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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
プロローグ レミーリアの何気ない一日
6/101

レミーリアの一日の終わり

 嵐のような昼の営業は終わったが、レミーリアたちは一息つく暇もなく、今度は夜の営業に向け忙しく働いていた。

 皿洗い、賄い作り、夜営業分の仕込みなど、やるべきことは山のようにあるのだ。

 特に今日は朝ゴタゴタしたので、いつもより余裕がない。急ピッチで作業を進めていた。


 そんな中、ブルーは手を動かしつつ、横目でチラリと賄いを作っている息子を見た。イングが鍋を振る姿は、親の欲目を抜きにしてもさまになっている。


(考えてみればもう成人したんだよな)


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 我が子が生まれてから早15年。まだまだ子供のように思っていたが、もう立派に大人の仲間入りをしている。

 ブルーは嬉しいような、それでいてどこか少し寂しいような、複雑な気持ちになった。


(そろそろまた新しいレシピでも教えてやるか)


 ブルーはそんなことを思いながら料理の仕込みを続けるのだった。




 夕方の鐘がスピリタスの町に響き、日が沈んでいく。

 仕事終わりの人たちが街に溢れ、どこかで酔った男たちが喧嘩を始めるいつもの夜が始まった。


 夜は予約も入っていないので、『エミール』は通常通りの営業である。

 まさか、また飛び込みの団体予約が入るなどあるはずもない。もしあったら、今度こそスミカのフライパンが振り下ろされてしまう。


 もちろんそんなトラブルは無く、普通に開店した『エミール』の店内はすぐさま客で賑わった。

 スコルト領には他領の人間は偶にしか来ない。したがって来る客も地元の客が多くなる。

 特に今夜は常連客が多いようで、レミーリアたち店員にも気安く話しかけている。


「おう、レミーリアちゃん。昼間は貸切の札が下がってたけどよ、誰が来てたんだ?」

「〈赤銅の大熊〉の皆さんよ。遠征の打ち上げだったんです」

「あー、モルトガットのとこのか。どうりで馬鹿みてえにうるせえと思った」

「ふふっ、皆さんお変わりなく元気でしたよ」

「そりゃ何よりだ。おっと、もう一杯エールくれ」

「はーい、分かりました。少々お待ちください」


 レミーリアが常連客と話をしながら働いていると、店の扉が開き、新しい客が入ってきた。


「「いらっしゃいませ」」


 フロアに出ていたレミーリアとスミカが挨拶をする。

 入ってきたのは旅装姿の若いクルス人の男性であった。珍しいことに地元民ではなく、他領から来た人間である。


「いやーお久しぶりです、スミカさんにレミーリアちゃん。やっぱスコルトに来たらね、お二人にどうしても会わないといけないですからね。寄らせてもらいました。それにしても相変わらずお二人ともお美しい! こんな美人に会えただけでもスコルトに来た甲斐があるってもんですよ」

「あはは……相変わらずですね」


 入ってくるなりペラペラと調子よく褒め言葉を捲し立てる客。どうやら前にもこの店に来たことがあるようだ。

 愛想の良い笑顔でおどけた口調。かなりひょうきんな性格みたいである。

 この男性は以前来た時もこの調子だったので、レミーリアは苦笑しながら席に案内した。


「お久しぶりですマークさん。ご注文はお決まりですか?」


 この男はマークという名前の行商人である。

 マーティン帝国内を北から南まで身一つで巡って商売をしており、2年ほど前からスコルト領にも足を延ばしていた。


 椅子に座るなりマークは即答する。

 メニューも見ていない。どうやら店に入る前から何を食べるか決めていたようである。


「もちろん! ここに来たらステーキと小麦パン。こんな贅沢ができるのは、マーティンの中でスコルトだけだしね。後は付け合わせに揚げ芋とサラダ。それとエールを貰えるかな」


 レミーリアは「かしこまりました」と言って注文を厨房に伝えに行き、エールを注いでマークの前に戻ってきた。


「どうぞ、マークさん」

「ありがとう! では早速」


 マークはジョッキを受け取るやいなや、待ってましたとばかりに豪快に傾ける。

 ゴクゴクと勢いよく飲んで実に幸せそうだ。長旅の疲れも吹き飛んだようである。


「はぁ〜最高! やっぱスコルトの酒は美味いね、レミーリアちゃん」


 満ち足りた表情で息を吐くマーク。

 レミーリアはふと彼の身なりが以前よりかなり良くなっていることに気がついた。着ている服もそうだが、全体的に清潔感がある。

 商人であれば顧客に合わせて服装を整える必要もあるだろう。お金持ちの所にみすぼらしい格好で行っても門前払いされて終わりだ。

 レミーリアは彼が中々の上客、例えばどこかの名士などを捕まえたのだと推測し、尋ねてみることにした。領主の娘として、地元の産物を扱うマークの販路は気になるのである。


「ありがとうございます。そうだ、お商売は順調ですか?」

「順調も順調、儲かりすぎて大変だよ。なにせスコルトの名産品は欲しがっている人が沢山居るのにあまり市場に出ないからね。みんな飛ぶように売れていく。僕のような小商人にとって、こんな楽な商売はないよ」


 マークは気分良く話し始める。世間話だとしても美少女が自分の仕事に興味を持ってくれたのである。聞かれたことには何でも答えそうであった。

 マークはてっきりレミーリアが「そうなんですか?」などと聞いてくるものだと思っていたが、その当て推量は外れる。


「あーなるほど」


 レミーリアは自分の知っているスコルト領の貿易事情から察したのか、すぐにマークの繁盛具合のカラクリにピンときたのだ。


「客層の違いですか。マークさんはほぼ需要を独り占めできるんですね」


 どうやって女の子にわかりやすく説明しようか考えていたマークだが、その必要は無くなった。

 彼はレミーリアが貴族のお嬢様とは知らない。

 商人でもない15歳のウェイトレスが答えを見抜いたと大いに感心した。


「よくわかったねレミーリアちゃん! そう、その通り。今スコルトの名産品の大部分を取り扱っているのは、帝国一の大商会であるファーネス商会だ。ウイスキーなどのお酒、真っ白な磁気皿、高品質の食糧、医薬品。それら高級品はファーネス商会が売りに出しているが、あっという間に顧客になっているお貴族様たちが買い占めてしまう」


 マークはエールで喉を一度潤してから続けた。


「しかし、僕はそんなお偉いさんは相手にしない。地方地方の小金持ちにスコルトの上等なお酒や干し肉、干物、ちょっとした医薬品や小物を売るのさ。銘柄は同じだ。みんな喜んでお貴族様と同じ物を買ってくれるよ。しかもスコルトは……レミーリアちゃんたちには悪いけど、評判がちょっとアレだからさ、ここまで来る行商人は僕ぐらい。まさに一人勝ち。笑いが止まらないよ」


 マークが言ったように、マーティン帝国においてスコルト領の評判は著しく悪い。

 曰く、異教徒の街。曰く、野蛮人の寝ぐら。曰く、異端者が流れ着く地。曰く、堕落した者が住む地。……あながち間違ってるとは言い切れない。

 ただ噂の中には「善良な人間が訪れると見ぐるみ剥がされて奴隷として売られる」とか、「異端の儀式の生贄にされる」など、事実無根のものもある。これらが過大にスコルトの悪名を高めていたりする。

 それもあって、よっぽどの変わり者か、はみ出し者しかスコルトの地を踏むことはない。少なくとも真っ当な人間はまず来たがらないだろう。


 だが、そんな変わり者の一人であるマークは上機嫌だ。


「実際にスコルトに来てみれば、意外と治安は良いし、飯も美味い。確かに強面の傭兵さんたち(や手配書で見たことある凶悪犯罪者)が多いし、気温もちょっと寒いけど、いい土地だよここは」


 レミーリアはマークの好意的な評価に嬉しくなる。やはり地元を褒められるのは嬉しいものだ。


「ありがとうございますマークさん。私もこのスコルトが大好きです」




「あっ、そうだブルーさん。すいません」

「はい? どうしましたか?」


 ステーキを食べているマークは、厨房から料理を持って出てきたブルーを見つけると、食事をする手を止め声を掛けた。


「あのー、ちょっとお聞きしたいんですけど、お酒に詳しい知り合いっています?」


 思いがけない事を尋ねられたブルーは「お酒ですか?」と聞き返す。そして空いている方の手で端のテーブルを指した。


「お酒ならあそこに座っているメイカーさんが詳しいですよ。あのテーブルの一番手前に座ってるクルス人です。なにせ『北の夢』の醸造家ですし」


 指差したテーブルでは4人の男性が酒を飲んでいる。クルス人とキルト人両方いるが、全員が揃って頑固そうな面構えをしていた。

 メイカーという白髪混じりの男性は特に気難しそうだ。絵に描いたような頑固職人といった風情をしている。仲間と酒を飲んでいるというのに、美味しいんだか美味しくないんだか、仏頂面でグラスを傾けていた。

 ブルーからそれを聞いたマークは大仰に驚いた。


「『北の夢』! 一番最初のウイスキーって言われてるやつじゃないですか! まさか同じ店に来てたなんてラッキーだ!」


 どうやらご希望に適う人物だったらしい。

 それなら口利きくらいはしてあげようと、ブルーはメイカーに声を掛けた。


「メイカーさん、ちょっといいですか? こちらのマークさんがお酒のことで聞きたいことがあるそうです」


 メイカーはブルーの言葉に振り向くと、億劫そうに返事をした。


「あ〜なんだよ、今は酒飲んでるってのに。まぁいい。若いの、何が聞きたいって?」


 口調こそ面倒そうだが、すんなりと話を聞いてくれるらしい。こっちへ来いと手招きしていた。

 マークは席から立ち上がってメイカーのもとへ行くと、商人らしい愛想の良い笑顔をしながら丁寧に頭を下げた。


「はじめましてメイカーさん。わたくしはマーティン帝国を北から南へと行商をしております、マークと申します。この度は思いがけず、高名な『北の夢』を醸造されてますメイカーさんにお会いできて光栄でございます。メイカーさんの『北の夢』はわたくしも仕入れさせていただいておりますが、どちらでも大変ご好評――」

「話が長い!」


 メイカーが話の途中でグラスをドンと置いて怒鳴ったので、マークはビクッとする。社交辞令というものが嫌いな人種のようだ。

 デカい声に、同じテーブルで飲んでいた仲間たちも「うるせっ」と顔を顰めた。

 まだ心臓がバクバクしているマークだが、一度や二度怒鳴られたくらいですごすご引き下がるようでは商人はできない。すぐに気を取り直し、「んんっ」と咳払いをして改めて話を続けた。


「これは失礼を。では早速。実はわたくしのお得意様がスコルトで一番のお酒を所望しておりまして。しかし私も、どれが一番かと言われると自信がありません。これは専門家に聞いた方が良いかなと思いまして相談いたしました。ズバリ、メイカーさんが思うスコルト一番のお酒はなんでしょう?」


 マークが尋ねたその瞬間、メイカーの全身から燃え上がるような怒気が溢れた。


「このガキ舐めたこと抜かしやがって! 殺されたいなら今すぐその頭かち割ってやるッ!」

「ひえっ!?」


 やおら立ち上がりマークを睨みつけるメイカー。今にも掴み掛かり、本気で頭をかち割りそうである。

 マークはなぜメイカーが怒っているのか分からず、オロオロとひどく狼狽えた。


「な、何かお気に触ることを言ってしまったのでしょうか? 申し訳ございません。ど、どうかお許しください」


 そう言うとマークはすぐさま頭を下げた。きっかり90度。額から吹き出した汗がポタポタと床に垂れ落ちている。

 命の心配もあるが、ここでメイカーを怒らせ続けて二度と彼の酒を(もしかするとスコルトの他の酒も)仕入れられなくなったら大損だ。そっちの意味でも死活問題である。

 何がいけなかった分からないが、どうにかしてでも許してもらわなければならない。マークは必死で頭を下げ続けた。


 メイカーはその頭を憎々しげに見下ろすと、あちゃーという顔をしているブルーに話を振った。


「……わからねぇってのか。おいブルー! スコルトで一番の飯屋は何処かこのガキに教えてやれ!」


 話を振られたブルーは一度大きくため息を吐き、堂々と胸を張った。


「スコルトで一番の店はこの『エミール』です。誰よりも美味しい料理を提供できる自信があるからこの店をやっています」


 店内に「いよっ大将!」という囃し立てる声と口笛が飛んだ。客の中にお調子者が居たらしい。少しブルーは照れた。

 メイカーは同席する仲間にも尋ねた。


「お前らはどうだ?」


 男たちは次々と答える。


「スコルトで最も美味い牛を育てているのはこの俺、ファローだ」

「なら俺はマーティンで最も優れたガラス職人ジョンだな」

「なんの、それならば俺は世界一の鍛冶屋オロスクだ」


 最後にメイカーは腕を組んでマークに言い放った。


「そして俺は世界……いや、歴史上最高の酒職人メイカーだ。分かったか若造!」


 マークは疑問が氷解し、再び深々と、今度は理解した上で頭を下げた。


「よく分かりました。大変な失礼をいたしました。重ねてお詫びいたします」


 メイカーは怒鳴ったことにより、だいぶ怒りのボルテージが下がったようだ。「ふんっ」と鼻を鳴らすとドカッとイスに座った。


 マークは周りの客にもぺこぺこ頭を下げながら自分の席に戻ると、置いてある鞄を開けた。


「店内の皆様もわたくしの不躾な質問で大変なご迷惑をおかけいたしました。お詫びといってはなんですが、コレを皆様にお振る舞いさせていただきます」


 そう言うとマークは鞄の中からワインを数本取り出す。


「スコルトで売るために仕入れた南部産の銘酒です。自分用にと幾らか取り分けておりましたが、どうか皆様でお飲み下さい。ブルーさんもお店の皆様で一本どうぞ。あと申し訳ないんですが、グラスを貸していただけますか?」


 マークの振る舞いに店内の客たちは歓声を上げた。


「ささ、まずはメイカーさん。どうぞ」


 マークはグラスを受け取ると、メイカーに恐る恐るワインを注いだ。

 メイカーは無言でグラスを受け取り、一口ワインを飲むと、


「これに免じてやる」


 とぶっきらぼうに言った。

 マークはホッとした様子で「ありがとうございます」と胸を撫で下ろした。

 メイカーはもう一口ワインを飲むとマークの方を向いた。


「明日うちの蔵に来い。とっておきを出してやる」


 マークは笑顔でもう一度メイカーに礼を言った。




 一日の営業が終わり、ブルーは皿を洗っていた。


(今日は昼も夜も大騒ぎだったが、なんとか無事に終わったな)


 ブルーは自分が言ったセリフを思い出す。


(一番の料理人か……。自分がそうである自信はあるが、いつの日か二番になるとしたら……)


 ブルーは此処にはいない息子の顔を思い浮かべる。イングはレミーリアを屋敷まで送っている途中である。


(いや、まだまだ先だな)


 ブルーはフッと笑うと皿洗いを続けた。




 レミーリアはイングに送ってもらいながら帰路についている。二人は一つの灯りを持ち、肩を寄せ合い何度も通った道を歩いていく。

 道すがら口にする話題は今日のこと、明日のこと、何でもないようなこと。二人はゆっくりと歩いていたが、やがて男爵邸の前に着いてしまった。

 レミーリアは名残惜しそうにイングに別れの挨拶をする。


「ありがとうイング。おやすみなさい。また明日」


 イングは微笑み、彼女にキスをした。


「おやすみレミィ。また明日」


 レミーリアは「うん」と言って、頬を上気させながら屋敷に入った。


 スピリタスの夜は寒いが彼女の心は暖かい。彼女は明日もまた恋人に逢えることを喜びながら、今夜も眠りにつく。

 レミーリア・スコルトの何気ない一日はこうして終わった。

補足


メイカーの二つ名

《ウイスキーの生みの親》

口調は荒いが善人であり、かなり親切な人

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