馬賊の頭目補佐の男は、故郷に帰るべく女頭目に一戦所望する。
――劉紅児は馬賊の女頭目である。
皇国の月京郊外にある牧場の末娘として生まれた紅児は馬の背を揺り籠とし、幼い頃から家業を手伝ってきたが、不況の年に一家は離散した。
月京の飯屋で下働きをしていたのは七つの時。だがその飯屋も潰れ、彼女は一人、まだ開通して間もない鉄道に乗って西の開拓地、新州へと向かう。
職を失い、痩せこけた大人たちの波に揉まれながら。
新州は皇国北西部に位置し、複数の国家と隣接し、その土地が狙われる場所でもある。皇国が戦に負ければ一部が租借地とされ、異国の者が港を使い、鉄道を敷くなどする。
新州は金が落ちる場所である。だが町を一歩出れば、貧弱な農地と広大な荒野が広がっているのだった。そしてそれは公権力がまともに機能していないことも意味していた。
紅児は新州を流れ、十五の時である。彼女はとある港湾に近い町、雑多な人種が入り乱れる地で飯屋の給仕をしていた。
昼時である。
――ダン!
店で銃声が響いた。体に当たりはしなかったのだろう。皿が割れる音、テーブルがひっくり返る音と続き、それは殴り合う音に続いた。
悲鳴が起こり、客たちが店から逃げていく。
店の中央で殴り合っているのは毛皮の外套を身に纏う馬賊の男と、船乗りである金髪の異国人の巨漢。
見境もなく昼飯時の飯屋で回転拳銃をぶっ放したのが異国人の男で、馬賊の男がそれを跳ね飛ばしたらしい。
かわりにぶん殴られたようで、馬賊の男は劣勢だった。
紅児はすいっと近づいて回転拳銃を拾うと、異国人の男の背に近づく。
――ダン!
轟音と共に拳銃は火を噴き、男は動かなくなった。
「……なぜ俺を助けた」
呆然とした様子で馬賊の男が尋ねる。
「あんたは飯代をちゃんと払う。こいつはツケを払わない」
「だが俺を助けて外国人を撃ったら追われるだろう」
「そうね」
紅児は気にした風もなく、奥に向かう。
すいません、おかみさんと店主に頭を下げ、今日までの給与を貰い荷物を持って外に出た。
「どうするんだ」
「まだいたの?」
入り口の脇、馬賊の男が尋ねる。
「官憲に話が行く前に別の町に流れるだけよ」
「……なぁ、それなら俺のところに来ないか?」
「馬賊に?」
馬賊、とは騎乗して広い範囲を荒らす匪賊の一種である。
紅児には義侠心があった。幼い頃、馬に乗っていた経験もあった。そして銃を寄って撃つ胆力があった。
紅児を拾った当時の頭目が戦で死んだ時、新たな頭目に選ばれたのは彼女であった。
荒くれの男ばかり百騎からなる馬賊、赤狼匪の女頭目ら劉紅児の誕生である。
ある日、男たちが十人ばかり輪になっているのを見かけた。町人たちに混じって紅児の配下も混じっている。
「何道草食ってやがんだい、野郎ども!」
「紅頭目!こんなとこに帝国の青瓢箪が落ちてますぜ」
「あぁん?」
紅児が下馬して近づくと、男たちが道を譲る。輪の中へ入ると、帝国の軍服を着た男が道端に転がっていた。背嚢を枕に、背には長銃、腰には軍刀、空の水筒が転がっている。
そして軍服の下からは血に滲む包帯が覗く。
この開拓地の町の郊外で皇国と帝国が一戦交えていたのは3日前のことだ。
新州には大小合わせて百を超える匪賊がいるという。それらは全て立場を異にし、その立場というのも流動的だ。
集落の自警団のようなもの、ヤクザ者の集まり、阿片の密売屋、皇国の軍人崩れ、抗帝国レジスタンス、革命家集団……。
紅児の馬賊は皇国に雇われているわけでもなければ、帝国と戦をしている訳でもないが、この辺りを根城としているために皇国側に立ち、町を守るために馬に跨り、銃をぶっ放してきた。
「ふん、怪我して置いてかれたか逸れたかってところかねぇ」
紅児は男の上に跨ると、胸ぐら掴み上げて顔を叩く。
「おい、生きてるか?死んでるか?死んでるなら返事しろ」
げひゃひゃと馬賊たちが笑う。
軍人の男がうっすらと目を開けた。この辺りでは珍しい濃い茶色の瞳がゆっくりと紅児の顔に焦点を結ぶ。
「……天女……さま……?」
それだけ言って再び目を閉じた。
「ばっ、ばか!何言ってやがる!」
紅児は男を突き飛ばし、周囲の男たちはさらに声高く笑った。
「頭目を!天女様だと!」「おいおい、帝国人にも面白えのいるな!」「新州の鬼女を天女!」「ぶひゃひゃひゃひゃ」
紅児はぷるぷると震えながら立ち上がり、腰の拳銃を手にした。
左手で帽子を上から押さえつけるように目深に被るが、その頬は隠しようもなく紅かった。
「今、鬼女といったやつは殺す!」
男たちはわあわあと逃げていった。
――勝吉は馬賊の女頭目、紅児の補佐である。
帝国の戦火も届かぬ長閑な山間の村の次男として生まれた勝吉は、徴兵のために村を後にし、厳しい教練を受けて戦地へと向かわされた。
海を渡り、茫漠たる新州の地を進軍し、皇国との戦の中で同僚を守って怪我を負う。
小競り合いのような戦いであった。
だがそれでも死神は戦場を睥睨し、無慈悲にどちらの軍からも等しく命を摘み取っていくのであった。
勝吉はその場では運良く死なずに済んだ。だが気を失い、死者たちと紛れてしまったのが良くなかった。
気を取り戻したとき友軍は既に撤退していた。
戦場となった荒野を数日彷徨い歩き、大切に飲んでいた水も枯れ、町を見つけて門を潜った時にはもう限界であった。
背嚢を打ち捨て、路上で倒れる。
べしべしと頰を叩かれる衝撃で僅かに意識が覚醒した。
「おい、生きてるか?死んでるか?死んでるなら返事しろ」
蓮っ葉で焼けた声だが女の声がした。
遠くでげひゃひゃと笑い声。
うっすらと目を開けると、黄色い瞳に黒の瞳孔をした、気の強そうな、だが美しい女の顔が映った。
「……天女……さま……?」
それだけ言って再び目を閉じる。
こうして馬賊の女頭目、劉紅児に拾われることとなった勝吉は組織の中で頭角を現し、一年も経たぬうちに彼女の補佐のような立場へと就いた。
そうして数年の月日が過ぎた。
ある秋の宵である。
りり、りり。と虫の鳴く平原に天幕を張って野営している最中であった。
「頭目……紅頭目!」
「……なんだぃ、勝吉補佐?騒々しいねぇ」
天幕の奥で濁酒の入った陶の酒瓶を抱えて寝こけていた女、劉紅児が目を覚ます。
床几に地図を広げ、一杯やりながら移動先を考えているうちに寝こけたようだった。
入ってきたのは彼女の補佐、勝吉。
「飲み過ぎです。襲撃があったらどうなさるのです」
熊の毛皮の敷物の上に折り目正しく膝を揃えて、紅児の正面に座った男は、軍刀を鞘ごと腰から外して床に置くと、手を伸ばして傾いている酒瓶を取らんとする。
カチリ。
紅児は天幕の中でも羽織っていた外套の下に隠していた右手を勝吉の頭に突きつける。手には灯火を照り返し、黒光りする回転拳銃。
「心配すんなぁ……無防備に寝こけやしねぇよ」
勝吉はふう、と溜息をつき、そっと額から銃を押し退けた。
濃い茶色の瞳が、ひたと紅児の黄色い瞳を見つめる。
「頭目、一戦を所望致す」
空気が緊張を孕んだ。
「……そうか、補佐。故郷へ帰りたいか」
「……はい」
皇国と帝国の戦が終わったという話が新州に流れてきたのはつい数日前の話だ。
もちろんこの手の流言はいつもの話。だが今回は実際に引き上げていく帝国軍人が各地で見られている。転戦ではないだろう。
ただ、これが終戦なのか一時的な休戦・停戦なのかは分からない。
だが今なら。引き揚げる帝国軍や民間人に紛れ、母国に帰ることもできるだろう。
「いいだろう。一戦やってやろうじゃねぇか」
紅児はそう言うと床机に拳銃と酒瓶を置くと、毛皮の外套を脱ぎ捨てた。
馬賊を抜けるにはケジメをつけなきゃならない。そのケジメが何であるかは集団ごとに異なるが、紅児のところでは上の者に勝負を挑んで勝つことも含まれていた。
帯に手をかけて解く。気合い入れて締め直すのかと思いきや、そのまま抜き取って旗袍の立ち襟に手をかけ、釦を外していく。
「頭目?」
毛皮で補強された分厚い綿入れの旗袍を脱ぎ捨てると、紅児の体躯は急に小さくなったように見えた。
馬賊集団、赤狼匪を率いる頭目という立場を脱ぎ捨てたのだ。そう勝吉は感じた。
「おい、無粋なこと言うなよ補佐」
そう言いながら手は服を脱ぎ捨てていく。薄手の生地の服をさらに脱ぎ捨てると、心衣、布一枚を背で縛っただけの下着一枚となった。
――まるで童話の、そう金太郎みたいだな。
勝吉はふと祖国の童話にある子供の腹掛けを思い出す。
だが日に当たらない真っ白な肌はどうしようも無く官能的で、紅児の胸から下を隠す真紅の心衣は、彼女の体の起伏までを隠すことはできない。
勝吉は血が集まって来るのを感じた。
「紅児……?」
「そうだ、勝吉」
紅児は勝吉の膝の上に跨った。
彼女の黄色い瞳が灯火に照らされ、蜂蜜のような金に輝く。
「いいか、頭目たるあたしは一戦所望するぜ。我が補佐に故郷を忘れさせられるかの勝負だ」
二人の影が一つになった。
――すみませんしょういどの……。
――はなちゃん……。
夜中、睦み合う中で二度ほど紅児は勝吉の口から帝国の言葉が漏れるのを聞いた。
そしてそれは生涯彼の口から放たれる事は無かった。
新州の馬賊たちを纏め上げた赤狼匪の女大頭目、劉紅児。その名は皇国、帝国どちらの歴史にも刻まれている。
だがその横には常に帝国人の補佐を伴っていたというのはあまり知られてはいない。
もし興味があるなら新州の老人たちに尋ねてみるといい。鬼の紅児の目が彼女の補佐を見るときは優しい光をたたえていたと。そして比翼の鳥が如く、新州の荒野を並んで駆けていたと聞けるだろう。