こうして始まる大勝負
いつもご愛読いただきありがとうございます。
第三章本編は今回で終了となります。次回、リシャールの過去編を挟んで、その次から第四章が始まります。
皆様から温かい評価を頂き、私にとって大変な励みになっております。誠にありがとうございます。
これからも拙作をどうかよろしくお願いいたします。
スコルト男爵家は束の間の余暇に浸っている。
戦地の復興作業は順調だ。ディンの港に流れ着いた船の残骸の撤去も進み、とりあえずは通常業務に耐えうるまでには整っている。あとは流れ矢などの戦闘の余波で壊れた建物を一つ一つ直していくのみである。
クルス人戦死者とキルト人戦死者それぞれの合同葬も先日終わった。
これで取り急ぎの案件はあらかた片付いたので、スコルト男爵家のハードスケジュールも一区切りがついた形になる。
もちろん戦後処理が全て終わった訳では無い。
多数の捕虜は収容所にいるし、レフとの交渉も何一つ進展していない。
しかし、レフ連合には使者を送ったばかりなので、直近で出来ることは今のところないのである。
レミーリアと兄二人は、男爵邸の談話室にて、久しぶりにのんびりとした午後を過ごしていた。
3人とも、紅茶を飲みながら草臥れ果てた様子でイスに背中を預けている。
「あ〜、こうしているのも久しぶりだね。落ち着いてイスに座れることが、こんなに幸せだって思わなかったよ」
カールはグダ〜と足を伸ばしてダルそうに言った。3人の中で一番だらけている。
ずっとディンにビアにと駆け回って休む間もなく遺体搬送等の陣頭指揮をしていたので、精神がかなりすり減っているようだ。
「カールお兄様、お行儀が悪いですわよ。……でも本当に疲れましたわね。つくづく港が壊されなくてよかったわ。もしかしたら収容所の次はそちらの工事に駆り出されるかと心配してましたのよ」
レミーリアも声に力が入っていない。ここ最近の肉体労働であちこちが筋肉痛のようだ。
バルドは飲んでいた紅茶をソーサーに置くと、フゥと一息つく。彼もまた疲労が溜まっているようだ。珍しく、時折生あくびをしていた。
「まあ、レフも港を使用するつもりだったから、無駄に壊そうとはしないさ。尤も、壊せるだけの人員が港にたどり着けなかったのもあるがな」
「そう、それだよ兄様!」
カールは体を起こして前のめりになる。何か兄に聞きたい事があるらしい。
「海戦の様子はどうだったの? みんな忙しくてなかなか聴けなかったんだ。……陸上でのネーロの暴れっぷりは、戦場跡を見たからよく分かるけど……」
現場で何体も無惨な死体を見たようだ。思い出してゲッソリしている。
レミーリアも興味深そうにバルドへ視線を向けた。
「それは私も聴きたいですわ。大砲が活躍したんですわよね?」
レミーリアが大砲について言及すると、バルドは肯定するように大きく頷き、戦争の時に見た衝撃的な光景を戦慄混じりに語り始めた。
「確かにソレが一番の要因だろうな。戦術をしっかりと練っていたし、レフ連合にしたら初見の兵器だ、対応のしようもない。――レフの軍船が接舷しようとしたらアッサリと餌食になっていたよ。轟音とともに人と木片が海に飛び散っていたのは、遠目から見ても凄まじい光景だった」
これまでの海戦は弓矢と敵船への移乗攻撃が主流である。白兵戦のため近づいていた敵船は大砲のよい的であった。それで数多のレフの軍船が海の藻屑となっている。
「……海岸沿いに沢山漂流物が流れ着いていたね」
カールはディン付近の海岸の様子を思い出して思わずブルっと震えた。海岸沿いは船と人の骸が山となる凄惨な有り様だった。海が赤く染まり地獄の様であったという。
「船の数は大きく差があったが、大砲のおかげで囲まれる前に敵船を次々と沈めていくことができた。特に最初の交差で敵の旗艦を撃沈できたのが大きかったと思う。相手の連携が目に見えて乱れたからな」
「確か《船団潰し》のラオホーンでしたかしら? 有名な船長なんですってね」
レミーリアはペイス氏族から聞いた話を思い出した。
今回の海戦の総指揮を任されていた、レフ随一の海将だという。二つ名もそれに相応しいものだ。
「ああ、そうらしい。〈スタードロップ〉の船員もその名を知っていたぞ。海の名将らしいな。その分相手の動揺も大きくなったのだろう。右往左往している内に、スコルトの後ろから突撃してきたドロット海軍に囲まれて、何隻も沈められていた。ドロット騎士たちもこの海戦には主君の命が懸かっていたからな。必死の戦いぶりであった」
バルドは紅茶を一口飲んで喉を潤し、続きを話す。
「敵船団を3割ほど沈めた後は、もう統率も何も無くなった。散り散りになって逃走を始める船、自棄になってディンの港に上陸してきた船。……ディンに向かってきた船の大半は埠頭に設置した大砲の餌食になったな」
いかに屈強な戦士といえども大砲には敵わない。
船と共に海に沈むか、直撃を受けて一瞬で神々のもとへ召されるかである。小舟で脱出したり、自力でなんとか港まで泳ぎ着いた者はごく少数であった。
「なるほど。船数からみれば圧勝と言えますわね。それにしても――」
レミーリアは不安そうに頬に手を当てた。
「ドロット伯爵家は大丈夫かしら?」
お取り潰しは決まっているが、この圧勝である。特例として存続が認められても不思議ではない。
帝国としても北部を鎮護する優秀な貴族家は失いたくない筈だ。
カールは腕を組んで、難しい顔つきで首を捻った。
「う〜ん、これほどの大勝だからね。とりあえず死刑は免ぜられるはずだよ」
カールの意見にバルドも同意する。
「ああ。おそらくは現伯爵夫妻は隠居させられ、ジャック殿が跡を継ぐことになるだろう。伯爵位がそのままかは分からないが、ドロットの領主であることは変わらないはずだ。あとは被害者であらせられるエストラ皇女殿下がどう思われているかだが……」
「あら、それなら問題ありませんわ」
レミーリアは意味ありげに微笑んだ。
カールは彼女の言葉の意味に気づいたようで「あっ、そっか」と手を叩いた。
「そういえばレミーリアは殿下とお友達になったんだったね! それなら確かに問題なさそうだ。伯爵家とウチは親戚になるのだからね」
その通りである。
エストラにとってレミーリアは特別な友人だ。その義姉となるココナも知らない人物でもない。きっと父である皇帝に口添えしてくれるだろう。
それにそもそも、彼女の性格ならきっと伯爵家を許す筈だ。そう考え、レミーリアは優しい顔で微笑んだ。
「ええ。それに、殿下は伯爵家を死刑になさるような方ではありませんでしたわ」
「へぇ〜、お優しい方なんだね。まっ、それなら兄様も安心して結婚できそうだ」
バルドは「うむ!」とニッコリと笑った。彼もこの件は気がかりであったようだ。
婚約者が悲しい思いをして辛くない男などいない。バルドもそうである。
「正式なことは来年の夏の貴族会議で告知されるだろう。その頃にはココナ嬢も成人なされるし、結婚式はその後だな。何にせよ、暗い式にならなそうで良かった!」
そう言ってバルドは声を上げて快活に笑う。
きっと一安心したのだろう。レミーリアとカールも嬉しそうだ。
「おっと、その前にレミーリアだな」
急に話を変え、バルドはニマニマとした揶揄うような視線をレミーリアに向ける。
「そうだそうだ、それがあった」
カールも同様だ。
レミーリアは二人に好奇の目で見られて慌てた。
「な、何ですかお二人とも……」
バルドとカールはそろって意地悪く笑った。
「いやいや、レミーリアはいつイング君と結婚するのかな? と思ってな」
「もうプロポーズはされたのかい? どうなの?」
「ま、まだですわ……」
レミーリアは頬を染めて否定した。実の兄二人に詰め寄られ、居心地が悪そうである。
イングとはしっかりと愛を深めたが、その手の話はされていない。以前に「待って」と言われてからそのままである。
それを聞いてバルドは「なんと!」と、額に手を当て大袈裟に驚いた。
「まだプロポーズをしていないなんて! おお、なんてことだ! これはイング君と話をする必要があるな!」
怒っているような口調だが口の端が笑っている。これをネタにイングをせっついて揶揄う気満々である。
カールもそれに乗っかった。
「そうですね兄様! 僕らの大事な妹の将来のことですから、是非とも冷やか……相談に乗ってあげないと!」
「その通りだ! レミーリア、イング君は今日は『エミール』かな?」
今にも『エミール』に乗り込み、イングを攫ってしまいそうである。きっとリフレッシュも兼ねて恋バナを楽しみたいのであろう。仲の良い兄妹である。
このままではイングがオモチャにされてしまう。レミーリアは憤然と立ち上がり、二人を睨みつけた。
「お二人とも大きなお世話ですわ! それにイングなら、今日はお父様に呼び出されてウチに来ています!」
レミーリアは二人を怒鳴りつける。
兄二人は顔を見合わせると、揃って呆れたように肩をすくめた。
「俺たちより先に父様が動いたようだな」
「ええ、どうやらイングも覚悟を決める時が来たようですね」
「はい? ……ッ! まさか!?」
レミーリアはトリスの用事に気づいた。
バルドとカールはレミーリアを祝福する様に笑いかける。
「フフッ、レミーリアが幸せになる日も近いな」
「いいかい? イングも特別なシチュエーションを考えているだろうから焦っちゃだめだよ、レミーリア」
いつもの揶揄うようなニヤついた笑みではない。大切な妹を心から慈しむ優しい微笑みだ。
「なに、イング君を信じて待っていることだ」
「そうそう、イングを愛しているのだろう? 彼もレミーリアと同じ気持ちさ」
「……はい」
レミーリアは顔を真っ赤にして静かにイスに座り直した。
その頃、トリスの執務室に呼び出されたイングは、冷や汗をかきながら背筋を伸ばして立っていた。
トリスはイスに座りながらニコニコと笑い、目の前に立つイングを見上げている。ただ、笑顔とは裏腹にトリスの身体からは凄まじい威圧感が放たれていた。
「改めて御礼を言わなければね。今回は協力してくれてありがとう。イングくんのおかげで犠牲者の数も大きく減った」
「いいえ男爵様! 全てネーロのおかげです!」
優しい口調でお褒めの言葉を賜っているが、ピリピリと肌を突き刺すプレッシャーがイングの精神を削っている。返事をする声も緊張のあまり上擦っていた。
謙遜するイングに対し、トリスは静かに首を横に振ってこれを否定した。
「それもイングくんの指示あってのことだよ。君はこのスコルトに多大な貢献をしてくれた。本当にありがとう」
そう言ってトリスは頭を下げる。
イングはその姿に緊張感を高める。先程から威圧感が全く衰えないのだ。
「――さて、それとは別にだね」
トリスが顔を上げた。射抜くような視線が真っ直ぐイングに向けられる。
ついに来たとイングはゴクリと唾を飲む。
「……責任を取ってくれるんだろうね?」
「はいっ!」
間髪入れずイングが大声で返事すると、トリスから放たれていた威圧がフッと引っ込んだ。
一転して笑顔になるトリス。ほっとした様に胸を撫で下ろしていた。
「良かった良かった。イングくんならそう言ってくれると信じていたよ」
だが、いくらトリスが微笑んでいてもイングの緊張が解けるわけではない。現にまだレミーリアにプロポーズをしていないのだ。これでは疑念を持たれて当然である。
しっかりと自分の考えをトリスに伝えようと、イングは早口で釈明を始めた。
「戦争が終わったあと、ファーネス商会に指輪を注文しました! トミン支店長がとっておきの指輪を取り寄せてくださるそうで、今はまだ手元にはありませんが、年内にはプロポーズをさせていただきます!」
トリスはうんうんと満足げに何度も頷く。きちんと計画を立てているなら親としてこれ以上口を挟む気はなかった。
「ここから先は二人のことだ。頑張りなさい」
「ありがとうございます!」
戦争は終わったが、イングの一世一代の大勝負はこの日から始まったのである。
補足
この世界でもプロポーズに指輪を渡す風習があります。ただし、基本的に貴族などの富裕層同士の話です。イングは平民ですが、指輪を貰うのが貴族子女の憧れと聞いたことがあるので、今回レミーリアのために指輪を用意しました。
おまけ
男爵邸にて、レミーリアは、何やら腕を組み悩んでいるバルドを見かけた。
「バルドお兄様、何かお悩みですか?」
バルドは頷く。
「ああ、俺の二つ名なんだがな。気に入ってはいるのだが、流石に決闘の時にあれは名乗りづらくてな。何か栄える二つ名が付かないものかなと思っていたんだ」
バルドの悩みを聞いたレミーリアは、物憂げにフゥとため息をついた。
「バルドお兄様、二つ名は望み通りには付きませんわ……」
「お、おう、そうか……」
妹の哀愁漂う様子にバルドは少し同情した。




