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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
第一章 スコルトの人々
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20年前 オリヴァとアンヴァー

 オリヴァは帝都の裕福な商人の末っ子として生まれた。

 幼い頃より非常に聡明で、特に勉学に於いては右に出る者はいなかった。一度見聞きした事は忘れず、大人顔負けの堂々たる弁論もこなせ、性格もいたって善良。欠点を挙げるとすればやや真面目過ぎるきらいがあるところくらいである。

 周囲の評価は天井知らず。神童と称され将来を嘱望された彼だが、実家の店は既に長男が継ぐことが決まっていたし、本人の気質的にも商人に向いているとは思えなかった。

 そこでオリヴァの父は、学者より食えるという理由でオリヴァを聖職者の道を進ませることに決めた。


 オリヴァは10歳の時に帝都の神学校に入学させられ、俗世から切り離されひたすら神学を学ぶことになる。

 不満など無い。家族が敬虔なアルコー教信徒であることもあり、その影響を強く受けたオリヴァにとって、信仰の道を歩むことは何ら苦に思わなかった。

 彼はそこでも優秀であり、また、聖務に対して人一倍熱心であった。

 ここ神学校でもオリヴァの評価はズバ抜けており、将来の大司教候補とまでもくされていた。(実際は、賄賂等の政治工作を嫌悪しているオリヴァには難しいだろうが)

 ともかく、この時までの彼は、間違いなくアルコー教団のエリートコースを歩んでいたのである。


 しかし、彼にはある問題点があった。

 それは生真面目さ故に疑問に思ったこと、道理に合わないことを納得いくまで追求しようとする彼の性格である。


 彼はある日、アルコー教のとある教義に疑問を持ち、教導役の講師に質問をぶつけた。

 だが、どの講師も彼が納得する答えを持ってはいなかった。しまいに講師たちはしつこい質問に匙を投げ、自分で調べるようにと彼を図書室へ追いやってしまう。

 彼は答えを求め本を読み漁った。

 しかし、アルコー教関連のどの本を読んでも、彼が納得する答えは書かれてなかった。

 先人が書いてならば自分で納得できる理論を確立しなければならない。オリヴァはそう考え、更に蔵書を読み込むことになる。

 やがて彼は資料として保管されていたアルコー教以外の宗教の聖書や、アルコー教誕生以前に書かれた哲学者の書物、古代の神話が纏められたものといった、いわゆる外典や禁書にまで手を出した。

 このことが彼を出世街道から外すこととなる。


 オリヴァの試みはすぐに周知のものとなり、神学校の者はオリヴァを「異教の知識をもってアルコー教の教義を定義しようとする異端者」として扱った。

 オリヴァが古代の賢者の言葉を基に理論を構築し終わった時、彼の居場所は神学校に無くなっていた。


 ある日、学長はオリヴァを呼び出し、彼を成績優秀者としてその場で卒業させた。さらに教団からの命令であるとして、後任者派遣要請のあったスコルト領の教会に彼を赴任させたのである。

 異端者は異端者の所へ、これが学長の考えであった。

 これが今より20年前。オリヴァ15歳、事実上の教団追放が決定した瞬間である。




 オリヴァも教団から厄介払いされたことに気づいたが、今更他の生き方もできない。何より彼の信仰心は本物であった。

 還俗して実家に戻る選択肢を選ばず、オリヴァは暗雲とした気持ちでスピリタスに到着した。


(ここがスピリタス……キルト人の町……)


 オリヴァが想像していたスピリタスの町は、血に飢えた乱暴なキルト人や凶悪な犯罪者などが我が物顔で往来を闊歩する、治安が悪く雑然とした、いかがわしい町だ。

 しかし、実際のスピリタスは小綺麗な町であった。

 所々にレフ様式は見受けられるが、マーティンにある他の町と変わらない普通の田舎町である。

 むしろ、道ゆく住人は、キルト人もクルス人もボロを纏った者は一人もおらず、一般的な地方の帝国民よりも余裕のある生活をしていそうである。

 もちろん傭兵などの、スネに傷のありそうな輩は異常なほど多く見受けられるが。


(意外とちゃんとした街並みだけど、果たしてここにまともなアルコー教の教会はあるだろうか?)


 帝国内とはいえ、オリヴァとしては異国を訪れたような心持ちである。

 彼は不安になりつつも、教会を探すため、通りがかりのクルス人に道を尋ねながら町を歩いた。


 やがて、オリヴァは予想外の教会にたどり着く。


「これは……!」


 オリヴァは教会を一目見た瞬間、思わず感嘆の吐息を洩らした。


(こじんまりとはしているが、どこを見ても丁寧に整備されている!)


 何一つ変わった点の無い、絵に描いたようなありふれた田舎の教会だ。

 ほぼ一人で管理することが想定されているので、礼拝堂もさほど大きくない。庶民の一軒家より少し大きいくらいだ。

 が、オリヴァの目を引いたのはその美しさだ。

 教会の周りには落ち葉が一枚も落ちてない。壁も窓もホコリが付いておらず、蜘蛛の巣一つ無い。正面の扉はニスでピカピカしているし、ちょこんと脇に設置されている花壇には雑草一つ生えていなかった。毎日のように手入れしないとこうはならないだろう。

 てっきりスコルトの教会は寂れているとばかり思っていたオリヴァは自分が恥ずかしくなった。

 彼は教会の扉を開けて礼拝堂の中に入る。堂内も外観と同様、隅々まで掃除か行き届いていた。


(一目で分かるくらいに綺麗に掃除されている。ここにいる神父様はさぞかし立派な方に違いない。スピリタスにいるからと偏見を持った私が愚かだった)


 オリヴァはまだ見ぬ神父に畏敬の念を持つ。

 そして、何よりも先ずは挨拶だと思い、礼拝堂の奥にある執務室へ向かった。しかし、途中イビキが聞こえ、礼拝堂の最前列の席に誰かが寝ていることに気づいた。


(神聖な礼拝堂で誰かが寝ている? もしかして具合が悪い人が?)


 心配になった彼は慌てて席を覗き込んだ。そこにいたのは真っ赤な顔をして寝ている酔っ払い老人であった。老人はわかりやすいことに酒瓶を抱えており、あり得ないことに神父服を着ていた。


(礼拝堂で飲酒を!? 神父ともあろう者が?)


 オリヴァが自分の目を疑っていると、彼の気配に気がついた酔っ払いが目を覚ました。

 大きく伸びをし、むくりと体を起こす。酒瓶はガッツリと掴んだままだ。

 そしてオリヴァを寝起きでしょぼしょぼしている目で睨むと、酒焼けした掠れた声で話しかけてきた。


「あー誰だお前? うちの教会になんか用か? ん? その服はもしかしてお前……本部から派遣された奴か?」


 オリヴァの服装を見て、派遣されてきた後任者だと当たりを付けた老人。かなり酒臭い息だ。

 オリヴァは激しく混乱していたが、老人の言葉にコクリと素直に頷いた。


「はい。本日アンヴァー神父の後任として着任しましたオリヴァです」


 それを聞いた酔っ払いはとたんに笑顔になる。


「おーそうかそうか! 俺がアンヴァーだ。よろしくな」


 オリヴァを歓迎するアンヴァー神父。彼はイスから立ち上がり、馴れ馴れしくオリヴァの肩を叩きながら手に持った酒瓶を差し出した。


「俺がくたばる前によく来た。長旅は疲れただろう。先ずは一杯飲め」

 

 オリヴァは酒臭い息に顔をしかめながら酒瓶を押しのける。


「礼拝堂で飲酒するわけにはいきません」


 至極真っ当な言葉であったが、アンヴァーはキョトンとして、めんどくさそうにため息を吐いた。


「なんだよ頭固ぇな。本部にはちゃんと『話の分かる奴を寄越せ』って書いたのによ」


 オリヴァはアンヴァーの態度にちょっと前の自分を裏切られた気持ちになり、ムッとしながら彼に詰め寄った。


「なぜあなたは礼拝堂で酒を飲むのですか! しかもこれほど丁寧に掃除した場所で!」


 オリヴァの非難もどこ吹く風。アンヴァーは堂々と胸を張って、悪びれもなく言った。


「酒を飲むのは俺が酒が大好きだからだっ! 何一つ心にやましいことが無いのに、何で場所を選ぶ必要がある。礼拝堂だろうと、飯屋だろうと、どこだろうと、人様に迷惑をかけなければ一緒だ。それに、掃除は俺が気分良く酒を飲むのに必要だからやっているだけだ」


 オリヴァはあんまりな理屈に面食らい、なんだか頭がクラッとした。

 今までの人生でオリヴァが遭遇したことのない類いの変人だ。とても同じアルコー教の僧侶とは思えない。

 納得できる説明を求めるのがオリヴァの悪い癖だ。上司(と思わしき酔っ払い)相手でもつい食ってかかってしまう。


「どういう理屈ですか!? それに掃除が何でお酒に関係するんですか!?」


 アンヴァーは「うむ、よくぞ聞いた」と頷くと、彼なりの理屈を自信満々に語り始める。


「俺は誰に恥じる事なく酒を飲んでいる。だが、残念ながら人間は迷う生き物だ。一日中酒を飲んでいると俺の心の中で弱い自分が囁くんだ。『もしかして俺はとんでもないダメ人間なのでは?』とな」


(その通りです)


 オリヴァは内心頷いていた。


「しかしっ! そんな時こそ掃除だ! 教会を丁寧に掃除し、庭を綺麗に整える。そうすることで俺は自分が真っ当な人間であると再確認できる。そして、俺は再び晴々しい気分で美味い酒が飲めるようになるのだ!」


 声高らかに言い切ったアンヴァーに、オリヴァは何も言えなくなった。


 もちろん心の中では、


(そもそも真っ当な人間は昼間から酒を飲みません)


 とか、


(前提が間違ってます。掃除をしよう何をしようが、貴方は元々真っ当な人間ではありません)


 など、山程の文句が渦巻いている。

 しかし、何を言っても目の前の老人には無意味な気がしたのだ。




 メチャクチャな持論を主張し終えたアンヴァーは、フリーズしているオリヴァの背中を気安くポンポンと叩き、


「まぁ、お前さんも不満たらたらな顔をしているが、今すぐに帰るってのもなんだろ? しばらくはお試しってことで、ここで暮らしてみたらどうだ? 案外水が合うかもしれないぞ」


 とニヤニヤ笑いながら言った。

 帰るに帰れないオリヴァは「ゔっ」と言葉に詰まると、渋々それを了承する。


「部屋は用意してあるから、荷物を置いたらスピリタスを歩いてみるといい」


 アンヴァーはそう言うと再び横になり、程なくして大きなイビキをかきはじめた。

 オリヴァは呆れ果てたが、他にやる事もないので、言われた通り街を歩くことにした。




(取り敢えずは領主様に御挨拶するべきだ)


 そう考えたオリヴァは通りすがりの住人に道を尋ね、すんなりと領主邸にたどり着く。折よく男爵一家は屋敷におり、オリヴァは無事に挨拶をすることができた。

 男爵一家はやや歳をとった領主と、跡取りの若い夫婦、そして幼い娘がいた。

 オリヴァが話を聞くと若い女性、つまりアンネのことであるが、現在二人目を妊娠してらしいので、彼は幼い娘とお腹の子に「祝福を」と、アルコー教の簡単な祈りを捧げた。

 男爵一家はオリヴァの行動に、「今度の神父様はなんて真面目な方なんだ」と、いたく感激した。

 オリヴァの行為はアルコー教の聖職者としてごくありふれたものである。まして相手は貴族。やらない理由がない。オリヴァは今も教会で寝ているであろう人物を思い、頭が痛くなった。


 領主邸を辞した後、途端に行く場所が無くなる。オリヴァは仕方ないので適当に歩くことにした。

 時刻は先程夕方の鐘が鳴ったばかりである。少し散策したら教会に戻ろう。そうオリヴァは考えていた。


 あてどなく町中を歩いていると、オリヴァは道端に屯っていた傭兵たちに声をかけられた。


「ちょっとそこのアンタ。見ない顔だけど、もしかして神父さん?」


 オリヴァは相手がいかにも粗暴な人間であるため警戒したが、ここはそういう街だと腹を括り、逃げたりせず普段通りに応対した。


「はい。今日からこの街の教会でお世話になります、オリヴァと申します。皆様はこの町の方ですか? でしたら今後ともよろしくお願いします」

「へ〜、やっぱりそうか」


 傭兵たちはオリヴァが新しい神父であると聞き、ニヤニヤ笑いながら仲間内でコソコソと相談をし始めた。そして話がまとまったのか、一人の傭兵が笑顔で話しかけてきた。


「いや〜、よく来たね神父さん。こちらこそよろしく頼むよ。あっそうだそうだ。神父さんに是非紹介したい人がいるんだよ。ちょっと俺らと一緒にそいつに会ってくれないか?」


 何かをよからぬ事を企んでいるとしか思えないセリフだ。

 オリヴァは顔を青ざめさせ一歩後ろに下がった。傭兵たちは慌てて言葉を重ねる。


「大丈夫大丈夫、別に変なとこじゃないさ。ほら、そこの『エミール』って書いてある飯屋。あそこでそいつは飲んでるはずさ。第一、住人相手に悪さするような馬鹿はスコルトには居ないから安心してくれ」


 荒くれ者にそう言われても、全くもって信用できない。今すぐこの場を離れるべきであろう。

 が、オリヴァはいつの間にか傭兵たちに囲まれ、逃げるに逃げられなくなっていた。

 オリヴァは半ば強引に引っ張られながら、諦めの境地で『食事処エミール』に入るのであった。




ーー現在の『エミール』店内


 レミーリアはここまでの話を聞いて、呆気にとられていた。


「……その、大分個性的な方だったんですね。アンヴァー神父様は……。それに我が家にもいらしたんですね。確かに20年前でしたらまだお爺様もご存命でいらしたし、ハイネお姉様も産まれてました」


 オリヴァは話の途中で注文したチェイサーのエールを一口飲んだ。


「ええ、バルド様もまだお腹の中にいらっしゃいました」

「それに『エミール』にもいらしたんですね」


 そこも驚いたところだ。20年前から来ているとは聞いていたが、まさか赴任初日に連れ込まれていたとは思わなかった。


「あの時は初めて傭兵に囲まれて心底恐ろしかったのを覚えています。私の命もこれまでかと思いました」


 オリヴァにとっても強烈な体験であったようで、しみじみとそう語った。

 バルセロはオリヴァを指差して爆笑している。


「あん時の神父サンは顔が青ざめていたからなあ。それだけでも笑えたぜ」


 レミーリアは首を傾げる。


「バルセロさんもその時いらしたの?」


 バルセロはレミーリアの方を向くとニヤっと笑い、親指で自分を指差した。


「ああ。何を隠そうアイツらが神父サンに会わせたがってたのは、この俺だからな」


 レミーリアはバルセロの二つ名を思い出し、なるほどと納得した。

 彼の二つ名、《神の声を聞いた》の由来は有名だ。遊び半分でアルコー教の僧侶に絡ませたくもなるであろう。決して趣味が良いとは言えないが……。


「なるほど、だからですか。ではオリヴァ神父様はバルセロさんのあの話を聞いて何と言ったんですか?」

「何だ、その話は知らなかったのか? おい、神父サン。続きを話してやれよ」


 バルセロは意外そうにそう言って、オリヴァに続きを話すよう促した。

 オリヴァは、今度はウォッカを一口飲み、『エミール』に入った後の話を語り始めた。

補足


アンヴァーの二つ名

《酔いどれ神父》《素面知らず》


 いつも酒の匂いがする神父。スコルト住人からの人望は厚い。自らの死期を悟って教団本部に後任を要請した。

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