまった。

一日だけ入院をして退院したのだが同僚たちはとても心配してくれていた。仕事に穴をあけてしまった分はなんとか取り返せたがレーベルのマネージャーから仕事を辞めてこっち一本に絞らないかと言われてしまった。一応音楽だけで食っていけるだけは稼げていたからそれにバイトをたまにすれば十分な稼ぎではあった。でも喜んでくれたり応援してくれていた今の職場より良いところなんて見つかる気がしなくて結局辞めずじまいだった。


これではどっちつかずと言われても致し方ない。

ただ曲作りのために防音設備のある部屋に住んでいたために家賃分は稼がなきゃいけなかった。それにツアーで売れ残ることもまだまだあったチケット代の件もある。仕事が嫌なわけじゃない。ただ身体的負担はものすごかった。ミュージシャンとしては音楽だけで食っていけるようになるのが目標なのが当たり前なのかもしれないが俺はそんなことどうでもよくて多くの人に歌を届けたいだけだったからやってこれた。というわけでマネージャーを説得するのも骨が折れた。こんな生活をしているのは俺くらいなのかもしれないなんて思いながらも歌も仕事も楽しく続けてきた。

だけれど休みがないのは流石に堪えたから会社に相談して週4日の仕事に減らしてもらった。音楽活動と合わせると完全週休1日制だ。音楽が嫌いになったりしてたらとうの昔に辞められていただろうがいまだに情熱は消えることを知らなかったから続けられた。


まだまだタイアップは少なかったし些細なものばかりだったけれど来るようになって知名度も少しずつ上がっていった。

何故か人気ないのにフェスによくいる人だなんて言われ方もしていたことは知ってる。それでも今の数千人のファンだけで十分だった。天賦の才のない俺には十分すぎるほどの成果だ。

ようやくここまで来られたのは彼女のおかげだろう。どれだけ感謝してもしきれないほどだ。

彼女には華があったから。ファンにも好かれていてよくファンレターももらったりしていた。

それでも謙遜して俺のことばかり褒め称えてくれる彼女は俺には勿体無いほどだ。


歌手というもの、代表曲があるかないかの差は大きくて、俺には2曲、いやバズったのも入れると4曲もあるから俺のことは知らなくても曲は知ってるという人も多かった。実際サブスクや配信では他のタイアップ曲もあまり伸びずその4曲だけが突出して人気だった。だからまずは知ってもらうという目標も達成できていた。でももう少し人気が欲しいと思ってしまうのはわがままなのだろうか。武道館を埋めたい。そう思うようになって更に数年が過ぎた。そろそろアラフォー。


そんな折、マネージャーから一か八か武道館公演をしてみないかと言われた。およそ8000人を集められるか否か。失敗したら大損害。まさに賭けだった。埋まるかもわからないから一日だけのチャレンジ。全国からファンを集めたらなんとか埋まるか程度ではあったものの俺はそれに乗った。

発表の時ファンはとても喜んでみんな行くと言ってくれたものの当初チケットの売れ行きは芳しくなかった。失敗かと頭によぎるネガティブをなんとか振り切る。そこで旅行会社と提携して全国からツアー企画を実施しようということになった。

結果なんとか売り切れそうにはなったものの完売とまではいかなかった。そりゃそうだ。アルバムを出しても1万枚も売れない歌手が武道館公演だなんて無謀もいいところだ。これだけ売れただけでも感謝しかない。俺はSNSで精一杯感謝を伝えた。


武道館公演当日。

北の丸公園に大勢の人が集まっている。昔見て悔しさが込み上げてきた光景が今は自分のためにこれだけ集まってくれたんだという熱い思いで一杯だった。

もしかしたらあの時見た公演のバンドも同じ境遇だったかもしれないと思うとなにくそと思ってた自分が悪いような気がしてきて思わず目を伏せた。

たった一日の武道館公演。一生で最後かもしれない。全力で駆け抜けるのみだ。

割と暗い曲が多い俺だから観客も静かに聞いていることが多かったが「岐路」「出来損ないのバラード」の時にはみんなで盛り上がってくれた。

MCでもこれまでの苦しかった思いや挫折の経験なんかを語った。泣いている観客もちらほら見えてこっちまで泣きそうになったけれど涙は最後まで取っておくんだと言い聞かせた。

そして最後に新曲としてこれまでの想い全てを詰め込んだ今日限りの曲「傷だらけのブルース」を歌った。チケットと引き換えに自ら自費でダビングしたCDとして久々に配った曲だ。俺自身で配れなかったのは申し訳ないが入場スタッフの手から直接配っていただいた今日限りの曲。

結果、大賑わいで大団円といった終わり方ができたのはここまでついてきて支え続けてくれたファンのおかげだ。

じゃなかったら今も苦しみや憎しみばかりしか歌えなかっただろう。遠くからはるばる来てくれた人たちには感謝しかない。せめて出来ることをと思って観客全員の退場を最後までステージから見届けた。いろんな歌手のステージの前座をやらせてもらっていたから分かるがこんなことをするのは俺くらいなもんだろうけれど。


いきなり金勘定の話で悪いが余計な設備をなるべく削ったために公演はギリギリ黒字だった。

結果は自分でも事務所からしても成功だった。

大成功とまでは言えなかったけれどまたしても夢が叶った瞬間だった。

これを足がかりにこれからも活動を続けなければいけない。背負う荷物は多けれども覚悟の上だ。

そんなものはインディーズで腐ってた頃からずっと覚悟していたことだから屁でもない。

それに俺には彼女がついてる。会社の仲間もついてる。これほど心強いことはない。

決してひとりぼっちじゃないんだからこれからも死ぬ気で走り抜けるだけだ。これまでもそうしてきたように。何度倒れようと立ち上がってみせる。

武道館公演の様子がどこかの音楽系ネットニュースにすら乗ることはなかったけれどそれでも歌うスタンスは変わらない。

できるのにやらない奴ら、できたのに手放す奴らにふざけんなと今日も歌う。理不尽な境遇、辛い仕打ちに負けてたまるかと今日も歌う。絶対に手放すもんか。

ようやく水面に顔を出せたところなんだ。いつか飛んでみせると空を仰ぐ俺の心には雲ひとつなかった。


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