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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
プロローグ レミーリアの何気ない一日
4/101

赤熊たちの宴

 まだ昼前の鐘までは時間があるにも関わらず、『エミール』には〈赤銅の大熊〉のメンバーが次々と入店してくる。

 どうやらこの傭兵団は時間前行動が習慣づけされているらしく、その勤勉さは飲み会の時でさえも発揮されたようだ。スタッフにとってはいい迷惑である。

 30席ばかりある店内は開店前に全て埋まってしまった。こうなるといちいちエールの注文は受けていられないので、客席にタルごと置いてセルフで注いでもらっている。

 料理もできた端から提供しており、厨房は大忙しである。


「いらっしゃい、ファンデルさん! また会えて嬉しいわ!」


 レミーリアも顔馴染みの客に挨拶しながら、今しがた切ったハムとチーズの盛り合わせを各テーブルに置いていった。

 酒量とともに右肩上がりになる店内の喧騒に負けないじと、彼女の声も次第に大きくなっていて、今では腹からしっかりと声を出している。


「ねえ、他の店に行った人達も変わりはない?」


 〈赤銅の大熊〉は100人程の傭兵団なので、隊ごとに3組に分かれて打ち上げをしている。

 つまり、朝一番で団体予約を入れられた被害者があと2件はあるということである。


「おう、他の隊のやつらも無事だ。みんなで大儲けしてやったぜ」


 団員たちも大声で返す。早くも2〜3杯は空けているので、すっかりほろ酔い加減のようだ。


「あいつらは別の店で飲んでるが、俺たちはラッキーだな。なにせ、こんな綺麗な《看板姫》レミーリアちゃんがいるんだから」


 一人がそんな軽口を叩くが、それを聞いた団員がふざけて茶々を入れる。


「おいおい、口には気をつけろ。レミーリアちゃんが綺麗なのはその通りだが、『酔猫亭』のロビンちゃんとソニアちゃんが聞いたら『私達に会えるのはラッキーじゃないのか』って怒るぞ」


 その言葉に周りが手を叩いて笑うが、軽口を叩いた男は懲りないようで、茶々を入れた男の方を向いて別の店に喧嘩を売った。


「なら『オールトム』にいった奴らよりラッキーって言い直すわ。あそこは看板ババアがいる店だ」

「お前、今度は婆さんが包丁持って追っかけてくるぞ」


 店内に一際大きく笑い声が響いた。アルコールの勢いもあって遠慮がなく騒がしい。店の外まで音が漏れている。

 レミーリアは苦笑しながら、朝仕入れたライ麦パンと小麦パンを配膳用のカゴにいれる。厨房からはイングが牛すじとキャベツのスープを持って出てきた。ブルーはステーキを焼き、スミカはイモを揚げている。

 そして外からは昼前の鐘が聞こえてきた、『食事処エミール』はたった今、開店時間である。




 鐘の音を聞いたモルトガットは、グラスを手に持ち立ち上がった。


「よーし時間だ。お前らグラスを持て、打ち上げを始めるから乾杯するぞー」


 既に始まっていたようなものだが、実は彼らはまだ乾杯はしていなかった。開始時間は当初の予定を厳守するようだ。変なところで律儀である。

 それを聞いて、団員たちは各々グラスを手に取った。飲み干してた団員は慌てておかわりを注いでいる。

 全員準備が整ったのを見てモルトガットは音吐朗々と乾杯の発声をする。今回の遠征において栄誉ある武勲を示せたことを神々と先祖に感謝し、敬意を込めて杯を捧げるのだ。


「今回俺たちはノッジ伯爵の跡目争いにおいて次男に与し、これに勝利した。敵軍を破り、数多の騎士を討ち取り、大将をも生け捕った。語り継がれるべき大戦果である。神々は我らを照覧したもうたであろう。先祖は我らを誇るであろう。さぁ立て、今日は飲むぞ。神々と、先祖と、我らに乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 団員たちはグラスを掲げ、グイッと酒を煽り、盛大な歓声を上げた。




 イングは一層盛り上がる客たちの間をすり抜け、手際良くスープを置いている。ちょうどモルトガットの近くを通った時、彼に声をかけられた。


「イング、ウイスキーはあるか? 最初の1杯はエールだが2杯目は違うのが良い」

「メニューにあるのは全部仕入れてますよ。何にします? と言いますか2杯目って……モルトガットさんもう何杯も飲んでいるじゃないですか」


 イングはそう言って笑うが、モルトガットは真面目な顔で首を横に振った。


「いやいや、そんなことは無いぞイング。いいかよく考えてみろ。エールの2、3杯なんて水だろ? 水を飲んで『酒を飲んだ』なんて言う奴が居るか? 居ないだろ? つまり乾杯で飲んだこのエールが俺の1杯目なんだ。何も間違えてはいないな」


(モルトガットさん、確か6杯以上はもう飲んでた気がするけど……)


 めちゃくちゃな理屈にイングは呆れる。が、相手は酔っ払いだ。何も言わないことにした。営業スマイルで「なるほど」と無難に相槌を打ってやり過ごす。


「それより酒だ酒、えーと何があるって?」


 イングを呼び止めたのは持論を披露するためではなく、酒を頼むためである。モルトガットは意識をメニューに移し、手に取ってちょっと目を通しただけで注文を決めた。


「この『熊殺し』って酒は聞いたこと無いな。新しい銘柄だろ? よし、これを瓶ごとくれ。ホントに熊を殺せるか俺が試してやる」


 団長が追加の酒したのを皮切りに、他の団員も思い思いの酒を頼み始めた。

 大仕事を終えたばかりで懐には余裕がある。値段など気にせず、バンバンと注文が飛んだ。


「俺にも『熊殺し』をくれ。1杯でいいぞ、他のも飲みたいからな」

「俺にはラガーちょうだい。他に飲む奴いるか?……2、4、6の。おーい、レミーリアちゃん、7人分頼むわ」

「やっぱ慣れたのがいいな。『北の夢』を瓶ごとお願い。皆も飲むだろ? グラスも幾つか付けてくれ」

「スコルトに帰ってきたら、なんだかウォッカ飲みたくなるんだよな〜。『竜潰し』ちょうだい。グラスになみなみとお願いねー」


 一度に入った注文をレミーリアとイングは大忙しで捌いていく。

 酒を飲んでなんぼの荒くれ男ばかりの宴会である。じっくりと酒を味わう者などごく少数。カパカパと杯を空けてはおかわりを注文するので足を止める暇もなかった。




 もちろん口に入れるのは酒ばかりではない。団員たちは久しぶりの故郷の味に舌鼓を打っていた。

 大陸中を渡り歩き仕事をしてきた彼らだが、やはり地元の料理は特別らしい。みな嬉しそうに口にしている。


「やっぱりふるさとの味は一番だ。このコクのあるチーズと香ばしいライ麦パンを一緒に食べて、エールで流し込む。こいつが最高なんだ。国のどこでもこいつらはあるが、やっぱりスコルトのやつが一等味が良い」


 ある一人の団員がそう言うと、他の団員たちも思い思いの好みを語り始めた。

 スコルトの食文化は、二つの民族が混ざっていることもあり、とても豊かである。さまざまな料理が挙げられた。


「俺は魚だな。しばらく海を離れると無性に食いたくなる。ジュッと焼いてもいいし、野菜と一緒に煮てもうまい。……食いたくなってきたな。ブルーさんなんか1匹焼いてくれ」

「この店に来たらすじ肉のスープだろ。他の店とは格別の柔らかいすじ肉。一体何をしたらあんな硬いもんがこうなるのかさっぱりだ」

「ウイスキーもいいぞ。スコルトなら比較的安く飲めるが、他所だと高くてとても手が出せねぇ。まぁ、その代わりワインが安かったりするんだけどな」

「ステーキと小麦パンだろ。これこそ他領では食えないものじゃねえか。身分だかなんだか知らねぇが、肉と小麦パン、あと幾つかの食べ物は貴族どもと坊主ども、あとせいぜい大金持ちしか食っちゃいけないだなんて馬鹿馬鹿しい」


 マーティン帝国は衣食は身分によって許可されるものが違う。庶民が無許可でそれを破ることは許されず、違反者は厳罰を受けることになる。

 もし庶民が許可を得ようとするならば大枚を叩くより他なく、そうしなければ貴族や僧侶に準じた生活を送ることはできないのである。

 ただし、スコルト領は中央の目が届きにくく、領主も地元の教会も締め付ける気が無いので、代々なあなあになっている。


「確かにそうだ。祭りなら肉も庶民に振る舞われるが、俺たちみたいな余所者が紛れたら反発されるしな。しかしクルス人ってのは可哀想だ、こんな美味いものを食えないなんて」

「まったくだぜ」


 一人が不満を漏らすと、他の者も同意しだす。

 自由(無法)に慣れた彼らには、理不尽な法律が殊更に煩わしく思えるのだろう。真っ当に法律を遵守する一般市民を勝手に憐れんですらいる。


 いつしか話題は、うるさく締め付けようとしてこない自分の所の領主や教会の神父を讃えるものとなった。


「うちは話のわかる領主様と神父さんでよかったぜ」

「よしっ、トリス男爵とオリヴァ神父、あとついでに男爵の娘のレミーリアちゃんに乾杯!」

「「「乾杯!」」」

「やめて下さい!?」


 調子に乗った男たちが高らかに杯を打ち鳴らす。

 いきなり乾杯されたレミーリアは泡を食った。




 客たちがレミーリアの様子に爆笑していると、おもむろに店のドアが開き、美しい少女が入ってきた。

 明るいベージュ色の長髪を頭の後ろで束ねた、朗らかな雰囲気の少女である。

 少女は店内を見渡し、レミーリアを見つけると、軽く手を振り明るい声で話しかけた。


「やっほーレミー。ずいぶん賑やかだけど入れる? 大丈夫かな?」

「あら、レク?」


 声のする方に顔を向けるレミーリア。入ってきた少女は友人らしい。

 すると、スミカが急に慌てだした。


「あらやだ私ったら!」


 今日この『エミール』は〈赤銅の大熊〉の貸切であったのだが、スミカはその札を店外に下げるのをすっかり忘れていた。

 それなのでこの少女も通常営業だと思い、店に入ってきたのだ。


「ごめんなさい。お外に貸切の札下げるの忘れてたわ」


 スミカはそう言って少女に詫びる。

 少女はそれを聞くと、あっさりとした口調で、


「あ、そうなんだ。分かったよスミカおばさん。じゃあまた今度ね〜」


 と言って外に出ようとする。貸切であるならば日を改めるしかない。明日にでもまた来ようと考えていた。

 だが、ドアノブに手をかけ今にも外に出ようとする少女を、近くにいた団員が慌てて止めた。


「お嬢、待ってください。大丈夫ですから入ってください」


 “お嬢”と呼ばれた少女はキョトンとした表情で首を傾げる。


「いいの? 見たとこ〈赤銅の大熊〉の打ち上げでしょ? 邪魔しちゃ悪いよ」


 奥の席から走り寄って来たモルトガットが、とんでもないとばかりに口を挟む。


「邪魔だなんて水くさいこと言わないでくださいよお嬢! 俺たちは身内じゃないですか。今すぐに席をご用意しますんで、どうぞ一緒に飲んでいってください」


 少女に対して気やすさがありつつも、ややへりくだった態度だ。立場は少女の方が上のようである。

 モルトガットは部下に「イス持ってこい」と指図し、自分の隣、一番の上座に少女の席を作らせる。


「ささ、どうぞ」

「ありがとうね」


 ここまでされたら断る方が失礼だと思い、少女は礼を言って用意された席に着く。

 他の団員にも招いてくれた感謝を告げた。


「皆ありがとう。遠慮なく参加させてもらうね」


 まるで太陽な笑顔である。心なしか店内が少し明るくなったようにも感じた。

 少女は上機嫌でレミーリアの方を向く。


「レミー、そういうことだからエールお願い!」


 レミーリアは「はいはい」と返事をし、すかさず少女にエールを渡した。どうせこうなるだろうからと、既に準備していたのである。

 モルトガットは自分のグラスを持ち、再び声を張った。


「よしお前ら、思わぬゲストがいらっしゃった。もう一度乾杯するぞ。我らがボルモス・スピリタス族長のご息女、レクティ・スピリタス様に乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 このレクティの参加により、宴会はさらなる盛り上がりをみせることとなる。

補足


ブルーの二つ名

《すじ肉名人》


 少し気弱な性格の『食事処エミール』店主。息子が事件に巻き込まれるたびにハラハラしている。

 揉め事は嫌いなので、よくスミカの暴走を止めている。

 レミーリアが嫁に来ることは大賛成。男爵一家は気さくな人ばかりなので、親戚になることに何一つ不安を感じていない。



スミカの二つ名

《フライパン女》


 割と短気な『食事処エミール』の女将。喧嘩の時はフライパンを獲物にする。

 レミーリアとは馬が合うので、嫁に来ることをとても喜んでいる。



モルトガットの二つ名

《両断》《三ツ胴断ち》


 由来は戦場で敵兵3人を戦斧の一振りで真っ二つにしたため。豪快な性格で団員たちからの信頼も厚い。

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