【短編版】隠居した大聖女。地味だからと追放された宮廷魔術師を弟子にする! ~田舎娘でも磨けば美人になると気づいても、もう遅い~
ロゼは王国で知らぬ者がいない大聖女である。年は百を超え、残した武勇伝は数知れず。龍を狩り、魔王を討伐し、邪神さえも打ち倒した。
そんな彼女も今では隠居し、王宮に賓客として滞在していた。
最強の力を持ちながらも現役から退いたロゼには役目があった。それは祭事を取り仕切る巫女としての務めだ。
大臣の就任式に、国王の葬儀。王国の要職に就く者たちは皆が彼女の洗礼を受ける。それもあってか、本人の実力も相まって、国王以上の発言力を有している。
本日のロゼの役目も王国にとって大切な祭事の一つである。王族は生涯に一人だけ、パートナーとなる専属の魔術師を採用できるのだが、そのための就任式が大聖堂で執り行われようとしていた。
祭壇の前には茶髪を逆立たせた少年と、紺の外套姿の眼鏡少女が並んでいた。
少年はこの国の第二王子であるレオナードだ。親しみを込めてレオと呼ばれている。筋肉質な肉体と、張りのある肌。彫りの深い顔つきは女性なら誰もが振り返るほどに魅力的だ。
対する少女は名をエリスといい、元は王宮の図書室で司書をしていた魔術師である。黒髪黒目の地味な容貌はレオと不釣り合いだが、その分、心が清らかで、休日は慈善活動に勤しんでいる。
外見と内面。それぞれが魅力的な二人は互いの長所を活かしあうに違いない。ロゼは心の底から彼らを祝福していた。
「若者が幸せになるのは、いつの時代も素晴らしいねぇ」
年を取ると涙脆くなってしまう。王子と少女は二人三脚で成長していくことだろう。
ロゼは十字架を掲げて、二人の幸せのために祈りを捧げる。しかしその願いは思わぬ事態によって打ち砕かれてしまった。
「エリス、実はお前に伝えなければならないことがある。聞いてくれるか?」
「はい♪」
「お前を専属魔術師にする話なぁ……やっぱりなしにしてくれ」
「え?」
幸せムードを台無しにする一言に大聖堂の空気が凍る。会衆席で話を聞いていた臣下たちも、言葉の意味を理解して騒めき始めた。
「あ、あの……私、きっと聞き間違えてしまったようです……」
「ふん、ならもう一度伝えてやる。お前は俺の専属魔術師に相応しくない。なにせすべてが地味だからな」
エリスは基礎魔法をすべて会得した秀才だ。だが天才ではない。派手な高次元の魔法を扱えない彼女は器用貧乏という言葉が相応しかった。
それに容貌も地味である。瓶底のような眼鏡をかけた垢抜けない容姿は決してブサイクではないが、華やかさが欠如していた。
「専属魔術師は才能ある者を採用したいのだ。分かってくれるな」
「そ、それは、その……」
エリスの瞳に涙が浮かぶ。冷徹な声に彼女は嗚咽を漏らした。だがそんな彼女をレオナードは慰めたりしない。それどころかトドメの一言を放つ。
「それからな、お前との恋人関係も破棄させてくれ」
「え、あ、あの、私……」
「お前に飽きたのだ。悪いな」
「……っ……せ、専属魔術師の件は構いませんから。だからどうか恋人関係は……あなたのことを愛しているのですっ!」
「だが俺は愛していない。ただの気の迷いだと気づいたのだ。だから二度と近づかないでくれ」
「そんなぁ……」
「それに付きまとわれても面倒だからなぁ……よし、王宮からも追放しよう。フリーの魔術師として自由に生きてくれ」
「……ぅ……そ、そんなの……あんまりです……」
職だけでなく、恋人を失い、さらには住む場所も失くしたのだ。泣き崩れるのも仕方がない仕打ちだ。
「さて、それでは本題に入ろう。ノエル、俺の元へと来い」
「はい♪」
聖堂の会衆席から赤髪の少女が立ち上がる。燃えるような赤髪と、髪色と同じ深紅のドレスを身に纏った彼女もまた、エリスと同じ魔術師の一人である。
「皆、聞いてくれ。俺の専属魔術師はエリスではなく、ノエルが担当する」
「どうかよろしくお願い致しますわ」
レオナードは宣言するが、場の空気は凍り付いたままだ。絶望するエリスが泣き崩れているのに、祝福の拍手を送る者はいない。
皆がレオナードを非難する眼差しを向ける。特に会衆席の先頭に座っていた金髪青眼の男は怒りが表情に滲んでいた。彼は立ち上がると、まずは視線をノエルへと向けた。
「君たちは最低だ。このような非道な扱いを見過ごすことはできないっ」
「あら、誰かと思えば、クラウスお兄様。黙っていて貰えるかしら」
「だ、だが……これではまるで虐めだ……」
「弱者は敗れ、強者だけが生き残る。それが世の摂理。意気地なしのお兄様は引っ込んでいてくださいませ」
クラウスは下唇を噛みながら、悔しさに耐える。気弱な性格のせいか、ノエルに言い返すことができなかったのだ。
「さぁ、他に反論する者はいないか……ふふ、だがいるはずもないか。ノエルは炎魔法で右に立つ者がいないほどの達人。どちらが優れているかは明白なのだから」
優秀さを盾に取られては反論することもできない。場の空気が静まり返り、このままノエルが専属魔術師に決まる……かと思われた。
「このアホ王子がッ!」
怒りの声をあげたのは、国王以上の権力者であり、最強の称号を持つ大聖女ロゼである。彼女はレオナードの頬に拳を叩きこみ、会衆席へと吹き飛ばした。
手加減されていたのか、ギリギリで意識を保っていたレオナードはゆっくりと顔をあげる。般若と化したロゼが彼を見下ろしていた。
「な、何をするのだ」
「アホは殴らないと治らないからね。治療行為さ」
「お、俺は王子なのだぞ。不敬罪で牢屋に叩き込んでやる」
「ふんっ、やってみるがいいさ。私を相手にできるかね」
「い、いくら伝説の英雄が相手でも、こちらは国家だ。負けるはずが……」
「おいっ、国王!」
「は、はい!」
会衆席の端で隠れるように様子を伺っていた白髭の老人が反応する。オドオドしながら近づいてくると、ロゼに頭を下げる。
「息子の教育が行き届いてないようだね」
「こ、これは、その……」
「それに隠れていたのはどういうことだい。まさか私と会うのが嫌だということは……」
「め、滅相もない。大聖女様がいたからこそ、現在の王国があるのです。レオナード、お前も頭を下げろ」
「お、俺は王族――」
「馬鹿っ、相手は大聖女様だぞ。うちの愚息が失礼致しました」
「ふん、今回だけは許してやろうかね」
「ご慈悲に感謝を」
「でも罰は必要だ。王子、椅子で許してやるよ」
「え?」
「聞こえなかったかい。老人を労われって言ったんだよ」
「は、はぁ」
レオナードは理解できないと頭に疑問符を浮かべるが、国王が無理矢理、彼を四つん這いにさせる。ロゼはその背中に腰を落とした。
「よっこいしょっと」
「うぐっ……お、重い……」
「レディに対して失礼な男だね」
「誰がレディだよ。ババァじゃねぇか……」
「年のせいか耳が遠くてね。何か言ったかい?」
「いえ、何も……」
ロゼが大聖堂の空気を支配する。すべての決定権を握った彼女は、どうすべきかと頭を捻る。
「私は優しくて一途な女の子が好きでね。エリスには是非幸せになって欲しい。ただ……無理矢理、専属魔術師に任命するのも、馬鹿王子は納得しないよな?」
「それはまぁ……」
「だからエリスにチャンスをやりな。十日後、ノエルより優れていると証明できたのなら、専属魔術師を誰にするか考え直しな」
「その条件でいいなら……」
人の成長速度には限界がある。ただの十日で何も変わるはずがない。レオナードもノエルも、泣き崩れているエリスでさえも無理だと諦めていた。
「さぁ、ここからがあんたの闘いだよ」
ロゼはレオナードの背中から立ち上がると、エリスに手を伸ばす。だが彼女は泣くばかりで、表情から諦観が消えない。
「ですが、私では……」
「勝てるさ。なにせ私の弟子になるんだからね」
「わ、私が大聖女様の弟子に……」
「だから自信を持ちな。そして私を信頼するのさ。そうすれば、あんたを幸せにしてやれる」
「…………っ」
伸ばされた手にエリスは恐る恐る応える。師弟関係が結んだ二人は、王子へのリベンジをここから始めるのだった。
●
大聖堂からエリスの私室へと移る。宮廷魔術師とはいえ、まだ専属でもなかったため、部屋そのものは手狭だ。ベッドと机、それと人が座れるスペースくらいしかない。
「ロゼ様、それで私は何をすれば……」
「まずはその地味な格好をどうにかしないとね」
「ですが人は内面こそが大切で……」
「正論だねぇ。だけどね、外見も大切だよ。仮に能力で勝っても、容姿を理由に言い訳されるのも面倒だからね」
「ですが、私がノエル様に容姿で勝るなんて……」
「そのための秘策として、この優男を連れてきたのさ」
「どうも、優男のクラウスです」
正座させられている金髪青目の少年は、真っ先にエリスを庇ってくれたクラウスだった。彼はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべて、頭を下げた。
「この度は僕の妹が迷惑をおかけしました」
「い、いえ、クラウス様は悪くありません」
「エリスさんにそう言ってもらえるなら、心が救われた気がします」
クラウスの浮かべる笑みには、心根の優しさが滲み出ていた。エリスの胸中に渦巻いていた悲しみが和らいだ気がした。
「さて、本題に入るとしようかね。クラウスは妹こそ最低だが、本人は悪い奴じゃない。どうして妹がこいつに似なかったのかと、不幸を嘆くばかりだよ」
「妹……ではありますが、血の繋がりはありませんからね」
「そうなのかい?」
「王宮で一緒に育ったのです。我儘に付き合わされたものです」
「その温和な性格は昔からってことかい」
「温和ですか……物は言いようですね。僕はただ勇気がない意気地なしでしかありませんよ」
長所と短所は受け取り方次第で解釈が変わる。粗暴な性格も長所として受け取れば勇敢だと尊敬されるように、クラウスの性格も人によっては欠点として映るだろう。
「さて本題に入るとしようかね。クラウスは王子とも古い付き合いだそうじゃないか」
「古いと言えば、まぁ……」
「そこでだ。王子の女の趣味を教えな」
「さすがにそれは、プライバシーの問題ですし……」
「なら王子を殴って吐かせるかね」
「い、言いますから! だから拳を握るのを止めてください!」
大聖女を止められる者はいない。自分のせいで王子に青痣が増えるのは勘弁だと、諦めたように口を開く。
「王子は性格が穏やかで、外見が華やかな女性が好みです」
「つまりは私のような女が好みと」
「藪蛇になるので何も言いませんから」
「大人だねぇ。ただまぁ、大きなヒントは得られた。やはりエリスの外見を磨けば、十分に勝機はあるね」
内面を磨くのは一朝一夕では難しい。だが外見は化粧など即効性のある改善ができる。特にエリスは元々の素材が良いため、少しの工夫で大きな変化が望めるはずだ。
「まずはボサボサの髪を綺麗にして、眼鏡も外そうかね。それと服もきちんとしたドレスを用意させないとねぇ」
「あ、あの、それで私は変われるのでしょうか?」
「任せておきな。伊達に長くは生きてない。王子が手放したことを悔しがるほどの美女に変身させてあげるよ」
ロゼは自信に満ちた笑みを浮かべる。その表情を信じてみようと、エリスは彼女に身を委ねるのだった。
●
長い付き合いの仕立屋にドレスを用意させ、エリスの髪を梳かし、薄い化粧を施していく。時間と共に磨かれていく彼女の美貌は、丁度、一時間が経過した頃、部屋に戻って来たクラウスを驚愕させた。
「おかえりなさいませ、クラウス様」
「――――ッ」
ニコリと笑うエリスに、クラウスは見惚れてしまう。地味な印象の彼女はもういない。瀟洒な黒のレースドレスが、白磁の肌によく映えていた。
色素の薄い唇は吸い込まれそうなほど魅力的で、ゴクリと息を飲んでしまう。
「どうかされましたか?」
「い、いえ、あまりの変わりように驚いていただけです」
「ふふふ、眼鏡を外しましたからね。ちょっぴりお洒落になれました」
「ちょっぴりどころか……いや、それよりも眼鏡がなくても平気なのですか?」
「ロゼ様の回復魔法で視力を治していただきました」
そういう使い方もできるのかと、クラウスは感心させられる。厚底眼鏡が地味さの大きな原因になっていたので、裸眼による印象の変化は大きい。
「私の偉大さに驚いたかい?」
「まさかエリスさんがここまで美人になるとは思いませんでした」
「これで外見の不利はなくせた。次に必要なのは実力だね」
「専属魔術師になるためには、魔法の腕前は必須ですからね」
ノエルに外見で勝っていても、魔術師としての実力に大きな差があれば、専属魔術師として不適格の烙印を押されるのがオチだ。そうならないためにもエリスは強くなる必要がある。
「新しい魔法を習得するべきでしょうか?」
「十日で会得した付け焼刃の魔法が通じるわけがないだろ」
「ならどうすれば……」
「あんたは新しい魔法なんて習得しなくても十分に強い。なにせ基礎魔法をすべて習得しているそうじゃないか」
「ですが、私は基礎しか使えませんよ」
「基礎でも、すべてを扱える者は少ない。あんたは誇っていい。努力は決して無駄じゃなかったのさ」
才能がなくても血の滲むような努力をしてきたからこそ、宮廷魔術師として採用されたのだ。彼女の頑張りに報いるために、ロゼは両手の人差し指をそれぞれピンと立てる。
「基礎魔法の初歩の初歩、炎の魔法さ。けどね、炎の大きさが違うだろ。なぜだか分かるかい?」
「魔力量が違うからですか?」
「その通りさ。そして魔力量はそのまま魔法の威力に繋がる。あんたの欠点である魔力不足を克服できれば、ノエルに勝つことも不可能じゃない」
便利な道具を複数所持していても、動力がなければ宝の持ち腐れで終わる。魔法の種類だけなら右に出る者のいないエリスだからこそ、魔力を増やすことで威力を増すことがそのまま戦力アップに繋がるのだ。
「ですが魔力量を増やすにしてもどうすれば……」
「筋力や肺活量と同じさ。魔力は限界まで使い切れば、回復時に最大値が増加する」
「それでも、たった十日しかないのですよ。使い切ってから回復するのを待っていては、日が暮れてしまいます」
「あんた、私が誰か忘れたのかい? 大聖女のロゼ様だよ」
魔力を限界まで使い切り、その後、回復魔法で体力を元通りにする。これを繰り返すことで魔力量は短い期間でも増やすことができる。
「私は嘘を吐かない。弟子にしたからには、あんたを勝たせてやるよ」
「はい、お願いします!」
ロゼの修行にエリスは身を任せる。十日の修行は彼女を急速に強くするのだった。
●
時が過ぎるのは早い。修行を開始してから、十日はあっという間に過ぎた。
王国兵を鍛えるための訓練場には、既にレオナードとノエルが到着していた。仲睦まじげに寄り添う彼らを見守るように家臣たちも集まっている。
専属魔術師の決定は王国にとっても一大イベントだ。張り詰めた緊張感の中、レオナードは舌を打つ。
「遅いっ! エリスはいつになったらやってくるのだ」
「きっと勝てないからと逃げたのですわ」
「ノエルは優秀だからな。無理もないか」
レオナードの嘲笑が響き渡る。だが観客の家臣たちが、馬鹿にすることはない。
なぜならエリスの師匠は大聖女であるロゼだからだ。彼女は不可能を可能にする奇跡を何度も現実にしてきた。家臣たちは骨身に染みて、ロゼの偉大さを理解していたのだ。
「待たせたね、主役を連れてきたよ」
「大聖女様、エリスはどこに……」
「ほら、前へ出な」
華麗な姿へと変貌を遂げたエリスに、レオナードはゴクリと息を飲む。動揺を表に出さないように努めるが、観客は違う。
「誰だ、あの美人は」
「まさかエリス様か!?」
「あの地味な少女が、ここまで変わるのかっ」
思わず、ため息が零れそうなほどの美人なのだから驚愕も無理はない。賞賛の声が響き、ノエルの顔が嫉妬の怒りで見る見る内に赤くなっていく。
「あなた、ちょっと美人になったくらいで調子に乗らないでくださいまし」
「私が美人なのですか?」
「~~っ――惚けないで欲しいですわね。そ、それに遅刻の謝罪がまだですのよ! まずは頭を下げなさい」
「遅刻なんてしていませんよ。待ち合わせ時刻にはギリギリ間に合っていましたから」
「――ふぅ……まぁ、許してあげますわ。なにせ、あなたはこれから私との力の差を思い知ることになるのですから」
「私は負けません。勝ってみせます」
二人は視線を交差させると、戦うために距離を取る。魔術師同士の決闘は魔法のぶつけ合いだ。互いに魔力を漲らせる。
「エリスさん、頑張ってください……僕、応援していますから」
「クラウス様の応援があれば百人力ですね」
「そ、そんな、僕の力なんて……」
「クラウス様には感謝しているのですよ。私の修行に付き合ってくれるだけでなく、夜食まで作ってくれて」
「料理は僕の趣味だからで……感謝される筋合いなんて……」
「ふふふ、私はクラウス様のためにも勝ちます。だから信じて待っていてください」
「は、はい」
審判役のロゼが二人に視線を巡らせる。闘いの準備は整ったと、凛々しい顔が伝えていた。
「では恨みっこなしの魔術戦を始めるよ。覚悟はできているかい?」
「もちろん」
「はい」
「では決闘開始ッ!」
高らかに叫ばれた勝負の合図を受け、先に動いたのはノエルだった。空中に炎の球体を浮かべ、エリスに向けて発射する。
「私に歯向かった自分の愚かさを後悔するのですわ」
「炎の魔法に対するなら水の魔法ですね」
エリスの周囲を水の球体が浮かび、炎の弾丸と衝突させる。最小限の魔力で、相性の良い魔法をぶつける。多種の魔法を操れる彼女だからこそ、できる芸当だ。
炎の熱によって水は水蒸気へと変化する。霧に包み込まれ、視界が白に染まる。
「この視界では攻撃ができませんわね。でもそれは相手も同じ」
決闘の合間の一時の休息だと、ノエルは息を漏らす。しかしその油断はあまりにも甘い。
白い霧を複数の影が走る。それが水の弾丸だと気づいた時、ノエルの身体は吹き飛ばされていた。
地面を転がるノエルは全身を傷だらけにしながら、想定外の事態に頭を混乱させる。
「どうして私の位置が分かりましたの。ありえませんわ」
「索敵の魔法を使いました」
水蒸気が晴れた先には、優雅に佇むエリスがいた。彼女は呪文を唱えている。マズイと直観が危機を伝えるが、ダメージのせいで身体が動かない。
「捕縛魔法、発動です」
魔法の糸が放たれ、ノエルの身体をグルグルに縛り上げる。身動きを完全に封じられた彼女は地面を這うことしかできない。
「どうして私が基礎しか使えないあなたに負けるんですの!」
「基礎でも数が多ければ、それは武器になるということです。例えば索敵の魔法。視認できる距離しか探れないため、覚えるだけ時間の無駄だと馬鹿にされています。ですが私は習得しました」
「…………」
「捕縛魔法もそうです。詠唱を必要とし、その間に逃げられてしまう残念魔法だと馬鹿にされています。ですが私は学びました。地味な努力だけが私の強みでしたから」
才能があれば、華麗で派手な魔法を極めても良かった。だがエリスは悔しいくらい凡人だった。彼女にできることは時間さえかければ習得できる基礎魔法を広く浅く学ぶことだけ。だがその力はエリートを打ち破るほどの威力を発揮した。
「ははは、見事だぞ、エリスよ」
「レオナード様……」
「改めて命じる。俺の専属魔術師になれ。そして恋人としても可愛がってやろう」
負け犬には興味がないと、レオナードは転がるノエルを足蹴にする。
エリスへの仕打ちを忘れたかのように、彼は手の平を返す。一歩近づくごとに嫌悪が増し、息遣いの聞こえる距離まで近づいた瞬間、エリスは意識しないままに、頬にビンタを打ち込んでいた。
レオナードの白い頬に赤い手形が刻まれる。それと同時に、彼の顔が怒りで赤く染まる。
「き、貴様あああっ!」
レオナードは怒りに身を任せて拳を振り上げる。だがその拳が下ろされることはなかった。駆け寄ってきたクラウスが、彼の顔を殴りつけたのだ。
「うぐっ」
痛みで地面を転がるレオナードは信じられないと、表情を歪める。温和で臆病だったクラウスが勇気を絞り出し、エリスを守ったことに驚愕させられたのだ。
「レオナード、君は王子失格だ」
「あ、兄上……」
「え、お兄様なのですか?」
エリスは兄と呼ばれたクラウスに驚く。レオナードは第二王子だ。第一王子がいるとは聞いていたが、それがまさかクラウスだとは知らなかった。
「僕は臆病で力のない男だ。王座に座るのも弟の方が相応しいと思っていた。だから正体を秘密にし、人前にも姿を現さなかった。しかし考えを変えた。弟に国を任せてはいられない。僕が次期国王になる」
「兄上!」
「君は王宮から追放だ。ノエルと共に自由に生きるがいい」
クラウスの宣言にレオナードは肩を落とす。顔を伏せながら泣く彼はどうしてこんなことになったのかと後悔するしかなかった。
「エリスさん、悪かったね。君たちは恋人同士だったのだろ?」
「いえ、構いません。私の心は既にレオナード様から離れていましたから」
二人はジッと見つめ合う。ロゼはそんな二人の光景を微笑まし気に見守る。
「若者の恋はいいねぇ」
しみじみとした言葉を残し、ロゼは立ち去ろうと背を向けた。
「あ、あの、ロゼ様……いえ、師匠! ありがとうございました!」
「どういたしましてさ」
背中を向けながら、ロゼは手を振る。隠居した大聖女は、心の中で弟子の幸せを祈るのだった。