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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
第一章 スコルトの人々
8/101

神父と元傭兵の特別な一日

 ある日の午後。昼営業が終了した『エミール』では、従業員全員でまかないを食べていた。

 今日のメニューは山菜たっぷりのパスタだ。

 雪解けのこの時期になると山菜が沢山採れるようになる。味もよく、春先のスコルトの名物である。

 手に入ったばかりのそれらを使ったパスタは香りも良く、作ったイングとしても会心の出来であった。


 季節の物を食べたからであろうか。あらかた食べ終えたところで、イングがふと思い出したようにカレンダーを見てポツリとつぶやいた。


「そういえば今日はオリヴァ神父様が来る日だ」

「そういえばそうね」


 オリヴァとはスピリタスにある教会の管理者だ。また、スコルト男爵領でただ一人のクルス人聖職者である。

 息子の呟きに反応したスミカは、自身もカレンダーを見て同意する。

 オリヴァ神父は、とある目的の為、毎年欠かさずこの日の夜に『エミール』を訪れるのだ。


「あら、もう何年になるのかしら?」


 オリヴァ神父が来るようになったのはいったい何年前からだったかと、記憶を探りながら指折り数えるスミカ。

 程なくしてその答えは出た。自身にとっても思い出深い年のことだったのだ。


「ああ、そうだったわ。神父様がスピリタスに来たのは、ちょうど私たちが結婚した年だったのよ。だからもう20年になるのね。懐かしいわ〜」


 しみじみとした口調で昔を懐かしみだしたスミカ。

 ブルーも妻の言葉にしんみりと頷く。


「そうだな。それからずっと、前任の神父様の命日になるとウチに飲みに来る。あの方の代わりに酒を飲みに来ているんだろうな。律儀な方だ」


 ふとした疑問がイングの脳裏に浮かんだ。


「前の神父様ってどんな方だったの?」


 生まれてこのかたイングが知っている聖職者はオリヴァただ一人だ。他の神父がどんな感じなのか少し気になった。

 息子の質問に、ブルーとスミカは顔を見合わせてクスッと笑う。


「イングとレミーリアちゃんは知らないんだったな。神父様とは思えない凄い方だったぞ」

「ええ、本当に愉快な方だったわ」


 凄いとはどう凄いのだろうか?

 レミーリアとイングは揃って首を傾げた。


 


「ごめんください」


 夜営業が始まって少し経った頃、低く穏やかな声とともにドアが開かれ、『エミール』に二人組の男性客が来店した。

 片方は几帳面そうな顔をしたクルス人の中年男性、もう片方は髭面の荒っぽそうなキルト人の初老男性と、対照的な二人である。

 ドアを開けて入ってきた二人に、レミーリアは笑顔で挨拶をした。


「あら、オリヴァ神父様! バルセロさんも! 二人ともいらっしゃいませ!」


 クルス人男性は先程の昼食時に話題に出たオリヴァ。キルト人の方はバルセロという名前の元傭兵である。

 店内で飲んでいた他の客たちもレミーリアの挨拶で二人の来店に気付いた。


「おっ、《話の分かる》オリヴァ神父に、《神の声を聞いた》バルセロさんだ」

「本当だ、オリヴァ神父じゃねーか! そうか、今日は来る日だったか。どうだ、元気してるか?」

「俺らはクルス人の教会には行かないからな。ここか、行事の時にしか会わねえから、ずいぶん久しぶりに感じるな」

「神父さんももっと飲みに来いよ。あれだけ飲めるのにもったいねえ」


 親しげに声を掛けられる二人。両名ともスコルトでは知れた名。有名な二つ名持ちだ。大歓迎されていた。

 因みに、今日の客層は酔っ払ったキルト人がほとんどである。

 傭兵職が多いようで、夜が更けてまだ間もないというのに、強面の男たちが良い気分でおだを上げていた。


 バルセロは客の方に笑いかけながらオリヴァの肩を掴んで軽く揺すった。ずいぶんと気安い態度である。


「俺もよ、そう思ってんだ。だからちょくちょく神父サンを飲みに誘ってんだけど、この日しか飲みに出てこねーんだよ」


 ガハハと可笑しそうに言うバルセロ。

 オリヴァは澄ました顔で揺らされたままだ。全く抵抗せず、されるがまま淡々と謝罪した。


「お誘いを断るのは心苦しいのですが、私はアルコー教の一信徒として必要以上の飲酒は自戒しているのです。ましてや私は聖務を行う身。奢侈な飲食は許されません」


 アルコー教とはマーティン帝国の国教である宗教だ。

 いわゆる一神教であり、大抵のクルス人はこの宗教を信仰している。

 オリヴァ神父はこの教団が美徳とする教えに従い、贅沢な暮らしを求めず節制に努めているようだ。


「かーッ、相変わらずオメェさんは頭が固いな。ちょっとくらい酒を飲んでもバチは当たらねえだろうに。他人には寛容なのに、どうして自分には厳しいんだか」

「私は自分勝手に信仰の道を歩んでるだけですよ。他の方にまで強要はできません。もちろん迷える信徒が望むなら、信仰のお手伝いをさせていただきますが」


 バルセロは、呆れたようにオリヴァから手を離すと、この堅物めと大きなため息をつく。

 取り付く島もないとはこの事だろうか。頑固なオリヴァは決して自分を曲げる気はないようだった。


「まぁ、それがアンタのルールだ。別に俺も、それを曲げさせるつもりはねーよ」


 解放されたオリヴァは、レミーリアに案内された席に座ると、「まあ、お座りください」と向かいに座るようバルセロを促した。


 バルセロも素直にイスに座り、まずはレミーリアに二人分のエールを注文する。

 すると、近くの席で飲んでいた若いキルト人の傭兵が話に加わってきた。既にだいぶ飲んだのか、顔が赤くなっている。


「でもよオリヴァ神父。俺が仕事で見てきたマーティン坊主どもは逆だぜ。アンタとは正反対。他人には信仰を強要するくせに、自分はわがままに贅沢三昧。いいご身分だ」


 ふざけやがってと不満をぶつける男。

 傭兵という仕事柄、各地の事情には詳しい。真面目なオリヴァはともかく、自分が今まで見てきた他のアルコー教僧侶は許せないようだ。

 アルコー教団の規模は大きい。その影響力は帝国全土に及んでいる。国教ということもあり様々な特権を有していて、田舎では下手な貴族より権勢を誇っていたりする。

 また、内部はかなり腐敗が進んでいて、信仰を盾に人々から金銭を過大に徴収することも常態化していた。


「残念ながら、それが今のアルコー教の現状です。聖職者は堕落し、贅沢に浸っています。私も同じ聖職者として憂慮しておりますが、今後余程のことが無ければ今の有様は変わらないでしょう」


 オリヴァもその事はよく知っている。悔しそうにほぞを噛み、自身の無力さを嘆いていた。

 オリヴァが本気で気に病んでると感じた若い傭兵は、腕を組み、同情する様にウンウンと頷いてこう言った。


「オリヴァ神父も大変だ。よしっ、俺と神父の仲だ! もしアルコー教団と一戦交えたり、殺したい坊主がいる時はウチの傭兵団に声を掛けてくれ! 特別サービスで金の半分は俺が出してやるよ!」


 当然冗談であるが、この男はだいぶ酔っているようである。かなり物騒な発言だ。もしスコルト以外で同じセリフを叫べば一発で逮捕されるだろう。そして危険人物として即死刑である。

 そんな暴言を吐いた男にオリヴァは、


「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」


 と真面目に答えたので、聞いていた周りの客たちは大爆笑した。


「オリヴァ神父も冗談を言うんだな!」

「しかも、かなりブラックだ!」


 賑やかに盛り上がっている最中、レミーリアが「お待たせしました」とエールを持って来た。

 オリヴァとバルセロはグラスを受け取り、向かい合ってグラスを掲げた。

 会話は一時中断。まずは前神父にこの酒を捧げなければならない。

 オリヴァは静かな声で献杯をする。


「亡きアンヴァー神父に」


 バルセロもそれにならう。


「亡きアンヴァー神父に」


 二人はグラスを高く掲げた。



 

 それからオリヴァは立て続けにエールを3杯も飲んだ。だが、顔色ひとつ変えずに平然としている。かなり酒に強いようだ。


「あっ、これは飲んだことがありませんね。レミーリア様、すみませんが『熊殺し』をいただけますか? とりあえずはグラスに一杯お願いいたします」


 ウイスキーの注文までしている。しかもストレートだ。


「そう言えば、オリヴァ神父にさ、聞きたいことがあったんだよ」


 近くに座っていた若い傭兵がオリヴァに尋ねた。手にはウイスキーの水割り。それならに飲んでいるのか、目が少しとろんとしている。


「何でしょう? お話下さい」


 傭兵は手に持ったウイスキーを一口飲むと、以前仕事先で疑問に思ったことを尋ねた。とある地方での話のようだ。


「いやさ、俺が仕事の途中でロットっていう町に行った時なんだけどよ。そこで町の連中が川にワインを流してたんだわ。でよ、俺が何でそんなことをしてんのかを聞きに近づいたら、そいつら急に怒り出して『キルト人が近づくな』って言って石投げてきやがったんだ」


 傭兵は、今思い返しても不思議だと首をひねった。

 キルト人を嫌うマーティン人は多いが、石を投げてまでして感情的に追い払おうとするなんて異常だ。傭兵はそこが気になっていた。


「そこまで邪険にされるなんて中々無いから、なんだか気になっちゃってさ。ありゃ何の儀式なんだい?」


 オリヴァはグラスに残っていたエールをグイッと空けると、記憶を探るように首をやや傾げた。


「……もしかしたら、それは夏のことですか?」


 何か思い当たることがあったのだろう。確認するように傭兵に尋ねる。


「おう、確かそうだった」


 傭兵が首肯すると、オリヴァは「では間違いない」と話を続けた。


「それは殉教した司祭の慰霊祭をしていたんです。約100年前のことですが、ロットの教会がキルト人の傭兵によって略奪された上で焼かれたことがありました。それを嘆いた地元の司祭が川に身を投げたのです。以来、司祭の命日には川にワインを流すようになったのです」


 アルコー教団では「ロットの悲劇」として語り継がれている話である。

 オリヴァは昔、先輩僧侶がキルト人がいかに残虐かを説く為の法話でこのエピソードを話しているのを聞いた覚えがあった。


「キルト人の傭兵っていったら……」

「ええ、100年前でしたら十中八九スコルトの傭兵でしょうね……」


 傭兵は何か思うところがあったようだ。グラスを手の中で転がしている。


「そっか……そりゃあ俺が近づいたら怒るわな……」


 傭兵はそう言ってウイスキーを飲み干し、酒臭いため息を吐いた。


「でも、ご先祖様が教会を襲った気持ちもわかるんだよなぁ。燃やしたくなるもん、あれ」


 ガクッとオリヴァの頭が崩れ落ちた。

 思わず耳を疑うようなセリフである。少なくとも、しんみりした感じで言うべきことではないだろう。

 だが、周りで聞いていた他の傭兵たちは彼の言葉に同意していた。


「そうそう。だって教会に行けば金目のものが山ほどあるしな」

「金貨の詰まった袋はぎっしりあるし、食い物もたっぷりある。そりゃ襲うわな」

「テンション上がれば、つい火もつけちゃうよな」


 傭兵たちは「分かるわ〜」と頷き合った。

 オリヴァは、彼らに何と言ったものかと、困った顔をしている。


「……教会は地域の住民にとって心の拠り所でもあります。できれば不必要に燃やさないでいただけるとありがたいのですが」


 そう言ってお願いするオリヴァ。

 傭兵たちも流石にバツが悪かったのか、申し訳なさそうに頭を掻いた。


「オリヴァ神父がそう言うなら俺たちも気をつけるよ」

「ああ、今度からは焼かないようにする」

「紳士的に押し入って、建物を傷つけないような丁寧な略奪を心がけることにするよ」


 オリヴァの顔は困ったままであった。




 バルセロはオリヴァのグラスにウォッカを注いだ。


「神父サンが来てからもう20年か……早いな」


 オリヴァは一口ウォッカを飲んだ。


「過ぎてしまえば早いものです。あの方が亡くなってからそれほどの時が経ったなんて、とても信じられません」

「アンヴァー神父さんの話か? アンタがあの人といたのは1年くらいだろうに」

「印象が強すぎるのです」


 オリヴァは不愉快そうに眉間に皺を寄せる。どうやらその1年の間に、苦々しい思い出が数多くあるようだ。

 その分かりやすい態度に、バルセロは「違いない」と爆笑した。


「あのー、ちょっといいですか?」


 ちょうどそばにいたレミーリアは、前任の神父の話が出たようなので、オリヴァに前任者について尋ねることにした。


「オリヴァ神父様、アンヴァー神父様とはどのような方だったのですか?」


 オリヴァはレミーリアの方を向いた。


「レミーリア様はご存じではありませんでしたか。ご興味がお有りでしたら、お話しをさせていただきますが、全てお話するには今日は時間があまりありませんね。それでは、私が初めてアンヴァー神父にお会いした日。つまり、私が初めてスコルトに来た日のお話をいたしましょう」

「ぜひお願いします!」


 興味深い話である。レミーリアは、あとでイングにも教えてあげようと考えた。


「そうですね、あれは――」


 オリヴァはバルセロと自分のグラスに酒を注ぎ足すと、昔を懐かしむように口を開いた。

補足


テンション上がると火をつける男の二つ名

《放火魔》


 因みに名前はミルスト。この後反省して教会に対しては火を放つことを自重している。

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