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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
第三章 戦史にスコルトの名を刻め

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皇太子の出陣

「ふざけおって!!」


 レフ大陸東部にある海沿いの大都市ホルトレン。ここはレゼル氏族の本拠地にしてレフ連合王国の首都である。

 その中央部にある台地の上に聳え立つ王城にて、燃えるような赤髪をした背が高い初老の男性が、ワシのような目を吊り上げて激昂している。

 男の名前はガヴィ・レゼル。レフ大陸の支配者《再統一王》である。

 ガヴィ王は先程ローレンから告げられたボルモスからの返答を思い出し、玉座の肘掛けに拳を叩きつけると、辺りの臣下の目を気にせずに、部屋の外まで聞こえるような大声で怒鳴り散らした。


「何が『正々堂々かかってこい』だ! レフから尻尾を巻いて逃げた負け犬氏族どものくせに! いいだろう、今度は一人たりとも逃さん! 望み通り皆殺しにしてやるッ!」


 ガヴィはいくら怒鳴っても腹立ちが収まらないのか、ギロッと周りの臣下たちを殺気だった目でめ付けた。

 ビクリと臣下一同の肩が怯えたように震える。


「メーヌ氏族どもも許せん! 『友好同盟を結んだ相手とは争えない』だと? この儂の命令をなんだと思ってる! いっそマーティンの前にあいつらの都を焼いてやろうか!」


 この玉座の間に居並ぶ臣下たちは王の勘気に触れぬよう身体を縮こまらせている。

 王の一番側に侍っている白髪頭の老人はその様子に内心でため息を吐いた。


(……誰も陛下をお諌めしようともしないのか……。やはり私が進言せねば……)


 老人はガヴィ王の前に静々と進み出てその場でひざまずき、何一つ恐れる事なくガヴィ王を諭し始めた。


「陛下、お待ちください。メーヌ氏族は何もマーティン攻めに参加しないわけではございません。あくまでもスピリタス氏族とは争わないだけでございます。スコルトを落とした後は協力するとアルヴ族長も約束しております。今回の埋め合わせとして、その時に酷使してやれば良いではありませんか」


 老人の落ち着いた声に、ガヴィ王の怒りのボルテージが下がる。部屋に満ちていたピリピリとした雰囲気が幾分和らいだ。

 ガヴィ王は少し冷静さを取り戻したようで、素直に老人の言葉に耳を傾けた。


「う〜む、確かにそうだ。メーヌ氏族には精々盾がわりに働いてもらうとするか。《老獪なる》イーオンよ、そのように取り計れ」

「ははっ、陛下の仰せの通りに」


 イーオンと呼ばれた老人は頭を下げて主君の命令を拝受する。

 もし他の者が進言したら、ガヴィ王はここまで素直に受け入れはしなかったであろう。

 ガヴィ王のイーオンに対する信頼の厚さが見て取れた。

 弛緩した空気が玉座の間に漂う。ガヴィ王の怒りが完全に鎮まったことを感じ、臣下たちが胸を撫で下ろしたのだ。

 ガヴィ王は気持ちを落ち着かせるようにフゥと息を吐き、威厳溢れる声でイーオンに問いかけた。


「してイーオンよ。メーヌの船団は無いが、スコルト攻めに支障は無いな?」


 イーオンは静かに頷いた。

 海戦の主力と見込んでいたメーヌ氏族の大船団が無いのは誤算だったが、レフ連合にはまだ多くの戦力がある。

 注意すべきはスコルトのスピリタス氏族とドロット海軍だが、部下の報告によると敵方は夏にあった皇女暗殺未遂事件により帝国軍本隊と関係が悪化しているらしい。少なくともスコルト攻めでは帝国軍の援軍は無いとみて間違いないようだ。

 それならば相手がいかに手練と言えども、数の力で易々と打ち砕ける。

 そもそもこちらは帝国海軍の総力とぶつかるつもりで準備していたのだ。メーヌ氏族が抜けたとしても、あちらも一枚岩ではないなら、戦局に大差はない。

 

「はい陛下。確かにメーヌは最もスコルトへの航路を知る者たちではありますが、他の氏族にも交流がある船乗りはおります。水先案内人には事欠きません。戦力についても号令を掛け、十分な数の軍船が集まりました。私の試算によると、帝国海軍の総数を上回る規模となっております」


 ガヴィは満足そうに頷く。

 戦争において最も重要な要素は兵士の数だ。

 帝国の恐ろしさとは、その広大な領土に比例した軍隊の兵数にある。ならばこちらも大陸一つ分の力を結集してしまえば良い。

 それにキルト人は個人の武勇を尊ぶ民族だ。一対一であれば負ける気はしない。それが二対一、三対一となれば勝利は日の目を見るより明らかである。


「よしッ! 懸念すべきは兵数のみだからな。マーティンの腰抜け騎士など我が精強なる戦士団の敵では無い! 同数ですら勝ちは揺るがぬのに、こちらが多いとくれば尚更のことよ!」

「父上のおっしゃる通りでございます!」


 ハキハキした声と共に一人の若者が玉座の間に入ってきた。

 20歳くらいの、気力溢れる精悍な顔つきをした背の高い赤髪の男性である。

 昔を知る人間には、その青年が若き日のガヴィ王そっくりだと気づくだろう。特にその燃えるような赤髪が、何よりも強く親子の血のつながりを感じさせた。

 ガヴィ王は青年の登場に満面の笑みを浮かべ、親愛を込めて青年の名を呼んだ。


「おお、ゲルシュ!」


 ゲルシュと呼ばれたこの男性はガヴィ王の息子、つまりこの国の王子である。しかも継承権第一位、いわゆる皇太子だ。


「フフフ、父上はご安心してこの城にて吉報をお待ちください。直ぐにこのゲルシュがスコルト陥落の報告を父上にお届けしましょう」


 ゲルシュは何も恐れるものなどないと言わんばかりに、不敵な笑みを浮かべている。

 若くして覇気に溢れた堂々たる姿。未来の王者に相応しい風格である。

 その自信に満ちた言葉にガヴィ王は顔を綻ばせる。


「頼もしいぞ、我が息子よ。数多くいた我が子のなかでお前が一番才能に恵まれている。見事この戦をお前の偉業の一つに加えてみせ、神々の賞賛を受けるが良い」


 ガヴィ王は現在60歳である。

 彼には多くの息子がいたが、戦でみな命を落としたので、今現在ではゲルシュが男子では最年長である。

 他に残った男子はゲルシュの下に双子の弟がいるのみ。因みに長女は40歳を超えている。

 しかもゲルシュは既に数多くの戦場で活躍をし、レゼル氏族のレフ制覇にも大きく貢献している。

 公明正大な性格で部下からの信頼も厚く、ガヴィ王のみならず、周囲が彼にかける期待はひとしおであった。


「はっ! 神々にお喜びいただけるような大戦をお見せ致しましょう。そして、帝国を落とした暁には全てのマーティン人どもに父上の名を称えさせてみせます!」


 ガヴィ王は嬉しそうに破顔し、上機嫌でゲルシュに出陣を命じた。


「素晴らしい! 必ずや栄光はそなたの頭上に輝くであろう! ではゲルシュよ、レフ連合の王として命ずる! マース大陸へと出陣し、スコルトの負け犬どもを根絶やしにせよ!」

「お任せあれ!」


 ゲルシュはガヴィ王に敬礼をすると、踵を返して玉座の間を退室した。

 

「陛下、私も御前を失礼いたします」


 イーオンもガヴィ王に敬礼した。

 ガヴィ王は大きく頷いて退出を許可する。


「イーオンよ、ゲルシュは将才に恵まれているがまだ若い。よく補佐してやれ」

「お任せください」


 イーオンもゲルシュの後を追って玉座の間を出る。

 彼はレフにその人ありと謳われた名軍師。ガヴィ王の求めに応じて今回の戦争の筋書きを全て立てた張本人である。

 経験に裏打ちされたその戦術眼は、若きゲルシュにとって何より助けになるであろう。


「フフフ、いよいよだ。いよいよ儂は《統一王》テルヌを超える偉業を成し遂げる。ゲルシュよ、イーオンよ、楽しみにしているぞ。ハァーハッハッハ!」


 玉座に座るガヴィ王。彼は間もなく長年の夢が叶うと思い、胸の内から込み上げてくる喜びを抑えきれなかった。

 その瞳は野望に燃えている。




 ゲルシュとイーオンは城内の廊下を歩きながら意見をすり合わせていた。


「して若様。スコルト侵攻作戦に変更はございますか?」


 イーオンの確認に、ゲルシュは小さく首を横に振って答える。


「いや、無い。予定通り主力でスコルト西のディン港を落とす。途中のビアは少数戦力で占領すればよい。主力はディンを攻略後、そのままスピリタスへ。ビアを落とした部隊は遊撃隊として敵後方を撹乱だ」


 ゲルシュが気を衒わず、堅実な作戦を選んだことにイーオンは安心する。

 想定とは多少陣容が変わったが、何も問題は無い。

 可能であればスピリタス氏族の懐柔に成功し、土壇場で寝返ってくれれば最良であったが、元から上手くいくとは期待していなかった。

 ならば当初の予定通りに、真っ正面から兵力の差で押し潰せばいいだけである。


「承知いたしました」

「問題は海戦だが、船はこちらの方が多いのだったな?」


 ゲルシュの疑問にイーオンはニヤリと笑って答えた。

 大番狂せが起きて一番困るのが海戦だ。

 船を沈められてしまえば、乗船している戦士団も諸共に沈んでしまい、肝心の敵地占領ができなくなってしまう。

 だが、此度の戦はレフ連合側に風が吹いていた。


「若様には運が向いておられます。丁度マーティン帝国はマース大陸西のクリーク王国との戦争が激化し、海軍もそちらに戦力を取られております。我らを阻むのはドロット海軍とスコルトの傭兵たちのみ。そしてその二つを破ればマーティンは我々に対抗できる海軍を失います。マーティンの海は我らの海となるでしょう」


 制海権を抑えてしまえば、追加の戦力をレフ大陸から好きなだけマース大陸に送り込めるようになる。

 ゲルシュも同じくニヤリと笑った。


「そして陸上で我らが戦士団に敵うものなどいない。やはり海上での勝利が肝要だな。……まぁ、俺は海戦をしたことがないからな。全てラオホーンに任せるが」


 ゲルシュの意見にイーオンも賛同する。


「それがよろしいかと。《船団潰し》のラオホーン。海戦において彼に勝るものはレフにはおりません。若様が大将としてどっしりと構えていれば、この戦は間違いなく勝利できるでしょう」

「うむ! メーヌ氏族が不参加を表明したのは予想外だったが、大勢に影響は無い! 改めて軍を編成し、早速出陣だ!」


 こうしてゲルシュはイーオンと共に軍勢を整えると、大船団を率いてスコルトへ進軍する。

 メーヌ氏族の不参加により当初の予定より船団の規模は大きく減ったが、その船の数はスコルト・ドロット船団に倍するものであった。

 ゲルシュは、そしてガヴィは、味方の勝利を確信していた。




 ――開戦当日。


 スコルト近海にてゲルシュは酷い船酔いに苦しんでいた。


「ぎぼち……悪い……。座っているの、も、づらい……」


 青褪めたゲルシュはフラフラと船の縁に寄りかかると、海に向かってえずいた。彼が船から落ちないように臣下が腰を掴んでいる。


「……もはや何も出ん。ゔぇ、陸はまだか……」


 グッタリしているゲルシュを困った顔でのぞいている男がいる。

 肌が黒く日焼けした小太りの男だ。丸顔で愛嬌があるが、目つきだけは不気味な、恐ろしげな印象の男性である。


「あちゃー、さっきの嵐が効いたかな? ほんの一瞬で通り過ぎたけど、慣れてない若様にはキツかったか」


 ゲルシュは涙目で男を見上げた。


「ラオホーン。お前や、部下たちは……よく平気だな……。あんなに……揺れたのに」

「何おっしゃってるんですか若様。あの程度でへばってたら船なんか乗れませんよ」


 体調が優れないときは元気な者が妬ましくなるものである。

 ゲルシュは息も絶え絶えに恨み言を投げかけるが、レフ連合一の海将である《船団潰し》のラオホーンに当たり前の事を言い返されてしまう。

 もはや反論する気力すらないゲルシュは、甲板にへたり込み、「うぅぅぅ……」と呻いていた。

 王者の風格も何も無い。ここに居るのは船に揺られるがままの死にかけた若造だ。船員たちも彼を哀れそうに見ている。


「陸が見えたぞー! 間違いない、ビアの灯台だー!」


 マストの上から見張りの大声が聞こえてきた。ラオホーンは見張りに怒鳴り返す。


「敵船は見えるかー!」

「周辺には船の姿は今のところありません!」


 ラオホーンはゲルシュとイーオンに顔を向ける。


「予想通り、敵は戦力をディンに集結しているのだと思われます。ビア占領のために4隻ばかり船を向かわせます。それで十分でしょう」

「頼む」


 イーオンが承知したので、ラオホーンは命令を飛ばそうとする。

 が、そこにストップがかかった。


「よしッ! 後ろの――『ま、待て』」


 ラオホーンの言葉を遮ったのはゲルシュだ。ひどく必死そうである。


「若様?」

 

 何故止めるのだとラオホーンはキョトンとしている。

 ゲルシュはフラフラと立ち上がり、真っ青な顔でビアの灯台を指差した。


「俺もその船に乗る。ビアに上陸する」

「何をおっしゃるのですか!?」


 イーオンはアゴが外れそうなほど驚いた。大将が主力を率いず、遊撃部隊に混じるなど聞いたことがない。

 だが、ゲルシュは青褪めた顔で言葉を続けた。


「ただ船に乗っているだけで、ぐえっ……コレなんだ。海戦なんかしたら、うぇ、マースの地を踏む前に……死んでしまう。本戦は……スピリタスだ。その時に合流すればいぃ……」


 後生だからここで船から降ろしてくれという彼の気持ちがよく伝わってきた。

 恥も外聞も捨て、懇願すら辞さない様子である。

 ラオホーンは呆れたように後頭部を掻いた。


「まぁ、海戦で若様のやることはありませんからね。いいんじゃないですか?」


 イーオンも「むぅ」と悩みながらゲルシュを見つめる。

 だが、意見を翻させるのは無理そうだと諦めたのか、数瞬思案したのち、がっくりと肩を落とした。


「……仕方ありませんな。海戦中ずっと呻いている方が士気が下がりかねません。……私もお目付役としてついて行きます。ラオホーン船長、後はよろしくお願いします」


 イーオンはため息混じりにそう言った。そちらの方がゲルシュの体調と全体の士気に良いと判断したのだ。

 大将が四六時中死にそうな顔をしていたら勝てる戦も勝てなくなってしまう。

 本隊の指揮を任せられたラオホーンは、自信満々な様子で力強く自分の胸を叩いた。


「お任せを! 若様、ディンの港で待ってるので、全部終わってレフに帰る時にまたお会いしましょう。責任持ってお送りしますよ」


 揶揄い混じりのラオホーンの発言に、ゲルシュは俯いて「もう船は嫌だ……」と呟く。

 ラオホーンは上陸をする船にゲルシュとイーオンを乗せると、大船団を率いてディンに向かった。

 ゲルシュを乗せた4隻の船はビアへと舵を切る。


 ついに歴史に名高い『スコルトの海戦』の火蓋が切って落とされる。

補足


 帝国軍はレフに対してはドロット伯爵領内で野戦にて決戦をつけようと考えております。

 そのために現在、戦力を伯爵領にある砦に集めています。スコルトに集めないのは裏切りを警戒してるからです。

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