前編
人族領域のほぼ中央部にある秩序神の総本山。アレヤ大神殿には、勇者の間と呼ばれる部屋がある。
直径5メートルほどもある魔法陣とその背後に立つ神像。
勇者召喚陣と秩序神像である。
秩序神の額にある宝玉は、魔王誕生が近づくと輝き出し、魔王が誕生したのちは赤く染まる。
宝玉が輝き出すと、アレヤ大神殿では勇者召喚を行う。その時の世界で最も勇者にふさわしい者を、呼び出すのだ。
そして今、秩序神の宝玉は光を宿し、神官たちが取り囲む召喚陣の中には、一人の男が立っている。
身の丈2メートルに及ぶ偉丈夫である。身につけた衣服も異国風であるが上質なものであった。
青い袋の様な帽子を被っていて、神官たちには珍妙な出立ちに見えたが、それを笑う事を許さない威厳があった。
「召喚されし者よ。汝が今代の勇者である」
神官長が厳かに宣った。
「勇者?という事は、ここはアレヤ大神殿か」
偉丈夫が面白そうに言う。
その様子に神官たちは、ホッと一息ついた。
どうやら同じ世界の人間である上に、言葉まで通じる。
過去の勇者召喚を見ると、異世界や言葉の通じぬ蛮族、果ては人間以外まで召喚した記録があった。
それを考えると今回の魔王討伐は、容易いものとなるだろう。
誰もがそう思った。
「悪いが、俺は勇者にはなれぬ」
偉丈夫が、皮肉気な笑みを浮かべてそう言うまでは。
「な、何故に?この上ない名誉と富が約束されるのだぞ!」
「あいにく、名誉にも富にも不足しておらん」
「世界の救い手になろうと思わんのか?!」
「興味がないとは言わんがな。立場上勇者にはなれぬ」
そう言うと偉丈夫は帽子を取った。
そこには、曲がりくねった2本のツノがある。
「お初にお目にかかる。ルフル3世。当代の魔王だ」
この場合の魔王は、魔族の王としての称号で、世界を滅ぼす者としての魔王と意味合いは異なる。
しかし、結果的にその二つが同一である事も多い上、魔族自体が、秩序神やその信徒と良好な関係とは言いがたい。
神官たちが、驚愕で言葉もないのも当然だろう。
そのなんとも言いがたい雰囲気の中で、当代の魔王は薄く笑った。
「まあ、余を脅かす存在の誕生が近い事を教えてもらった事は、感謝しておこう」
そう言いながら魔王の魔力が高まる。
頭上に複雑な魔法陣が一瞬輝くと、魔王の姿は消え去った。
瞬間移動の魔法で、自らの領地に戻っていったのだろう。
神官たちは、さらに何度かの勇者召喚を行ったが、勇者召喚陣が反応することはなかった。
そして1年余りが過ぎる。
創造神像の宝玉が、ついに赤い光を宿した。
だが、赤い光は10日もたたぬうちに消えてしまう。
風の噂で、魔族の間で叛乱が起きたが、あっという間に魔王ルフル3世に鎮圧されたという話が伝わってきた。
その叛乱の時期が、宝玉が赤く光っていた時期と一致しているように思えたが、アレヤ大神殿は沈黙を貫いたという。
先の勇者召喚から100年ほどが過ぎた。
アレヤ大神殿勇者の間にある秩序神像の宝玉が、光を帯びた。
魔王復活の知らせである。
すぐさま大神殿では、神官たちが集まり勇者召喚の儀式を執り行うことになる。
そして今。
神官たちは召喚陣の中心に現れたものを見て、呆然としている。
ゲコ。
全ての視線を悠然と受け止め、それは鳴いた。
大人の掌ほどの大きさの蛙が。
「こ、これは一体どういうことか」
大神官の一言をきっかけに、一斉に皆が喋り出した。
「召喚陣は正しく起動したはずだ」
「では、これが今代の勇者だというのか」
「秩序神の神意だ」
「馬鹿を言え!」
無秩序な喧騒が、混乱に至ろうとした時。隅に控えていた神官補の若者が、悲鳴の様な声をあげた。
「皆さま!あれを!!」
秩序神の宝玉が、赤く光っている。
「魔王復活だと!早すぎる!」
騒然とする中、神官補の若者はふと蛙を見た。
悠然と召喚陣の中心に鎮座する蛙の前を、一匹の蝿が飛んでいる。
なぜか離れた位置の神官補からも、はっきりと見える。
妙にはっきりと認識でき、なんとも言えず禍々しい蝿が。
悠然と飛ぶ蝿が空中に静止し、禍々しさが膨れ上がったその瞬間。
ヒョイ。
蝿に蛙の舌が巻きついた。
あっという間に蛙の口の中に収まった。
ゴクリと蛙が飲み込んだ、その瞬間。
秩序神像の宝玉の光が消えた。
「消えた?!」
「一体、どういう事か!」
もはや大混乱と言って良い喧騒の中、神官見習いは、蛙に向かって両手を合わせた。
ゲコ。
蛙は一声鳴くと、悠然とその場を立ち去る。
勇者のその後の行方は、誰も知らない。
そして、また100年余りが過ぎた。
「なんだ?ここは」
軟式装甲戦闘宇宙服G型に身を包んだ、オオタ・リョー中佐は突然の状況変化について行けず、呆然と呟いた。
ついさきほど、ペルフィモ星系のジャンプゲートから、汎人類統治機構オリオン腕宇宙軍第5大艦隊艦隊総司令部の置かれたJ 5戦闘星系にジャンプを行ったはずなのだ。
「どう見ても高次空間じゃありませんね」
戦闘宇宙服の制御人格であるツクヨミの声が聞こえた。
といっても音声ではない。オオタの体内を循環するナノマシン・ストラクチャとの亜空間チャンネルを介しての通信だ。
「というか地球文明時代の古代劇みたいに見えるんだが」
自分を取り囲む神官たちを見て、恐る恐る言う。
「というか、古典民衆文学にある召喚物の様に見えますね」
「召喚物?」
どこかで聞いたことのある言葉に、オオタは首を傾げた。