スコルトの愛されっ子
族長の娘であるレクティ・スピリタスは、スコルト領のキルト人にとって正真正銘のお姫様。敬愛すべき存在である。
一応レミーリアもまごうことなきお姫様であるが、キルト人にとって彼女は領主の娘というよりかは、よく話をせがんでくる可愛い娘か孫、ないしは妹という認識である。
また、レクティはキルト人のみならず、スコルト領のクルス人にもとても可愛いがられている。愛嬌があって親しみやすい容姿、明るくさっぱりした性格、人懐っこい笑顔。誰とも仲良くなれ、友人もとても多い。
レクティは老若男女問わず大人気の、ある種スコルトのアイドル的存在であった。
そんなレクティが思いがけず参加したことで、〈赤銅の大熊〉の団員はすっかり舞い上がってしまった。
元より人一倍自慢話が好きな民族だが、今日は更に熱が増していた。先を争うように我も我もとレクティに自分の活躍をアピールしている。
レクティも、キルト人らしく武勇伝語りは大好きなので、楽しく団員たちの話を聞いていた。
因みに、レミーリアも仕事中なのでかぶりつきで聞くことは出来ないが、しっかりと聞き耳を立てていたりする。
「――まさに絶体絶命! しかし、俺はとっさに落ちていた剣を拾って、こう、すくい上げるように騎士野郎を斬ってやったんでさ!」
酒が入った団員たちは、レクティに大げさなアクションを交えつつ今回の仕事の武勇伝を語る。
今、レクティに話しかけているのは20代くらいの男性だ。それなりに強そうな傭兵で、体のあちこちに傷跡があった。
「間一髪だ! よくそんなすごい判断が出来たね!」
レクティから賞賛され、男はデレデレしながら頭部を掻いた。
「いやぁ、踏んできた場数が違うというか? 俺の運命がまだ尽きてなかったっていうか? えへへ」
男はすっかりだらしない顔である。
側から見ると、ひと回りも歳下の女の子相手にクネクネ舞い上がっている男性の姿だ。とても場数を踏んだ歴戦の戦士には見えない。
「おい、いつまでお嬢と話してんだよ、代われ!」
「そうだ! 次は俺たちの番だ!」
話が終わった途端、だらしない顔の男は横に押しのけられ、3人の若い男が興奮したようにレクティに話し始めた。
「お嬢、お嬢、今度は俺たちの話を聞いて下さいよ!」
「そうですよ! 何を隠そう今回敵の総大将をとっ捕まえたのは俺たち《三羽烏》3兄弟なんです!」
「俺ら3人が敵陣深くに押し入った時、ノッジの長男坊の周りには大勢の取り巻きがいたんですがーー」
その後も代わる代わる傭兵たちはレクティに話しかけ、〈赤銅の大熊〉の武勇伝語りはしばらく途切れなかった。
「今日も父様はいつも通りの厳しさ。私は朝から訓練でボコっボコにされたよ」
「ふふっ、ボルモスおじさんは変わらないわね」
料理の提供がひと段落ついた店内では、レミーリアとレクティが雑談をしていた。
いつも明るいレクティだが、そこはやはり15歳の少女。一つ二つといわず悩み事があるようだ。エールをちびちび飲みながら、くたびれ果てた様子で親友に愚痴を言っていた。
「そうだよー。いつもの言葉も聞かされるしさー」
そう言ってレクティは眉を指で押し上げ父親のマネをし始めた。
「『レクティみたいな可愛い子はスコルトの外を歩けば直ぐに悪い男に攫われるんだぞ。強くならなければダメだ。俺は涙を呑んでレクティを一人前の戦士にする』――だって」
「それボルモスおじさんのマネ?」
口からは精一杯の低い声。レミーリアが軽く吹き出した。
レクティは眉から指を離してモノマネを止めると、億劫そうにため息をついた。
「兄様たちも『そうだそうだ』って言って、むしろ訓練に参加してくるし。ひいお爺様だってこのことに関しては、『真に強くなければ運命は選べない』って言って、助けてくれないし。もう疲れたー!」
そう言ってテーブルに突っ伏すレクティ。
レミーリアは「大変ね」と同情の視線を向けた。
実は、日々の訓練の賜物か、レクティはレミーリアと同じくらいには強い。父や兄には敵わないようだが、誘拐目的で近づいてきたそんじょそこらの“悪い男”では束になっても手も足も出ないであろう。
だが、過保護な父親にとってはまだまだ力不足に思えるらしく、当面は猛特訓が続きそうであった。
「リシャール様までそう言ったなら、どうしようも無いわ。レクも愛されて大変ね……」
レクティは頭だけを上げ、上目遣いでレミーリアを見る。プゥと頬を膨らませ、不貞腐れた顔つきでぼやいた。
「愛情はよ〜く伝わってくるよ。文字通り痛いほどね。でもさぁ、私たちも15歳の成人だよ。ちょっとくらい他所に旅行に行ったりとか、恋人つくるくらい自由にしたいよ」
レミーリア、イング、レクティの3人は同い年の仲良し幼馴染である。誕生日が3人とも年初めに集中していることもあり、既にこの国の成人年齢である15歳になっていた。
この国で一般的に15歳ともなれば当たり前のように仕事をしていて、女性の場合は早ければ結婚を考えたりしている歳である。レクティとしては子供扱いされているようで不満なのだろう。
恋人の有無はともかく、レミーリアもスコルトの外には行ったことが無い。彼女の言葉に同意できるところがあった。
「そうね、一度くらい皆でどこかには行ってみたいわね」
「ねっ、行ってみたいよね! あっ、でもさあ――」
レミーリアの言葉にレクティはテーブルから身体を起こし、一緒に旅行に行きたいと途中まで同調していた。だが、急に意地悪い笑顔を浮かべた。
「もしかして、それって新婚旅行? だったらお邪魔虫な私は遠慮するな〜」
チラッとイングの方を見ながらレミーリアを揶揄うレクティ。
ボッと顔を赤く染め、レミーリアは慌てて否定する。
「違うわよ! それに、その、まずは結婚しなきゃだし。って……いやその、えっと……」
テンパっているレミーリアを見てケラケラと大笑いしたレクティ。「お熱いな〜」と手で自分を扇ぐフリをしながら、空いた皿を片付けていたイングに声を掛けた。
「イング〜先ずは結婚だって。旅行はそれからだから早くしてね〜?」
彼女の周りにいた客たちも口笛を吹いたりして囃し立てる。
イングも二人の会話は聞こえていたのでようで、耳まで真っ赤になっていた。
「レク、あんまりからかわないで頂戴」
オボンで顔を半分隠したレミーリアは、恨めしそうな目でレクティを睨んだ。
他人の話を聞くのは大好きだが、自分の話をされるのは(過去に多々やらかしているので)苦手だ。特に恋愛関係は恥ずかしいので勘弁してほしかった。
笑いながらレクティは軽く手を振って謝罪する。
長年レミーリアとイングの幼馴染をやっているので、この程度の軽口は日常茶飯事。引き際も弁えていた。
「ごめんごめん。あんまり二人が羨ましいからさ」
そう言うと一転、レクティはもじもじと恥じらいだした。
幼馴染を茶化していたのが、一変して恋する乙女の表情だ。
「だから、私もちょっと頑張るかな? って思ったりして。その、レミー、今日カール兄ぃって暇だったりする?」
レクティは、レミーリアの兄であるカールに長年片想いをしている。
何事もまっすぐな彼女でも色恋には奥手らしい。思慕の念は大きいがなかなか一歩を踏み込めないようだ。
カールもカールで朴念仁極まりないので期待はできない。
領主家と族長家。付き合いも深く、二人は文字通り生まれた時からの付き合いであるが、この歳になるまで一切の進展は無かった。
あまりにじれったすぎて、周りの人間の方がヤキモキしていたりするくらいである。
レクティの想いを知っているレミーリアも、親友の恋を手助けしたくはあるが、今日はもうカールに会うことはできない。申し訳なさそうにかぶりを振って答える。
「残念ねレク。今日はお母様が海に行きたいって言ったから、お兄様はその付き添いしているわ」
「あーそうなんだ……。うーん……今からじゃ入れ違いになるしなー。カール兄ぃと海、いいな〜」
なけなしの勇気を振り絞って尋ねたが空振りし、ガックリと肩を大きく落とすレクティ。
そんな彼女の残念そうな姿にレミーリアは、
(お兄様ったらかなり鈍感ですからね。……私もいよいよ一肌脱いだ方がいいのかしら?)
と考え、幼馴染の前途多難な恋路にレミーリアはため息をついた。
これまでは実の兄と幼馴染の間のことだからなるべく首を突っ込みたくなかったのであるが、余りにも間が悪い二人に少しくらいはと思い始めたのである。
レミーリアとは別の意味で気を揉んでいるのは〈赤銅の大熊〉の団員たちである。彼らは二人に聞こえないようヒソヒソと会話した。
「なあ、お嬢がカールのやつに片想いしてるって、まだ族長は知らないよな?」
「あぁ間違いない。知ってたらカール坊はとっくに殺されている」
「いや……流石に族長でもそこまではしないだろ?」
「しかしお嬢のこととなると見境ないし、もしかしたら……」
「とりあえず簡単に殺されないようにカールを今度みんなで鍛えてやらねぇか? 団長、いいですか?」
「いいぞ。想い人が父親に殺されるなんて悲劇を、お嬢に味わわせる訳にはいかないからな」
レクティの想いが叶う時。それはカールが強大な親バカと対峙する時である。〈赤銅の大熊〉はそれに備え、カールの訓練計画を練るのであった。
やがてそれには他のキルト人も参加し、カールは強制的に彼らの特訓に投げ込まれることになるのであった。
打ち上げもいよいよ終盤である。相変わらず騒がしくはあるが、テーブルの料理がほぼ全て食べ尽くされ、客たちは各々グラスの酒をちびちび飲むばかりだ。
そんなある程度熱が冷めつつある空気の中、レクティは、グラスのエールを一口飲み、思い出したようにピンと人差し指を立てた。
「あっ、忘れるとこだった! レミー、来週なんだけど空いてる?」
レクティの問いかけに、レミーリアは当たり前だとばかりに答える。
毎年その日は特別な日である。レクティに言われるまでもなく覚えていた。
「リシャール様の誕生日でしょう? もちろん空けているわよ。店もお休みをいただいたわ」
「良かった〜。レミーが来てくれればひいお爺様も喜ぶよ」
レクティはレミーリアの返答に胸を撫で下ろすと、今度は手を合わせてお願いをし始めた。
「そうだ! レミーまたお料理を作ってよ。ひいお爺様はそれが一番嬉しいみたいだしさ」
去年、レミーリアは誕生日プレゼントとして料理を振る舞った。
レクティは、またそれをしてくれと頼んでいるのである。
「そう思って下さるなんて光栄だわ。そういうことなら喜んで腕を振るわせてもらうわね」
やや照れくさそうにレミーリアは了承した。飲食店で勤める身としては、料理の腕で褒められるのは嬉しいことであった。
「お嬢、リシャール様はお幾つになられたんですか? 俺らここ数年はこの時期仕事でスコルトに居なくて……」
「そろそろ宴会を締めるか」といった相談をしていた団員たちも、話を一旦止めて二人の会話に加わってきた。
年齢を覚えていなくて、ちょっと申し訳なさそうである。
「今年で89になるよ」
「「「お〜〜〜っ!」」」
一同は感嘆の声を上げ、大いに沸きたった。
60歳も生きれば長生きと言われる時代である。89歳と言えば魂消るような歳だ。
「すげぇ、なんてご長寿だ!」
「まさに生ける伝説! 《百手》、《巨狼殺し》のリシャール! 我らが長老!」
「《百人抜き》、《神武》のリシャール! 我らが英雄!」
「《最強の騎士》、《誓いを果たした者》リシャール! 我らが誇り!」
店のあちこちで、レクティの曽祖父リシャールを称える声が上がり始めた。
数多くの二つ名を挙げながら叫ぶそのさまは熱狂的なものがある。
弛緩しかけていた宴会の空気が一気に熱を取り戻す。
店内のボルテージが良い感じに高まったのを見たモルトガットは、団員たちに号令を掛けた。
「よし、このまま締めの乾杯をするぞ! いいな!」
団員たちは「応!」と言ってグラスを持った。
「我ら〈赤銅の大熊〉とスピリタス氏族に更なる栄光を! そしてリシャール様に神々の祝福があらんことを! 乾杯!」
「「「乾杯!」」」
全員が一気に酒を飲み、これにて〈赤銅の大熊〉の打ち上げはお開きとなったのだった。
補足
レクティの二つ名
《スコルトの愛し子》
明るい性格のスコルトの人気者。誰にも分け隔てなく気さくに接するのでスコルト住人みんなから愛されている。片思いの相手だけには奥手。
過保護な父親により猛特訓されているため結構強い。一般的なキルト人と同じく、愛用の武器は斧。
レミーリアとイングとは幼馴染であり、よく一緒に遊んでいた。イングと共にレミーリアが招くトラブルに何度も巻き込まれてきたことで度胸もついている。なお、その度に父親が目を回して倒れていたりする。
本人的には勇ましい二つ名が欲しい。
だらしない男の二つ名
《崖っぷち男》《ラッキーマン》
由来は戦場で毎度のごとく九死に一生の事態にあっているので。
因みに名前はファンデル。私生活もだらしない。
3兄弟の二つ名
《三羽烏》
由来は息のあったコンビネーションで活躍するので。
因みに名前は長男からスロット、コンテ、レント。