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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
第四章 誓いの夜

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レフから来た姫

 とある日の明け方、レミーリアが屋敷の玄関を開けて外に出ると空から真っ白な雪がパラパラと降っていた。

 下の方に目を向ければ、地面に薄っすらと積もっている。

 時期的にそろそろ降りそうだと思っていたが、どうやら今日からだったようだ。


(昨晩は冷えたから、もしかしたらと思ったけど、やっぱり降ったわね)


 今はまだ2センチくらいだが、このまま降り続けばあっという間に10センチくらいにはなるだろう。歩くのが難儀になる深さである。


(また今年も雪かきをする毎日が始まったわね)


 レミーリアは気怠げにハァ〜と白いため息を吐き、訓練場に向かって歩きだした。

 毎年のことなので、降り積もった雪を見ても億劫な気持ちしか湧いてこない。スコルトの住民はみんなそうだ。


 余談だが、スコルトでは40センチほど雪が積もれば住人たちは「大雪が降った」と言う。これはマース大陸では雪深いと形容される量である。

 しかし、レフ大陸では1メートルを超えるのがザラなので、レフのキルト人はスコルトを「雪が少ない土地」と言っていたりする。


(倉庫から雪かき道具を出すお手伝いをしないといけないわね。今日は早めに出勤しましょう)


 どの家にも雪かき用の道具の一つや二つは常備されている。もちろん『エミール』にもだ。

 レミーリアは朝食が終わったら早めに家を出ることに決めた。




 朝食を食べたレミーリアが『エミール』に向かっている途中、薬師イザベラの家の前では、弟子のシェリが馬そりの手入れをしていた。


「あっ、レミーリアお姉さん!」


 シェリは向かってくるレミーリアに気づくと、ニッコリと笑って挨拶をした。


「おはようございます。今日は早いですね」


 頭には緑色の毛糸の帽子を被り、可愛い冬用マントを羽織って作業しているが、ロープが結い難いので手には何も着けていない。まだ小さいおててが寒さで赤くなっていた。

 レミーリアも微笑み、軽く手を振って挨拶を返す。


「ええ、おはようシェリちゃん。雪が降ってきたから早めに出たのよ。シェリちゃんはソリの点検?」


 シェリは頷き、かたわらのソリをポンポンと叩いた。年季の入った小ぢんまりとしたソリである。


「はい。使うかもしれないから見ておいてって先生に言われまして。でも、これが必要にならないくらいの雪であればいいんですけどね……」


 イザベラは患者のもとに往診に行くこともある。

 雪があまりに積もった日は、他所から借りた馬にイザベラと薬箱を載せたソリを引かせて患者の所に向かうのだ。


「去年は沢山降ったのよね〜。今年は少ないといいわね」

「そうですね」


 話もそこそこに二人は「では」と軽く会釈しあって別れた。朝はお互い忙しいのである。


 


 レミーリアが『エミール』に着くと、彼女の予想通り、イングが倉庫から雪かき道具を出していた。


「おはよう、イング」


 レミーリアに声を掛けられ、イングがクルッと振り向いた。その手にはシャベルが握られている。


「あっ、レミィ、おはよう。早いね」

「ええ、雪が降っているから早く来たの。手伝うわ」

「助かるよ」


 二人は倉庫から、木製スコップのような形をした雪かき用の鋤や、雪を運ぶためのカゴを出す。

 春にしまってからそのままなので、やや埃っぽい。

 軽く払って埃を落とし、どこも壊れていないか、虫にやられていないかを点検する。

 あまり楽しい作業ではない。二人とも、雪かきなどしたくないのだ。


「この分だと明日から雪かきが始まりそうね」

「気が重くなるよ」


 空からは尚も雪が降り続いている。スピリタスに本格的な冬が訪れた。

 



 昼営業中のことである。

 『エミール』店内には、冷えた体を温めようと、シチューやスープを食べたり、度数の高い酒を飲んでいる客が大勢いた。

 客たちが雪が降ったことに愚痴を言っていると、バンッと音を立てて店の扉が開いた。

 レミーリアたちが驚いて入り口に目を向けると、そこには何やら興奮した若い男が立っている。

 男ははしゃいだ様子で店内の客に捲し立てる。


「おい、凄えぞ! 大ニュースだ! なんと――」

「寒いんだから早く閉めろバカ!」

「あっ、悪りぃ……」


 何かを言おうとした男だったが、客に怒鳴られ、申し訳なさげにドアを閉める。

 男はゴホンと咳払いして、改めてその大ニュースとやらを語った。


「レフ大陸からお姫様が来たらしい! しかも一人で海を渡り、東の海岸に上陸してからデリウム火山をも越えて、麓のフクラ村まで来たんだと!」

「「「はぁ?」」」


 何が何やらよく分からない話である。

 レミーリアを含め店内の人間全員がキョトンとした顔になった。


「何でお姫様がそんなことをしてんだよ?」


 客からは当然の疑問が投げかけられたが、男は首を横に振った。


「それは知らねぇ。でも、お姫様だってのは確からしい。彼女を保護したっていうフクラ村のヤツが広場で自慢してた」


 確からしいと言われても、男の話を聞く限りでは、何を根拠にとしか言いようがない。

 本当ならビックリして興味を惹かれるような話だが、今のところ信憑性がまるで感じられず、困惑した空気が流れる。

 そもそもそのお姫様は実在するのかと、客の一人が疑問の声を上げた。


「それで? その姫様はどこにいるんだ?」


 客の言葉に、男は「そうそれ!」と相槌を打った。


「お姫様は村のヤツと一緒にスピリタスに来て、今は男爵様のとこで事情を聞かれているんだ。俺もそのお姫様が本物なのかとか、どうしてそんな事をしたのかとか、色々と気になるんだが、まさか男爵様に尋ねるわけにはいかないだろ? だからレミーリアちゃんに代わりに聞きに行ってもらおうと思ったんだ」


 男が“お姫様”が男爵邸にいると言うと、にわかに店内がざわついた。

 領主のところまで行っているならホラ話ではないかもしれない。騙すにはリスクが高い相手だ。

 与太としか思えない話に、がぜん真実味が出てきた。


「男爵様の所に? ……そうならマジっぽいな」

「そうよね。もし本当にお姫様だったら大事件だわ」

「しかもレフの」

「これはもうレミーリアちゃんに確かめに行ってもらうしかないのでは……?」

「だな!」

「ぜひともお願いしたいわ!」


 ジーッと店中から期待するような視線がレミーリアに降り注ぎ、彼女は思わずたじろいだ。


「いや、確かに私も気になりますけど……」


 レミーリアの言葉尻に乗っかるように女性陣が大袈裟に頷く。


「そうよね〜、レミーリアちゃんも気になるわよね〜」

「これは一度帰った方がいいんじゃない?」

「私たち話を聞くために夜もこの店に来るわよ」

「いち早く噂話ができるなら、売り上げにいくらでも貢献するわ」


 女性たちはそう言って、レミーリアに帰るようにと促している。

 しかし、レミーリアは乗り気ではないようで、愛想笑いを浮かべて拒否している。


「いえ、私も仕事中ですし。それに以前の特異個体のように緊急事態とも思えませんから、明日ではダメですか?」


 外は雪が降っていて寒いのである。今帰っても夜営業に戻って来なければならない。第一、レミーリアが言った通り仕事中だ。噂話を確かめるだけに自宅と職場を往復する気にはなれなかった。

 だが客たちは、なおもレミーリアに戻るように勧めた。

 彼らはうら若き少女を寒空の下に放り出してでも自らの好奇心を満たしたいらしい。


「レミーリアちゃん、こういうウワサ話は少しでも早く真相を知りたいのが人情だろ?」

「そうそう、それで他の誰かに自慢げに話したいんだ」


 欲望に忠実な説得だが、そこはレミーリアも共感できる。かと言って応じるほどではないが。


「それは……わかる気もしますけど……」


 レミーリアの態度は煮え切らない。客たちは互いに目配せすると、一斉に手拍子を始めた。


「「「か〜え〜れ! か〜え〜れ! か〜え〜れ!」」」 

「いじめ!?」


 手拍子に合わせた“帰れコール”にレミーリアは面食らった。

 ここまでされると、冗談にしてもタチが悪い。レミーリアは膨れっ面で「もうっ!」と言って客を睨む。


「皆さんそれは酷いで――」


 レミーリアが文句を言おうとすると、ポンと彼女の肩が叩かれる。彼女が振り向くと、そこにはスミカがいた。


「スミカおばさん?」


 スミカはニッコリと笑う。


「レミーリアちゃん、私もその話が気になるの。お店のことは私に任せて一度お屋敷に帰りなさい」

「……」


 未来の義母(予定)の言葉である。


「――っ! 午後からまた来ます!」


 レミーリアは着替えるために2階へ駆け上がった。夏のようにお仕着せのまま飛び出すわけにはいかない。上着を羽織らなければ寒いのだ。

 結局、レミーリアは一度自宅に戻ることになった。白い息を弾ませて彼女は町を走る。途中、何度か声を掛けられたが、その全てに「聞きたいことは夜の『エミール』で」と返答した。




 レミーリアは自宅に着くと使用人に現在の状況を尋ねた。どうやらくだんのお姫様はトリスと応接室にいるらしい。

 レミーリアは早速そこに向かい、応接室の扉をノックした。中から「入れ」と返事がきたので、彼女は扉を開けて中に入る。

 応接室にはトリスと騎士が一名、そして彼らとテーブルを挟んで一人の女性が座っていた。

 それと何故か、テーブルに斧が1本置かれていた。


「レミーリア? お店は?」


 ノックしたのがまさか娘とは思わず、トリスは驚いている。

 レミーリアは少々不貞腐れながら答えた。


「……午後からまた行きます。そちらの方は……」


 レミーリアはトリスの向かいに座っている女性を見つめる。

 彼女はレミーリアより3つほど年上で、背が高く髪の長いツリ目の女性である。もちろんキルト人で、それなりに鍛えられた身体付きをしていた。灰色の髪と金の瞳、そして我の強そうな顔つきが狼を連想させる女性である。

 レミーリアは彼女が着ている服の袖や、履いているズボンの裾が擦り切れているのに気がついた。髪にも痛みが見られる。


(どうやら彼女が山越えをしてきた“お姫様”のようね)


 レミーリアは女性に対し、丁寧にお辞儀した。もし仮に女性の素性が噂通りなら、彼女は一国の姫君である。決して非礼は許されない。


「お初にお目にかかります。スコルト男爵家次女、レミーリア・スコルトと申します」


 女性は「へぇ」と興味津々といった様子でレミーリアをまじまじと見つめる。


「じゃあアンタはここのお姫様ってわけか。やっぱマーティンの貴族はお上品だね。物腰ってヤツが違うわな。……っとと、悪い悪い。アタシも自己紹介しなきゃね」


 そう言って女性はニカっと歯を見せて笑った。あっけらかんとした人懐っこい笑みである。


「アタシはスルガ氏族長ベイアールの妹、サミラ・スルガ。人呼んで《狂狼》サミラさ。よろしくな、レミーリア姫」


 電撃的に成されたレフの革命。その舞台裏を知る女性がついに現れた。

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